このブログを検索

2018年4月30日月曜日

モンタージュとワンシーン・ワンショット

テオ・アンゲロプロスは、ギリシャという小さな国で映画を撮り続けることの困難さをさかんに強調しているが、あれだけの長いワンシーンのショットを撮れるんだからそれで満足すべきなんだといいたい。私には、あんな贅沢な撮影をしている余裕がとてもないのです。そもそも、ギリシャは小国じゃあない。数千年の芸術の歴史を持つ超大国なのです(笑)。(ゴダール、ーー蓮實重彦インタビュー「憎しみの時代は終り、愛の時代が始まったと確信したい」1987.8.15『光をめぐって』所収)

この文に感心したり蓮實の絶賛に促されたりして、30才前後のとき、「旅芸人の記録 Ο Θίασος」(1975)「狩人 Οι Κυνηγοί」(1977)「 シテール島への船出 Ταξίδι στα Κύθηρα」(1984) 「霧の中の風景 Τοπίο στην ομίχλη」(1988)を観たことがある。たしかにアンゲロプロスの時間の流れにウットリしたことがなかったわけではないが、いかんせん彼の作品を通して観るには(すくなくとも当時のわたくしには)忍耐力が必要だった。




ーーテオ・アンゲロプロスの作品は叙事詩だ、いかにも古代ギリシア的な。

モンタージュによる映画を見ていて私が苛立つのは、それは二つの画面の相互介入といった衝撃の上に成立しているのですが、そのとき、その画面を指差して、ほら、このイメージをよく見なさいといった押しつけの姿勢が感じられることです。つまり、強調という作業が行われているわけで、それは、私にとっては、観客である人間の聡明さというものに対する信頼のなさをしめすものであるような気がする。観客を、ちょっと子供のようなものとして扱い、さあ、これに注目しなさいといっているようなものです。ワンシーン・ワンショットの映画では、見る人間の知性と感性とにより多くの自由を残そうとしています、ひとつの画面にあって、観客は、そのしかるべき要素を自分で発見し、自分でそれを組織だててゆく。その時間的推移は、モンタージュにおけるよりはるかに現実の時間に近い。そうすることで、死んだ時間、停滞する時間に対する観客の感性を豊かなものにすることも可能になります。
……
───そのことはとてもよくわかり、まさにそうした点においてあなたの映画に興奮するわけですが、そうした場合、あなたは、観客を全面的に信頼しておられるのですか。

観客にはいろいろ種類があります。アンドレ・マルローが「映画の心理学」でいっているように、映画にとっての障壁が産業であるなら、それによってわれわれは条件づけられてしまう。それはよかろう。だとするなら、選択しなければならない。その一つは、映画を撮りはするが、いつか沈黙におしやられはしないかという危険をいつでも身に感じながら撮り続けるという姿勢をとるか、それとも、いま一つの姿勢として、他の誰もが撮るようなやり方で、つまりモンタージュの映画か、説話論的有効性の映画、等々もつくってゆくことにするか、その二つに一つしかない。つまり、沈黙に向かうか、金銭に向かうか、その選択ということ以外にありえないわけですが、どうでしょうか、ある作家たちは、こうした二つの方向を厳密に選択することなく、複雑な経路をへながらも、みごとな作品を撮り続けることができる。おそらく、私には、そうしたことはできないと思う。しかし、私はそれで他人を批判しようとは思いません。あらゆる批判は自分自身にむけられます。(テオ・アンゲロプロス、ーー蓮實重彦インタビュー「二十世紀の夢を批判的に考察したかった」1982.2.21『光をめぐって』所収)



⋯⋯⋯⋯

ところで、モンタージュの作家、引用の・複製の作家ゴダールの作品はどうとらえたらいいのだろう。ゴダールは果たして《あんな贅沢な撮影をしている余裕がとてもない》という理由のみで、モンタージュをやってきたのだろうか。ヒッチコックのモンタージュを愛したゴダールである。まさかそうであるわけはない。

ワンシーン・ワンショットの映画(⋯⋯)その時間的推移は、モンタージュにおけるよりはるかに現実の時間に近い。そうすることで、死んだ時間、停滞する時間に対する観客の感性を豊かなものにすることも可能になります。

たしかに《ワンシーン・ワンショットの映画》とは《モンタージュにおけるよりはるかに現実の時間に近い》といえるかもしれない。ただし象徴的な時間、クロノス的時間においてという限りで。

だが人にはカイロス的時間というものがある。

狩猟採集民の時間が強烈に現在中心的・カイロス的(人間的)であるとすれば、農耕民とともに過去から未来へと時間は流れはじめ、クロノス的(物理的)時間が成立した。(中井久夫『分裂と人類』)

狩猟採集民たちは、 《三日前に通ったカモシカの足跡を乾いた石の上に認知し、かすかな草の乱れや風のはこぶかすかな香りから、狩りの対象の存在を認知する(……)。(砂漠において)彼らに必要な一日五リットルの水を乾季にほとんど草の地下茎から得ているが、水の多い地下茎と持つ草の地表の枯蔓をそうでない草のそれから識別する》(『分裂病と人類』)

これはわれわれ通常人にもときに起こる。

徴候化は、対象世界にも、私の側にも起こる。対象の側に起こる簡単な場合には、山で道に迷った場合があろう。「道に迷った!」と直観した刹那に、人はもはや眼前の美しい森やこごしい断崖に眼を注がない。ささやかな踏みわけ跡らしきものを、けものみちであるか、先人のとおった跡であるかを見分けるために、ごく些細な徴候を捜して、明確な対象は二の次三の次になるだろう。これが、世界が徴候化する場合のごくわかりやすい一例である。(中井久夫「「世界における索引と徴候」について」『徴候・記憶・外傷』所収)

あるいは人は、バルトの《ゆらめく閃光》の刻限、大江健三郎の《一瞬よりはいくらか長く続く》時間(ひょっとしてアンゲロプロスに映像に魅された理由を挙げるとしたらこの側面かもしれない)、フロイトの《無時間的な心的現実》、プルーストの《時間の外 dehors du temps》《超時間的 extra-temporel》な刻限をもっている。

・それは鋭いが覆い隠され、沈黙のなかで叫んでいる。奇妙に矛盾した言い方だが、それはゆらめく閃光 un éclair qui flotte なのである。

・ある一つの細部が、私の読み取りを完全に覆してしまう。それは関心の突然変異であり、稲妻 fulgurationである。

・ある何ものかが一閃して quelque chose a fait tilt、私の心に小さな震動を、悟りを、無の通過を生ぜしめたのである。(ロラン・バルト『明るい部屋』)
・ システム前意識においては、二次過程が支配している。Im System Vbw herrscht der Sekundärvorgang

・一次過程(備給の可動性)は、無時間的であり、外的現実を心的現実に置換する。これはシステム無意識に属する過程のなかに見出しうる。Primärvorgang (Beweglichkeit der Besetzungen), Zeitlosigkeit und Ersetzung der äußeren Realität durch die psychische sind die Charaktere, die wir an zum System Ubw gehörigen Vorgängen zu finden erwarten dürfen.(フロイト『無意識』1915年)
⋯⋯⋯⋯ところでこの原因を、 私はこうした様々な至福の印象を比較することによって見抜いたが、そうした印象は互いのうちで次のような共通点を持っていた。というのは、皿に当たるスプーンの音、不揃いな敷石、マドレーヌの味などを、現在の瞬間において感じると同時に、遠い過去の瞬間においても感じていた結果、私は過去を現在に食い込ませることになり、 自分のいるのが過去なのか現在なのかも判然としなくなっていた、ということだ。実を言うと、その時私のなかでこの印象を味わっていた存在は、その印象の持っている昔と今とに共通のもの、 超時間的なもの extra-temporelのなかでこれを味わっていたのであり、その存在が出現するのは、現在と過去のあいだにあるあのいろいろな同一性の一つによって、その存在が生きることのできる唯一の環境、物の本質を享受できる唯一の場、すなわち時間の外 dehors du temps に出たときでしかないのだった。そのことが知らず知らずにプチット・マドレーヌの味を再認した瞬間に、死にかんする私の不安がやんだ理由を説明してくれるものだった。 なぜならこのときの私は超時間的 extra-temporel な存在であり、したがって将来に訪れる苦難も気にしない存在だったからだ。つまりこうした存在は、行動したり、物を直接的に享受したりするときではなく、それ以外のところで、 二つのものの類似の奇跡が私を現在時からのがれさせるそのたびごとに私のところへやって来て、その姿をあらわしたにすぎなかった。(プルースト『見出された時』)

さらには人は、外傷的静止画像に近似したイマージュをもっている。

私たちは三歳から五歳以後今まで連続した記憶を持っている。むろん忘却や脱落はあるが、にもかかわらず、自我は一つで三歳以後連続している確実感がある。それ以前の記憶は断片的である。また成人型の記憶は映画やビデオのように、いやもっとダイナミックに動いているが、ある時期の記憶は前後関係を欠き、孤立したスティール写真のような静止画像である。成人型の記憶と違って、言葉に表しにくい。(中井久夫「私の三冊」『アリアドネからの糸』所収)
外傷性フラッシュバックと幼児型記憶との類似性は明白である。双方共に、主として鮮明な静止的視覚映像である。文脈を持たない。時間がたっても、その内容も、意味や重要性も変動しない。鮮明であるにもかかわらず、言語で表現しにくく、絵にも描きにくい。夢の中にもそのまま出てくる。要するに、時間による変化も、夢作業による加工もない。したがって、語りとしての自己史に統合されない「異物」である。(中井久夫「発達的記憶論」『徴候・記憶・外傷』所収)
…我々は何かの現前のなかにいる。記憶の流れ le cours de la mémoire をスナップショット l'état d'instantané の状態に凍りつかせて fige 還元する réduit 何かーー隠蔽記憶(スクリーンメモリー souvenir-écran、Deckerinnerung )と呼ばれるある点で止まる何かの現前。

映画の動き mouvement cinématographique を考えてみよう。素早く継起する動き、そして突然ある点で止まり、全登場人物が凍りつく。このスナップショットは、フルシーン scène pleine の還元の特色である…幻想のなかで不動化(静止画像化)されている何か quelque chose qui s'immobilise dans ce fantasme、そこには全てのエロス的機能 valeurs érotiques が積み込まれたままである…そこではフルシーンが表現したものを含み、そして幻想が目撃したものと支えたもの、その居残った最後の支え le dernier support restant が含まれている…(ラカン、Le séminaire livre IV)

こういった時間に近似したものを表現するには(場合によっては)モンタージュのほうが適しているのではないだろうか、他の言い方なら、イマージュを揺らめかしたり穴を開けたりするためには。

現実界は見せかけのなかに穴を開けるものである。ce qui est réel c'est ce qui fait trou dans ce semblant.(ラカン、S18、20 Janvier 1971)
精神分析とは、見せかけを揺らめかすことである、機知が見せかけを揺らめかすように。[la psychanalyse fait vaciller les semblants , le Witz fait vaciller les semblants](ミレールセミネール、23 novembre 1994)

