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2017年11月16日木曜日

あのとき、あなたは何を考えていたのですか

私はあなたの顔をせつなく思いつづけていた。あなたは時々、横を向いて、黙ってしまうことがあった。あのとき、あなたは何を考えていたのですか。(坂口安吾「戯作者文学論――平野謙へ・手紙に代えて――」1947年1月1日)

最近はかつてメモった在庫を微調整して投稿しているだけで、実は安吾のことばかりを考えている。わたくしはニワカ安吾ファンである。三年ほど前に真に愛するようになったに過ぎない(参照:荷風と安吾への同一化)。

だが今は彼のことばかり考えている。ダイジョウブナンダロウカ?

あの人の死んだ通知の印刷したハガキをもらったとき、まだ、お母さんが生きていられるのが分ったけれども、津世子は「幸うすく」死んだ、という一句が、私はまったく、やるせなくて、参った。

お母さんは死んだ娘が幸うすく、と考えるとき、いつも私を考えているに相違ない。私は勿論、葬式にも、おくやみにも、墓参にも、行かなかった。今から十年前、私が三十一のとき、ともかく私達は、たった一度、接吻ということをした。あなたは死んだ人と同様であった。私も、あなたを抱きしめる力など全くなかった。ただ、遠くから、死んだような頬を当てあったようなものだ。毎日毎日、会わない時間、別れたあとが、悶えて死にそうな苦しさだったのに、私はあなたと接吻したのは、あなたと恋をしてから五年目だったのだ。その晩、私はあなたに絶縁の手紙を書いた。(坂口安吾「戯作者文学論――平野謙へ・手紙に代えて――」1947年1月1日)

⋯⋯⋯⋯

坂口安吾の自伝小説には、手帳事件とも呼ぶべき出来事の叙述がある。私も似たような出来事をもっている(わたくしのほうは、安吾のような偶然ではなく、「品性の卑しさ」が滲みでている手帳事件だが)。

私は道祖神の女の部屋で留守番していた。茗荷谷の女子学生用アパート。女は彼女の妹が医学校に入ったため、それまでの女子寮住まいから、このアパートに転居し、妹と一緒に住むようになっていた。彼女の妹はとても忙しく夜遅くしか帰ってこない。私はしばしばその部屋で性交した。ある秋の午後にも学校帰りに彼女のアパートを訪ねたが、その日は性交する時間はなく、休めない講義があるから本でも読んで待っていて、と女は言い残し、近くの学校に出かけて行った。読書はすぐ飽きた。女臭い部屋で一人でいるのは落ち着かない。

バスルームの扉右上に、その部屋唯一の収納庫があった。勉強机の椅子を持って来て、天上近くにあるその収納庫の内部を探った。よく整理されている。きちんと畳まれた布団の横にみかん箱が二つある。その箱を引きずり下ろした。

箱の中に彼女の手帳を見い出した。女はこの一年半のあいだ、月に一度名古屋に別の男に逢いに行っていたことが知れた。男は女の高校時代の相手である。私は高校時代、通学に使っていた路上電車の最後尾で、二人が寄り添っているのを垣間見た。彼女は私の眼差しに気づいて俯いた。




私は失意の底に落ち込んだ。今、また同じような衝撃ーー。

14歳の時ひどい恋に陥って苦しんだ相手であるあの少女が、4年を経て、ようやく私を愛し返すようになったと、有頂天になっていた時期に、女は昔の男との関係を続けていたことになる。女はしかもその男の子供を堕胎していた。手帳をもっている手の震えが止まらなかった。これが私の手帳事件である。

⋯⋯最高幹部のWが矢田津世子と恋仲で、ある日、社内で日記の手帳を落した。拾つたのが寅さんで、日曜ごとに矢田津世子とアヒビキのメモが書き入れてある。寅さんが手帳を渡したら、大慌てゞ、ポケットへもぐしこんだといふ。寅さんはもとより私が矢田津世子に恋してゐることは知らないのだ。居合せたのが誰々だつたか忘れたが、みんな声をたてゝ笑つた。私が、笑ひ得べき。私は苦悩、失意の地獄へつき落された。(坂口安吾「二十七歳」1947年初出)

だがわたくしはそのあと何をしたのか? ーー想い出したくない。

・・・とはいえさらにその後、彼女と「結婚」したのだ。