2017年8月24日木曜日

藤澤寺の餓鬼阿弥

以下、折口信夫のゴシップにちかい「情報」を掲げる。折口信夫の評論のたぐいを一切読んだことがない者のメモである。

このメモは、最近、折口信夫をいくらか読んで、ある種の「感銘」を受けたことにより、どんな方だったのかを(わずかばかりだが、主にネット上で)探ってみた断片である。

たとえば--少し前にも引用したが(参照)--、次のようなことを言う折口はなんとしても素晴らしい。

・自分の生活を低く評價せられまいと言ふ意識を顯し過ぎた作品を殘した作者は、必後くちのわるい印象を與へる

・唯紳士としての體面を崩さぬ樣、とり紊さぬ賢者として名聲に溺れて一生を終つた人などは、文學者としては、殊にいたましく感じられます。(折口信夫「好惡の論」初出1927年)

感銘を受けたとはいえーーそしてわずかしか折口を読んでないにしろーー、わたくしはどちらかというと折口のような思考(マレビトに代表される)を「脱神秘化」したいというヒネクレタ思いがあるので、彼に徹底的にハマルということは(いまのところ)ありえない、と思っている。

精神分析が明らかにしたのは、〈神〉とは単に《女 〉La femme》だということである。 ……Dieu, mais dont l'analyse dévoile que c'est tout simplement « La femme ».》( (ラカン、S23、16 Mars 1976ーー玄牝之門・コーラ χώρα・ゾーエー Zoë

…………

以下、メモである。

柳田國男に出会う以前の折口信夫は、前近代的で生々しい「神憑り」から生まれた神道系の結社と深い関係をもち、しかしながら、「憑依」が明らかにしてくれるその神秘的な体験の諸相を、きわめて近代的な学問の方法、主体と客体の区別を撤廃してしまう「一元論」の哲学や北東アジア諸地域を対象とした比較言語学にして比較神話学の方法を用いて明らかにしようとしていた。(安藤礼二「折口信夫という「謎」」

前(サキ)の世の 我が名は、 人に、な言ひそよ。 藤澤寺の餓鬼阿弥(ガキアミ)は、 我ぞ(釋迢空)

二人とも(正岡子規、折口信夫)生涯独身の借家住まい。身辺のあれこれについて、驚くべき無頓着と淡泊を示す一方、食生活への執着が異様に激しいこと。そしてその執着を隠蔽しようとしなかったこと。実際、両者とも、それぞれが自分が生きた時代の、”知識人” ”学者”としては珍しく、肉・臓物類まで歓び貪る己の口腹の貪婪・希有な大食をその文章において標榜してはばかることがない。さらに問題は、彼らにおけるそのような執着が、あまりにも脂ぎり、あまりにも情けないほどに子供めき、およそ美食・大食の伝統の志向する”洗練された感覚” “卓抜した生活思想”という主題とは無縁なことである。(持田叙子『折口信夫 独身漂流』1999)

父母のみ手はなれて/乞食に堕ちなむ宿世 持ち持ちて/現れ来る人の/相(折口信夫「乞丐相」)

ーー折口信夫は《顔に痣があるがゆえに両親にうとまれていると感じていた》(鎌田東二『宗教と霊性』)そうだ。

この書物、第一巻の校正が、やがてあがる今になつて、ぽっくりと、大阪の長兄が、亡くなつて行つた。さうして今晩は、その通夜である。私は、かん/\とあかるい、而もしめやかな座敷をはづして、ひっそりと、此後づけの文を綴つてゐるのである。夜行汽車の疲れをやすめさせようと言ふ、肝いり衆の心切を無にせまい為、この二階へあがつて来たのであつた。

かうして、死んで了うた後になつて考へると、兄の生涯は、あんまりあぢきなかつた。ある点から見れば、その一半は、私ども五人の兄弟たちの為に、空費して了うた形さへある。

昔から、私の為事には、理会のある方ではなかつた。次兄の助言がなかつたら、意志の弱い私は、やっぱり、家職の医学に向けられて居たに違ひない。或は今頃は、腰の低い町医者として、物思ひもない日々を送つてゐるかも知れなかつた。懐徳堂の歴史を読んで、思はず、ため息をついた事がある。百年も前の大阪町人、その二・三男の文才・学才ある者のなり行きを考へさせられたものである。秋成はかう言ふ、境(ミ)にあはぬ教養を受けたてあひの末路を、はりつけものだと罵つた。そんなあくたいをついた人自身、やはり何ともつかぬ、迷ひ犬の様な生涯を了へたではないか。でも、さう言ふ道を見つけることがあつたら、まだよい。恐らくは、何だか、其暮し方の物足らなさに、無聊な一生を、過すことであつたらうに。養子にやられては戻され、嫁を持たされては、そりのあはぬ家庭に飽く。こんな事ばかりくり返して老い衰へ、兄のかゝりうどになつて、日を送る事だらう。部屋住みのまゝに白髪になつて、かひ性なしのをっさん、と家のをひ・めひには、謗られることであつたらう。(折口信夫「古代研究 追ひ書き」)

…………

(折口の墓は)墓荒らしの跡のような、荒廃した風情。共同体から、何らかの理由で排除された人たちの墓、あるいは共同体の墓所から追放された人たちの墓なのではないか。そう思いました。その有様に緊張していると、その真ん中に、折口と春洋の親子塚がありました。その瞬間、私は、理解したように思ったのです。 折口が、徹底したアウトサイダーだという事を。日本文化の正統にたいして、刃をつきつけ続ける、確信的な反逆者なのだ、と。 巣鴨の染井墓地にある、柳田國男の墓の堂々たる姿と、誠に対象的な墓でした。これほど、一目ですべてが解ってしまう墓もないでしょう。折口は恐ろしい…。 『死者の書』も、『古代感愛集』も恐ろしかったけれど、この墓ほどは怖くない。墓をまごう事なく作品に、自らの存在証明にしてしまっている。少なくとも、その鋭利さにおいては、古代エジプトの王たちや、中国の皇帝たちに勝っているとすら思う。(福田和也『死ぬことを学ぶ』)
この折口ってのは、それまでの国文学の歴史をみんなひっくり返したとんでもない奴で、今どきの学者は折口の仕事の残り滓をあさって辛うじて偉そうな顔をしてるってほどの大学者なんだ。戦前はコカインは非合法じゃなかったから薬局いけば買えたんだ。それでも折口先生は吸いすぎて鼻の粘膜がボロボロになって血を噴いたっていうからね。実際鼻血だらけの原稿用紙が残ってるんだ。

(……)それに少年愛でね、弟子はみんな丸刈りにしてメガネをかけさせていた。それが先生のお好みだったんだな。目星をつけたのには、しつこくしつこく迫って、学問は頭からだけ入るもんじゃないとかいって襲ったり。与太じゃないよ、命からがら逃げた弟子がちゃんと書いているんだから。 (福田和也『人でなし稼業』)

…………

◆室生犀星『我が愛する詩人の伝記』より
堀が女性的であったということは、声もそうだが、からだの肉つきにあぶらがあって、顔はまんまるかった。食べものも、おいもとか、じねんいもとか、卵料理が好きだった。唇は赤く髪も黒かった。病で床の中にいた時分、釈迢空が見舞いに軽井沢から来られる日に、彼は何を遠慮したのか、今日は起きられないと先生に言ってくれ、僕は起きないからと奥さんのたえ子に言った。だってそんなに元気なのにどうしてお会いにならないのですと言うと、訳はいわないで寝たきりだと言ってくれと、会わなかったのだ。たえ子はきっとお会いするのが窮屈なのであろう、それに釈さんとこの前会った後で熱が出たからそういうのであろうと思ったが、私はそこに病人としてのたしなみを見る気がした。折角見舞いに来た尊敬する人の気に反いて、会わないということに堀がその気になったことに、病人のわが儘(まま)のかなしみがあって、はなはだ女性的であると私は思った。僅かにそのような我儘というものの心理は複雑なものであった。釈迢空は堀辰雄に好意をもっていたし、好意は非公式の愛情をも潜めていたものらしい、堀もそれをうすうす知っていたから、おとろえた姿をこの人の眼に見せたくなかったのだろう。(室生犀星『我が愛する詩人の伝記』)


◆折口信夫「『かげろふの日記』解説」
一人を褒めるのに、も一人をけなすと言ふ行き方は、甚だ不幸な方法で、私などは、其をせぬことにしてゐるのだが、今の場合あまり適切に、一言二言で言ひきつてしまふことが出来るから、さう言ふ見方をさせて貰ふ――のだが、過ぎ去つた芥川龍之介、この人の王朝は、今昔物語式には最的確な王朝物は書いたけれど、源氏・伊勢が代表する平安朝の記録と言ふところには達しなかつた。堀君は心虚しうして書く人だけに、極めておほまかにではあるが、おほまかだけに、王朝貴族の生活のてまを適切に捉へることが出来た。源氏の論文を書いた人の中には、私の尊敬してゐる人々が多いが、その方々にも、堀君の「若菜の巻など」は、是非読んで頂きたいと思つてゐる。其ほど、源氏の学史にとつては、大きな提言をしてゐる。

