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2018年3月13日火曜日

「あなたに女を愛しているとは言わせない」

すこしまえ「あなたに音楽を愛しているとは言わせない」と口走ったと当時に、「あなたに女を愛しているとは言わせない」ともしたが、そう、わたくしは還暦を過ぎたところだが、際立って若い魂なので、「これまでお前が本当に愛してきたのは何であったか、お前のたましいをひきつけたのは何であったか、お前のたましいを占領し同時にそれを幸福にしてくれたのは何であったか」と問うているのである。すると「音楽」と「女」しかないのである。

ここに次のような方法がある。若いたましいが、「これまでお前が本当に愛してきたのは何であったか、お前のたましいをひきつけたのは何であったか、お前のたましいを占領し同時にそれを幸福にしてくれたのは何であったか」と問うことによって、過去をふりかえって見ることだ。

尊敬をささげた対象を君の前にならべてみるのだ。そうすればおそらくそれらのものは、その本質とそのつながりによって、一つの法則を、君の本来的自己の原則を示してくれるであろう。

そういう対象を比較してみるがよい。一つが他を捕捉し拡充し、凌駕し浄化して行くさまを見るがよい。そして、それらが相つらなって、君が今日まで君自身によじ登ってきた一つの階梯をなすさまを見るがよい。

なぜなら、君の本質は、奥深く君のうちにかくされているのではなくて、君を超えた測りしれない高い所に、あるいは少なくとも、普通きみが君の「自我」と取っているものの上にあるからだ。(ニーチェ『反時代的考察 第三篇』1874 秋山英夫訳)

ところが「愛した女」とは何か、と問いだすと、映画のなかの女たちに思いを馳せざるをえない(わたくしは映画にたいしてそれほど愛を捧げていたわけではなかったのだが)。

人は忘れ得ぬ女たちに、偶然の機会に、出会う、都会で、旅先の寒村で、舞台の上で、劇場の廊下で、何かの仕事の係わりで。そのまま二度と会わぬこともあり、そのときから長いつき合いが始まって、それが終ることもあり、終らずにつづいてゆくとこもある。しかし忘れ得ないのは、あるときの、ある女の、ある表情・姿態・言葉である。それを再び見出すことはできない。

再び見出すことができるのは、絵のなかの女たちである。絵のなかでも、街のなかでと同じように、人は偶然に女たちに出会う。しかし絵のなかでは、外部で流れ去る時間が停まっている。10年前に出会った女の姿態は、今もそのまま変わらない、同じ町の、同じ美術館の、同じ部屋の壁の、同じ絵のなかで。(加藤周一『絵のなかの女たち』ーー忘れ得ぬ女たち

とはいえわたくしは動体視力が劣っており、映画を観ると目がひどく疲れる。映画とは結局、「動く写真」である。

蓮實重彦による一つの仮説がある。

「一般に"映画"という語彙で知られている視=聴覚的な表象形式が、娯楽としてであれ芸術としてであれ、その消費形態のいかんにかかわらず、百年を超える歴史を通じて、音声を本質的な要素として持つことはなく」、「いわゆるトーキーと呼ばれているものはサイレントの一形式にすぎない」という仮説である。(蓮實重彦『ゴダール マネ フーコー 思考と感性とをめぐる断片的な考察』最終章)

わたくしがgif(グラフィックス・インターチェンジ・フォーマット)という形で切り取られたものを好むことは、この蓮實重彦の言葉と同時に、次のロラン・バルトの言葉によって擁護されうるはずである(だから文句いってくるな、そこのオマエサン! わたくしはひどく「音楽」を愛するが、映画にとってあれは本質的な要素ではないのである、タブンな)。

スクリーンの前では、私は目を閉じる自由をもっていない。そんなことをしようものなら、目を開けたとき、ふたたび同じイマージュを見出すわけにはいかなくなる。私はたえずむさぼり見ることを強制される。映画には他の多くの長所があるが、思考性 pensivité だけはない。私がむしろフォトグラム photogramme(映画のコマ写真)に関心をもつのはそのためである。

しかし映画は、一見したところ「写真」にはない、ある能力をそなえている。スクリーンは(バザン〔『映画とは何か』〕が指摘したように)、枠 cadre〔フレーム〕ではなくて隠れ場 cachezである。作中人物がそこから出てきて生き続ける。目に見える部分的な視像 vision partielle の裏に、ある《見えない場 champ aveugle》がつねに存在している。ところが、立派なストゥディウム studium をもつ写真も含めて、何千という写真を見ても、私にはそうした見えない場が少しも感じられない。フレームの内側にあるものが、フレームの外に出てくると、どれも完全に死んでしまう。「写真」は動かない映像として定義されるが、それは単に、写真に写っている人物たちが動かないということを意味するだけではない。彼らが外に出てこないということをも意味するのだ。彼らは蝶のように麻酔をかけられ、そこに固定されているのである。しかしながら、プンクトゥム punctum があれば、ある見えない場がつくり出される(推測される)。(ロラン・バルト『明るい部屋』第23章)


(ゴダール『複数の映画史、3B(Histoire(s) du cinéma, 3B』)

ーー見よ、波の唇から女の唇、そしてジャコメッティのゼウスの娘(ミュゼ musée)のセリーを。

ジャコメッティにとって女とは娼婦であると同時に女神であった。わたくしにとっての「女」はここにあるのである。

初期ジャコメッティの二作品をモンタージュしておこう、「宙吊りになった玉Boule suspendue」(1930)と「空虚を掴む手 hands-l'objet invisible」(1934)




ーーいやあ、ちょっとずれているな、iPadの無料ソフトで変換しただけなので、そのうち気が向いたら修正するよ。

・《「触るなかれ」としての美 beau : ne touchez-pas》(ラカン、S7、18 Mai 1960) 、これがカントの「美は無関心」のラカンによる「概念的翻訳」である。

・美はラカンの外密 Extimité の効果の名である。これが正確に、カントの「美は無関心」が目指したものである。(ジュパンチッチ、The Splendor of Creation: Kant, Nietzsche, Lacan by Alenka Zupančič, pdfーー美は恐ろしきものの始まり