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2018年3月3日土曜日

コロンベと亜希子

◆Gabriel Fauré : Trio avec piano en Ré mineur Op. 120



ーーいいね、とっても。

ヴァイオリンは、エベーヌ四重奏団 Ebene Quartet 第一ヴァイオリンのピエール・コロンベ (Pierre Colombet)。ボクは彼の大ファンだ。

Marc Coppeyのチェロにもうすこしふくらみがあればもっといいのだけれど、ま、これでいいよ。

ピアニストのAkiko Yamamotoさん、山本亜希子と書くようだが、どんな方かと検索してみれば、ツイッターやっているや。すこし遡ってみてみたけど、たぶん仏在住の子持ち女性でキサクな方だ。演奏には派手さはないけど、この曲にはこれでいいんじゃないか。





このop120とは、ボクの偏愛のフォーレ遺作弦楽四重奏op121の直前に作られた曲だけれど、この曲もあまりに演奏されることが少ない。こんなに美しいピアノ三重奏がほかにあるとは思えないのに。

その楽節は、ゆるやかなリズムで、スワンをみちびき、はじめはここに、つぎはかしこに、さらにまた他のところにと、気高い、理解を越えた、そして明確な、幸福のほうに進んでいった。そしてその未知の楽節がある地点に達し、しばし休止ののち、彼がそこからその楽節についてゆこうと身構をしていたとき、突然、楽節は方向を急変し、一段と急テンポな、こまかい、憂鬱な、とぎれない、やさしい、あらたな動きで、彼を未知の遠景のかなたに連れさっていった。それから、その楽節は消えた。彼は三度目にその楽節にめぐりあいたちとはげしく望んだ。すると、はたして、その楽節がまたその姿をあらわしたが、こんどはまえほどはっきりと話しかけてくれなかったし、まえほど深い官能をわきたたせはしなかった。しかし、彼は家に帰ると、またその楽節が必要になった、あたかも彼は、行きずりにちらと目にしたある女によって生活のなかに新しい美を映像をきざみこまれた男のようであり、その名さえ知らないのにもうその女に恋をし、ふたたびめぐりあうてだてもないのに、その女の新しい美の映像がその男の感受性にこれまでにない大きな価値をもたらす場合に似ていた。(プルースト「スワン家のほうへ」)

ボクはこう言わねばならない、最晩年のフォーレに魂を震わせない「あなたに音楽を愛しているとは言わせない」と。

スティーヴン・イッサーリス、やってくれないかな、この曲をぜひ。

Op117の彼にはホントにほれぼれした。

◆Steven Isserlis & Jeremy Denk — Fauré: Sonata for Cello & Piano No. 2 in G minor, Op. 117