「伊勢物語など」は、堀君の詩人としての権威を、感じさせる文章である。りるけのどういのの悲歌を引いて、神に似た夭折者を哭し、その魂を鎮めようとする考へ方をひき出して来てゐる。その点は、古代日本人に似てゐるが、又違ふ。西洋人のやうに、其を自分の慰め・救ひとするのではなく、たゞ人の魂を鎮めることにしてゐたと言ふあたり、……併しどちらにしても、此鎮魂的なものが、一切のよい文学の底にあることになる。


◆堀辰雄「伊勢物語など」より
折口先生の説によると、敍景歌といふものは、先づ最初、旅中鎭魂の作であつた。昔、男が旅に出るとき、別れにあたつて、女が自分の魂の半分を分割して與へる。又、男も自分の魂の半分を分離してわが家に留めるものと人々に信ぜられてゐた。旅中、その妻の魂を鎭めてしづかに自分に落ち着かせるやうにと、男はその日に見た旅の景色などを夜毎に詠んだのである。さういふ歌がだんだん萬葉の中頃から獨立して、純粹な敍景そのものの歌となつていつた。しかし、すべての日本の敍景歌の中にはさういふ初期のレクヰエム的要素がほのかに痕を止めてゐるのである。――そのやうにわが國に於ける敍景歌の發生を説かれる折口先生の創見に富んだ説は何んと詩的なものでありませう。僕はこの頃折口先生の説かれるかういふ古い日本人の詩的な生活を知り、何よりも難有い氣がいたしてゐる者であることを、この際一言して置きたいと思ひます。(堀辰雄「伊勢物語など」)



2017年8月23日水曜日

白い股の周りを旋回している蚊

美しい川   平田好輝

水晶が溶けて流れているとしか思えない
そんな水の中に
両手をさし入れて
石をめくる

石の蔭から
小さな魚がこぼれ出る
せいいっぱいにヒラヒラと全身を動かして
溶けた水晶に溶けて行く

幼いわたしは
魚の溶けた水を
蹴散らして歩く

そんなに乱暴に歩いては
魚なんか取れやしない
三つ年上の従姉は
スカートをたくし上げて
白い股を全部見せながら
幼いわたしに文句を言った


ああ、あああ・・・なんという美しい詩だ
蚊居肢とは蚊居股か蚊白股にすべきだった

私の母、アンリエット・ガニョン夫人は魅力的な女性で、私は母に恋していた。 急いでつけくわえるが、私は七つのときに母を失ったのだ。(……)

ある夜、なにかの偶然で私は彼女の寝室の床の上にじかに、布団を敷いてその上に寝かされていたのだが、この雌鹿のように活発で軽快な女は自分のベッドのところへ早く行こうとして私の布団の上を跳び越えた。(スタンダール『アンリ・ブリュラールの生涯』)

しかしああ、私がもう一度若がえり
あの娘を抱きしめることができたなら!

But O that I were young again
And held her in my arms!(イエーツ)


素足  谷川俊太郎

赤いスカートをからげて夏の夕方
小さな流れを渡ったのを知っている
そのときのひなたくさいあなたを見たかった
と思う私の気持ちは
とり返しのつかない悔いのようだ


2017年8月22日火曜日

女とは「異者としての身体」のこと

《我々にとってマレビトである身体 》と記したこと(参照)に異和を言ってくる人がいるので、わたくしが現在とらえているラカンの考え方を出来る限り簡潔に記す。

…………

ラカンにとっての、女とは「異者としての身体」のことである。解剖学的な女とは(基本的には)関係がない。

アレンカ・ジュパンチッチは、そのフロイト読解において《厳密な分析的観点からは、実際のところ、一つの性、あるいは一つのセクシャリティしかない》と言っている(Alenka Zupančič、Sexual Difference and Ontology、2012)。

この一つの性に外立するものが、女である(外立 ex-sistenceについては、「玄牝の門」「杣径」「惚恍」「外祟」を参照)。

またジャック=アラン・ミレール1990年代にすでに次のように言っている。

「他の性 Autre sexs」は、両性にとって女性の性である。「女性の性 sexe féminin」とは、男たちにとっても女たちにとっても「他の性 Autre sexs」である。 (ミレール、Jacques-Alain Miller、The Axiom of the Fantasm) 

さて、ラカンにおいて《われわれにとって異者である身体 un corps qui nous est étranger 》という表現は、セミネール23(11 Mai 1976)に出現する(この文の前後は「基本的なトラウマの定義(フロイト・ラカン派による)」を参照)。

別に次のような表現がある。

ひとりの女は…他の身体の症状である Une femme par exemple, elle est symptôme d'un autre corps. (JOYCE LE SYMPTOME, AE569、1975)

この《他の身体 autre corps》が、《われわれにとって異者である身体 un corps qui nous est étranger 》と等価なものであると明言しているラカン派は、ネット上で調べる範囲ではいない。だがわたくしは等価である、と今のところ判断している。

ところで《異者である身体 un corps qui nous est étranger 》とは、フロイト用語である。

フロイトは1893年にすでにこう記している。

トラウマ、ないしその想起は、異物 Fremdkörper ーー体内への侵入から長時間たった後も、現在的に作用する因子として効果を持つ異物のように作用する。

das psychische Trauma, resp. die Erinnerung an dasselbe, nach Art eines Fremdkörpers wirkt, welcher noch lange Zeit nach seinem Eindringen als gegenwärtig wirkendes Agens gelten muss(フロイト『ヒステリー研究』予備報告、1893年)

この独原文は仏語では次のように訳されている。

le traumatisme psychique et, par la suite, son souvenir, agissent à la manière d'un corps étranger qui, longtemps encore après son irruption, continue à jouer un rôle actif ». (Freud, 1893)


すなわち「異物 Fremdkörper」=「異者としての身体 corps étranger」。
後年フロイトは次のようにも言っている。

たえず刺激や反応現象を起こしている異物としての症状 das Symptom als einen Fremdkörper, der unaufhörlich Reiz- und Reaktionserscheinungen(フロイト『制止、症状、不安』1926年)

《異物としての症状 Symptom als einen Fremdkörper》とある。これは上に掲げた《他の身体の症状 symptôme d'un autre corps》のことに他ならない、とわたくしは考える。

ラカンにおいて「他の身体」という表現は、次のような形でも使われている。

…次の考え方は正当化される。すなわちこの「他の身体の享楽 jouissance de l'autre corps」を境界づけるもの、ーーそれがたしかに穴をつくる限りでだがーー、そこに我々が見出すものは、不安である。

S'y justifie que, si nous cherchons de quoi peut être bordée cette jouissance de l'autre corps, en tant que celle-là sûrement fait trou, ce que nous trouvons c'est l'angoisse.(Lacan, S22, 17 Décembre 1974)

「穴 trou」という表現が出現するが、ラカンは同時期に身体は穴である、とも言っている。

身体は穴である corps……C'est un trou(ラカン、1974、conférence du 30 novembre 1974, Nice

かつまた前年には、穴ウマとも言っている、《穴ウマ(troumatisme =トラウマ)」》(S21、19 Février 1974 )

こうして1893年のフロイト文における《トラウマは異物のように作用する》という表現とまぎれようもなくつながってくる。

したがって《他の身体 autre corps》、《われわれにとって異者である身体 un corps qui nous est étranger 》とは「穴としての身体」、「トラウマとしての身体」でもある。

これは言語を使用する人間の宿命としてのトラウマである。言語を使用することによって、われわれは身体と切れてしまう。これがラカンにとっての「去勢」である。フロイトの想像的去勢とは異なる象徴的去勢である(参照)。

・去勢は本質的に象徴的機能である la castration étant fonction essentiellement symbolique

・去勢はシニフィアンの影響によって導入された現実的な働きである la castration, c'est l'opération réelle introduite de par l'incidence du signifiant

・去勢とは、本質的に象徴的機能であり、徴示的分節化以外のどの場からも生じない。la castration étant fonction essentiellement symbolique, à savoir ne se concevant de nulle part d'autre que de l'articulation signifiante (ラカン、セミネール17)

ゆえにジャック=アラン・ミレールは、《われわれは皆、トラウマ化されている tout le monde est traumatisé》(Miller, «Vie de Lacan» , 17 mars 2010)と言うことになる。

以上。

2017年8月21日月曜日

「夜咲きすみれ Nachtviolen」

深更、本を読みながら漫然とBernarda Finkのシューベルトを聴いていた。

突然、閃光が走る、「夜咲きすみれ Nachtviolen」にこんなに美しい箇所があったのか、と。Bernarda Fink; "Nachtviolen"; Franz Schubert(1:38~

少し前に聴いたはずの、Schwarzkopf / Fischerで聴いてみる。たしかに同じくらい美しい。

でもいまはベルナルダ・フィンク Bernarda Finkがいい。なぜ彼女がいいのかはわからない。たぶん惚れた、ということだろう。惚れたということは「彼女のなかに私が書き込まれている」ということだ。