ラカンにとって見せかけ semblant とはシニフィアンつまり表象のことである。《見せかけ、それはシニフィアン自体のことである! Ce semblant, c'est le signifiant en lui-même !》 (Lacan,S18, 13 Janvier 1971)


ここでテオ・アンゲロプロスのモンタージュ批判の箇所を再掲しよう。

モンタージュによる映画を見ていて私が苛立つのは、それは二つの画面の相互介入といった衝撃の上に成立しているのですが、そのとき、その画面を指差して、ほら、このイメージをよく見なさいといった押しつけの姿勢が感じられることです。つまり、強調という作業が行われているわけで、それは、私にとっては、観客である人間の聡明さというものに対する信頼のなさをしめすものであるような気がする。観客を、ちょっと子供のようなものとして扱い、さあ、これに注目しなさいといっているようなものです。

たしかにこういったモンタージュは退屈である。テレビドラマの映像はほぼこれで成り立っている筈である。だがゴダールのモンタージュはほとんど常にそうではない。外傷的静止画像とまではいかなくても、彼のモンタージュは、自由詩による行分けのような印象をもたらすことがわたくしには多い。《ああかけすが鳴いてやかましい》(西脇順三郎)

彼のモンタージュ作品の極限は『(複数の)映画史』だろう。




ーー《あなたが何を考えているかわかってるわ Je sais à quoi tu penses》、撮影カメラとはペニスなのよ。

私のフィルムは、男と女のあいだの誤解の歴史です。Mon film c’est l’his­toire d’un malen­tendu entre un homme et une femme.(ゴダール




《丘のうなじがまるで光つたやうではないか/灌木の葉がいつせいにひるがへつたにすぎないのに》(大岡信)




《何もかもつまらんという言葉が/坦々麺をたべてる口から出てきた》(谷川俊太郎「坦々麺」)

すくなくとも『映画史』におけるゴダールのモンタージュ(編集)とは、 イマージュとイマージュの隙間の魂の隠れ家、神の隠れ家を探し出す作業であるにちがいない。

コトバとコトバの隙間が神の隠れ家(谷川俊太郎「おやすみ神たち」)

⋯⋯⋯⋯

ゴダールは、ピエール・ルヴェルディPierre Reverdy のイマージュ論を、何度もくり返して引用している。『パッション Passion』(1982)、『ゴダールのリア王 King Lear』(1987)、『右側に気をつけろ Soigne ta droite』(1987)、『JLG/自画像 JLG/JLG - autoportrait de décembre』(1995)、『(複数の)映画史 4B Histoire(s) du cinéma: Les signes parmi nous』(1998)、『アワーミュージック Notre musique』(2004)にて。

最も長く引用されているのは『リア王』においてであり、以下の文である。

イマージュ image は、精神の純粋な創造物 création pure de l'esprit である。それは比喩 comparaisonからは生まれ得ず、多少なりともかけ離れた éloignées 二つの現実 deux réalités の結合 rapprochement(接近・和解)から生まれ得る。結合させられた rapprochées 二つの現実の関係が、遠隔かつ適正なもの lointains et justes であればあるほど、イマージュはいっそう強くforte なり、情動を動かす力能 puissance émotive と詩的レアリテ réalité poétique をもつ。関連性 rapport のない二つの現実は、有効には utilement 互いに結合 rapprocher しえない。そこにはイマージュの創造 création d'images はない。正反対 contraires の二つの現実は結合 rapprochent されえない。それらは相反 opposent する。人はその対立からは滅多に強さforceを獲得しえない。イマージュの強さforteは、残虐さや幻想性 brutale ou fantastiquでなく、諸観念のつながり association des idées の遠隔さと適切さ lointaine et juste から生まれる。(ピエール・ルヴェルディ Pierre Reverdy、『イマージュ L'image」in Nord Sud n° 13, mars 1918.)



2018年4月28日土曜日

男は毎晩別の女とヤッテいるのを知らない

いちども愛の話をきかなかったら、ほとんどの人間は愛することなどけっしてしなかっただろう。 Combien de gens n'auraient jamais aimé s'ils n'en avaient entendu parler (ラ・ロシュ フーコー 「道徳的反省」)

ーー《文化がなかったら、愛の問題はないだろう。 Qu'il ne serait pas question d'amour s'il n'y avait pas la culture 》(ラカン、S10, l3 Mars l963)

男は、間違って、ひとりの女に出会い rencontre une femme、その女とともにあらゆることが起こる。つまり、通常、「性交の成功が構成する失敗 ratage en quoi consiste la réussite de l'acte sexuel」が起きる。(ラカン、テレヴィジョン、1973)

Lacan's country house


セクシャリティは、われわれが他の人間の内密さに最も接近し、彼あるいは彼女に自らを全面的に晒す領域なので、ラカンにとっての性的享楽は現実界的である。その息もつけないほどの強烈さはトラウマ的な何ものかであり、われわれがそれをまったく理解できないという意味では、不可能な何ものかである。だからこそ、性関係は、それが機能するために、或る幻想を通して覆いをされなければならない。(ジジェク 『ラカンはこう読め』)

ゴダール、「(複数の)映画史」

古典的に観察される男性の幻想は、性交中に別の女を幻想することである。私が見出した女性の幻想は、もっと複雑で理解し難いものだが、性交中に別の男を幻想することではない。そうではなく、その性交最中の男が彼女自身ではなく別の女とヤッテいることを幻想する。その患者にとって、この幻想がオーガスムに達するために必要不可欠だった。…

この幻想はとても深く隠されている。男・彼女の男・彼女の夫は、それについて何も知らない。彼は毎晩別の女とヤッテいるのを知らない…これがラカンが指摘したヒステリー的無言劇である。その幻想ーー同時にそのように幻想することについて最も隠蔽されている幻想は(女性的)主体のごく普通の態度のなかに観察しうるがーーそれを位置付けるのは容易ではない。(ミレール、Jacques-Alain Miller、The Axiom of the Fantasm) 

ゴダール、さらば、愛の言葉よ Adieu au Langage, 2014

女性の場合、意識的であろうと無意識的であろうと、幻想は、愛の対象の選択よりも享楽の場のために決定的なものです。それは男性の場合と逆です。たとえば、こんなことさえ起りえます。女性は享楽――ここではたとえばオーガズムとしておきましょうーーその享楽に達するには、性交の最中に、打たれたり、レイプされたりする être battue, violée ことを想像する限りにおいて、などということが。さらには、彼女は他の女だêtre une autre femme,と想像したり、ほかの場所にいる、いまここにいない être ailleurs, absente と想像することによってのみ、オーガズムが得られるなどということが起りえます。(ジャック=アラン・ミレール On aime celui qui répond à notre question : " Qui suis-je ? " ,2010)


ゴダール、(複数の)映画史


アウグスティヌスという、五世紀の偉大な学者が、性欲によって、人間の罪は伝わると言ったが、僕はこの言葉に非常な興味をもっている。

性欲は人間の愛の根源であるとともに、またそれに影を投げかける。それがなけれぱ、すなわち肉交がなければ、愛はどうしても最後の一物を欠くという意識をまぬがれがたいと同時に、それは同時に愛に対して致命的になる要素をもっている。肉体のことなぞ何でもないという人のことを僕は信じない。それはなぜか、肉交は二人の間の愛がどういう性質のものであったかを究極的な形で暴露してしまうからだ。つまりその意味は、肉交には、人間の精神に様々な態度があるだけそれだけ多様な形態があり、しかもそれが精神におけるように様々な解釈の余地がなく、端的にあらわれてしまうからだ。

肉交は一つの端的な表現だ。それは愛の証しにもなるし、その裏切りにもなる。二つの性の和合にもなるし、一つの性による他の性の征服にもなる。もちろん僕は簡単な言葉を用いているが、和合の形をとる征服もあるし、征服の形をとる和合もある。要はその本質の如何にある。そうするとやはり根本は態度の問題になる。肉の保証を求めないほど完全な信頼があるとすれば、アンジェリコの画はそれを表わしているだろう。「精神」というものがそこに表われている。精神というものがあるとすれば、そういうものでしかありえない。(森有正『バビロンの流れのほとりにて』)


ゴダール、(複数の)映画史

⋯⋯⋯⋯

《ひとりの女は…他の身体の症状である Une femme par exemple, elle est symptôme d'un autre corps. 》(ラカン, JOYCE LE SYMPTOME, AE569、1975)

「女というものは存在しない La femme n’existe pas」とは、女というものの場処 le lieu de la femme が存在しないことを意味するのではなく、この場処が本源的に空虚のまま lieu demeure essentiellement vide だということを意味する。場処が空虚だといっても、人が何ものかと出会う rencontrer quelque chose ことを妨げはしない。(ジャック=アラン・ミレール、1992, Des semblants dans la relation entre les sexes)
女というものは存在しない。だが女たちはいる la Femme n'existe pas, mais il y a des femmes(ジジェク『無以下のもの』2012)

ーー女というものは存在しない。だが、ひとりの女、ひとりの女⋯⋯、女たちはいる。そしてそのひとりの女とは、ラカンのいうように(ときに)他の身体の症状である。

「他の身体」とは何か。《われわれにとって異者としての身体(異物としての身体) un corps qui nous est étranger 》(ラカン、S23、11 Mai 1976)(参照)に相当する。

そして《異者としての身体 un corps qui nous est étranger》とはフロイト概念「異物Fremdkörper」のことである。

たえず刺激や反応現象を起こしている異物としての症状 das Symptom als einen Fremdkörper, der unaufhörlich Reiz- und Reaktionserscheinungen(フロイト『制止、症状、不安』1926年)

「異物 Fremdkörper」とは、ラカンの「外密 Extimité」である。

外密 Extimité は親密 intimité の反対ではない。それは最も親密なもの le plus intimeでさえある。外密は、最も親密でありながら、外部 l'extérieur にある。それは、異物 corps étranger のようなものである(ミレール、Miller Jacques-Alain, 1985-1986, Extimitéーー「ひとりの女とは何か?」)

そして《対象a とは外密である。l'objet(a) est extime》(ラカン、S16、26 Mars 1969)

「他の身体の症状」とは、ファルス秩序の外部にある「他の享楽(女性の享楽)」のことでもある。

ファルス享楽 jouissance phallique とは身体外 hors corps のものである。 (ファルスの彼岸にある)他の享楽 jouissance de l'Autre とは、言語外 hors langage、象徴界外 hors symbolique のものである。(ラカン、三人目の女 La troisième、1er Novembre 1974)

ーーこの文にある{他の享楽」(通常は「大他者の享楽」と訳されてしまう)とは、女性の享楽のことである(参照:女性の享楽と身体の出来事

ようは他の身体の症状とは女性の享楽の症状である。

身体の出来事は、トラウマの審級にある。衝撃、不慮の出来事、純粋な偶然の審級に。événement de corps…est de l'ordre du traumatisme, du choc, de la contingence, du pur hasard

