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2017年8月16日水曜日

漢字のための言語の怠惰性

このところ国文学者の文をいくらか読んでいるのだが、わたくしはこの領野をずっと敬遠してきた。いまさらながら、この齢になって、ああ、そうなのか、そうだったのか、と驚くことが多く、好奇心で読んでいるというよりも、驚きに促されて読んでいる。まったく未知の領野とさえいっていいので--そもそも万葉集でさえまともに読んだことはないーー、ひどい無知をさらしているはずである。「初山踏み」という言葉さえおこがましいのであって、麓のまわりの様子をうかがっているレベルである。山に登るつもりはいまのところない。

さて前回も引用したが折口信夫の文を先ず再掲しよう。

我々の国語は、漢字の伝来の為に、どれだけ言語の怠惰性能を逞しうしてゐたか知れない程で、決して順当の発達を遂げて来たものではないのである。(折口信夫「古語復活論」)
何と言つても、語が目の支配を受けて、口を閑却すると言ふ事は、正しい事ではありません。(折口信夫「新しい国語教育の方角」)

折口はこういうことで何を言っているのか。

以前、柄谷行人が引用する吉本隆明の文に感心したことがある。

ところで、和歌の韻律は「文字」の問題とどう関係しているのだろうか。国学者は、荷田在満の「国歌八論」以来、音声によって唱われた歌と、書かれた歌の差異を問題にしてきたといえる。本居宣長において、『古事記』の歌謡は唱われたものであり、歌謡の祖形だとみなされた。吉本隆明は、賀茂真淵が指摘したように、それらは祖形であるどころか、すでに“高度”なレベルにあるという。

《いま『祝詞』には、「言ひ排く」、「神直び」、「大直び」という耳なれない語が、おおくみつけられる。はじめに<いいそく>、<かむなほび>、<おおなほび>という言葉があった。成文化するとき漢音文字をかりて、「言排」、「神直備」、「大直備」と記した。これが、<言ひ排く>、<神直び>、<大直び>と読みくだされる。この過程は、なんでもないようにみえて、表意、あるいは表音につかわれた漢字の形象によって、最初の律文化がおおきな影響をこうむった一端を象徴している。<いいそく>、<かむなほび>、<おおなほび>といえば、すくなくとも『祝詞』の成立した時期までは、あるあらたまった言葉として流布されていた。「なほび」という言葉は、神事、あるいはその場所などにかかわりのある言葉としてあった。<かむ>とか<おほ>とかは尊称をあらわしていた。そのころの和語は、適宜に言葉を重ねてゆけば、かなり自在な意味をもたせることができたとみられる。しかし、これを漢字をかりて「言排」、「神直備」、「大直備」のように表記して、公式な祭式の言葉としたとき、なにか別の意味が、漢字の象形的なイメージ自体からつけ加えられた。これは和語の<聖化>のはじまりであり、<聖化>も律文、韻文化へのひとつの契機と解すれば、ここにすでに歌の発生の萌芽のようなものは、あった。

成句や成文となれば、さらに律化、韻化の契機はふかめられた。語句の配列はそのもので、ひとつの律化だからである。》(「初期歌謡論」)

この注目すべき吉本隆明の考えにしたがえば、歌の発生、あるいは韻律化はそもそも漢字を契機としている。宣長が祖形とみなすような「記」、「紀」の歌謡は、文字を媒介しなければありえないような高度な段階にある。それは音声で唱われたとしても、すでに文字によってのみ可能な構成をもっている。《たぶん、宣長は、<書かれた言葉>と<音声で発せられた言葉>との質的なちがいの認識を欠いていた。すでに書き言葉が存在するところでの音声の言葉と、書き言葉が存在する以前の音声の言葉とは、まったくちがうことを知らなかった》(「初期歌謡論」)(柄谷行人『日本近代文学の起源』)

この吉本隆明の観点は、賀茂真淵以外にも、時枝誠記の次の指摘の文脈のなかにあるだろうと当時は憶測した。

「ウツセミ」は現身の意であるが、これを「空蝉」と表音的に記載した結果、理解に際してはそれが表意的のものと考へられ、従つて「空蝉の世」は、人生の義より転じて、蝉の脱殻の如き無常空虚の世の義となり、更に「空蝉の殻」のごとき語が生まれるやうになつた。(時枝誠記『国語学原論』)

ところで吉本隆明は、「エクリチュールの概念を折口は西洋より先に発見していた」と言っているそうだ(参照)。吉本がどんな意味で「エクリチュール」という語を使っているのかは知らないが、デリダとバルトのエクリチュールの定義を掲げよう。

いかなる絶対的な責任からも最終審級の権威としての意識から切り離され、孤児としてその誕生時より自らの父の立会いから分離されたエクリチュールーーーこうしたエクリチュールによる本質的な漂流……(デリダ『署名、出来事、コンテクスト』)
エクリチュールとは個人言語ではなく、ひとつの言表行為であり(言表されたものではなく)、その行為を通して主体は、白いページという舞台の上で、自らを散逸させたり斜めに身を投げたりしながら、みずからの分割を演じてゆく。(ロラン・バルト「答え」、1971)

エクリチュールとは「言表内容」ではなく「言表行為」なのである。とすれば、吉本は時枝というよりも折口を想起しつつ上の文を書いたのかもしれない。

わずかに折口信夫を読んだなかでも上に引用した文以外に、たとえば次のような叙述にめぐりあう。

・おには「鬼」といふ漢字に飜された為に、意味も固定して、人の死んだものが鬼である、と考へられる様になつて了うた

・鬼と言ふ語は、仏教の羅卒と混同して、牛頭・馬頭の様に想像せられてしまうた。其以前の鬼は、常世神の変態であるのだが、次弟に変化して、初春の鬼は、全く羅卒の如きものと考へられたのである。(「鬼の話」)

われわれ日本語使いは、ひらがなで記してさえ、漢字表象が常に張りついている。折口は《何と言つても、語が目の支配を受けて、口を閑却すると言ふ事は、正しい事ではありません》と強調することによって、それを嫌ったのである。

記銘における兆候性あるいはパラタクシス性は、言語化によって整序されているとはいえ、その底に存在し続けている。それは日本語の会話において音声言語の裏に常に漢字表象が張りついているという高島俊男の指摘に相似的である。想起においても兆候性あるいはパラタクシス性は、影が形に添うごとく付きまとって離れない。(中井久夫「発達的記憶論」『徴候・記憶・外傷』)

したがって折口は次のようにいう。

(漢字という)この千幾年来の闖入者が、どれだけ国語の自然的発達を妨げたかといふことは、実際文法家・国語学者の概算以上である。漢字の勢力がまだわれ/\の発想法の骨髄まで沁み込んでゐなかつた、平安朝の語彙を見ても、われ/\の祖先が、どれ程緻密に表現する言語を有もつてゐたかは、粗雑な、概括的な発想ほかすることの出来ない、現代の用語に慣された頭からは、想像のつかない程である。(折口信夫「古語復活論」)