愛する理由は、人が愛する対象のなかにはけっしてない。les raisons d'aimer ne résident jamais dans celui qu'on aime(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』)
ある一つの細部が、私の読み取りを完全に覆してしまう。それは関心の突然変異であり、稲妻である。ある何ものかの徴がつけられることによって、写真はもはや任意のものでなくなる。そのある何ものかが一閃して、私の心に小さな震動を、悟りを、無の通過を生ぜしめたのでる(指向対象が取るに足りないものであっても、それは大して問題ではない)。(ロラン・バルト『明るい部屋』)

下の二曲は、小学校五年のときに何度もくり返して聴いた(日本人の歌手のレコードで)。当時はシューベルトとシューマンばかり聴いていた。その一年前まではロシア民謡だった。自分から求めた記憶はない。たぶん母が与えてくれたレコード。シューベルトは身体に染みついている。

◆Franz Schubert - 'An den Mond' (D.193) - Bernarda Fink




◆Bernarda Fink sings Schubert's "Du bist die Ruh"







血みどろになつた處

折口信夫は坂口安吾マインドをもっていた人であるのを、今頃知った。作家たちのなかに熱烈な折口ファンがいるのはこういうところに(も)あるのだろうと思う。

・《自分の生活を低く評價せられまいと言ふ意識を顯し過ぎた作品を殘した作者は、必後くちのわるい印象を與へる》

・《唯紳士としての體面を崩さぬ樣、とり紊さぬ賢者として名聲に溺れて一生を終つた人などは、文學者としては、殊にいたましく感じられます》

・鴎外の作品は《現在の整頓の上に一歩も出て居ない、おひんはよいが、文學上の行儀手引き……もつと血みどろになつた處が見えたら、我々の爲になり、將來せられるものがあつた》

・《あきらめやゆとり(鴎外博士のあそび)や、通人意識・先覺自負などからは、嗜かれる文學が出て來ない》

・漱石の《あの捨て身から生れて來た將來力》

これらの表現が出現する「好惡の論」を以下に引用する。

鴎外と逍遙と、どちらが嗜きで、どちらが嫌ひだ。かうした質問なら、わりに答へ易いのです。でも、稍老境を見かけた私どもの現在では、どちらのよい處も、嗜きになりきれない處も、見え過ぎて來ました。それでやつぱり、かうした簡單な討論の方へ加はれさうもありません。だからまして、廣く大海を探つて一粟をつまみあげろと言つた難題には、二の脚を踏まずには居られません。さあだれが嗜きで誰が嫌ひ。そんな印象も殘さない樣な讀み方で、作品を見續けて來た幾年の後、靜かにふりかへつて見ても、假作・實在の人物の性格や生活に、好惡を考へ分ける事が出來なくなつてゐます。(……)
だが強ひて申さば、自分の生活を低く評價せられまいと言ふ意識を顯し過ぎた作品を殘した作者は、必後くちのわるい印象を與へる樣です。

文學上に問題になる生活の價値は、「將來欲」を表現する痛感性の強弱によつてきまるのだと思ひます。概念や主義にも望めず、哲學や標榜などからも出ては參りません。まして、唯紳士としての體面を崩さぬ樣、とり紊さぬ賢者として名聲に溺れて一生を終つた人などは、文學者としては、殊にいたましく感じられます。のみか、生活を態度とすべき文學や哲學を態度とした増上慢の樣な氣がして、いやになります。鴎外博士なども、こんな意味で、いやと言へさうな人です。あの方の作物の上の生活は、皆「將來欲」のないもので、現在の整頓の上に一歩も出て居ない、おひんはよいが、文學上の行儀手引きです。もつと血みどろになつた處が見えたら、我々の爲になり、將來せられるものがあつた事でせう。
逍遙博士はまだ生きて居られるので、問題にはしにくいと思ひますが、あの如何にも「生き替り死に變り、憾みを霽らさで……」と言つたしやう懲りもない執著が背景になつて、わりに外面整然としない作物に見失はれがちな、生活表現力を見せてゐます。つまりは、あきらめやゆとり(鴎外博士のあそび)や、通人意識・先覺自負などからは、嗜かれる文學が出て來ないのです。この意味の「嗜かれる」といふことは、よい生活を持ち來す、人間の爲になる文學、及び作者の評言といふ事になるのです。(……)
馬琴の日記を見ても、いやな根性や、じめ/\した、それでゐて思ひあがつた後世觀なども、却て、其文學の背景を色濃くし、性格的必然性を考へさせる樣になつて來ました。小づらにくい小言幸兵衞のもでるの樣な爺さまも、文學者として浮きぼりせられて來たのです。だから生活が知れるといふ事は、作者と作物との關係、生活の將來力と個性の表現傾向などが、長い人生の參考や、暗示や動力になるのです。此點において、私の考へる文學の目的に大なり小なり叶うて來るのです。
文學の目的は、私はかう申します。人間生活の暗示を將來して、普遍化を早める事です。此が、私の考へる文學の普遍性で、同時に、文學價値判斷の目安なのです。だから、結局、日記や傳記によつて、文學作品が註釋せられて、作者の實力が知られると言ふのは、抑文學者として哀れな事で、作品其物に、人間共有の拂ひがたい雲を吸ひよせる樣な、當來の世態の暗示を漂はしてゐる文學でなくてはならないのです。
芥川さんなどは若木の盛りと言ふ最中に、鴎外の幽靈のつき纏ひから遁れることが出來ないで、花の如く散つて行かれました。今一人、此人のお手本にしてゐたことのある漱石居士などの方が、私の言ふ樣な文學に近づきかけて居ました。整正を以てすべての目安とする、我が國の文學者には喜ばれぬ樣ですが、漱石晩年の作の方が遙かに、將來力を見せてゐます。麻の葉や、つくね芋の山水を崩した樣な文人畫や、詩賦をひねくつて居た日常生活よりも高い藝術生活が、漱石居士の作品には、見えかけてゐました。此人の實生活は、存外概念化してゐましたが、やつぱり鴎外博士とは違ひました。あの捨て身から生れて來た將來力をいふ人のないのは遺憾です。(折口信夫「好惡の論」初出1927年)

折口のいう漱石と鴎外との比較の正否は、それぞれ人が判断したらよい。だが、漱石より鴎外を好んだ作家たちはおおむね、《紳士としての體面を崩さぬ樣》な、《とり紊さぬ賢者として名聲》を希求した人たちだったのではないかと、いま思いを馳せてみるのは、わたくしの場合、三島由紀夫、石川淳、加藤周一の顔を想起することによる(困ったことに、わたくしの最も愛する作家のひとり荷風も鴎外を上に置いたのだが)。

もっともこれらの作家たちーー《作家の手の爪には血が滲んでゐる》(坂口安吾『理想の女』)--彼等の爪に血が滲んでいることが少ないなどと(安易には)いうつもりは毛ほどもない。

ここでは中野重治の簡潔な文を掲げるのみにしておく。

世間には、漱石は通俗であつても鴎外は通俗でないといつたふうな俗見が案外に通用している傾きがある。実地には、漱石や二葉亭はなかなかに通俗ではなかつた。鴎外が案外に通俗であつた。(中野重治「鴎外その側面」)

…………

《血みどろになつた處》という折口の表現に反応してヘーゲルを引用しておこう。

人間存在は、すべてのものを、自分の不可分な単純さのなかに包み込んでいる世界の夜 Nacht der Weltであり、空無 leere Nichts である。人間は、無数の表象やイメージを内に持つ宝庫だが、この表象やイメージのうち一つも、人間の頭に、あるいは彼の眼前に現れることはない。この夜。幻影の表象に包まれた自然の内的な夜。この純粋自己 reines Selbst。こちらに血まみれの頭 blutiger Kopf が現れたかと思うと、あちらに不意に白い亡霊 weiße Gestalt が見え隠れする。一人の人間の眼のなかを覗き込むとき、この夜を垣間見る。その人間の眼のなかに、 われわれは夜を、どんどん恐ろしさを増す夜を、見出す。まさに世界の夜 Nacht der Welt がこのとき、われわれの現前に現れている。 (ヘーゲル『現実哲学』イエナ大学講義録草稿 Jenaer Realphilosophie 、1805-1806)

折口は《血まみれの頭 blutiger Kopf》の人であったと同時に《白い亡霊 weiße Gestalt》の人でもあった(たとえば『死者の書』)。

だれにでも自己の内部にあるはずのこの「血まみれの頭」と「白い亡霊」、--それを見て見ないふりをして人生を送るべきかどうかは、人の生き方によるだろう。

力なき美は悟性を憎む。なぜなら、悟性は、美にそれがなし得ないことを要求するからである。だが、死を前にしてしりごみし、破滅から完璧に身を守ろうとするような生ではなく、死を耐え抜き、そのなかに留まる生こそが精神の生なのである。精神が己の真理を勝ちとるのは、ただ、自分自身を絶対的分裂 absoluten Zerrissenheit のうちに見出すときにのみなのである。

