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2017年10月17日火曜日

オッカサマがオレを助けに来て下さる

私が精神病院へ入院したとき小林秀雄が鮒佐の佃煮なんかをブラ下げて見舞いにきてくれたが、小林が私を見舞ってくれるようなイワレ、インネンは毛頭ないのである。これ実に彼のヤジウマ根性だ。精神病院へとじこめられた文士という動物を見物しておきたかったにすぎないのである。一しょに檻の中で酒をのみ、はじめはお光り様の悪口を云っていたが、酔いが廻るとほめはじめて、どうしても私と入れ代りに檻の中に残った方が適役のような言辞を喋りまくって戻っていった。

ヤジウマ根性というものは、文学者の素質の一つなのである。是非ともなければならない、という必須のものではないが、バルザックでも、ドストエフスキーでも、ヤジウマ根性の逞しい作家は、作家的にも逞しいのが通例で、小林と福田は、日本の批評家では異例に属する創造的作家であり、その人生を創造精神で一貫しており、批評家ではなくて、作家とよぶべき二人である。そろって旺盛なヤジウマ根性にめぐまれているのは偶然ではない。

しかし、天性敏活で、チョコ〳〵と非常線をくぐるぐらいお茶の子サイサイの運動神経をもつ小林秀雄が大ヤジウマなのにフシギはないが、幼稚園なみのキャッチボールも満足にできそうにない福田恆存が大ヤジウマだとは意外千万であった。(坂口安吾『安吾巷談 07 熱海復興』)

⋯⋯⋯⋯

さて「『青鬼の褌を洗う女』のモデル」等にて引用を控えた『クラクラ日記』の残余の「愉快な」文ーーくり返せば、わたくしは手元にこの書がなくネット上から拾ったものであり、正確な引用がなされているものなのか否かは分からないことを断っておくーーをここに掲げる。もちろん冒頭に示唆したとおり、ヤジウマ根性からである。

彼はいかり狂ってあばれまわり始めると、必ずマッパダカになった。寒中の寒、二月の寒空にけっして寒いとも思わぬらしかった。皮膚も知覚を失ってしまうものらしい。それで恥ずかしいとも思わぬらしいのだが、私は恥ずかしかった。女中さんの手前もあるし、私は褌を持って追いかけて行く。重心のとれないフラフラと揺れる体に褌をつけさせるのは容易ではなかった。身につける一切のものはまぎらわしく汚らわしくうるさいと思うらしかった。折角骨を折ってつけさせてもすぐにまた取りさって一糸纏わぬ全裸で仁王さまのように突っ立ち、何かわめきながら階段の上から家財道具をたたき落とす。階段の半分くらい、家財道具でうずまる。
もう大分以前から彼は人に逢いたがらなかったのだが、私も彼を人に逢わせたくなかった。あさましい位、彼の外貌は変り果ててゆき、人の言葉をまともに聞くことはなくなった。すべては陰謀としか思えないらしく、私がそのあやまりを正すと悪鬼の如く、いかりたけると云うふうになり、当時の女中さんのしいちゃんは私の手下で、私としいちゃんとはしじゅぅ陰謀をはかり奸計をめぐらしていると云うふうにとるようになった。私が彼に出来ることは、彼の云いなりになると云うこと以外には何もない。
代りに用いていたものは、喘息の薬のセドリソと云う覚醒剤であった。朝から少量ずつ飲んで昼も少量飲み、それが蓄積されてやっと夕刻頃効いてくると云う薬だった。疲れて休息したい神経をむりやりたたきおこす薬で、二日でも三日でも徹夜に耐えうる神経にするための薬だ。そう云う薬で無理無態に仕事をしようとしていた。

(⋯⋯)睡眠薬と覚醒剤を交互に常用しているうちに、その性能が全く本来の姿とは異り、まるでアベコベに作用するようになっていた。すなわち睡眠剤を飲めば狂気にちかくなり、覚醒剤を飲んでモーローとするようになっていた。
十六日には禁断症状の最初の徴候が現われ始めた。なぜ十六日と云う日をはっきり覚えているかと云うと二月十六日が彼の母の命日で、十六日の朝、彼が泣いていたからだった。ふとんの衿をかみしめるようにして彼が涙をこぼし、泣いていたからだった。

「今日はオッカサマの命日で、オッカサマがオレを助けに来て下さるだろう」

そう言って、懸命に何かをこらえているような様子であった。
おかしかったのは、小林秀雄さんがお見舞に見えた時で、持続睡眠療法がおわり、後遺症状が未だ残っていて、毎日相当量のブドウ糖を打っていた時だが、彼がドモって思うように口がきけないのにひきかえ、小林さんにペラペラとベランメエでまくしたてられて、数十回も「テメエは大馬鹿ヤロウだ」といわれていた時だった。彼が何かドモリながら口をきこうとすると、小林さんはおっかぶせるように「テメエは大馬鹿ヤロウだよ」と追打ちをかけるものだから、しまいに彼が幾らか気の毒にもなった。

