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2018年5月5日土曜日

こんなに恥ずかしいこと言うやついるのか

女は俺の成熟する場所だった。書物に傍点をほどこしてはこの世を理解して行かうとした俺の小癪な夢を一挙に破ってくれた(小林秀雄『Xへの手紙』)

⋯⋯⋯⋯

前回、浅田ボウヤ云々と口走ってしまって言いっ放しだから、もう少しだけ記しておく、簡潔版としてね。浅田の荒木経惟批判への罵倒を準備中ってのは、口が滑っただけで、そんなことする気は実は毛ほどもないな。

七〇年代にはまだ小林秀雄が批評界の神様と見なされていたけれど 、ぼくは大嫌いでした 。 「 Xへの手紙 」 (三二年 )のなかの 、「女は俺の成熟する場所だった 」という有 名な一文を読んで 、こんな恥ずかしいことを書くやつがいるのかと驚いた記憶があります 。要するに 、共通の女をダシにして自分と中原中也の関係を語るというホモソーシャルな話でしょう 。だからぼくは小林秀雄的なものを嫌い 、その延長線上で吉本隆明や江藤淳も嫌っていた 。だいたい 、吉本なんて読んでもさっぱりわからないし ・ ・ ・ ・ ・ ・ 。 (『ゲンロン4』浅田彰インタビュー)

ーー《女は俺の成熟する場所だった》というのは、ほんとうに《共通の女をダシにして自分と中原中也の関係を語るというホモソーシャルな話》なのかね。ボクにはそう思えないな。

それとも、次のような心境に陥ったことをホモソーシャルな話っていうわけなんだろうか?

「私が何故あいつを嫌ひになつたかといふと、あいつは私に何一つしなかつたのに、私はあいつに汚い厚かましい事をしたからだ」というフィョードル・カラマーゾフの言葉を小林はノートしている。穴は殊によると小林の側に、より深く残ったかもしれない。(大岡昇平『中原中也』)

とはいえ浅田彰の小林秀雄批判は(ある範囲で)わからないでもない。

不思議な転倒現象があるんです。戦後の文学界で最も明晰なのは三島由紀夫であり、明晰であるべき批評家たちが不透明に情念を語ることに終始したんですね。三島は、最初から作品の終わりが見え、そこから計算しつくされたやり方で作品を組み立てて、きらびやかであるだけいっそう空虚な言葉の結晶を残した。他方、小林秀雄の亜流の批評家たちは、作品をダシにおのれを語るばかりだった。二重の貧困です。(平成2年5月1日朝日新聞夕刊  対談 大江健三郎&浅田彰)

浅田彰の小林秀雄批判とは、高橋悠治や蓮實重彦などの小林秀雄批判を前提にはしているにせよ、小林批判というよりもむしろ、小林ほど才能のない批評家たちが跳梁跋扈してしまったある時期の批評界への苛立ちのほうが大きい筈。浅田曰くの「 貧乏人は蓮實の真似をするな」をモジるなら、貧乏人の癖に小林秀雄をマネした批評家ばかりが輩出した、と見えたんだろうし、それはある程度、正しいだろう。


そうはいっても《女は俺の成熟する場所だった》に対する《こんな恥ずかしいことを書くやつがいるのかと驚いた》とは、かりに挑発やレトリック的放言であってもトッテモ恥ずかしい発言だよ。

小林秀雄はこう書いている。

俺は恋愛の裡にほんたうの意味の愛があるかどうかといふ様な事は知らない。だが少なくともほんたうの意味の人と人との間の交渉はある。惚れた同士の認識が、傍人の窺ひ知れない様々な可能性を持つてゐるといふ事は、彼等が夢みてゐる証拠とはならない。世間との交通を遮断したこの極めて複雑な国で、俺達は寧ろ覚め切つてゐる、傍人には酔つてゐると見える程覚め切つてゐるものだ。この時くらゐ人は他人を間近かで仔細に眺める時はない。あらゆる秩序は消える。従つて無用な思案は消える。現実的な歓びや苦痛や退屈がこれに取つて代る。一切の抽象は許されない、従つて明瞭な言葉なぞの棲息する余地はない、この時くらゐ人間の言葉がいよいよ曖昧となつていよいよ生き生きとして来る時はない、心から心に直ちに通じて道草を食はない時はない。惟ふに人が成熟する唯一の場所なのだ。(小林秀雄「Xへの手紙」)

さらに別のエッセイでは次のようにある。

人々は批評といふ言葉をきくと、すぐ判断とか理性とか冷眼とかいふことを考へるが、これと同時に、愛情だとか感動だとかいふものを、批評から大へん遠い処にあるものの様に考へる、さういふ風に考へる人々は、批評といふものに就いて何一つ知らない人々である。

この事情を悟るには、現実の愛情の問題、而もその極端な場合を考へてみるのが近道だ。(……)

恋愛は冷徹なものぢやないだらうが、決して間の抜けたものぢやない。それ処か、人間惚れれば惚れない時より数等利口になるとも言へるのである。惚れた同士の認識といふものには、惚れない同士の認識に比べれば比較にならぬ程、迅速な、溌剌とした、又独創的なものがある筈だらう。(……)

理知はアルコオルで衰弱するかも知れないが、愛情で眠る事はありはしない、寧ろ普段は眠つてゐる様々な可能性が目醒めると言へるのだ。傍目には愚劣とも映ずる程、愛情を孕んだ理知は、覚め切つて鋭いものである。(小林秀雄「批評について」)