精神がこの力であるのは、否定的なもの Negativen から目をそらすような、肯定的なものであるからではない。つまりわれわれが何かについて、それは何物でもないとか、偽であるとか言って、それに片をつけ、それから離れて、別のものに移って行く場合のようなものであるからではない。そうではなく、精神は、否定的なものを見すえ Negativen ins Angesicht schaut、否定的なもの Negativen に留まる verweilt からこそ、その力をもつ。このように否定的なものに留まることが、否定的なものを存在に転回する魔法の力 Zauberkraft である。(ヘーゲル『精神現象学』「序論」、1807年)

このヘーゲルの二つの文を要約していえば、人は「世界の夜」 に留まり、「血まみれの頭」、「白い幽霊」を見すえなければならない。そのとき初めて精神の偉大な力が生まれる、ということになる。

フロイトはヘーゲルのこの「否定性」ーーゴダールの表現ならポジに対するネガーー、「世界の夜」「血まみれの頭」に相当するものを、「原始時代のドラゴン Drachen der Urzeit wirklich 」(参照)、あるいは「欲動の根 Triebwurzel」「我々の存在の核 Kern unseres Wesens」(参照)等と呼んだ。

そしたわたくしの考えでは、ニーチェの《わたしの恐ろしい女主人 meiner furchtbaren Herrin》や《メドゥーサの首 Medusenhaupt》も、ヘーゲルの「血まみれの頭」、折口の「血みどろになつた處」と相同的である(参照)。

きのうの夕方ごろ、わたしの最も静かな時刻 stillste Stunde がわたしに語ったのだ。つまりこれがわたしの恐ろしい女主人 meiner furchtbaren Herrinの名だ。

……彼女の名をわたしは君たちに言ったことがあるだろうか。(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第二部 「最も静かな時刻 Die stillste Stunde」)

2017年8月20日日曜日

不気味な「いとほし」

源氏物語より

・すべて男も女も、わろものはわづかに知れる方の事を残りなく見せ尽くさむと思へるこそいとほしけれ(源氏「帚木」)

・人の上を、難つけ、おとしめざまの事言ふ人をば、いとほしきものにし給へば(「蛍」)

・いとおし立ちかどかどしきところものしたまふ御方にて、ことにもあらず思し消ちてもてなしたまふなるべし。月も入りぬ。 (「桐壺」)

・宮はいといとほしと思す中にも、男君の御かなしさはすぐれ給ふにやあらん(「少女」)

いとほしと言ふ言葉は、平安朝で有力になつたが、どうも、もとは「嫌だ」と言ふ事らしい。「厭ふ」と言ふ言葉を語根にしてをりまして、それを形容詞に活用させて、いとほしと言ふんだが、どうも、嫌だと言ふ事に使つたのが第一義らしい。

ところが、平安朝の物語になると、このいとほしと言ふ言葉は、後の室町時代になつて盛んに出て来るいとしと言ふ言葉、我々の使つてゐるおいとしいと言ふ言葉、と同じ意味に、多く使つてゐる。つまり、いとほしと言ふ形が、いたはしと言ふ形から影響を受けて、そつちの方に引張られて行つた、つまり、いたむを語根にした言葉に惹かれて行つたのです。それで、同じ時代の言葉でも、いたはしといとほしと、同義語が並んでゐる訣です。

この様に、いたはしと言ふ様な意味に引張られて、いとしと言ふ意味に使はれる一方には、いとはしと言ふ言葉と同じ様に嫌だと言ふ時にも使つてをるのです。けれどもしまひには、だん〳〵時代が進むと言ふと、いとはしい、嫌だと言ふ意味はなくなつてしまつて、第二義の方にずつと這入つて行つてしまふ。

併し、平安朝で見ますと、第一義が嫌だと言ふ意味なのか、第二義か第三義か知りませんが、兎に角、引きずられてゐる言葉、外の方にかぶれて、引きずられて行つた言葉が、いとしいと言ふやうな意味ですから、さうすると同じ言葉であるけれども、さう言ふ風に意味が変つて行くんです。ですから、どうもその間に調和を求めまして、嫌だと言ふ意味と、いとしいと言ふ意味との中間を歩くやうなものが、物語や日記等に沢山出てゐる。

それを我々が今日見ますと言ふと、いとしいとも釈けるし、嫌だ、嫌ひだとも釈けるのですけれども、昔の人はその間の考へ方と言ふものを、見つけてゐたんです。つまり、さう言ふ言葉が使はれてゐる時代が過ぎ去つて、忘れられてしまふと言ふと、もう、さう言ふことは考へられぬのと同じ事です。我々が書物を持たなくても、幸にその言葉の出来た時分に我々が生きてをつたら、さう言つた言葉ははつきりしてをりますね。
………さう言ふ風に、言葉と言ふものはだん〳〵変遷して、このいとほしと言ふ言葉と、いたはしと言ふ言葉とが歩み寄ると、その中間の意味と言ふものが出来て来る。それが今日の我々になると、どう訳して良いか訳すべき言葉がない。ごく、無感興に、訓詁解釈を行ふ人は、いとほしと言ふ言葉は、大抵、いとしいと言ふ意味に訳して、どうも為様のない時にはいとはしと言ふやうな、嫌だ、嫌ひだと言ふやうに訳す。それよりほか方法がなくなつてしまつてゐる。(折口信夫「国語と民俗学」)

ーー折口の見解における「いとほし」は、日本語版の「不気味なもの」であり、その両義性の成り立ちはほとんど相同的ということになる。


・こんな「親しい heimilich」場所を私は今まで見たことがない。(ゲーテ)

・「秘密の heimilich」力なき呪縛を解きうるは、ただ洞察の手あるのみ(ノヴァーリス)

・湖の左手に/牧場は森のなかに 「人眼に触れず heimilich」横たわっている(シラー)

……以上の長い引用のうちでわれわれにとってももっとも興味深いのは、heimlich という語が、その意味の幾様ものニュアンスのうちに、その反対語 unheimlich と一致する一つのニュアンスを示していることである。すなわち親しいもの、気持のいいもの des Heimliche が、気味の悪いもの、秘密のものdes Unheimliche となることがそれである。(フロイト『不気味なもの』1919)

・隠されているはずのもの、秘められているはずのものが表に現れてきた時は、なんでも「不気味な unheimilich」と呼ばれる。(シェリング)

「故郷の、故郷のような思いをさせる、自宅での、家内での」の意からさらに「人の眼に触れない、人の眼から隠されている」の概念が発生し、多様な関係において展開していった。(グリム辞典)

最も「いとほし」ものは、「玄牝の門」であるだろうことは「「玄牝の門」「杣径」「惚恍」「外祟」」に記した。


2017年8月19日土曜日

神の外立 ex-sistence de Dieu

いやあ、きみ!

《コトバとコトバの隙間が神の隠れ家》(谷川俊太郎「おやすみ神たち」) 

ーーなんだから、オトとオトの隙間が神の隠れ家だよ、そんなの決まってるだろ


これが《神の外立 l'ex-sistence de Dieu》(ラカン、S22)の意味だ。
すなわち《現実界は外立するLe Réel ex-siste》(S22)

現実界とはただ、角を曲がったところで待っているもの、ーー見られず、名づけられず、だがまさに居合わせているものである。(ポール・バーハウ、Beyond gender, 2001)

2017年8月18日金曜日

沈黙と測りあえるほどに

◆スカルラッティ:ソナタ ニ短調K.213 (ピアノ:セルゲイ・カスプロフ)




セルゲイ・カスプロフはすくなくとも若手ナンバーワンピアニストだ、1979年生れだから若手というわけではなく中堅というべきかもしれないが。彼には徹底的な静けさの瞬間がある。わたくしの言い方なら「神」があらわれる。

すこし大袈裟な表現といってもいいさ、惚れたせいでそう感じるのかもしれないと疑うべきなんだろうよ。

なによりもまずスカルラッティのK213を「祈るように」演奏してくれるピアニストが好きなのさ。すこしまえ、Irina Zahharenkova(1976年生れ)のK213の演奏に、ああ、「音、沈黙と測りあえるほどに」と記したことがあるが、この表現はセルゲイ・カスプロフにとっておくべきだった。

いやあほんとに彼は澄んでいる。わたくしが女だったらこういう男に惚れただろう。たぶんジャコメッティの次ぐらいに。



◆Sergey Kasprov - scarlatti, stravinsky




2017年8月17日木曜日

巫女たちの声

神語を以て、なぜ文学の芽生えと見るか。口頭の文章が、一回きりにとほり過ぎる運命から、ある期間の生命を持つ事になるのは、此時を最初とするからである。

われ〳〵の祖先が、其場ぎりに忘れ去る対話としての言語の外に、反復を要する文章の在る事を知るのは、此神語にはじまるのである。神語以外に、永続の価値ある口頭の文章が、存在しなかつたからである。(……)

律語形式が神語の為に択ばれたのではなく、神語なるが為に、律文式発想を採らなくてはならなかつたのである。(……)