小林さんはドストエフスキーやゴッホのお話をしていたようだったが、ゴッホも分裂症だといわれているがテンカンではなかったかというようなことで、私にはむずかしすぎるのでよく覚えていない。小林さんは本郷に下宿していらした学生時代に、「毎日ベントウのオカズになっとうを一本ぶらさげて大学に通ったもんだよ」とおっしゃっていたのが印象に残っている。キリキリとひきしまった浅黒い顔が急に若い学生の小林さんの顔にみえ、その当時もこんなにきつい印象だったんだろうかと思ったりした。お土産の「鮒佐」のつくだ煮はおいしかったが、彼は小林秀雄は粋な人だから、といっていた。数十回の「テメエは大馬鹿ヤロウだ」が実は小林さん一流の励ましの文句であった。彼は終始嬉しそうにニコニコしていた。(坂口三千代「クラクラ日記」)

「おい、三千代、ライスカレーを百人前……」
「百人前とるんですか?」
「百人前といったら、百人前」
 云い出したら金輪際後にひかぬから、そのライスカレーの皿が、芝生の上に次ぎ次ぎと十人前、二十人前と並べられていって、
「あーあ、あーあ」
 仰天した次郎が、安吾とライスカレーを指さしながら、あやしい嘆声をあげていたことを、今見るようにはっきりと覚えている。(檀一雄『小説 坂口安吾』)

檀家の庭の芝生にアグラをかいて、坂口はまっさきに食べ始めた。私も、檀さんたちも芝生でライスカレーを食べながら、あとから、あとから運ばれて来るライスカレーが縁側にズラリと並んで行くのを眺めていた。

当時の石神井では、小さなおそばやさんがライスカレーをこしらえていて、私が百人まえ注文に行ったらおやじさんがビックリしていたがうれしそうにひき受けた。(坂口三千代『クラクラ日記』)

⋯⋯⋯⋯

ーーと引用して想い出したので、三人の作家の文を掲げておく。

心理学者の決疑論。――この者は一人の人間通である。いったい何のために彼は人間を研究するのであろうか? 彼は人間に関する小さな利益を引っとらえようと欲する、ないしは大きな利益をも。――彼は政略家にほかならない!・・・あそこのあの者もまた一人の人間通である。だから諸君は言う、あの者はそれで何ひとつ自分の利益をはかろうとしない、これこそ偉大な「無私の人」であると。もっと鋭く注意したまえ! おそらく彼はさらにそのうえ“いっそう良くない”利益を欲している、すなわち、おのれが人々よりも卓越していると感じ、彼らを見くだしてさしつかえなく、もはや彼らとは取りちがえられたくないということを欲しているのである。こうした「無私の人」は”人間軽蔑者”にほかならない。だからあの最初の者の方が、たとえ外見上どうみえようとも、むしろ人間的な種類である。彼は少なくとも同等の地位に身をおき、彼は“仲間入り”する。(ニーチェ『偶像の黄昏』「或る反時代的人間の遊撃」十五)
身ぶり、談話、無意識にあらわされた感情から見て、この上もなく愚劣な人間たちも、自分では気づかない法則を表明していて、芸術家はその法則を彼らのなかからそっとつかみとる。その種の観察のゆえ、俗人は作家をいじわるだと思う、そしてそう思うのはまちがっている、なぜなら、芸術家は笑うべきことのなかにも、りっぱな普遍性を見るからであって、彼が観察される相手に不平を鳴らさないのは、血液循環の障害にひんぱんに見舞われるからといって観察される相手を外科医が見くびらないようなものである。そのようにして芸術家は、ほかの誰よりも、笑うべき人間たちを嘲笑しないのだ。(プルースト「見出されたとき」井上究一郎訳)
認識と創造の苦悩との呪縛から解き放たれ、幸福な凡庸性のうちに生き愛しほめることができたなら。…もう一度やり直す。しかし無駄だろう。やはり今と同じことになってしまうだろう。-すべてはまたこれまでと同じことになってしまうだろう。なぜならある種の人々はどうしたって迷路に踏み込んでしまうからだ。(……)

私は、偉大で魔力的な美の小道で数々の冒険を仕遂げて、『人間』を軽蔑する誇りかな冷たい人たちに目をみはります。-けれども羨みはしません。なぜならも し何かあるものに、文士を詩人に変える力があるならば、それはほかならぬ人間的なもの、生命あるもの、平凡なものへの、この私の俗人的愛情なのですから。 すべての暖かさ、すべての善意、すべての諧謔はみなこの感情から流れ出てくるのです。(トーマス・マン『トニオ・クレーゲル』)

とはいえ、こうも引用しておかねばならない。

……私にとっては、或る人間について重要に思われることは彼の生涯における偶発的な諸事件ではなく、彼の生れとか、彼の恋愛事件とか、種々の不幸とか、その他、彼について実地に観察することができる事実の殆どすべては、私には何の役にも立たない。すなわちそれらの事実は、或る人間にその真価を与え、彼と彼以外のあらゆる人間との、また彼と私との決定的な相違を生ぜしめている事柄について、私に何事をも教えてはくれない。

そして私としてもしばしば、この種類の、我々の認識を実質的には少しも深めはしない生活上の消息について、相当な好奇心を抱くことがあるのだが、私の興味を惹く事柄が必ずしも私にとって重要なものであるとは限らないのであって、これは私だけでなく、だれの場合にしても同じことが言える。要するに、我々は、我々を面白がらせることに対して常に警戒していなければならない。(ヴァレリー『ドガ・ダンス・デッサン』 吉田健一訳)