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2017年8月28日月曜日

「なんでもおまんこ」という悟り

……感情的な一つの解決、「悟り」ですね。多くまあその悟りに、科学的な衣を着せて、これは悟つたのではなしに、かう言ふ偉大な組織を持つた科学から、完全に出て来たのだ、と言ふやうな顔をする事になつてゐるのですけれども、根本はやはり、悟りでせうね。(折口信夫『国語と民俗学』)

またナンタラ言ってくるヤツがいるが、わたくしはもはや完全な「悟り」の境地に達してしまったので、下界の者向けに「科学的な衣」をかぶせてなんたら記すつもりはない。すべては「おまんこ」である。

今後この蚊居肢ブログで記すことは「おまんこ」にかかわることのみである!

もっとも「蚊居」とあるようにかならずしも直接的におまんこを目指さない趣味をもっていることは認めておかねばならない。





さて《生きる存在 l'être vivant》が《生み出される=ジェンダー化される s'engendre》のは、《性的再生産の循環 cycle de la reproduction sexuée》(S11)に入ったときである。

そしてその母胎内で既にジェンダー化された存在ーー永遠の生(不死の生vie immortelle)を喪失してしまった存在ーーが、この世界に出現するときに具体的に「おまんこ」が喪われてしまうのである。

例えば胎盤は、個人が出産時に喪なった己れ自身の部分を確かに表象する。それは最も深い意味での喪われた対象を象徴する。le placenta par exemple …représente bien cette part de lui-même que l'individu perd à la naissance, et qui peut servir à symboliser l'objet perdu plus profond. (ラカン、S11, 20 Mai 1964)

あらゆる人間活動はこの永遠に喪われた対象である「おまんこ」のまわりを循環しているだけである。

ラカンは後年、「臍の緒」=「聖痕」とも言っている(Réponse à une question de Marcel Ritter、Strasbourg le 26 janvier 1975より)。

・夢の臍 l'ombilic du rêve…それは欲動の現実界 le réel pulsionnel である。

・欲動の現実界がある。私はそれを穴の機能 la fonction du trou に還元する。欲動は身体の空洞 orifices corporels に繋がっている。誰もが思い起こさねばならない、フロイトが身体の空洞 l'orifice du corps の機能によって欲動を特徴づけたことを。

・原抑圧 Urverdrängt との関係…原起源にかかわる問い…私は信じている、(フロイトの)夢の臍 Nabel des Traums を文字通り取らなければならない。それは穴 trou である。

・人は臍の緒 cordon ombilical によって、何らかの形で宙吊りになっている。瞭然としているは、宙吊りにされているのは母によってではなく、胎盤 placenta によってである。

・臍とは聖痕である。l'ombilic est un stigmate

・臍とは身体の結び目 nœud corporelである。この結び目…注目すべき期間ーー九ヶ月のあいだーー生の伝達に奉仕し、その後(永遠に)閉じられる。

これが結び目と空洞とのあいだのアナロジー analogie entre ce nœud et l'orifice である。こうして洞は仕上げられる。(ラカン、1975, Strasbourg)

こうやってわれわれは聖痕としての穴が開くのである。穴は別に《穴ウマ(troumatisme =トラウマ)」》(ラカン、S21,1974)とも呼ばれる。《われわれは皆、トラウマ化されている tout le monde est traumatisé》(ミレール、«Vie de Lacan» , 17 mars 2010)のである。

この穴埋めに励むのがわれわれの生である。この穴はけっして欠如ではない。欠如が欠けているのである(参照:「S(Ⱥ)、あるいは欠如と穴」)。すなわちブラックホールである。

欠如の欠如 Le manque du manque が現実界を生む。それは唯一、コルク栓(穴埋め bouchon)としてのみ現れる。このコルク栓は不可能の用語にて支えられている。

Le manque du manque fait le réel, qui ne sort que là, bouchon. Ce bouchon que supporte le terme de l'impossible(Lacan、1976 AE.573)

この穴はとてつもない引力ーーそしてそれに反発する斥力ーーとしてわれわれの全活動を支配する。

生物学的機能において、二つの基本欲動は互いに反発 gegeneinander あるいは結合 kombinieren して作用する。食事という行為は、食物の取り入れ Einverleibung(エロス)という最終目的のために対象を破壊 Zerstörungすること(タナトス)である。性行為は、最も親密な結合 Vereinigung(エロス)という目的をもつ攻撃性 Aggression(タナトス)である。

この同化/反発化 Mit- und Gegeneinanderwirkenという 二つの基本欲動の相互作用は、生の現象のあらゆる多様化を引き起こす。二つの基本欲動のアナロジーは、非有機的なものを支配している引力 Anziehung と斥力 Abstossung という対立対にまで至る。(フロイト『精神分析概説』草稿、1940年)

なぜ斥力が働くのか。引力のなすがままになってしまえば、われわれは消滅してしまうからである。

だが「最初にありき」はやはり引力である。われわれを根源的に支配しているのは、子宮回帰 Rückkehr in den Mutterleib 欲動なのである。

誕生とともに、放棄された子宮内生活 Intrauterinleben へ戻ろうとする欲動 Trieb、……母胎内への回帰 Rückkehr in den Mutterleib(フロイト『精神分析概説』草稿、死後出版1940年)

ゆえに谷川俊太郎の「なんでもおまんこ」とは精神分析理論の極致を表現しているのである。

なんでもおまんこ 谷川俊太郎

なんでもおまんこなんだよ
あっちに見えてるうぶ毛の生えた丘だってそうだよ
やれたらやりてえんだよ
おれ空に背がとどくほどでっかくなれねえかな
すっぱだかの巨人だよ
でもそうなったら空とやっちゃうかもしれねえな
空だって色っぽいよお
晴れてたって曇ってたってぞくぞくするぜ
空なんか抱いたらおれすぐいっちゃうよ
どうにかしてくれよ
そこに咲いてるその花とだってやりてえよ
形があれに似てるなんてそんなせこい話じゃねえよ
花ん中へ入っていきたくってしょうがねえよ
あれだけ入れるんじゃねえよお
ちっこくなってからだごとぐりぐり入っていくんだよお
どこ行くと思う?
わかるはずねえだろそんなこと
蜂がうらやましいよお
ああたまんねえ
風が吹いてくるよお
風とはもうやってるも同然だよ
頼みもしないのにさわってくるんだ
そよそよそよそようまいんだよさわりかたが
女なんかめじゃねえよお
ああ毛が立っちゃう
どうしてくれるんだよお
おれのからだ
おれの気持ち
溶けてなくなっちゃいそうだよ
おれ地面掘るよ
土の匂いだよ
水もじゅくじゅく湧いてくるよ
おれに土かけてくれよお
草も葉っぱも虫もいっしょくたによお
でもこれじゃまるで死んだみたいだなあ
笑っちゃうよ
おれ死にてえのかなあ

以上