わが祖先の用ゐた語にしゞまと言ふのがある。後期王朝に到つては、「無言の行」或は寧「沈黙遊戯」と言つた内容を持つて来てゐる。此語が、ある時期に於て、神の如何にしても人に託言せぬあり様を表したのではあるまいかと思はれる。(折口信夫「「しゞま」から「ことゝひ」へ」)

いやあ折口のいう神語という古代の日本語を読んでも、わたくしの耳には神の声は聞こえてこないね。耳がわるいせいかな……。万葉だっていけない。古事記にはまったくない、というわけでもないが。

どうあっても音楽のほうがいいよ、万葉万葉といってる国学者連中は、たぶん音痴なんだろうよ。


◆Ane Brun Lamento Della Ninfa Amor, Oh Love 2 Meter Sessi




◆Oralia Dominguez - Adagiati, Poppea




神主の厳格な用語例は、主席神職であつて、神の代理とも、象徴ともなる事の出来る者であつた。神主と国造とは、殆ど同じ意義に使はれて居る事も多い位である。村の神の威力を行使する事の出来る者が、君主として、村人に臨んだのである。村の君主の血縁の女、娘・妹・叔母など言ふ類の人々が、国造と国造の神との間に介在して、神意を聞いて、君主の為に、村及び村人の生活を保つ様々の方法を授けた。其高級巫女の下に、多数の采女と言ふ下級巫女が居た。(折口信夫「「しゞま」から「ことゝひ」へ」)

采女と言ふ下級巫女からだって、万葉よりはよっぽど神の声がきこえてくるよ

◆Anne Sofie von Otter, Sandrine Piau, Monteverdi, L'incoronazione di Poppea, "Pur ti miro"






2017年8月16日水曜日

漢字のための言語の怠惰性

このところ国文学者の文をいくらか読んでいるのだが、わたくしはこの領野をずっと敬遠してきた。いまさらながら、この齢になって、ああ、そうなのか、そうだったのか、と驚くことが多く、好奇心で読んでいるというよりも、驚きに促されて読んでいる。まったく未知の領野とさえいっていいので--そもそも万葉集でさえまともに読んだことはないーー、ひどい無知をさらしているはずである。「初山踏み」という言葉さえおこがましいのであって、麓のまわりの様子をうかがっているレベルである。山に登るつもりはいまのところない。

さて前回も引用したが折口信夫の文を先ず再掲しよう。

我々の国語は、漢字の伝来の為に、どれだけ言語の怠惰性能を逞しうしてゐたか知れない程で、決して順当の発達を遂げて来たものではないのである。(折口信夫「古語復活論」)
何と言つても、語が目の支配を受けて、口を閑却すると言ふ事は、正しい事ではありません。(折口信夫「新しい国語教育の方角」)

折口はこういうことで何を言っているのか。

以前、柄谷行人が引用する吉本隆明の文に感心したことがある。

ところで、和歌の韻律は「文字」の問題とどう関係しているのだろうか。国学者は、荷田在満の「国歌八論」以来、音声によって唱われた歌と、書かれた歌の差異を問題にしてきたといえる。本居宣長において、『古事記』の歌謡は唱われたものであり、歌謡の祖形だとみなされた。吉本隆明は、賀茂真淵が指摘したように、それらは祖形であるどころか、すでに“高度”なレベルにあるという。

《いま『祝詞』には、「言ひ排く」、「神直び」、「大直び」という耳なれない語が、おおくみつけられる。はじめに<いいそく>、<かむなほび>、<おおなほび>という言葉があった。成文化するとき漢音文字をかりて、「言排」、「神直備」、「大直備」と記した。これが、<言ひ排く>、<神直び>、<大直び>と読みくだされる。この過程は、なんでもないようにみえて、表意、あるいは表音につかわれた漢字の形象によって、最初の律文化がおおきな影響をこうむった一端を象徴している。<いいそく>、<かむなほび>、<おおなほび>といえば、すくなくとも『祝詞』の成立した時期までは、あるあらたまった言葉として流布されていた。「なほび」という言葉は、神事、あるいはその場所などにかかわりのある言葉としてあった。<かむ>とか<おほ>とかは尊称をあらわしていた。そのころの和語は、適宜に言葉を重ねてゆけば、かなり自在な意味をもたせることができたとみられる。しかし、これを漢字をかりて「言排」、「神直備」、「大直備」のように表記して、公式な祭式の言葉としたとき、なにか別の意味が、漢字の象形的なイメージ自体からつけ加えられた。これは和語の<聖化>のはじまりであり、<聖化>も律文、韻文化へのひとつの契機と解すれば、ここにすでに歌の発生の萌芽のようなものは、あった。

成句や成文となれば、さらに律化、韻化の契機はふかめられた。語句の配列はそのもので、ひとつの律化だからである。》(「初期歌謡論」)

この注目すべき吉本隆明の考えにしたがえば、歌の発生、あるいは韻律化はそもそも漢字を契機としている。宣長が祖形とみなすような「記」、「紀」の歌謡は、文字を媒介しなければありえないような高度な段階にある。それは音声で唱われたとしても、すでに文字によってのみ可能な構成をもっている。《たぶん、宣長は、<書かれた言葉>と<音声で発せられた言葉>との質的なちがいの認識を欠いていた。すでに書き言葉が存在するところでの音声の言葉と、書き言葉が存在する以前の音声の言葉とは、まったくちがうことを知らなかった》(「初期歌謡論」)(柄谷行人『日本近代文学の起源』)

この吉本隆明の観点は、賀茂真淵以外にも、時枝誠記の次の指摘の文脈のなかにあるだろうと当時は憶測した。

「ウツセミ」は現身の意であるが、これを「空蝉」と表音的に記載した結果、理解に際してはそれが表意的のものと考へられ、従つて「空蝉の世」は、人生の義より転じて、蝉の脱殻の如き無常空虚の世の義となり、更に「空蝉の殻」のごとき語が生まれるやうになつた。(時枝誠記『国語学原論』)

ところで吉本隆明は、「エクリチュールの概念を折口は西洋より先に発見していた」と言っているそうだ(参照)。吉本がどんな意味で「エクリチュール」という語を使っているのかは知らないが、デリダとバルトのエクリチュールの定義を掲げよう。

いかなる絶対的な責任からも最終審級の権威としての意識から切り離され、孤児としてその誕生時より自らの父の立会いから分離されたエクリチュールーーーこうしたエクリチュールによる本質的な漂流……(デリダ『署名、出来事、コンテクスト』)
エクリチュールとは個人言語ではなく、ひとつの言表行為であり(言表されたものではなく)、その行為を通して主体は、白いページという舞台の上で、自らを散逸させたり斜めに身を投げたりしながら、みずからの分割を演じてゆく。(ロラン・バルト「答え」、1971)

エクリチュールとは「言表内容」ではなく「言表行為」なのである。とすれば、吉本は時枝というよりも折口を想起しつつ上の文を書いたのかもしれない。

わずかに折口信夫を読んだなかでも上に引用した文以外に、たとえば次のような叙述にめぐりあう。

・おには「鬼」といふ漢字に飜された為に、意味も固定して、人の死んだものが鬼である、と考へられる様になつて了うた

・鬼と言ふ語は、仏教の羅卒と混同して、牛頭・馬頭の様に想像せられてしまうた。其以前の鬼は、常世神の変態であるのだが、次弟に変化して、初春の鬼は、全く羅卒の如きものと考へられたのである。(「鬼の話」)

われわれ日本語使いは、ひらがなで記してさえ、漢字表象が常に張りついている。折口は《何と言つても、語が目の支配を受けて、口を閑却すると言ふ事は、正しい事ではありません》と強調することによって、それを嫌ったのである。

記銘における兆候性あるいはパラタクシス性は、言語化によって整序されているとはいえ、その底に存在し続けている。それは日本語の会話において音声言語の裏に常に漢字表象が張りついているという高島俊男の指摘に相似的である。想起においても兆候性あるいはパラタクシス性は、影が形に添うごとく付きまとって離れない。(中井久夫「発達的記憶論」『徴候・記憶・外傷』)

したがって折口は次のようにいう。

(漢字という)この千幾年来の闖入者が、どれだけ国語の自然的発達を妨げたかといふことは、実際文法家・国語学者の概算以上である。漢字の勢力がまだわれ/\の発想法の骨髄まで沁み込んでゐなかつた、平安朝の語彙を見ても、われ/\の祖先が、どれ程緻密に表現する言語を有もつてゐたかは、粗雑な、概括的な発想ほかすることの出来ない、現代の用語に慣された頭からは、想像のつかない程である。(折口信夫「古語復活論」)


2017年8月15日火曜日

なんでも妣宮

いつもそうなのだが、わたしたちは土台を問題にすることを忘れてしまう。疑問符をじゅうぶん深いところに打ち込まないからだ。(ヴィトゲンシュタイン『反哲学的断章』)