…この享楽は、固着の対象である。elle est l'objet d'une fixation

…女性の享楽は、純粋な身体の出来事である。la jouissance féminine est un pur événement de corps ジャック=アラン・ミレール 、Miller, dans son Cours L'Être et l'Un 、2011、pdf

「固着」とある。これはフロイトの原抑圧(引力=エロス)にかかわる語彙である(参照)。

われわれには原抑圧 Urverdrängung、つまり欲動の心的(表象-)代理psychischen(Vorstellungs-)Repräsentanz des Triebes が意識的なものへの受け入れを拒まれるという、抑圧の第一相を仮定する根拠がある。これと同時に固着 Fixerung が行われる。(……)

欲動代理 Triebrepräsentanz は抑圧(放逐)により意識の影響をまぬがれると、それはもっと自由に豊かに発展する。

それはいわば暗闇の中に im Dunkeln はびこり wuchert、極端な表現形式を見つけ、もしそれを翻訳して神経症者に指摘してやると、患者にとって異者のようなもの fremd に思われるばかりか、異常で危険な欲動の強さTriebstärkeという装い Vorspiegelung によって患者をおびやかすのである。(フロイト『抑圧』Die Verdrangung、1915年)

ひとりの女は、異者として暗闇のなかに蔓延るのである。 そして男も女もその「引力」に惑わされる。

女というものは、女にとっても抑圧(放逐)されている。男にとってと同じように。La femme est aussi refoulée pour la femme que pour l'homme.(Miller J.-A., Ce qui fait insigne,1987)

この文の「抑圧」は、現在ラカン派の観点からは、原抑圧(排除)として取るべきである。


人はみな、標準的であろうとなかろうと、普遍的であろうと単独的であろうと、一般化排除の穴を追い払うために何かを発明するよう余儀なくされる。Tout un chacun est obligé d'inventer ce qu'il peut, standard ou pas, universel ou particulier, pour parer au trou de la forclusion généralisée. (Jean-Claude Maleval, Discontinuité - Continuité, 2018)

一般化排除の穴 trou de la forclusion généraliséeとは何か。《「女性 Lⱥ femme」のシニフィアンの排除 forclusion du signifiant de La/ femme》による穴である。

すべての話す存在 être parlant にとっての、「女性 Lⱥ femme」のシニフィアンの排除。精神病にとっての「父の名」のシニフィアンの限定された排除(に対して)。

forclusion du signifiant de La/ femme pour tout être parlant, forclusion restreinte du signifiant du Nom-du-Père pour la psychose.(LES PSYCHOSES ORDINAIRES ET LES AUTRES sous transfert, 2018)

そもそも《女というものは存在しない》とは、女のシニフィアン(表象)が象徴界にはないということであり、ラカンの言明はフロイトの次の指摘の簡略表現である。

男性性は存在するが、女性性は存在しない gibt es zwar ein männlich, aber kein weiblich。(⋯⋯)

両性にとって、ひとつの性器、すなわち男性性器 Genitale, das männliche のみが考慮される。したがってここに現れているのは、性器の優位 Genitalprimat ではなく、ファルスの優位 Primat des Phallus である。フロイト『幼児期の性器的編成(性理論に関する追加)』1923年)

象徴界、つまり言語の世界において性差を徴づけるものは、誰もが実は知っているように、ファルスのシニフィアンしかない。例えば赤子が生れたときにまず注意が向けられるのは、ファルスプラス/ファルスマイナスである(ファルスの現前/不在 l'absence -ϕ et la présence ϕ)。

ファルスのゲシュタルトは、その徴がなされているか、徴がなされていないかとしての両性を差異化する機能を果たすシニフィアンを人間社会に提供する。(Safouan , Lacaniana: Les séminaires de Jacques Lacan, 1953–1963 , 2001)


要するに女というものは象徴界から排除されているのだから、現実界に(幽霊のようにして)現れる。

象徴界に拒絶されたものは、現実界のなかに回帰する Ce qui a été rejeté du symbolique réparait dans le réel.(ラカン、S3, 07 Décembre 1955)
Verwerfung(排除)の対象は現実界のなかに再び現れる qui avait fait l'objet d'une Verwerfung, et que c'est cela qui réapparaît dans le réel. (ラカン、S3, 11 Avril 1956)

《現実 réalité は象徴界によって多かれ少なかれ不器用に飼い馴らされた現実界 Réel である。そして現実界は、この象徴空間に、傷、裂け目、不可能性の接点として回帰する。》(François Balmès, Ce que Lacan dit de l'être,1999)

女の問題とは、(……)空虚な理想ーー象徴的機能――empty ideal‐symbolic function— を形作ることができないことにあるので、これがラカンが「女は存在しない」と主張したときの意図である。この不可能の「女」は、象徴的フィクションではなく、幻影的幽霊 fantasmatic specter であり、それは S1 ではなく対象 a である。(ジジェク、LESS THAN NOTHING,2012 、私訳)

たとえばカフカはこの幽霊に直面したのである。おそらくゴダールもほとんど常に。


Liberté et Patrie - Jean-Luc Godard et Anne-Marie Miéville (2002)

手紙をたやすく書ける可能性はーー論理的にのみ見てーー魂の恐ろしい破壊を世界にもたらしました。

それは幽霊との交わり Verkehr mit Gespenstern でありしかも受取人の幽霊だけではなく、自分自身の幽霊との交わりでもあります。それは手紙を書く手のもとで大きくなり、それどころかひとつの手紙が他の手紙を裏付け、証人として呼び出しうるような一連の手紙のなかで大きくなります。人間が手紙でお互いに交わることができるなどと、どうやって考えついたのでしょう! 

遠くにいる人のことを思い、近くにいる人には触れることができます。それ以外のことはすべて人間の力を超えています。手紙を書くとはしかし、むさぼり尽くそうと待っている幽霊たちの前で裸になることです Briefe schreiben aber heißt, sich vor den Gespenstern entblößen, worauf, sie gierig warten.。書かれた接吻は到着せず、幽霊たちによって途中で飲み干されてしまいます。このたっぷりとした食べ物によって彼らはとてつもない数に増えています。人類はそれを感じてそれと闘おうとし、できるかぎり人間のあいだの幽霊じみたものを排除し、自然の交わり、魂の平和に辿り着くために、鉄道、自動車、飛行機を発明しました。しかしそれははや何の役にも立ちません。(⋯⋯)敵側はそれだけ冷静に、強大になり、郵便のあとには電報を、電話を、電信を発明しましたが、幽霊たちは飢えることはなく、破滅するのは私たちの方でしょう。(カフカ、1922年 3 月末 ミレナ宛)

Hélas pour moi,1993


2018年4月27日金曜日

缶ビールである乙女

コメントを頂いているが、シツレイした。

サントリーの『絶頂うまい出張』には六人の美女がいるのに、前回、四人を掲げるのみで、二人を割愛してしまったのは、わたくし自身も遺憾でならない。ここではいくらか視点を変えて、二人の映像を掲げることにする。




二、三年前、イギリスのTVでビールの面白いCMが放映された。それはメルヘンによくある出会いから始まる。小川のほとりを歩いている少女がカエルを見て、そっと膝にのせ、キスをする。するともちろん醜いカエルはハンサムな若者に変身する。

しかし、それで物語が終わったわけではない。若者は物欲しそうな眼差しで少女を見て、少女を引き寄せ、キスする。すると少女はビール瓶に変わり、若者は誇らしげにその瓶を掲げる。女性から見れば(キスで表現される)彼女の愛情がカエルをハンサムな男、つまりじゅうぶんにファルス的存在に変える。男からすると、彼は女性を部分対象、つまり自分の欲望の原因(対象a≒フェティッシュ)に還元してしまう。

この非対称ゆえに、「性関係はない」のである。女とカエルか、男とビールか、そのどちらかなのである。絶対にありえないのは自然な美しい男女のカップルである。幻想においてこの理想的なカップルに相当するのは、瓶ビールを抱いているカエルだろう。この不釣り合いなイメージは、性関係の調和を保証するどころか、その滑稽な不調和を強調する。

われわれは幻想に過剰に同一化するために、幻想はわれわれに対して強い拘束力をもっているが、右のことから、この拘束から逃れるにはどうすればよいかがわかる。同じ空間内で、同時に両立しえない幻想の諸要素を一度に抱きしめてしまえばいいのだ。つまり、二人の主体のそれぞれが彼あるいは彼女自身の主観的幻想に浸かればいいのだ。少女は、じつは若者であるカエルについて幻想し、男のほうは、じつは瓶ビールである少女について幻想すればいい。(ジジェク『ラカンはこう読め!』 鈴木晶訳 P.99~、一部訳語変更)





ジジェクの「若者であるカエルと瓶ビールである少女」文ーーこれはここでの文脈では「出張男であるカエルと缶ビールである乙女」であるーーに、「性関係はない」という表現が出てきているので、いくらか補足しておこう。

(性関係はない il n'y pas de rapport sexuelの)「~ il n'y a pas」という表現は、性関係を基礎づけることが不可能だということである。…l'énoncé qu'il n'y a pas, qu'il est impossible de poser le rapport sexuel (ラカン、S20、21 Novembre 1972)

ーーラカンの「性関係はない」という言明は、基本部分はフロイトにある。たとえば次の表現。

男の愛と女の愛は、心理的に別々の位相にある、という印象を人は抱く。

Man hat den Eindruck, die Liebe des Mannes und die der Frau sind um eine psychologische Phasendifferenz auseinander.(フロイト「女性性 Die Weiblichkeit」第33講『続・精神分析入門講義』1933年)

ーー《リーベ Liebe とは、愛 amour と欲望 désir の両方をカバーする用語》(ミレール、1992、愛の迷宮 Les labyrinthes de l'amour)であり、「性関係はない」とは、「男女のリーベを基礎づける共通分母はない」ということである。

「性関係はない」……性差とは二つの性的立場の対立であり、両者の間に共通分母はない。(ジジェク『ラカンはこう読め』)

男と女のリーベは、どう違うのかといえば、最も基本的には、男のリーベの《フェティッシュ形式 la forme fétichiste》 /女のリーベの《被愛妄想形式 la forme érotomaniaque》(Lacan, E733)である。

これは、ニーチェが既に次のように言っていることとほぼ等価である。

男の幸福は、「われは欲する」である。女の幸福は、「かれは欲する」である。(ニーチェ『ツァラトゥストラ』)

もっとも、《フェティッシュとは、欲望が自らを支えるための条件 il faut que le fétiche soit là, qu'il est la condition dont se soutient le désir. 》(Lacan, S10、16 janvier l963)であり、女性においてもフェティッシュがないわけではない、

だが、

女性の愛の形式は、フェティシスト fétichiste 的というよりもいっそう被愛妄想的érotomaniaqueです。女たちは愛され関心をもたれたいのです。 (ジャック=アラン・ミレール、2010、On aime celui qui répond à notre question : " Qui suis-je ? "

