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2017年12月3日日曜日

マヌケ男とキチガイ女の不可能な出会い

《扉があいて、先の女が夏の光を負って立った。縁の広い白い帽子を目深にかぶっているのが、気の振れたしるしと見えた。》(古井由吉『山躁賦』杉を訪ねて)


古井) 今度、『存在と時間』の自分が好きな章だけ読み返してみて、自分がいまだに惹かれているところが二つあります。(⋯⋯)

一つは「決意」と訳されるEntschlossenheit です。これは言葉としてはersclossen(開かれる)という意味に通じています。それとentdecken にも通じていて、これはふつう発見されるの意味ですが、蓋を開ける、覆いをとってしまうという意味もある。さらにハイデガーでは、フライ・ウント・オッフェン(frei und offen)つまり、フリー・エンド・オープンと言っています。さらに エクスターティッシュ・オッフェン(ekstatisch offen)、ecstasically open と言っています。エクスターゼによって開いてある、とおおよそそんな意味になりますか。エク・スターシス ek-stasis とは本来、自身の外へ出てしまう、ということです。忘我、恍惚、驚愕、狂気ということでもある。その広がりに興味を持ちまして。 また一方では、開けてしまうということから、中世の神秘主義者たちが繰り返し言っている赤裸という観念を思い出す。すべてから赤裸にならなくてはならない。極端まで行けば、「神」 という観念までも捨てなければならないという。ハイデガーもシュヴァーベンあたりの人だか ら、中世の神秘主義の伝統を引いているのかなと思います。(古井由吉・木田元「ハイデガ ーの魔力」、2001 年)

⋯⋯⋯⋯

「アンコール」のラカンは、性カップルについて語るなか、「間抜け idiot 男」と「気狂いfolle 女」の不可能な出会いという点に焦準化する。言い換えれば、一方で、去勢された「ファルス享楽」、他方で、場なき謎の「他の享楽」である。 (コレット・ソレール2009、Colette Soler、L'inconscient Réinventé )



ファルス享楽(ファルス秩序、象徴秩序、言語の秩序)のひびわれ、その非一貫性(非全体pastout)にエク・スターシス ek-stasis (自身の外へ出てしまう)ものが「他の享楽、身体の享楽、女性の享楽」である。これが、ラカンのリアル( 《現実界は外立する Le Réel ex-siste》)ーー「エクスタシー的開け ekstatisch offen」ーーである。


非全体の起源…それは、ファルス享楽ではなく他の享楽を隠蔽している。いわゆる女性の享楽を。…… qui est cette racine du « pas toute » …qu'elle recèle une autre jouissance que la jouissance phallique, la jouissance dite proprement féminine …(LACAN, S19, 03 Mars 1972ーーヒステリー的身体と女の身体)

ようするに間抜け男は気狂い女にまったく歯が立たない。

私は私の身体で話している。私は知らないままでそうしている。だから私は、常に私が知っていること以上のことを言う。Je parle avec mon corps, et ceci sans le savoir. Je dis donc toujours plus que je n'en sais. (Lacan, S20. 15 Mai 1973)

間抜け男/気狂い女とは、言説に囚われた身体/自ら享楽する身体の区分でもある。

言説に囚われた身体 corps pris dans le discours は、話される身体 corps parlé・享楽される身体 corps joui である。反対に、話す身体 corps parlant は、享楽する身体 corps qui jouit である。(Florencia Farìas、2010)

さらにまた気狂い女とは、言語秩序の裂目に現れる神なのである、《コトバとコトバの隙間が神の隠れ家》(谷川俊太郎「おやすみ神たち」) 

《精神分析が明らかにしたのは、〈神〉とは単に《女 La femme 》だということである。⋯⋯ Dieu, mais dont l'analyse dévoile que c'est tout simplement « La femme »》(ラカン、S23、16 Mars 1976)

他方、言語秩序に囚われた間抜け男とは、あぶく、虫けらのことである。

世界は女たちのものだ、いるのは女たちだけ、しかも彼女たちはずっと前からそれを知っていて、それを知らないとも言える、彼女たちにはほんとうにそれを知ることなどできはしない、彼女たちはそれを感じ、それを予感する、こいつはそんな風に組織されるのだ。男たちは? あぶく、偽の指導者たち、偽の僧侶たち、似たり寄ったりの思想家たち、虫けらども …一杯食わされた管理者たち …筋骨たくましいのは見かけ倒しで、エネルギーは代用され、委任される …(ソレルス『女たち』鈴木創士訳)

こういったことは実は誰もが知っているーーすくなくとも無意識的にはーーことだ。

まったく、男というものには、女性に対してとうてい歯のたたぬ部分がある。ものの考え方に、そして、おそらく発想の根源となっているのぐあい自体に、女性に抵抗できぬ弱さがある。(吉行淳之介「わたくし論」)