さてわれわれの生の土台が何であるかは証明された。それは、子宮から子宮へである(参照:玄牝之門・コーラ χώρα・ゾーエー Zoë)。


かつまた我が国の柳田国男や折口信夫が語る「妣の国」「妣が国」もじつは子宮のことではないか、と睨んでいる(二人の思考に追うためにはむしろ避けねばならない漢字の語源ーー《我々の国語は、漢字の伝来の為に、どれだけ言語の怠惰性能を逞しうしてゐたか知れない程で、決して順当の発達を遂げて来たものではないのである》(折口)--その漢字語源に敢えて依拠してしまえば、匕は、妣(女)の原字で、もと、細いすき間をはさみこむ陰門をもった女や牝を示したものである・・・いやあシツレイ! 折口センセ、《何と言つても、語が目の支配を受けて、口を閑却すると言ふ事は、正しい事ではありません》)。

夙く『釈日本紀』の私註以前から、我々の根国思想は一辺に偏し、彼処を黄泉国よみの国と同じとする解釈は、最近の復古時代までも続いていた。果してそんな事で上代の文献が残らず判るもののごとく思っていたのであろうか。合点の行かぬ話であった。たった一つの著名な例を挙げても、素尊は妣の国へ行くと称して、父の神の指命によって根国へ渡って行き、そこに年久しく住んでおられ、大国主神は後にその国を訪れて、結婚しまた宝物を持ってこられた。是を漢土で黄泉とも呼んでいた冥界のことだと、信じて古人はこの記録を遺したと言えるだろうか。重要な大昔の一つの言葉でも、年を累ね世の中が改まれば、その受け取りかたがいつとなく変ってくると、どうして考えてみることができなかったか。(柳田国男『海上の道』)
過ぎ来た方をふり返る妣が国の考へに関して、別な意味の、常世の国のあくがれが出て来た。ほんとうの異郷趣味(えきぞちしずむ)が、始まるのである。気候がよくて、物資の豊かな、住みよい国を求め〳〵て移らうと言ふ心ばかりが、彼らの生活を善くして行く力の泉であつた。(……)

鰭の広物・鰭の狭物・沖の藻葉・辺の藻葉、尽しても尽きぬわたつみの国は、常世と言ふにふさはしい富みの国土である。曾ては、妣が国として、恋慕の思ひをよせた此国は、現実の悦楽に満ちた楽土として、見かはすばかりに変つて了うた。(折口信夫『妣が国へ・常世へ 』)

わたくしの偏った頭では、これらの記述は、どうしてもフロイトの《誕生とともに、放棄された子宮内生活 Intrauterinleben へ戻ろうとする欲動 Trieb》、《母胎内 Mutterleib への回帰》(『精神分析概説』草稿、死後出版1940年)等を想起せざるをえないのである。

というわけで(?)、以下の図は、「誕生」にも「死」にも「子宮」を代入せねばならない。



安永(安永浩)と、生涯を通じてのファントム空間の「発達」を語り合ったことがある。簡単にいえば、自極と対象極とを両端とするファントム空間軸は、次第に分化して、成年に達してもっとも離れ、老年になってまた接近するということになる。(中井久夫「発達的記憶論」『徴候・記憶・外傷』所収)


蚊居肢子の年令は、右側の「死=子宮」に近づきつつある。だから「土台」を如実に感じるようになったのである。30代や40代の不幸な連中は、《土台を問題にすることを忘れて》いる。詩人という稀有の例外はある。

死とは、私達に背を向けた、私たちの光のささない生の側面である。(リルケ「ドゥイノの悲歌」)

だが詩人たちでさえ、谷川俊太郎にようにようやく晩年になって「土台」を明瞭に歌うことができるようになる例が多い。


なんでもおまんこなんだよ
あっちに見えてるうぶ毛の生えた丘だってそうだよ
やれたらやりてえんだよ
おれ空に背がとどくほどでっかくなれねえかな
すっぱだかの巨人だよ
でもそうなったら空とやっちゃうかもしれねえな
空だって色っぽいよお
晴れてたって曇ってたってぞくぞくするぜ
空なんか抱いたらおれすぐいっちゃうよ
どうにかしてくれよ
そこに咲いてるその花とだってやりてえよ
形があれに似てるなんてそんなせこい話じゃねえよ
花ん中へ入っていきたくってしょうがねえよ
あれだけ入れるんじゃねえよお
ちっこくなってからだごとぐりぐり入っていくんだよお
どこ行くと思う?
わかるはずねえだろそんなこと
蜂がうらやましいよお
ああたまんねえ
風が吹いてくるよお
風とはもうやってるも同然だよ
頼みもしないのにさわってくるんだ
そよそよそよそようまいんだよさわりかたが
女なんかめじゃねえよお
ああ毛が立っちゃう
どうしてくれるんだよお
おれのからだ
おれの気持ち
溶けてなくなっちゃいそうだよ
おれ地面掘るよ
土の匂いだよ
水もじゅくじゅく湧いてくるよ
おれに土かけてくれよお
草も葉っぱも虫もいっしょくたによお
でもこれじゃまるで死んだみたいだなあ
笑っちゃうよ

おれ死にてえのかなあ

ーーーなんでもおまんこ 谷川俊太郎


2017年8月14日月曜日

「玄牝の門」「杣径」「惚恍」「外祟」

以下、前投稿「玄牝之門・コーラ χώρα・ゾーエー Zoë」における老子の「玄牝之門」と、それにいささか付記的に記したハイデガーの「杣径」に焦点を絞った版である。

…………

ラカンの《神の外立 l'ex-sistence de Dieu》(S22)とは神が祟ることである。

たゝりはたつのありと複合した形で、後世風にはたてりと言ふところである。「祟りて言ふ」は「立有而言ふ」と言ふ事になる。神現れて言ふが内化した神意現れて言ふとの意で、実は「言ふ」のでなく、「しゞま」の「ほ」を示すのであつた。(折口信夫『「ほ」・「うら」から「ほかひ」へ』)

ハイデガー用語の「Ek-sistenz 外立・脱自」、そしてラカンが頻用した「外立 ex-sistence」とは、一般的には次のように解釈される。

 ”Helle Nacht des Nichts der Angst”(「不安の無の明るい夜」)あるからこそ、”Seiendes ist”(すべてあるものがある)ということができるのである。無に包み込まれた現存在は無を越え出て、存在の明るみに照らされて実存する。ハイデガーは”Ek-sistenz”という言葉を 独自に脱我的実存、存在の明るみに立つという意味で使う。存在者を越え出た存在をハイデガーは超越と名づける。超越には、本来的な、最高の存在の意味がある。最高の存在の真理は人間が祝祭のときに故郷へ帰ってくる(ヘルダーリンの”Wie wenn man am Feiertag kehrt”)と同じように、人間の方へ帰ってきて、輝き出る。(西田幾太郎 -ハイデガーの実存主義と仏教をつなぐ橋- カラディマ・クリスティーナ、pdf)

《最高の存在の真理は人間が祝祭のときに故郷へ帰ってくる》とあるが、これはマレビトが帰ってくるのである。そして《まれびとには、その家の処女か其がなくば、主婦を出して、滞在中は賓客の妻とせねばならなかつた。》(折口信夫『「とこよ」と「まれびと」』)

よく知られているように(?)、フロイトやラカンもマレビトについて語った。

《我々にとってマレビトである身体 un corps qui nous est étranger 》(ラカン、セミネール 23、11 Mai 1976)

フロイトの Fremdkörper(異物)は内部にあるが、この内部のマレビト étranger である。現実界は、分節化された象徴界の内部(非全体pas-tout)に外立 ex-sistence する。(Paul Verhaeghe、2001, BYOND GENDER)

ラカンは外立以外に外密という語も使ったが、これはほとんど等価である。

親密な外部、この外密 extimitéが「モノ das Ding」である。extériorité intime, cette extimité qui est la Chose (ラカン、S7、03 Février 1960)
私たちのもっとも近くにあるもの le plus prochain が、私たちのまったくの外部 extérieur にある。ここで問題となっていることを示すために「外密 extime」という語を使うべきだろう。(ラカン、セミネール16、12 Mars 1969)
対象a とは外密である。l'objet(a) est extime(ラカン、S16、26 Mars 1969)

ジャック=アラン・ミレールの注釈では次のようになる。

外密 Extimité は親密 intimité の反対ではない。それは最も親密なもの le plus intimeでさえある。外密は、最も親密でありながら、外部 l'extérieur にある。それは、マレビトの身体 corps étranger のようなものである(ミレール、Miller Jacques-Alain, 1985-1986, Extimité)

そもそも外密という語には次のような経緯があるらしい。すなわちムラデン・ドラ―によれば、《フランス語では「不気味なもの Das Unheimliche」は、標準的には「L'inquiétante étrangeté」と訳されてきた。だが不気味なものという語といささか齟齬がある訳のかわりに、ラカンは「外密 extimité」という語を発明した。》(Mladen Dolar,I Shall Be with You on Your Wedding-Night": Lacan and the Uncanny,1991、pdf)。