なぜこうなるのかといえば、フロイト・ラカン派では次のように説明されることが多い。

①男女とも最初の愛の対象は女である。つまり最初に育児してくれる母=女である。

②男児は最初の愛のジェンダーを維持できる。つまり母を他の女に変えるだけでよい。

③女児は愛の対象のジェンダーを取り替える必要がある。その結果、母が彼女を愛したように、男が彼女を愛することを願う。

ーーつまり少女は少年に比べて、対象への愛ではなく愛の関係性がより重要視される傾向をもつようになる。

ところで、ポルトガル在住の、占星術を職業になされている菅知子(スガトモコ)さんという方が、「娼婦性について」、とてもすぐれた文を書かれている。

周りの大人の男の自分に対する視線が、子供を見る目から女を見る目に変わったときのことを、私は今でも覚えている。どこか色めき、にやつき、それでいてこわばるような、本能と自意識の混在したような目つき。その視線に応じて女は、自分にとってより有利な反応を引き出せる振る舞いや媚態を、無意識に体得してゆくのである。

ーーフロイト・ラカン派の幼児期の説明だけではなく、少女期におけるこういった心の動きの叙述は、男のわたくしにとっては、とても貴重である。他方、標準的な社会学者やフェミニストたちは、こういった文に直面して「父権的なリビドー経済を内面化しているだけよ」の類の、精神分析的観点からは一瞬にして論破されうる寝言しか繰り返していない。

ラカン、前期ラカン理論に戻れば、女性とは本質的に、「他者の欲望のシニフィアン」として自らを現わす存在なのである。

女性が自分を見せびらかし s'exhibe、自分を欲望の対象 objet du désir として示すという事実は、女性を潜在的かつ密かな仕方でファルス ϕαλλός [ phallos ] と同一のものにし、その主体としての存在を、欲望されるファルス ϕαλλός désiré、他者の欲望のシニフィアン signifiant du désir de l'autre として位置づける。こうした存在のあり方は女性を、女性の仮装と呼ぶことのできるものの彼方 au-delà de ce qu'on peut appeler la mascarade féminineに位置づけるが、それは、結局のところ、女性が示すその女性性のすべてが、ファルスのシニフィアンに対する深い同一化に結びついているからである。この同一化は、女性性 féminité ともっとも密接に結びついている。(ラカン、S5、23 Avril 1958)

※後期ラカン理論における異なった観点についてのいくらかは、「女は、幼女でも老女でも、Co(te)lette である!」にある。



大小の通は女神たちに満ちている







ああ、なんという女神たちだ、サントリー=電通のいわゆる「炎上CM」なるものの制作者たちにオマージュを捧げなくてはならない。

生きつづける欲望を自己の内部に維持したいとねがう人、日常的なものよりももっと快い何物かへの信頼を内心に保ちつづけたいと思う人は、たえず街をさまようべきだ、なぜなら、大小の通は女神たちに満ちているからである。しかし女神たちはなかなか人を近よせない。あちこち、木々のあいだ、カフェの入り口に、一人のウェートレスが見張をしていて、まるで聖なる森のはずれに立つニンフのようだった、一方、その奥には、三人の若い娘たちが、自分たちの自転車を大きなアーチのように立てかけたそのかたわらにすわっていて、それによりかかっているさまは、まるで三人の不死の女神が、雲か天馬かにまたがって、神話の旅の長途をのりきろうとしているかのようであった。(プルースト「花咲く乙女たちのかげに」)

わたくしが愛するのは、なによりもまず辛子明太子を食す女性である。



とはいえどの女性もすばらしい、彼女たちが口直しに果実をお食べにならなかったのが惜しまれるが、それは贅沢な願いというものであろう。




なによりも肝腎なのは隠喩である。ヤン・ファーブルの舞台のようにそのまま出てきてブラブラされてもなんの面白いこともない。




S. Andre と J. Quackelbeen は、どんなエロス(愛)の辞書の研究も、避け難く次の結論に達すると主張する。すなわち、どの語も何かエロティックなものを示すのに使われうる。「無」という語でさえ女性器を表しうる、と(Andre, L'Ordre du Symbole, 1983、Quackelbeen, Zeven avonden met Jacques Lacan, 1991)。

我々はこの見解を別の観察を以て裏付けることができる。すなわちこの過程は裏返せない。基本シニフィアンは、実質的にすべてのシニフィアンによって暗示されうるが、シニフィアン「ペニス」だけはそれ自体のみに制限される。Gorman は全く異なった観点の研究から同じ結論に達している。彼はいわゆる「身体語」は非常に広い隠喩的使用を許容すると結論づける(古典的例として例えば「手」)。ただし一つの例外がある。性器の固有語はそれ自体しか徴示しえない、と(Gorman, Body Words, 1964-65)。(ポール・バーハウ PAUL VERHAEGHE ,DOES THE WOMAN EXIST?,1999)

そもそも食事を摂る行為は、エロスとタナトスの「欲動混淆 Triebvermischung  の行為の、最もすぐれた隠喩である。

生物学的機能において、二つの基本欲動(エロス欲動とタナトス欲動)は互いに反発 gegeneinander あるいは結合 kombinieren して作用する。食事という行為は、食物の取り入れ Einverleibung(エロス)という最終目的のために対象を破壊 Zerstörungすること(タナトス)である。性行為は、最も親密な結合 Vereinigung(エロス)という目的をもつ攻撃性 Aggression(タナトス)である。

この同化/反発化 Mit- und Gegeneinanderwirkenという 二つの基本欲動の相互作用は、生の現象のあらゆる多様化を引き起こす。二つの基本欲動のアナロジーは、非有機的なものを支配している引力 Anziehung と斥力 Abstossung という対立対にまで至る。(フロイト『精神分析概説』草稿、1940年)

ゆえに若き乙女たちの飲食の瞬間はかぎりなく美しい。




最後に、あれらの「肉汁いっぱい出ました」「コックゥ〜ん!しちゃった」CMに、おそらく次のような表情をなされてお怒りになるある種の女性たちを、わたくしは軽蔑するつもりはまったくないことを記しておかねばならない。


ゴダール、(複数の)映画史

とはいえ、わたくしの偏った観点からは、あれらは女性の能動性を示す表象であり、批判される筋合いのものではない。

最近の調査が示しているのは、多くの女たちはフェラチオを、彼女たちが権力の感覚として、経験していることだ。それは、もちろん、イニシアティヴをとるという条件においてであるが。言い換えれば、能動的役割をとるという条件においてである。(Paul Verhaeghe、Love in a Time of Loneliness  THREE ESSAYS ON DRIVE AND DESIRE.1998) 

⋯⋯⋯⋯

→「缶ビールである乙女


2018年4月26日木曜日

女は、幼女でも老女でも、Co(te)lette である!

SFDFF Reelより

ーーいやあ、すばらしい。女そのものだね、すくなくとも(たぶん)多くの男の視線からは。

上の映像自体は英映像作家 Mike Figgis によるものだが、もともとは、オランダの女性演出家(ダンス振付師) Ann Van den BroekのCo(te)lette (2007)によるもので、その映像化である(参照)。

以下のものは、Ann Van den Broekによる演出舞台そのものの映像の断片だろう。





そしてMike Figgis による映像化の断片はつぎのもの。





上の映像は、《猥褻とは裸体になることでもなければ、肉体の秘密を見ることでもない。むしろ、歩いている人が尻を左右に振ることのほうが、猥褻である》という文をすぐさま想起させる(参照)。この文は、渋澤龍彦が『エロスの解剖』で書いたのか、それともサルトルの孫引きだったか、ちょっと判然としないが、上の映像は、なによりもまず女性の媚態の「表象=シニフィアン」である、とわたくしは「感受」する。

媚態〔コケットリー〕とは何であろうか? それは相手に性的な関係がありうるとほのめかし、しかもその可能性はけっして確実なものとしてはあらわれないような態度と、おそらくいうことができるであろう。別ないい方をすれば、媚態とは保証されていない性交の約束である。(クンデラ『存在の絶えられない軽さ』)

これらは、ラカン的言えば、男性の愛の《フェティッシュ形式 la forme fétichiste》 /女性の愛の《被愛妄想形式 la forme érotomaniaque》(Lacan, E733)にかかわる。

女性の愛の形式は、フェティシスト fétichiste 的というよりもいっそう被害妄想的érotomaniaqueです。女たちは愛され関心をもたれたいのです。 (ジャック=アラン・ミレール、2010、On aime celui qui répond à notre question : " Qui suis-je ? "

なにはともあれ、あれらの映像は「女性の仮装性 mascarade féminine」を見事に表象している、とわたくしは思う(Ann Van den Broek や Mike Figgis の意図がどうであれ)。

女性が自分を見せびらかし s'exhibe、自分を欲望の対象 objet du désir として示すという事実は、女性を潜在的かつ密かな仕方でファルス ϕαλλός [ phallos ] と同一のものにし、その主体としての存在を、欲望されるファルス ϕαλλός désiré、他者の欲望のシニフィアン signifiant du désir de l'autre として位置づける。こうした存在のあり方は女性を、女性の仮装と呼ぶことのできるものの彼方 au-delà de ce qu'on peut appeler la mascarade féminineに位置づけるが、それは、結局のところ、女性が示すその女性性au-delà de ce qu'on peut appeler la mascarade féminine のすべてが、ファルスのシニフィアンに対する深い同一化に結びついているからである。この同一化は、女性性 féminité ともっとも密接に結びついている。(ラカン、S5、23 Avril 1958)

あるいは、

女は、見せかけ semblant に関して、とても偉大な自由をもっている!la femme a une très grande liberté à l'endroit du semblant ! (Lacan、S18, 20 Janvier 1971)

ーー《見せかけ、それはシニフィアン(表象)自体のことである! Ce semblant, c'est le signifiant en lui-même !》 (Lacan, S18, 13 Janvier 1971)

⋯⋯⋯⋯

今、前期ラカン(一部、中期ラカン)を掲げたのみだが、後期ラカンには別の側面もあることを示しておかねばならない。いくらか長くなるが、誤解を避けるためにはやむえない。

大他者の大他者はない il n'y a pas d'Autre de l'Autre、それを徴示するのがS(Ⱥ) である …«斜線を引かれた女 Lⱥ femme »は S(Ⱥ) と関係がある。これだけで彼女は二重化 dédouble される。彼女は« 非全体 pas toute »なのだ。というのは、彼女は大きなファルスgrand Φ とも関係があるのだから。… (ラカン、S20, 13 Mars 1973)

ーーS(Ⱥ) の「大他者の大他者はない」の側面は、「S(Ⱥ)、あるいは欠如と穴」を見よ。

ここでは、最近のジャック=アラン・ミレール(ラカンの娘婿であり主流ラカン派のドン)のいくらか別の観点からのS(Ⱥ) というマテームをめぐる記述を掲げる。

S(Ⱥ)、すなわち「斜線を引かれた大他者のシニフィアン S de grand A barré」。これは、ラカンがフロイトの欲動を書き換えたシンボル symbole où Lacan transcrit la pulsion freudienneである。(ミレール、Jacques Alain Miller, 2001, LE LIEU ET LE LIEN)
S (Ⱥ)とは真に、欲動のクッションの綴じ目である。S DE GRAND A BARRE, qui est vraiment le point de capiton des pulsions(ミレール 、Première séance du Cours 2011)

