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2017年12月26日火曜日

色が白くて小さい尻をした蕎麦屋の娘

 死ぬ前に、もう一度、その町に行ってみたい。町はず
れに月見草の咲く丘があって、静かな海が見える、その
小さい町だ。

 その丘に立って、ひととき、涼しい風に吹かれながら、
遠い沖合で、立ち上がっては崩れている白い波頭を眺め
ていたい。

 そうしていると、あたりに、いつのまにか、私と同じ
ように、海を見ている人たちが来ている。それぞれが、
一人一人、それぞれの場所に立って、海を見ている。

 その面立ちは定かでないし、服装もさまざまだが、私
にはわかる。みんな、過ぎ去った日々に私が出合ったこ
とのある、懐かしい人たちだ。

 みんな、一言もことばを交わさず、黙って、そこに立
っている。彼らのなかには、私が、死ぬような思いで、
別れなければならなかったひともいるが、そのひとも同
じように海を見ている。
(⋯⋯)
 遠い沖合で、白い波頭が立ち上がっては崩れている。
 遠い沖合で、白い波頭が立ち上がっては崩れている。
 私は、しかし、涼しい風に吹かれて、いつまでも、海
を見ているだけだ。おそらく、私は、もう私ではなくい
いのだ。これが、最後になるかもしれない。

 懐かしい人たちとともに、私は、次第に、自分の名前
の要らない私になってゆくのである。


ーーいやあ、ひどくほろりときてしまう詩だな、
わたくしは「理論的には」次の立場をとるし、
「経験的にも」今までのところそうだったけれど。

私はつぎのことを知っていたからだ、――バルベックの美 la beauté de Balbec は、一度その土地に行くともう私には見出されなかった、またそのバルベックが私に残した回想の美も、もはやそれは二度目の逗留で私が見出した美ではなかった、ということを。私はあまりにも多く経験したのだった、私自身の奥底にあるものに、現実のなかで到達するのが不可能なことを。また、失われた時を私が見出すであろうのは、バルベックへの二度の旅でもなければ、タンソンヴィルに帰ってジルベルトに会うことでもないのと同様に、もはやサン・マルコの広場の上ではないということを。また、それらの古い印象が、私自身のそとに、ある広場の一角に、存在している、という錯覚をもう一度私の起こさせるにすぎないような旅は、私が求めている方法ではありえない、ということを。

またしてもまんまとだまされたくはなかった Je ne voulais pas me laisser leurrer une fois de plus、なぜなら、いまの私にとって重大な問題は、これまで土地や人間をまえにしてつねに失望してきたために(ただ一度、ヴァントゥイユの、演奏会用の作品は、それとは逆のことを私に告げたように思われたが)、とうてい現実化することが不可能だと思いこんでいたものにほんとうに自分は到達できるのかどうか、それをついに知ることであったからだ。(プルースト「見出された時」ーー「愛する理由(プルースト版)」)




以前にも粕谷栄市の詩にほろりときたことがある。


粕谷栄市「西片町」(「歴程」580 、2012年07月10日発行)

 夏の日、涼しい縁側で、片肘をついて、寝転んでいた
い。久しぶりに、おふくろのいる家に戻って、何もしな
いで、ゆっくりしていたい。
 一人前の左官職人になって、間もない私は、その日は、
仕事の休みの日だ。何もすることがないし、したいこと
もない。ただ、ぼんやり、横になって、片肘をつき、垣
根に咲いている、青い朝顔の花を眺めていたいのだ。
 考えていることといえば、まだ、よく知らない娘のこ
とだ。娘は、たしか、自分と同い年で、片西町の蕎麦屋
につとめている。色が白くて、小さい尻をしている。
 思えば、この私には、一生、そんな日はないのだけれ
ど。夢のなかの西片町の蕎麦屋に行くこともないのだけ
れど。もう、とっくに死んでいて、どこかの寺の墓石の
下で、若い左官屋の幻をみているのだけだけれど。


粕谷栄市「烏瓜」(「現代詩手帖」2011年12月号)

壁に懸けたそれを、枕から頭を起こして見て、女は、
悦んだ。からだの具合が悪くて、しばらく、彼女は、寝
たきりだった。どこにも行けなかったのだ。枕元に、薬
と粥を運ぶつらい日々だったが、烏瓜は、それでも、貧
しい暮らしを、少しは華やかにした。

 それは、思ったより長持ちして、いつまでも色褪せな
かった。けれども、ある日、私が、仕事から帰ると、女
は、死んでいた。
  何ともいいようのない思いだった。こんなにたやすく
人間の今生の別れはくるのだ。つい半月ほど前、せがま
れて、私は、痩せた彼女のからだを抱いていたのに。私
は、もう、そこにいられなかった。彼女を葬り、その家
を離れた。再び、戻ったことはない。

 それから、永い年月が過ぎている。今となっては、一
切が、遠い夢のようだ。だが、その夢のどこかに、あの
烏瓜がある。
 そこだけが明るい湖の舟の上で、彼女が、それを私に
指で教えている。松の木に絡んで、灯のように、烏瓜が
連なっている。

 それは、私の願いである。もし、天国があるとしたら、
死んで、私の行くところは、彼女のいるその舟の上なの
である。