前回引用したように至高の「不気味なもの」は、フロイトにとって女性器である。

女性器 weibliche Genitale という不気味なもの Unheimliche は、誰しもが一度は、そして最初はそこにいたことのある場所への、人の子の故郷 Heimat への入口である。冗談にも「愛とは郷愁だ Liebe ist Heimweh」という。もし夢の中で「これは自分の知っている場所だ、昔一度ここにいたことがある」と思うような場所とか風景などがあったならば、それはかならず女性器 Genitale、あるいは母胎 Leib der Mutter であるとみなしてよい。したがって不気味なものUnheimlicheとはこの場合においてもまた、かつて親しかったもの Heimische、昔なじみのものなの Altvertraute である。しかしこの言葉(unhemlich)の前綴 un は抑圧の徴 Marke der Verdrängung である。(フロイト『不気味なもの Das Unheimliche』1919年)

上にセミネール7の時点での外密の定義を示した。《親密な外部、この外密 extimitéが「モノ das Ding」である。extériorité intime, cette extimité qui est la Chose》。ラカンはこの時期においては、フロイト用語の das Ding は母のことだと言っている、《モノは母である das Ding, qui est la mère 》。

すなわち外密は、女陰の隠喩として捉えうる。もっとも上にみたように後には外密=対象aという。だが、対象aは穴である。《対象aは、大他者自体の水準において示される穴である。l'objet(a), c'est le trou qui se désigne au niveau de l'Autre comme tel 》(ラカン、S18, 27 Novembre 1968)

ーー現代ラカン派において穴がどのように解釈されているかは、「S(Ⱥ)、あるいは欠如と穴」を参照のこと。

…………

ハイデッガーは1949年に『道徳経』を翻訳している。彼の『杣径』(1950年)には、老子のパクリと思える箇所がある。

まず『道徳経』から六章と十四章を引こう。

老子「道徳経」

谷神不死。是謂玄牝。玄牝之門、是謂天地根。緜緜若存、用之不勤。(第六章)

谷神は不死。之を玄牝(ゲンピン)と謂う。
玄牝の門、是を天地の根と謂う。
緜緜(メンメン)として存する如く、之を用いて不動。

視之不見、名曰微。聴之不聞、名曰希。循之不得、名曰夷。三者不可到詰、故混而爲一。一者、其上不悠、其下不忽。縄縄不可名、復帰於無物。是謂無状之状、無物之象。是謂惚恍。随之不見其後、迎之不見其首。執今之道、以御今之有、以知古始。是謂道紀。(第十四章)

是れを視れども見えず。名づけて「夷」という。
是れを聴けども、聞こえず。名づけて「希」という。
是れを摶えんとすれども得ず、名づけて「微」という。
此の三者は致詰(ちきつ)すべからず。故に混じて一と為る。

其の上皦(あきら)かならず、其の下昧(くら)からず。縄縄として名づくべからず。無物に復帰す。是れを無状の状と謂う。無物の象、是れを惚恍(こつこう)と謂う。

是れを迎うれどもその首を見ず、是れに随えどもその後を見ず。
古の道を執りて、以って今の有を御す。能く古始を知る、是れを道紀と謂う。

…………

ハイデガーの「外に立つ Ex-sistenz」とは杣径 Holzwege の先の「開け明けた場 Lichtung」で「惚恍」することである。

事実、「外立 Ex-sistenz」の語源は、ギリシア語の έκσταση であり、Ekstase (エクスタシー・脱自)である。

◆ハイデガー『杣径』

杣(そま、Holz)とは森(Wald)に対する古い名称のことである。杣にはあまたの径があるが、大抵は草木に覆われ、突如として径なきところに杜絶する。

それらは杣径 Holzwege と呼ばれている。

どの杣径も離れた別の経路を走る、しかし同じ森の中に消えてしまう。 しばしば或る杣径が他の杣径と似ているように見える。けれども似ているように見えるだけである。

これらの径の心得があるのは、杣人たちであり森番たちである。杣径を辿り径に迷うとはどういうことであるのか、熟知しているのは彼らなのである。 (ハイデガー『杣径』)

上に記したように、杣径(そまみち Holzwege)とは、 森林の空地 Lichtungに至る森のなかの道である。

存在の開けた明るみ Lichtung の中に立つことを、私は、人間の「外立 Ex-sistenz」と呼ぶ。人間にのみ、こうした存在の仕方が、固有のものとしてそなわっているのである。(ハイデガー『杣径』)

…………

大江健三郎の「森の鞘」も、おそらく老子かハイデガーのパクリであろう。
大江は、森の鞘を通り抜け、森の空地 Lichtung の光のなかで鉈をふるって脱自(外立)する試みを記している。

妻とギー兄さんは森の鞘に入って山桜の花盛りを眺めた日、その草原の中央を森の裂け目にそって流れる谷川のほとりで弁当を食べた。(……)そして帰路につく際、ギー兄さんは思いがけない敏捷さ・身軽さで山桜の樹幹のなかほどの分れめまで登り、腰に差していた鉈で大きい枝を伐ろうとした。妻は心底怯えて高い声をあげ、思いとどまってもらった。(大江健三郎『懐かしい年への手紙』)
――ギー兄さんと森の鞘で、と青年はいって、アハッとヒステリックな具合に笑った、とオユーサンは不思議そうにつたえたが、鞘は「在」で女子性器の隠語なのである。あんたがヤッテおるのを見たが、ああいう場所でタワケられては、村が困る。あんたからわしに相談したいなら乗らんでもないが…… そうでなければ、今日の晩方から4Hクラブの集まりがあるのやし、そこで仲間の連中みなに話してみなならんが!

オユーサンはよくわからぬ外国語を聞き流すように、立ちどまりもせず頭と日傘をかしげて青年をすりぬけた。しかし二、三歩あるくうちに、一瞬すべてが理解されて、悪寒におそわれるほどの怒りのとりこになった。(大江健三郎『懐かしい年への手紙』P42)

パクリは何も悪いことではない。人生はこのようにパクリで成り立っている。

ラカンも老子を読んだ。

・現実界は外立する Le Réel ex-siste
・神の外立 l'ex-sistence de Dieu
・神とは単に《女 La femme》である(参照

現実界とはファルス秩序(象徴界)の割れ目に外立(エクスタシー・脱自)することにかかわる。ラカンは象徴界の割れ目(非全体pas-tout)にあらわれるものを「女性の享楽」と呼んだ。

ひとつの享楽がある。il y a une jouissance…身体の享楽 jouissance du corps …ファルスの彼方の享楽 une jouissance au-delà du phallus!(ラカン、セミネール20、20 Février 1973)
非全体の起源…それは、ファルス享楽ではなく他の享楽を隠蔽している。いわゆる女性の享楽を。…… qui est cette racine du « pas toute » …qu'elle recèle une autre jouissance que la jouissance phallique, la jouissance dite proprement féminine …(LACAN, S19, 03 Mars 1972)
……自ずと、君たちすべては、私が神を信じている、と確信してしまうんだろう、(が)私は、女性の享楽を信じている………naturellement vous allez être tous convaincus que je crois en Dieu :je crois à la jouissance de « L femme »(Lacan,S20 février 1973)

ここで我が国の詩人たちの「杣」という語を使った詩文をいくらか抜き出しておこう。

阿耨多羅(あのくたら)三藐(さんみゃく)三菩提(さんぼだい)の仏たち我が立つ杣(そま)に冥加あらせたまへ(新古今、伝教)
おほけなく 憂き世の民に おほふかな  わがたつ杣に すみぞめの袖(百人一首)
………仏者の側で似た例をあげれば、叡山に対しては、八瀬の村がある。此村の祖先も亦「我がたつ杣」の始めに、伝教大師に使はれた鬼の後だと言ふ。(折口信夫「信太妻の話」)
世の譬へにも天生峠は蒼空に雨が降るといふ人の話にも神代から杣が手を入れぬ森があると聞いたのに、今までは余り樹がなさ過ぎた。 (泉鏡花「高野聖」)

ーーいやあすばらしい。すべて「玄牝の門」と「惚恍」にかかわるのである。好みによってキムスメの陰門か、悪女・熟女の陰門による恍惚かは、おのおの分岐するだろうが。

蚊居肢子の脱自にとって肝腎なのは、人が手を入れぬ森なのではなく樹木のこよなき繁茂である。




もっとも折口信夫の文に、八瀬の村の祖先も亦「我がたつ杣」の始めに云々とあったが、折口は『かげろう日記』解説にて、堀辰雄の日記を引用している。

暫らく誰にもあはずに、山の方に歩いてゐると、突然、上の方から蜜柑を一ぱい詰めた大きな籠を背負つた娘たちが、きやつ〳〵と言ひながら、下りて来るのに驚されたりしました。長いこと、山国の寒く痩せさらばうたやうな冬にばかりなじんで来たせゐか、どうしても僕には、こゝはもう、南国に近いやうに思はれてなりませんでした。(堀辰雄、日記)

山にこもった後であるなら、《蜜柑を一ぱい詰めた大きな籠を背負つた娘たち》にも「脱自」するに決まっている。安吾さえもキムスメの「牝豹の快い弾力」に「惚恍」している。