ーーポワン・ド・キャピトン point du capiton は、一般的に「クッションの綴じ目」と訳される。その基本的意味とは次の通り。すなわち袋状にしたカバーのなかに羽毛や綿を詰めたクッションは、そのままでは、不安定で非一貫的である(中身がすぐに偏ってしまう)。「クッションの綴じ目」は、この詰め物の偏りを防ぐためのものであり、クッションの中央にカバーの表から裏まで糸を通し、糸が抜けてしまわないようにボタンをつけたりすることを言う。

ミレールの言っている「S (Ⱥ)=欲動のクッションの綴じ目」とは、原初のポワン・ド・キャピトンということである。下記の図でなら、一次原抑圧S (Ⱥ)/Ⱥのことを言っている(参照:三種類の原抑圧)。




ーー標準的な男は別に、S1(≒ファルス)というS (Ⱥ)のクッションの綴じ目(S1/S (Ⱥ))があるのである。

ラカンのS (Ⱥ)とは、フロイトの表現なら、「境界表象 Grenzvorstellung」、あるいは原防衛のシニフィアンだと(ほぼ)捉えうる。

抑圧 Verdrängung は、過度に強い対立表象 Gegenvorstellung の構築によってではなく、境界表象 Grenzvorstellung の強化によって起こる。

Die Verdrängung geschieht nicht durch Bildung einer überstarken Gegenvorstellung, sondern durch Verstärkung einer Grenzvorstellung(フロイト, フリース書簡、Brief an Fliess、 1 Januar 1896)
抑圧 Verdrängungen はすべて早期幼児期に起こる。それは未成熟な弱い自我の原防衛手段 primitive Abwehrmaßregeln である。(フロイト『終りある分析と終りなき分析』1937年)
我々の見解では、境界シニフィアンの手段による「原防衛」は、フロイトが後年、「原抑圧」として概念化したものの下に容易に包含しうる。原抑圧とは、先ずなによりも「原固着」として現れるものである。原固着、すなわち何かが固着される。固着とは、心的なものの領野外に置かれるということである。…こうして原抑圧は「現実界のなかに女というものを置き残すこと」として理解されうる。

原防衛は、穴 Ⱥ を覆い隠すこと・裂け目を埋め合わせることを目指す。この防衛・原抑圧はまずなによりも境界構造、欠如の縁に位置する表象によって実現される。

この表象は、《抑圧された素材の最初のシンボル》(Freud,Draft K)となる。そして最初の代替シニフィアンS(Ⱥ)によって覆われる。(ポール・バーハウPAUL VERHAEGHE, DOES THE WOMAN EXIST?, 1999)


境界表象なのだから、欲動のクッションの綴じ目だとしても、欲動は十分には飼い馴らされていない(欲動は、フロイトの表現なら《原始時代のドラゴン Drachen der Urzeit wirklich》(1937)でもある)。

結局、ラカンのS (Ⱥ)とは、「自ら享楽する身体のシニフィアン」と等置されうる。

「自ら享楽する身体  corps en tant qu'il se jouit 」とは、フロイトが自体性愛 auto-érotisme と呼んだもののラカンによる翻訳である。「性関係はない il n'y pas de rapport sexuel」とは、この自体性愛の優越の反響に他ならない。(ミレール2011, L'être et l'un、IX. Direction de la cure)

ゆえにラカン的な女とは、前期ラカンの「他者の欲望のシニフィアン signifiant du désir de l'autre」にかかわるとともに、後期ラカンの「自ら享楽する身体  corps en tant qu'il se jouit 」、つまり自体性愛にかかわるのである。要するに、あれらの映像はこの後期ラカン的な視点から見る必要もある。

ジジェクは次のように記している。

男は自分の幻想の枠組みにぴったり合う女を直ちに欲望する。他方、女は自分の欲望をはるかに徹底して一人の男のなかに疎外する。彼女の欲望は、男に欲望される対象になることだ。すなわち、男の幻想の枠組みにぴったり合致することであり、この理由で、女は自身を、他者の眼を通して見ようとする。「他者は彼女/私のなかになにを見ているのかしら?」という問いに絶えまなく思い悩まされている。

しかしながら、女は、それと同時に、はるかにパートナーに依存することが少ない。というのは、彼女の究極的なパートナーは、他の人間、彼女の欲望の対象(男)ではなく、裂け目自体、パートナーからの距離自体なのだから。その裂け目自体に、女性の享楽の場所がある。(ジジェク、LESS THAN NOTHING、2012)

ミレールは女性の享楽について次のように言っている。

純粋な身体の出来事としての女性の享楽の部分 la part de la jouissance féminine qui est un pur événement de corps  (ミレール2011, L'Etre et L'Un)

そして身体の出来事とは、サントーム(原症状・原抑圧・原固着)である。

 サントームは身体の出来事として定義される Le sinthome est défini comme un événement de corps (ミレール, L'être et l'un、XI . l'outrepasse、2011)  

より具体的には、

ラカンが症状概念の刷新として導入したもの、それは時にサントーム∑と新しい記号で書か れもするが、サントームとは、シニフィアンと享楽の両方を一つの徴にて書こうとする試みで ある。Sinthome, c'est l'effort pour écrire, d'un seul trait, à la fois le signifant et la jouissance. (ミレール、Ce qui fait insigne、The later Lacan、2007 所収)

シニフィアンとは、基本的に「表象」と等価であり、表象と享楽の両方を一つの徴で示すのが、欲動のクッションの綴じ目としての「境界表象」である。

いま上に掲げた「女性の享楽」をめぐるジジェクとミレールの文は、ラカンの次の文とともに読むとよいだろう。

«斜線を引かれた女 Lⱥ femme »は S(Ⱥ) と関係がある。これだけで彼女は二重化 dédouble される。彼女は« 非全体 pas toute »なのだ。というのは、彼女は大きなファルスgrand Φ とも関係があるのだから。… (ラカン、S20, 13 Mars 1973)

⋯⋯⋯⋯

わたくしが冒頭近くに、Co(te)letteの映像を「女そのものだね」と記したのは、こういう前提のもとである(フェミニストのおねんさん方に怒られないように理論的な説明が長くなってしまったが)。

とはいえ、ここでまたしても、フェミニストのおねんさんたちがオキライな吉行淳之介になぜか触れる必要があるのである・・・(いやほんとうは、吉行に触れるために、理論的な説明の鎧を着たのをおわかりいただけるだろうか)。

男がものごとを考える場合について、頭と心臓をふくむ円周を想定してみる。男はその円周で、思考する。ところが、女の場合には、頭と心臓の円周の部分で考えることもあるし、子宮を中心にした円周で考えることもある。(吉行淳之介『男と女をめぐる断章』ーーラカン派的子宮理論

ああ、まさにこれなのである。子宮は「自ら享楽する身体」と理論的に置き換えてもよいが。

そして、

幼女期とか、青春期とか、中年とか、老年とか、そういう分節化は女にはない。女の一生は同じ調子のもので、女たちは男と違って、のっぺらぼうな人生を生きている。養老孟司という解剖学者はそう語って、わたしを驚かせた。その意見を伝えると、吉行淳之介という作家はほとんど襟を正すようにして、その人はじつによく女を知っていると述べた。(今週の本棚:丸谷才一・評 『きことわ』=朝吹真理子・著

ああ、まさに女とは幼女でも老女でも、Co(te)letteなのである!




そのご婦人は六十歳か、六十五歳くらいだったろう。ひろびろしたガラス窓を通して、パリがすっかり見えるモダンな建物の最上階にあるスポーツ・クラブのプールを前にして、長椅子に寝そべりながら、私は彼女をみつめていた。(……)

誰かに話しかけられて私の注意はそらされてしまった。そのあとすぐ、また彼女を観察したいと思ったとき、レッスンは終っていた。彼女は水着のままプール沿いに立ちさってゆくところで、水泳の先生の位置を四メートルか五メートルほど通りこすと、先生のほうをふりかえり、微笑し、手で合図した。私は胸がしめつけられた。その微笑、その仕草ははたちの女性のものだった! 彼女の手は魅惑的な軽やかさでひるがえったのだ。戯れに、色とりどりに塗りわけた風船を恋人めがけて投げたかのようだった。その微笑と仕草は魅力にみちていたが、それにたいして顔と身体にはもうそんなに魅力はなかった。それは身体の非=魅力のなかに埋もれていた魅力だった。もっとも、自分がもう美しくないと知っているにちがいなかったとしても、彼女はその瞬間にはそれを忘れていた。われわれは誰しもすべて、われわれ自身のなかのある部分によって、時間を越えて生きている。たぶんわれわれはある例外的な瞬間にしか自分の年齢を意識していないし、たいていの時間は無年齢者でいるのだ。いずれにしろ、水泳の先生のほうをふりかえり、微笑し、手を仕草をした瞬間(先生はもうこらえきらなくなり、吹きだしてしまった)、自分の年齢のことなど彼女はなにも知らなかった。その仕草のおかげで、ほんの一瞬のあいだ、時間に左右されたりするものではない彼女の魅力の本質がはっきり現われて、私を眩惑した。私は異様なほど感動した。(クンデラ『不滅』)

ああ、老いたピナ・バウシュ! 初老過ぎてそれぞれのピナをもっていない男などクソである!

泣かないで、歌いなさい

ピナはヘビースモーカーだった。「自体愛的享楽」(自ら享楽する身体)の芸術家ヤン・ファーブル Jan Fabreーー「私は血 Je Suis Sang」の舞台演出家ファーブルーーは、ピアとの最後の邂逅をめぐって次のように記している。



My last beautiful encounter with Pina was a night in an Antwerp restaurant a year ago. They closed the restaurant especially for us in order that we could smoke. Pina was a great lady, a great artist, and a fantastic smoker! I imagine that she died with a cigarette in her mouth: you have to stay loyal to the things that kill you.(Pina Bausch tributes)




⋯⋯⋯⋯

 お茶の水女子大学「ジェンダー研究会」にも招かれて講演をしているコプチェク(2006/10/8 Joan Copjec)は、現在の「ジェンダー研究」は、性を中性化し、性差からセクシャリティを取り除いてしまった、と言っている(もともとは2010年にスペインでなされた講義にて)。

For, from the mid-1980s on, the psychoanalytic category of sexual difference was deemed suspect and largely forsaken in favor of the neutered category of gender. Yes, neutered, I will insist on this; for it was specifically the sex of sexual differencethat dropped out when this fundamental psychoanalytic term was replaced by gender.

