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2018年3月8日木曜日

赤と青と緑とゴダール

(ゴダール、気狂いピエロ Pierrot le fou、1965年)


◆中井久夫「赤と青と緑とヒト」(1997年初出『アリアドネからの糸』所収)より

色といえば、私はまず、日本の生んだ偉大な脳波学者・高橋剛夫のことを思い出す。…

脳波というものが光で「賦活」されるということは、医学生でも知っている。「賦活」とは、普段にない積極的な活動性を示すということだが、実際には異常活動である。…

誰も、光賦活について疑問を持たなかった。ところが、ストロボの光は混色光である。…高橋先生は、単色光にしてみた。…

結果は明快だった。赤の単色光は脳を賦活する。一部の被験者ではテンカン発作を起こさせる。逆に、青の単色光は脳を鎮静させる。赤で賦活された脳を瞬時に鎮静させる。赤でテンカン発作を起こしている被験者に青の光を見せると、直ちに発作が止まり、脳波が正常化する。人間の脳と色には、こういう単純な関係があった。…

(軽蔑 Le Mépris, 1963年)

先生は、実際に青のメガネを掛けさせることで、薬を一切使わずにテンカンを治療しておられた。…

では、コンタクトレンズに青を入れたらどうかと私は考えて、まず、その道の専門家に聞いたら、「今、レンズにはすべて薄く青が入っていますよ」という答えであった。この頃の青年が賦活されにくい、つまり煮え切らないといわれるのは、レンズの青のせいかもしれないが、さあどうだろうか?…


(軽蔑 Le Mépris, 1963年)


別に高橋先生は、色だけでなく、水玉模様や斜め縞模様を眺めさせると、赤色と同様の賦活性があることを証明された。この事実は臨床的にも重要である。実際、私は、ある入院したばかりの患者が、上を向いて寝ると苦しいと訴えたので、改めて天井を見ると、等間隔で点を打ったパネルが張ってある天井ではないか。患者の真上の天井に白紙を貼ることで、患者の苦痛はなくなったのであった。病院の天井には、ああいうパネルはよくないのである。

(ゴダール、気狂いピエロ Pierrot le fou、1965年)

では、なぜ赤でヒトの脳は賦活されるのであろうか。つまり乱れるのであろうか。

実は、すべての人間が脳波異常の形で賦活されるのではない。私が高橋式賦活装置の検査を受けた時には、脳波異常は起こらなかった代わりに、赤色で脈が速くなり、胸骨の後ろが苦しくなって、そのままだと狭心症から心筋梗塞まで起こしかねなかった。青色にかえると、苦痛は嘘のように去った。

つまり、人間には脳が乱れる代わりに、身体が乱れる私のような者もいる。私は心身症型、つまり脳への刺激が身体反応を起こすタイプなのだ。

それにしても、なぜ赤なのであろうか。ヒト以外に動物は赤色を認識しないときく。全動物界を見渡しても、ないそうである。そもそも動物には色を感じないものが多い。イヌもウシも白黒の世界に住んでいる。色を識別する動物でも、サルから遠い昆虫まで、赤色だけは感じない。赤い花を昆虫は別の色に見ている。それはヒトの色盲と同じく青色系である。

現在では、たとえば次のように示されている。

Can Dogs See Colors?



Vision in horses


「なぜ赤でしょうね」と、高橋先生に夕暮れのタクシーのなかで尋ねられた。前を行く車の尾灯の群れが、しきりに私の脳を賦活していたに違いない。

私はまず、人間が火を使う上で必要ではないかと答えた。人間は、火を使うことで食べものの範囲を大幅に拡大し、寒い地域にも進出できた。火の色が見える人のほうが有利で、子孫を残す確率が大きかったに違いない。

もう一つ考えられるのは、セックスとの関係である。セックスは人間には限らないが、ヒトのように年中セックスをしている動物は、他に実験動物のマウスぐらいではないだろうか。…

しょっちゅうセックスをするには、季節の刺激などより、色の方がてっとりばやい。しかるべき場所を青ではなくて赤と感じて、脳が乱れるほうがよいだろう。私たちの先輩は、赤い蹴出しや緋縮緬に弱かった。…

(ゴダール、気狂いピエロ Pierrot le fou、1965年)


いまさらだが、赤ってのは発情色だ、ゴダールは1964年末の離婚後のアンナ・カリーナになぜあんなにも発情させたかったんだろうか。




では、青で冷静になるのはどうしてだろうか。

狩猟人だった以前のヒトは、襲われ狩られる存在だったに違いない。サル族を繁栄させた天敵のいない森の樹間から、草原のサバンナに進出したことが、ヒトがヒトになる最初の一歩だった。

しかし、葉の天蓋の代わりに果てしない青色が頭上にあるのは、最初はずいぶん落ちつかないことだったろう。特に、頭上に猛禽類のハゲワシやタカを警戒する必要があったろう。原人の頭蓋骨には猛禽類に襲われた跡があるという。青空の鎮静力は、冷静に小さな頭上の敵を探すのに、役に立っただろう。

今も青いリクルート・スーツは面接官をかっとさせないために役立っているかもしれない。逆にアメリカ大統領候補は演説の時に必ず赤いネクタイをして聴衆を惑乱させている。

(ゴダール、気狂いピエロ Pierrot le fou、1965年)

青には欠点が一つある。青は視線が落ちつかず、さまよう色なのである。病室の天井を青く塗ったら、患者は落ちつかないはずである。青を見ると、視線は自然にあちこちさまよって定まらないのは、襲ってくる猛鳥のいる空を隈なく点検するためには好都合だったろう。

視線がずっと落ちつき、一点に休らう色は、何よりも緑である。私たちの祖先が天敵がいない森の樹間を発見した時の記憶がしっかり残っているということか。そして、森の人だった私たちは、緑の些細な美に敏感である。緑は使いにくい色であるとデザイナーは言う。実際、少しの差で上品にも下品にもなる。私たちは緑にうるさいのである。(中井久夫「赤と青と緑とヒト」1997年)

(Une femme est une femme,1961)