ボクの観点では、ーーここでは上の文を読む限りで、としておくがーー、《女は俺の成熟する場所だった》の「成熟」とは、江藤淳的な「メロドラマ的成熟」じゃなくて、ドゥルーズ =プルースト的な「習得 Apprendre」に近似している。あの浅田クンが大好きなドゥルーズ のね。

ドゥルーズの『プルーストとシーニュ』は、「女は俺の習得の場所だった」が核心的テーマのひとつだ。冒頭近くに次のようにある。

習得は本質的にシーニュにかかわる。Apprendre concerne essentiellement les signes. シーニュは、時間的な習得の対象であって、抽象的な知識の対象ではない。習得することはまず第一に、ひとつの物質・対象・存在を、あたかもそれらが解読・解釈を求めるシーニュを発するものであるかのように考えることである。習得する者の中で、何かについての《エジプト学者》でないような者はいない。材木のシーニュを感知しないで指物師になることはできず、病気のシーニュを感知しないで医師になることはできない。職業は常に、シーニュとの関係による宿命である。われわれに何かを習得させるすべてのものがシーニュを発し、習得Apprendre の行為はすべて、シーニュまたは象形文字 hiéroglyphes の解釈である。プルーストの作品の基礎は、記憶のはたらきの提示ではなく、シーニュの習得である。(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』)

そして最終章に次のようにあるんだから(第一版だけではなく、大幅増のあった第二版の最終章(結論)、第三版は異なるが)。


われわれは、無理に contraints、強制されて forcés、時間の中でのみ真実を探求する。真実の探求者とは、恋人の表情に、嘘のシーニュを読み取る、嫉妬する者である 。それは、印象の暴力に出会う限りにおいての、感覚的な人間である。それは、天才がほかの天才に呼びかけるように、芸術作品が、おそらくは創造を強制するシーニュを発する限りにおいて、読者であり、聴き手である。恋する者の沈黙した解釈の前では、おしゃべりな友人同士のコミュニケーションはなきに等しい。哲学は、そのすべての方法と積極的意志があっても、芸術作品の秘密な圧力の前では無意味である。思考する行為の発生としての創造は、常にシーニュから始まる。芸術作品は、シーニュを生ませるとともの、シーニュから生まれる。創造する者は、嫉妬する者のように、真実がおのずから現れるシーニュを監視する、神的な解釈者である。(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』「思考のイマージュ」の章ーー「哲学と友情」)


最近のことは知らないが、浅田彰には元々、《恋人の表情に、嘘のシーニュを読み取る、嫉妬する者》の気配が全く感じられなかったな、ボクの浅墓な誤解かも知れないし、彼は二刀流らしいから、愛の形式が凡人には窺い知れないせいかも、と自らの判断を疑ってみはするけど。

人は愛するとき、迷宮を彷徨う。愛は迷宮的である。愛の道のなかで、人は途方に暮れる。(ジャック=アラン・ミレール、Les labyrinthes de l'amour' 、1992)
迷宮の人間は、決して真理を求めず、ただおのれを導いてくれるアリアドネを求めるのみ。Ein labyrinthischer Mensch sucht niemals die Wahrheit, sondern immer nur seine Ariadne –(ニーチェ遺稿1882-1883)

ーーってのから遠く離れた秀才だよ、彼は。たぶんね。

謙遜してか否かは知らず《矮小な範囲で物事が明晰に見えてしまう小利口かつ小器用な人間》(『批評空間』Ⅱ-16)と言ってるけど、この自己評価はある程度は当たってる気がするな。そして、もしそれを自認してんだったらトッテモ恥ずかしいこと言わなきゃいいのに。

浅田の「ホモソーシャルな」お友達の一人だった柄谷だって昔はこう言ってんだから。

彼(小林秀雄)の批評の「飛躍的な高さ」は、やはり、ヴァレリー、ベルクソン、アランを読むこと、そしてそれらを異種交配してしまうところにあった。公平にいって、彼の読みは抜群であったばかりでなく、同時代の欧米の批評家に比べても優れているといってよい。今日われわれが小林秀雄の批評の古さをいうとしたら、それなりの覚悟がいる。たとえば、サルトル、カミュ、メルロ=ポンティの三人組にいかれた連中が、いま読むに耐えるテクストを残しているか。あるいは、フーコー、ドゥルーズ、デリダの新三人組を、小林秀雄がかつて読んだほどの水準で読みえているか。なにより、それが作品たりえているか。そう問えば、問題ははっきりするだろう。(柄谷行人「交通について」――中上健次との共著、『小林秀雄をこえて』所収)

とはいえ浅田クンが途轍もなくアタマガイイのはとっくの昔から認めてるよ、ああいう人物は、ボクのような凡庸な田舎者にはとってもキチョウだった。いまもって彼の流してくれた情報には多大な感謝の念を抱いているな。例えば、ピナ・バウシュやアファナシエフなんて、浅田がいなかったらどれほど知るのが遅くなったか。

そう言えば、蓮實がなんか言ってたな、

私が東大に入って一番良かったことは、学校秀才がいかにくだらないかを学べたことです。何でも良くできる人が、本当に伸びたのを見たことがない。そういう人は正誤の判断力には優れていても、何かを創造する力が欠けている気がします。彼らは好奇心だけで何かに集中しない。(蓮實重彦ーー東大新聞2017年1月1日号)