Gender theory should thus be viewed as having performed one major feat: it removed sexuality from sexual difference. While gender theorists continued to speak of sexual practices, they ceased to inquire into what constituted the sexual (Sexual Difference : Joan Copjec)

現在のジェンダー研究とは、21世紀という退行の世紀の典型的な「症例」のひとつである。

私は歴史の終焉ではなく、歴史の退行を、二一世紀に見る。そして二一世紀は二〇〇一年でなく、一九九〇年にすでに始まっていた。科学の進歩は思ったほどの比重ではない。科学の果実は大衆化したが、その内容はブラック・ボックスになった。ただ使うだけなら石器時代と変わらない。(中井久夫「親密性と安全性と家計の共有性と」2000年初出)
根源的な問いを多様に議論するのをやめ、人それぞれだからという配慮で踏み込まなくなるというのは、精神医学の領域ですでに起こった変化だ。文明全体がそういう方向に向かっていると思う。残される課題は「現実社会の苦痛にどう対処するか」だけ。そもそも苦痛とは何かという問いは悪しき迂回になる。(千葉雅也ツイート)

2018年4月25日水曜日

彼女は私を六秒みつめた

ゴダールの映画に何度か現れる次の写真は、ルック・ドラエ Luc Delahaye, 1992 の作品のようだ。



以下の文に1995年となっているのは、1992年の間違いである(写真のキャプションには1992となっている)。

A picture taken in 1995 in Bosnia shows a pained woman lying on the ground, looking out at the photographer, her white blouse covered in blood. Her dog lies in front of her, also covered in blood and apparently dead. A bomb has just exploded. In the distant background, a man stands frozen. "She looked at me for six seconds," Delahaye said.

"I always tell myself that the risk is my entrance ticket," Delahaye said. "I don't wear a bulletproof vest, or drive around in an armored car. I undertake the same risks as the people I am covering. . . . The majority of photojournalists tell themselves they do this work because it is important, that if people can just see these problems in these parts of the world they will do something about them. I have never believed this. I even think that that is a con. You ask yourself if you have the right to be in such a crisis area. Is it legitimate to bend over someone who is about to die? Is it correct to photograph a dying woman?. . . I restore (the suffering) more effectively if I am able to adopt a certain detachment."(The Real Thing: Photographer Luc Delahaye by Bill Sullivan

ネット上で「Luc Delahaye, Sarajevo、Godard」で検索しても、奇妙にも情報が現われない。

ゴダールの作品には、『(複数の)映画史』と『アワーミュージック Notre musique』に次のような形で現れる。





すくなくとももう一箇所、この写真はゴダールの作品のどれかに現れた記憶があるのだが、気のせいかもしれない。

2分強の短編作品『こんにちはサラエヴォ Je vous salue, Sarajevo』における写真は、ロン・ハヴィヴ(Ron Haviv)によるもののようだ(参照)。



⋯⋯⋯⋯

ゴダールは、道に血まみれになっている女のイマージュを反復する映像作家である。



医者になりたいとかつて望んだ冒険好きな若い女(ゴダールの母オディール)は、中年になっても相変わらず冒険好きのままだった。当時の若者たちのあいだで、新しいイタリア製スクーター「ヴェスパ」は、大ブームだった。オディール・モノーは、父ジュリアン・モノーにヴェスパを買ってくれないかと頼んだ。1954年4月、午後9時半の夜、オディールのヴェスパはローザンヌの路上から落ちた。彼女は頭蓋骨骨折でほとんど即死だった。

ゴダールはジュネーブから病院に駆けつけた。しかし彼は葬式には参列しなかった。それは異様な堪え難い事態による。ポール・ゴダールは子供たちを伴ってモノー祖父に会いに駅に向かった。だがセシル・モノー Cécile Monod(ゴダールの祖母)にこう告げられた、「Monsieur, on ne veut pas vous voir ici (私たちはここであなた方にお会いしたくありません)」。屍体はアンシイAnthy(レマン湖畔のアンティ=シュル=レマン)に埋められ、墓碑にはオディール・ モノー Odile Monod と刻まれている。(Colin MacCabe、"Godard: A Portrait of the Artist at Seventy" 、2016、私訳)

ーーゴダールが24才のときの、ローザンヌ近郊の事故である。ゴダール自身も41才のとき、モーターバイク事故にあっている。

1971年6月、ゴダールは、彼の編集者 Christine Marsollier が運転するモーターバイクの事故で重傷を負った。…ゴダールは2年半以上ののあいだ病院を出たり入ったりした。そのあいだ、当時の同志であったアンヌ=マリー・ ミエヴィル Anne-Marie Miéville に看護されて回復に向かった。(Wheeler W. Dixon、The Films of Jean-Luc Godard、1997)


2018年4月24日火曜日

女は愛する男には暴行されたようにして身をまかせることを欲する

「女は愛する男には暴行されたようにして身をまかせることを欲する」とは、レイプの話ではない。(まずは)「愛する男には」が肝腎であるだろう。

私はどんな放浪の旅にも、懐から放したことのない二冊の本があった。N・R・F発行の「危険な関係」の袖珍本で、昭和十六年、小田原で、私の留守中に洪水に見舞われて太平洋へ押し流されてしまうまで、何より大切にしていたのである。

私はこの本のたった一ヶ所にアンダーラインをひいていた。それはメルトイユ夫人がヴァルモンに当てた手紙の部分で「女は愛する男には暴行されたようにして身をまかせることを欲するものだ」という意味のくだりであった。(坂口安吾「三十歳」)

ーー安吾がラクロの『危険な関係』を読んだ当時は邦訳はない。安吾は自分で意訳している(安吾には、ヴァレリーの翻訳もあるぐらいで、当時の日本人作家としては堪能な翻訳者である)。

さてどの箇所なんだろうと思ってたのだが、昨日たまたま行き当たった。

どんなに身をまかせたいと焦っても口実がいります。ところで男の暴力に負けたように見える口実ほど女に都合のいいものはありません。じつを言うと私などいちばんありがたいのは神速にしてしかも一糸乱れぬ猛烈かつ巧妙な攻撃です。こちらが付込むべきところを、逆に尻ぬぐいせねばならないような間の悪い思いをけっしてさせぬ攻撃⋯⋯女の喜ぶ二つの欲望、防いだ誇りと敗れた喜びを巧みに満足させてくれる攻撃です。(ラクロ『危険な関係』)


ここで古井由吉も引用しておこう。

佐枝は逃げようとする岩崎の首をからめ取りながら、おのずとからみつく男の脚から腰を左右に、ほとんど死に物狂いに逃がし、ときおり絶望したように膝で蹴りあげてくる。顔は嫌悪に歪んでいた。強姦されるかたちを、無意識のうちに演じている、と岩崎は眺めた。(⋯⋯)

にわかに逞しくなった膝で、佐枝は岩崎の身体を押しのけるようにする。それにこたえて岩崎の中でも、相手の力をじわじわと組伏せようとする物狂おしさが満ちてきて、かたくつぶった目蓋の裏に赤い光の条が滲み出す。鼻から額の奥に、キナ臭いような味が蘇りかける。

やがて佐枝は細く澄んだ声を立てはじめる。男の力をすっかり包みこんでしまいながら、遠くへ助けを呼んでいる声だった。(古井由吉『栖』)

⋯⋯⋯⋯

さらにジジェクによるーーおそらく一般には問題含みとして読まれるだろうーー「愛する男からではない」強姦の話をも付記しておく。冒頭近くに《強姦(とそれを支えているマゾヒズム的幻想)》とあるが、マゾヒズムについては「享楽という原マゾヒズム」を参照。

⋯⋯この幻想の逆説的な地位は、われわれを、精神分析とフェミニズムがどうしても合意できない究極の一点へと導く。それは強姦(とそれを支えているマゾヒズム的幻想)である。

少なくとも標準的フェミニズムにとっては、強姦が外部からの暴力であることは自明だ。たとえ女性が、強姦されたり乱暴に扱われたりするという幻想を抱いていたとしても、それは男性の幻想であるか、もしくは、その女性の父権的なリビドー経済を「内面化」しているために自らすすんで犠牲になったのだということになる。裏を返せば、強姦の白昼夢という事実を認めた瞬間、われわれは男性優位主義的な決まり文句への扉を開けることになる。その決まり文句とは―――女性は強姦されることによって自分が密かに望んでいたものを手に入れるだけのことであり、彼女のショックや恐怖、彼女が自分の欲望を認めるほど正直ではないという事実を示しているにすぎない……。

このように、女性も強姦される幻想を抱くかもしれないと示唆した瞬間、次のような反論が飛んでくる。「それは、ユダヤ人は収容所でガス室送りになる幻想を抱いているとか、アフリカ系アメリカ人はリンチされていることを幻想している、と言っているのと同じだ」。この見方によれば、女性の分裂したヒステリー的な立場(性的に虐待されることに不平を述べながら、一方でそれを望み、自分を誘惑するよう男を挑発する)は二次的である。しかしフロイトにとっては、この分裂こそが一次的であり、主体性の本質である。

このことから得られる現実的な結論はこうだ―――(一部の)女性は実際に強姦されることを空想するかもしれないが、その事実はけっして現実の強姦を正当化するわけではないし、それどころか強姦をより暴力的なものにする。

ここに二人の女性がいたとする。ひとりは解放され、自立していて、活動的だ。もうひとりはパートナーに暴力をふるわれることや、強姦されることすら密かに空想している。決定的な点は、もし二人が強姦されたら、強姦は後者にとってのほうがずっと外傷的だということである。強姦が「彼女の空想の素材」を「外的な」社会現実において実現するからである。

主体の存在の幻想的中核と、彼あるいは彼女の象徴的あるいは想像的同一化のより表層的な諸様相との間には、両者を永遠に分離する落差がある。私は私の存在の幻想的な核を全面的に(象徴的統合という意味で)わが身に引き受けるとこは絶対できない。私があえて接近しようとすると、ラカンが「主体の消滅(自己抹消 aphanisis)」と呼んだものが起きる。主体はその象徴的整合性を失い、崩壊する。そしておそらく私の存在の幻想的な核を現実世界の中で無理やり現実化することは、最悪の、最も屈辱的な暴力、すなわち私のアイデンティティ(私の自己イメージ)の土台そのものを突き崩す暴力である。
(ジジェク注:これはまた、実際に強姦をする男は女性を強姦する幻想を抱かないことの理由である。それどころか、彼らは自分が優しくて、愛するパートナーを見つけるという幻想を抱いている。強姦は、現実の生活ではそうしたパートナーを見つけれないことから生じる暴力的な「行為への通り道 passage a l'acte」なのである。)
結局、フロイトからすると、強姦をめぐる問題とは次のことだ。すなわち、強姦がかくも外傷的な衝撃力をもっているのは、犠牲者によって否認されたものに触れるからである。したがって、フロイトが《(主体が)幻想の中で最も切実に求めるものが現実的にあらわれると、彼らはそれから逃走してしまう》(『症例ドラ』)と書いたとき、彼が言わんとしていたのは、このことはたんに検閲のせいで起きるのではなく、むしろわれわれの幻想の核がわれわれにとって耐えがたいものだからである。(ジジェク『ラカンはこう読め』鈴木晶訳、一部変更)

