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2017年9月16日土曜日

六ツ七ツ、十五六、二十一、二十七、三十一、四十四

坂口安吾の『安吾人生案内 その八 安吾愛妻物語』は、主に写真による観相学をめぐっており、以前は読み飛ばしていたが、今回はひどく感心してしまった。

六ツ七ツ、十五六、二十一、二十七、三十一、四十四が手痛い出来事があった意味では特筆すべき年で、しかしジリ〳〵ときたものについて云えば全半生に通じていると申せましょう。(安吾人生案内 その八 安吾愛妻物語)

こういった文にひどく心を動かされるのは、わたくしは自らの「手痛い出来事」の記憶にときにーーいやかなりしばしばーー襲われる気質があるせいだろう。「手痛い出来事」とは必ずしも「痛い」記憶ではない、と断っておくが、おおむね「痛い」出来事である。

PTSDに定義されている外傷性記憶……それは必ずしもマイナスの記憶とは限らない。非常に激しい心の動きを伴う記憶は、喜ばしいものであっても f 記憶(フラッシュバック的記憶)の型をとると私は思う。しかし「外傷性記憶」の意味を「人格の営みの中で変形され消化されることなく一種の不変の刻印として永続する記憶」の意味にとれば外傷的といってよいかもしれない。(中井久夫「記憶について」1996年)

安吾に戻れば、彼は引き続き次のように書いている。

六ツ七ツというのは、私が私の実の母に対して非常な憎悪にかられ、憎み憎まれて、一生の発端をつくッた苦しい幼年期であった。どうやら最近に至って、だんだん気持も澄み、その頃のことを書くことができそうに思われてきた。

十五六というのは、外見無頼傲慢不屈なバカ少年が落第し、放校された荒々しく切ない時であった。

二十七と三十一のバカらしさはすでにバカげた記録を綴っておいたが、これもそのうち静かに書き直す必要があろう。

二十一というのは、神経衰弱になったり、自動車にひかれたりした年。

四十四が精神病院入院の年。(安吾人生案内 その八 安吾愛妻物語)

安吾のこの随筆を、以前は冒頭だけ読んでうっちゃってしまったのは、人の顔などそのときどきで変わるさ、信用できないね、「観相学」なんて、--と考えてしまうタチだからだ。

不見転観相学  桜井大路 この写真(次頁の)から観た処では、額、眉、耳と何れにも非常に強く反家庭的な相が感じられる。特に顔全体の大きな特徴を成している鼻によくない相がある。この種の鼻を持つ人は、金を稼ぎ出す力は持っていても、常に散じてしまう人である。又、大変に短気であり、若くして家を捨ててしまう生え際をしている。(……)

長生きをする吉相もあるが、恋愛をすれば必ず苦労する相をも併せ持っている。



安吾はながながと応答しているが、ここでは次の文を引用しておくだけにする。

恋愛すれば必ず苦労する相も併せ持っているとは、いささか手きびしいな。 

しかし、そう苦労もしませんよ。恋愛して本当に苦労するのは第一回目の一度だけだね。その時は、はじめてのことで、その道に不案内だからコンランは益々コンランを重ねるし、そのコンランの時間は甚しく長く、私の場合約五ヶ年かかったな。

何度恋愛しても、一時的にコンランし、夜もねむれないほどの苦痛になやむのは、たしかに同じことだけれども、だんだん時間的に短くなり、一ヶ月、一週間、三四日と、ひどくちぢまるものだ。もう、こうなると、恋愛即浮気で、ほとんど、とるに足るものではなくなってしまう。(安吾人生案内 その八 安吾愛妻物語)

私の場合、あの最初の恋愛(14歳)のコンランのおさまりは何年かかったんだろう・・・いいたくないね、「五ヶ年」なんてものじゃないのはたしかだね

で、なぜああなったんだろう、と問い詰めていくと、実の問題は最初の恋愛、最初のあの女のせいではないのだな、

死亡通知は印刷したハガキにすぎなかつたが、矢田チヱといふ、生きてゐるお母さんの名前は私には切なかつた。そして、その印刷した文字には「幸うすく」津世子は死んだと知らせてあつた。「幸うすく」、あなたは、必ずしも、さうは思つてゐないだらうと私は思ふ。人の世の、生きることの、馬鹿々々しさを、あなたは知らぬ筈はない。

けれども、あなたのお母さんは「幸うすく」さう信じてゐるに相違なく、その怒りと咒ひが、一人の私に向けられてゐるやうな気がした。そして、私は泣いた。二三分。一筋か二筋の、うすい涙であつた。そして私が涙の中で考へた唯一のことは、ある暗黒の死の国で、あなたと私の母が話をして、あなたが私の母を自分の母のやうに大事にしてくれてゐる風景であつた。そして、私は、泣いたのだ。(『二十七歳 』)

ようは人の発達の「先史時代」(三歳以前)の記憶をさておけば、結局「六ツ七ツ」のときの《一生の発端をつくッた苦しい幼年期》にかかわるのさ、わたくしの場合、具体的には「窖のやうな物置き」だね。

母。――異体の知れぬその影がまた私を悩ましはじめる。

私はいつも言ひきる用意ができてゐるが、かりそめにも母を愛した覚えが、生れてこのかた一度だつてありはしない。ひとえに憎み通してきたのだ「あの女」を。母は「あの女」でしかなかつた。
三十歳の私が、風をひいたりして熱のある折、今でもいちばん悲しい悪夢に見るのがあの時の母の気配だ。姿は見えない。だだつぴろい誰もゐない部屋のまんなかに私がゐる。母の恐ろしい気配が襖の向ふ側に煙のやうにむれてゐるのが感じられて、私は石になつたあげく気が狂れさうな恐怖の中にゐる、やりきれない夢なんだ。母は私をひきづり、窖のやうな物置きの中へ押しこんで錠をおろした。あの真つ暗な物置きの中へ私はなんべん入れられたらうな。闇の中で泣きつづけはしたが、出してくれと頼んだ覚えは殆んどない。ただ口惜しくて泣いたのだ。
ところが私の好きな女が、近頃になつてふと気がつくと、みんな母に似てるぢやないか! 性格がさうだ。時々物腰まで似てゐたりする。――これを私はなんと解いたらいいのだらう!

 私は復讐なんかしてゐるんぢやない。それに、母に似た恋人達は私をいぢめはしなかつた。私は彼女らに、その時代々々を救はれてゐたのだ。所詮母といふ奴は妖怪だと、ここで私が思ひあまつて溜息を洩らしても、こいつは案外笑ひ話のつもりではないのさ。(坂口安吾「をみな」)