このジジェクの見解は一般には受け入れがたいだろう。だが人は最低限、究極のエロス、つまり究極の愛は、他者のなかに消滅することであるのは認めなくてはならない。そして解剖学的な男女ではなく、女性性と男性性という観点に立てば、おおむね次のようなことが言えるだろうことをも認める必要があるのではないか、《「エロス・融合・同一化・ヒステリー・女性性」/「タナトス・分離・孤立化・強迫神経症・男性性」》(ポール・バーハウ、2004)


(ヤン・ファーブル Jan Fabre)

エロスは接触 Berührung を求める。エロスは、自我と愛する対象との融合 Vereinigung をもとめ、両者のあいだの間隙 Raumgrenzen を廃棄(止揚Aufhebung)しようとする。(フロイト『制止、症状、不安』1926年) 
性行為 Sexualakt は、最も親密な融合 Vereinigung という目的をもつ攻撃性 Aggressionである。(フロイト『精神分析概説』草稿、死後出版1940年)


ラカン派観点の解釈は 「究極のエロス・究極の享楽とは死のことである」を見よ。ここではポール・バーハウによる簡潔な文のみを掲げる。

エロス欲動は〈他者〉と融合して一体化することを憧れる。〈他者〉の欲望と同一化し同時に己れの欠如への応答を受け取ることを渇望する。ここでの満足は同時に緊張を生む。満足に伴う危険とは何か? それは、主体は己自身において存在することを止め、〈他者〉との融合へと消滅してしまうこと(主体の死)だ。ゆえにここでタナトス欲動が起動する。主体は〈他者〉からの自律と分離へと駆り立てられる。これによってもたらされる満足は、エロス欲動とは対照的な性質をもっている。タナトスの解離反応は、あらゆる緊張を破壊し主体を己自身へと投げ戻す。

ここにあるのはセクシャリティのスキャンダルである。我々は愛する者から距離をとることを余儀なくされる。極論を言えば、我々は他者を憎むことを愛する。あるいは他者を愛することを憎む。(ポール・バーハウ2005, Paul Verhaeghe ,Sexuality in the Formation of the Subject ,私訳)

(ピナ・バウシュ Pina Bausch)




泣かないで、歌いなさい



ピナ・バウシュの映像を久しぶりに眺める。




ーーこれはスリップといったらダメだ。シュミーズといわなくては。

いったん静けさが訪れた後の、女たちの狂熱的な動き。ここにエクスタシーがある。ボクは射精する。




女たちの蓋が開かれ、 エク・スターシス ek-stasis (自身の外へ出る)、エクスタシー的開け(エクスターティッシュ・オッフェン ekstatisch offenーーラカンの外立:《現実界は外立する Le Réel ex-siste》)ーーがある。

古井) ⋯⋯ 一つは「決意」と訳されるEntschlossenheit です。これは言葉としてはersclossen(開かれる)という意味に通じています。それとentdecken にも通じていて、これはふつう発見されるの意味ですが、蓋を開ける、覆いをとってしまうという意味もある。さらにハイデガーでは、フライ・ウント・オッフェン(frei und offen)つまり、フリー・エンド・オープンと言っています。さらに エクスターティッシュ・オッフェン(ekstatisch offen)、ecstasically open と言っています。エクスターゼによって開いてある、とおおよそそんな意味になりますか。エク・スターシスとは本来、自身の外へ出てしまう、ということです。忘我、恍惚、驚愕、狂気ということでもある。その広がりに興味を持ちまして。 また一方では、開けてしまうということから、中世の神秘主義者たちが繰り返し言っている 赤裸という観念を思い出す。すべてから赤裸にならなくてはならない。極端まで行けば、「神」 という観念までも捨てなければならないという。ハイデガーもシュヴァーベンあたりの人だか ら、中世の神秘主義の伝統を引いているのかなと思います。(古井由吉・木田元「ハイデガ ーの魔力」『思想読本3 ハイデガー』作品社、2001 年)

なんというアリアドネたち、 なんという魂-身体 l'âme-corps の外立 ex-sistence !

アリアドネは、アニマ、魂である。 Ariane est l'Anima, l'Ame(ドゥルーズ『ニーチェと哲学』)

愛される者は、ひとつのシーニュ、《魂》として現れる。 L'être aimé apparaît comme un signe, une « âme»(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』)




私がふと思ったことは、友達とギリシャでジプシー(ロマ)の人たちを訪ねた時のことです。めったにお客なんて来ないので、とても喜んで歓迎してくれました。徐々に、家族の人たちが帰って来ました。そして、誰かが料理を作り始めました。私たちがレモネードを飲みながらタバコを吸っていると、ラジオから流れる大音量の音楽にあわせて彼等は踊り始めました。でも私は恥ずかしくてだめでした。本当に美しくて自然でした。そのとき11歳くらいだけれど官能的な感じの女の子が、私に「踊るのよ!踊るのよ!でないと私たち生きていけない!」というようなことを言ったのが忘れられません。どれほど魅力的な出来事であったかは表現できません。もしダンスや音楽がなかったら、ある種の文化は生き残れたかどうかわかりません。なにかを媒介して強い気持ちを表現出来ず、人生の一瞬に喜びを感じ、希望をもてず、より良い人間関係を築き上げることができなかったら、続いていかないのです。ルーベルハルトというところのアンナという小さなレストランでの出来事ですが、トルコ出身だという老人がよく私に話をしにきました。トルコの小さい村に住んでいた自分の百歳をこえている母親が、いつも、「泣かないで、歌いなさい」と言ったことを。”(ピナ・バウシュ(3. 3-1 Art『LIFE —坂本龍一オペラ1999—』より、SCORE AND INTERVIEW『SAMPLED LIFE』1999)





2018年4月23日月曜日

Kizomba walk

昨日、テニス仲間の飲み会があって、Kizomba(キゾンバ)の映像を示してくれる友があった。



ーーいやホントにR嬢にそっくりだ、と応じて大笑いになったのだが、われわれのテニス仲間には、中央左側の女性のように腰パンを見事に揺らめかせながら歩く乙女がいるのである。

前にも類似した映像として貼り付けたことがあるが、じつに彼女は、みごとなKizomba walkをナサレル。




不思議にもテニスウェアのときにはそれほどの美は感じられない。着替えをして立ち去ってゆくときが絶品なのだ。どうもキゾンバ・ウォークのたぐいまれなる美が生じるのは、ぴったり腰とお尻にはりついたパンツが好ましいようだ(すくなくともボクの場合)。たとえば、次のYouTube映像をみても、上の映像ほどには魅惑されない。









2018年4月21日土曜日

バッハの11の偉大なカンタータ

バッハの11の偉大なカンタータということが言われるらしい。

BWV 4, 12, 21, 51, 56, 61, 78, 80, 82, 106, 140 

わたくしがむかし(高校時代)よく聴いたのは、「偉大なカンタータ」11曲中の8曲、BWV 4, 12、21、61、78、80、106、140であり、それに加えて、BWV147 (これは今はもう聴かない。当時はピアノ版の楽譜まで買ったのだが。聴かなくなったのは馴染みすぎたせいなのかも)、BWV127、202である。もっともこれらのカンタータのレコードしかおおむね(田舎町に住んでいたせいもあり)手に入らなかったということもある。

かつてはカール・リヒター指揮版のみで聴いたのだが、ここでは、Ton Koopman、Philippe Herreweghe版を中心に貼り付ける。

BWV 4 Christ Lag In Todesbanden、Ton Koopman

二曲目は至高の合唱のひとつである。

BWV 12 Weinen, Klagen, Sorgen, Zagen、

→ このBWV12の二曲目のなんたる奇跡! おなじ旋律がロ短調ミサにも使われているBWV 232 Crucifixus。メロディーの起源はヴィヴァルディの「泣き、嘆き、憂い、怯え Piango, gemo, sospiro e peno」である。

以下も、どれも強い愛着のある曲たちである。バッハのカンタータはたくさんあり過ぎるので、何度も聴くというわけにはいかないが、どれもこれも捨て去るわけにはいかない、魂をかき鳴らす曲だ。音楽の真の崇高さは、バッハにしかない。

平素以上に埋葬の多い場合には収入もそれにつれて増加しますが、ライプチヒは空気がすこぶる快適なため、昨年の如きは、埋葬による臨時収入に百ターレルの不足を見たような次第です。(バッハの手紙ーーデュアメル『慰めの音楽』尾崎喜八訳より)

???・・・

⋯⋯⋯今わたくしがこうやって列挙しているのは、これらの曲を忘れるな、という意味もある。どれもこれもピアノ編曲等されている名高い合唱があり、その箇所だけは何度も聴くのだが、実際のところ、とおして聴くことはもはやほとんどない曲群なのだ。

BWV 21 Ich Hatte Viel Bekümmernis
BWV61 Nun komm, der Heiden Heiland,
BWV78 Jesu, der du meine Seele
(Herrewegheのものを貼り付けたが、この曲だけは、カール・リヒター版でなくてはならない心持がどこかにある)

BWV 80 Ein feste Burg ist unser Gott
BWV106 Actus Tragicus(Gustav Leonhardt 指揮版を貼り付けたが、冒頭の合唱は、Gyorgy Kurtagによる至高のピアノ編曲がある)

BWV 140 Wachet auf, ruft uns die Stimme、(ああ、この曲も Ton Koopman ではなく、カール・リヒターでなくてはならない・・・じつはすべてリヒターでいいのだが、リヒター版の強烈な印象からなんとか逃れるために、そしてときに重苦しくなるので、別の指揮者のものを挙げているのである)

そしてバッハの11の偉大なカンタータ以外で好んだ二曲。

BWV 202 Weichet nur, betrübte Schatten
BWV 127 Die Seele ruht in Jesu Händen

最近は BWV38 Aus tiefer Not schrei ich zu dir も好んで聴く。とくに冒頭の合唱がお気に入りだ。そしてグールドが愛したBWV54も忘れるわけにはいかない。

さて、バッハの11の偉大なカンタータのなかで、あまり記憶にないBWV51, 56, 82とはどんな曲だったかな

BWV 51 Jauchzet Gott in allen Landen
BWV56  Ich will den Kreuzstab gerne tragen
BWV82 Ich habe genug 

ーーそうか、BWV56、82は、ディスカウの名唱で聴いた曲だったのか。当時は合唱を好んだので、これらのアリア曲のBWVナンバーを失念してしまっているけれど、どちらもとってもいいや。でもほんとうに久しぶりにきく。BWV 51も、今冒頭を聴いてみるとまったく耳にしていないわけではないけど、この曲はさてふたたび聴いてみようとするか。

いまカンタータだけを挙げてきたが、「わたしの中心」は、マタイの二つの合唱であるのは高校当時から変わりがない。
 
そしてときに、「喜ばしきトラウマ的記憶」に襲われた場合、これまたマタイとそしてヨハネのふたつの短い合唱が、わたくしのもとにやってくる。わたくしの《風立ちぬ、いざ生きめやも Le vent se lève, il faut tenter de vivre》である。




PTSDに定義されている外傷性記憶……それは必ずしもマイナスの記憶とは限らない。非常に激しい心の動きを伴う記憶は、喜ばしいものであっても f 記憶(フラッシュバック的記憶)の型をとると私は思う。しかし「外傷性記憶」の意味を「人格の営みの中で変形され消化されることなく一種の不変の刻印として永続する記憶」の意味にとれば外傷的といってよいかもしれない。(中井久夫「記憶について」1996年)




ああ、だがあの夢のなかを彷徨うような、1958年録音盤のリヒターの「マタイ第64曲 Am Abend, da es kühle war 夕暮れの涼しいときに」を忘れるわけにはいかない。そしてこの箇所はディスカウでなければならない。1950年代のディスカウは、後年、プロフェッショナルになりすぎた彼とはほとんど別人である。


2018年4月20日金曜日

パンセと石鹸の広告

衝撃的だった、いやいまもそれが続く。石鹸の広告に出会ったのである。

われわれも相当の年になると、回想はたがいに複雑に交錯するから、いま考えていることや、いま読んでいる本は、もう大して重要性をもたなくなる。われわれはどこにでも自己を置いてきたから、なんでも肥沃で、なんでも危険であり、石鹸の広告のなかにも、パスカルの『パンセ』のなかに発見するのとおなじほど貴重な発見をすることができるのだ。(プルースト「逃げさる女」)

このところいくらかまとめて観ているすべての映像作品、あれら名高い「パスカル」は、(今の心持では)次の「石鹸の広告」に格段に劣る。いくらかの不満があるとすれば、女の、とくに少女の姿がないことである。




前畑電停の向こうにみえるのが旭町電停である。実家は右に百メートルほどのところにあった。母が好きだった「うどん屋」はあの電停の左傍にあった。いくらか精神を病んでいた母は、突然家からいなくなることがあった。「うどん屋」の前に佇んでいたこともあったらしい。

そして歩道橋の右手にはボクが通った旭小学校がある。

前畑電停を右に行けば、「三八」ーー、三の日と八の日に開かれる路上朝市ーーの場である。ここで八丁味噌をふんだんに使った香ばしい五平餅を買うのがとても楽しみだった。

前畑電停から路面電車は坂道を上り、遠ざかってゆく。坂をすこし下りたところにあるのが、坂上電停である。尻を向けて遠ざかってゆくので、いままでの記述と左右反対になるが、左に一キロほどいけば中学校がある。右に半キロいって、左に曲がり半キロいくと、ボクのジルベルトの家があった。ジルベルトを家に送っていく途中、ここまで、と言われ、足早に去ってゆく彼女の後姿をよく目で送った。ボクたちの家は中学校区の東の境界と南の境界にあったのである。


(侯孝賢、童年往事)


ああ、そして十四才のときには、坂上電停から大きな交差点の一つ手前の路地を左に三十メートルほどはいったところにあった、大きな敷地をもった廃屋の庭奥が、ジルベルトとの密かな抱擁の場だった。

⋯⋯私たちはからみあって組みうちをするのだった。私は彼女をひきよせようとし、彼女はしきりに抵抗する。奮闘のために燃えた彼女の頬は、さくらんぼうのように赤くてまるかった。彼女は私がくすぐったかのように笑いつづけ、私は若木をよじのぼろうとするように、彼女を両脚のあいだにしめつけるのであった、そして、自分がやっている体操のさなかに、筋肉の運動と遊戯の熱度とで息ぎれが高まったと思うまもなく、奮闘のために流れおちる汗のしずくのように、私は快楽をもらした、私にはその快楽の味をゆっくり知ろうとするひまもなかった、たちまち私は手紙をうばった。するとジルベルトはきげんよくいった、

「ねえ、よかったら、もうしばらく組みうちをしてもいいのよ。」

おそらく彼女は私の遊戯には私がうちあけた目的以外にべつの目的があるのをおぼろげながら感じたのであろう、しかし私がその目的を達したことには気がつかなかったであろう。そして、その目的を達したのを彼女に気づかれることをおそれた私は(すぐあとで、彼女が侮辱されたはずかしさをこらえて、からだをぐっと縮めるような恰好をしたので、私は自分のおそれがまちがっていなかったのをたしかめることができた)、目的を達したあとの休息を静かに彼女のそばでとりたかったのだが、そんな目的こそほんとうの目的であったととられないために、なおしばらく組うちをつづけることを承諾した。(プルースト『花咲く乙女たちのかげに』)

ジルベルトとは高校は別々になった。当時の故郷の町では、ボクたちの年から学校群制度というものが導入され、四校の公立高校は、二校ずつの二つの学校群となった。同じ学校群を選んでも、別々の高校に入ることになったのである。ジルベルトの父は、ボクがはいりそこねた名門高校の教師をしていた。

高校入学後のジルベルトが、一年上の男と一緒に通学しているのを見たのは、混雑している市電のなかであった。一番後ろに手すりをもって男に寄り添っていた。そのときの軀の震えの感触はいつまでたっても消えない。


(侯孝賢、戀戀風塵)

高校時代はじつに鬱屈した生を送っていた。バッハをよくきいた。バッハばかりをきいていた。ボクのおおくのレミニサンスは音楽が伴奏にある。今回は高校時代にひどく愛したバッハである。





だが大学に入った十八才の夏休み、坂上電停から右に五十メートルほどいったところにある陸軍墓地にて、ジルベルトと昼下がり、彼女の腰を墓碑台座にのせ無我夢中で初めての性交をした。閑散とした静けさのなか、樟がざわめき、蝉が鳴いていた。そのときようやく三年をへて彼女からの愛をとりもどした、すくなくともそのつもりになった(参照:あのとき、あなたは何を考えていたのですか)。





思えばボクの十代の強烈な出来事は、ほとんどすべて旭町電停から坂上電停までのあいだで起こった・・・、ーーと言えば言い過ぎだが、今はそういいたい。





ああ、なんという石鹸の広告! なんというシャンゼリゼの雪!


きょうの私自身は、見すてられた石切場にすぎず、その私自身はこう思いこんでいる、この石切場にころがっているものは、みんな似たりよったりであり、同一調子のものばかりだと。ところが、そこから、一つ一つの回想が、まるでギリシアの彫刻家のように、無数の像を切りだすのだ。私はいおう、――われわれがふたたび見る一つ一つの事物が、無数の像を切りだす、と。

たとえば本は、その点に関しては、事物としてこんなはたらきをする、すなわち、その背の綴目のひらきかたとか、その紙質のきめとかは、それぞれそのなかに、りっぱに一つの回想を保存していたのであって、当時の私がヴェネチアをどんなふうに想像していたか、そこに行きたいという欲望がどんなだったか、といったことのその回想は、本の文章そのものとおなじほど生き生きしている。いや、それ以上に生き生きしているとさえいおう、なぜなら、文章のほうは、ときどき障害を来たすからで、たとえばある人の写真をまえにしてその人を思いだそうとするのは、その人のことを思うだけでがまんしているときよりも、かえってうまく行かないのである。

むろん、私の少年時代の多くの本、そして、ああ、ベルゴット自身のある種の本については、疲れた晩に、それらを手にとることがある、しかしそれは、私が汽車にでも乗って、旅先の異なる風物をながめ、昔の空気を吸って、気を休めたいと思ったのと変わりはなかった。しかも、求めてえられるその種の喚起は、本を長くよみつづけることで、かえってさまたげられることがあるものだ。ベルゴットの一冊にそんなのがある(大公の図書室にあるそれには、極端にへつらった俗悪な献辞がついていた)、それを私は、ジルベルトに合えなかった冬の一日に読んだ、そしていまは、あのように私が愛していた文章を、そこからうまく見つけだすことができない。いくつかの語が、その文章の個所を私に確信させそうだが、だめだ。私がそこに見出した美は一体どこへ行ったのか? しかしその書物自身からは、私がそれを読んだ日にシャン=ゼリゼをつつんでいた雪は、はらいのけられてはいなくて、私にはいつもその雪が目に見える。(プルースト「見出されたとき」)






2018年4月18日水曜日

渥美線・飯田線・嵐山線



高校時代、路面電車(いわゆる市電)に乗って、二キロ先の渥美線始発駅まで行き、そこから十キロ強先の学校まで通った。寝坊すれば十二キロ先の学校まで自転車で行く。すると場合によっては渥美線を使う連中よりも先に着いた。

学校から南二キロ先には伊古部の海があった。自転車の日には、ときに帰宅とは反対方向の海に寄り道した。




半島は、伊古部海岸から、西端の伊良湖岬に向って延びていく。その途中に、このあたり唯一の赤羽根漁港がある。その「赤羽根」の鳩たちが、あの静かな屋根の上を歩んでいた晩夏の午後は強烈な印象が残っている、《一筋の思ひの後のこの報ひ、/神々の静けさへの長い眺め》(ヴァレリー)

とはいえ、神々の眺めの経験は後年にもしばしばあったと言ってもいい。だが途中のアスファルトの道に投げ出されていた干し草の香と、同時に出会った逃げ水の幻との遭遇は稀有の出来事だ。そして、ああ、あの《波紋のように空に散る笑いの泡立ち》(大岡信)・・・この笑いの泡立ちの記憶は、あの時固有のものだ。

⋯⋯⋯⋯

路面電車は、渥美線と同じように、現在は新型の車両に変ってしまっている。懐かしく思う旧型の映像はみつからないな、--と思っていたのだが、さきほど見出した。わたくしと同じように懐かしく思う人がいるのだろう、イベントPRで旧型がときに走るようだ。




ーーああ、あああ、あああああ、ナツカシクテ死ニソウニナル・・・この「前畑」とある電停の一つ前の電停をボクは使ったのである・・・歩道橋の右手にはボクの通った小学校があるのである・・・(この町は人口自体は減少していないのだが、中心部は過疎化が激しく、ボクの通った小学校は、かつて一学年、40人強のクラスが四クラスあり、つまり一学年170人から180人の生徒がいたのだが、いまでは20人前後の一クラスしかない)。

⋯⋯⋯⋯

夏休みには山の方に向かう飯田線をしばしば利用した。





当時は開閉の扉が手動の車両があった。たしか四両編成の、その後尾車両に乗ってしまうと、小さな駅ではプラットホームからはみ出て、線路に飛び降りるなどということがあった。

この三つの電車のなかでいろんな出来事が起こった。だから似たような映像に出会うと、レミニサンスに襲わてしまうことがままある。

童年往事・戀戀風塵・悲情城市」でも掲げたが、侯孝賢の作品のいくつかのシーンは似たような映像どころではない。




23才から30代半ばまでは京都に住んだ。11階建ての6階にあったマンションの部屋から阪急嵐山線の車両が桂川の向こうに通り過ぎるのを眺めた。低く雲がたれ込んだ雨の日には、電車が通り過ぎる音が、川面をはって低くきこえてくるようで、最初はとても珍しく、耳をすましてその響きに聴きいった。




この電車も鄙びていてとても美しく、通勤には一時的に使ったのみだが、土日にはしばしば利用した。



童年往事・戀戀風塵・悲情城市

◆辛樹芬(シン・シューフェン、1967年生)

侯孝賢、 童年往事、1985

戀戀風塵、1987



(同上)


(悲情城市、1989)