勿論かうした山中のことで、美人を予期してゐないのが過大な驚異を与へるわけだが、脚絆に手甲のいでたちで、夕靄の山陰からひよいと眼前へ現れてくる女達の身の軽さが、牝豹の快い弾力を彷彿させ、曾て都会の街頭では覚えたことがないやうな新鮮な聯想を与へたりする。牝豹のやうに弾力の深い美貌の女が山から降りてくるのも見ました。また黄昏の靄の中で釣瓶の水を汲んでゐる娘の姿を、自然の生んだ精気のやうな美しさに感じたこともあるのです。また太陽へながしめを送りかねない思ひのする健康な野獣の意志を生き甲斐にした日向の下の女も見ました。その人たちがその各々の美しさで、僕をうつとりさせたのですね。(坂口安吾「木々の精、谷の精」)


最後に福永光司氏による「玄牝之門」の名書き下しを掲げておく。

谷間の神霊は永遠不滅。そを玄妙不可思議なメスと謂う。
玄妙不可思議なメスの陰門(ほと)は、これぞ天地を産み出す生命の根源。
綿(なが)く綿く太古より存(ながら)えしか、疲れを知らぬその不死身さよ

…………

蛇足ながら、インターネットというのは、こういった記事をマガオで受取られてしまうのを怖れざるをえないので補足しておく。

ラカンにとって「外立」としてあらわれる「女性の享楽」とは性的なものではない。むしろ非性的(a)sexuée なものである。

まずラカンはファルス享楽の彼岸にあらわれるものを身体の享楽、他の享楽といっている。これが女性の享楽である。

ひとつの享楽がある。il y a une jouissance…「身体の享楽 jouissance du corps」 …ファルスの彼岸の享楽 une jouissance au-delà du phallus!(ラカン、セミネール20、20 Février 1973)
非全体 pas toute の起源…それは、「ファルス享楽 jouissance phallique」ではなく「他の享楽 autre jouissance」を隠蔽している。いわゆる「女性の享楽 jouissance dite proprement féminine」を。 …(LACAN, S19, 03 Mars 1972)

そして「女性の享楽」が非性的なものであるのは、ラカンのセミネール20(アンコール)をベースとした、ポール・バーハウの次の簡潔な注釈文を掲げておく。

ファルス享楽 jouissance phalliqueの彼方にある他の享楽 autre jouissance とは、享楽する実体 substance jouissante(身体の実体substance du corps)にかかわる。ラカン曰く、これは分析経験のなかで確証されていると。 他の享楽は、性関係における失敗の相関物 corrélat として現れる。幻想は、性関係の不在の代替物を提供することに失敗する。

身体の享楽とはファルスの彼方にある。しかしながらファルス享楽の内部に外立 ex-sistence する。そして、これは (a)-natomie(対象aの[解剖学的]構造)にかかわる。この(a)-natomie とは、ある痕跡に関係し、肉体的偶然性 contingence corporelle の証拠である。これは遡及的な仕方で起こる。これらの痕跡は、ファルス享楽のなかに外立 ex-sistence する無性的 (a)sexuée な残留物と一緒に、(二次的に)性化されたときにのみ可視的になる。すなわち a から a/− φ への移行。ファルス快楽、とくにファルス快楽の不十分性は、この残留物を表出させる。臨床的に言えば、真理の彼方に(性関係の失敗の彼方に)、現実界は姿を現す。この現実界の残留物ーー享楽する実体ーーは、対象a にある(口唇、肛門、眼差し、声)。(ポール・バーハウ2001 Beyond Gender. From Subject to Drive. PDF)

もうひとつ、ハイデガーとラカンの外立の意味合いは異なる。

ハイデガーの思考の核(のひとつ)は「存在欠如」である。だがある時期以降のラカンの思考の核は「享楽欠如」である。

これも以下の文を引用しておく。

私はラカンの教えによって訓練された。存在欠如としての主体、つまり非実体的な主体を発現するようにと。この考え方は精神分析の実践において根源的意味を持っていた。だがラカンの最後の教えにおいて…存在欠如としての主体の目標はしだいに薄れ、消滅してゆく…

ラカンの最初の教えは、存在欠如 manque-à-êtreと存在欲望 désir d'êtreを基礎としている。それは解釈システム、言わば承認 reconnaissance の解釈を指示した。(…)しかし、欲望ではなくむしろ欲望の原因を引き受ける別の方法がある。それは、防衛としての欲望、存在する existe ものに対しての防衛としての存在欠如を扱う解釈である。では、存在欠如であるところの欲望に対して、何が存在 existeするのか。それはフロイトが欲動 pulsion と呼んだもの、ラカンが享楽 jouissance と名付けたものである。(L'être et l'un notes du cours 2011 de jacques-alain miller)
ラカンは最初には「存在欠如 le manque-à-être」について語った。(でもその後の)対象a は「享楽の欠如」であり、「存在の欠如」ではない。(Colette Soler at Après-Coup in NYC. May 11,12, 2012、PDF)
parlêtre(言存在)用語が実際に示唆しているのは主体ではない。存在欠如 manque à êtreとしての主体 $ に対する享楽欠如 manqué à jouir の存在êtreである。(コレット・ソレール, l'inconscient réinventé ,2009ーー人間の根源的な三つの次元:享楽・不安・欲望
欲望に関しては、それは定義上、不満足であり、享楽欠如 manque à jouir です。欲望の原因は、フロイトが「原初に喪失した対象 l’objet originairement perdu」と呼んだもの、ラカンが「欠如しているものとしての対象a l’objet a, en tant qu’il manque」と呼んだものです。(コレット・ソレール、2013、Interview de Colette Soler pour le journal « Estado de minas »
主体は、存在欠如である être manque à être 以前に、身体を持っている。そして、ララングによって刻印されたこの身体を通してのみ、主体は欠如を持つ。分析は、この穴・この欠如に回帰するために、ファルス的意味を純化することにおいて構成される。これは、存在欠如ではない。そうではなくサントームである。(Guéguen、LE CORPS PARLANT ET SES PULSIONS AU 21E SIÈCLE 」、2016,PDF


2017年8月13日日曜日

玄牝之門・コーラ χώρα・ゾーエー Zoë

人が「私はどこから来たのか」と問えば、子宮あるいは女陰となるのは当たり前である。

そしてどこから来てどこへ行くのか、つまり子宮から墓へ(wombからtombへ)を、子宮から子宮へと考えるのは何の不思議でもない。近代人ではなく、古代人なら、ことさらそう考えていたとさえ推測できる。

「墓」のギリシア語は tumbos 、ラテン語は tumulus であり、「膨れる」という意味がある。tomb は womb の「子宮」と言語的に関連していると捉えうる。

かつまた各個人の「先史」時代ーー前エディプス期ーーを扱う精神分析が、子宮や母に注目するのも、これまた当然である。

女性器 weibliche Genitale という不気味なもの Unheimliche は、誰しもが一度は、そして最初はそこにいたことのある場所への、人の子の故郷 Heimat への入口である。冗談にも「愛とは郷愁だ Liebe ist Heimweh」という。もし夢の中で「これは自分の知っている場所だ、昔一度ここにいたことがある」と思うような場所とか風景などがあったならば、それはかならず女性器 Genitale、あるいは母胎 Leib der Mutter であるとみなしてよい。したがって不気味なものUnheimlicheとはこの場合においてもまた、かつて親しかったもの Heimische、昔なじみのものなの Altvertraute である。しかしこの言葉(unhemlich)の前綴 un は抑圧の徴 Marke der Verdrängung である。(フロイト『不気味なもの Das Unheimliche』1919年)

フロイトは死の枕元にあったとされる草稿においては、「子宮回帰」という言葉さえ口に出している。

誕生とともに、放棄された子宮内生活 Intrauterinleben へ戻ろうとする欲動 Trieb、すなわち睡眠欲動 Schlaftrieb が生じたと主張することは正当であろう。睡眠は、このような母胎内 Mutterleib への回帰である。(フロイト『精神分析概説』草稿、死後出版1940年)

こういった叙述以外に、《偉大な母なる神 große Muttergottheit》(『モーセと一神教』1939)とも言っている。

そして、フロイトの偉大なる注釈者ラカンは次のように言った。

大他者の(ひとつの)大他者はある il y ait un Autre de l'Autre という人間のすべての必要性。人はそれを一般的に〈神〉と呼ぶ。だが、精神分析が明らかにしたのは、〈神〉とは単に《女 La femme 》だということである。(ラカン、S23、16 Mars 1976)

「神とは女である」とあるが、言語(象徴)的生き物である人間、その象徴的大他者を支える根源の大他者は、女なのである。

《母なる神々は、男性の神々によって代替される Muttergottheiten durch männliche Götter》(フロイト、1939)としても《父は、母なる神の諸名の一つに過ぎない》(ジャック=アラン・ミレール、2003)のであり、エディプスの父がわれわれの根源ではない。

前期ラカンの表現を使えば、《父なる超自我 Surmoi paternel の背後に母なる超自我 surmoi maternel 》がある。

母なる超自我 surmoi maternel・太古の超自我 surmoi archaïque、この超自我は、メラニー・クラインが語る「原超自我 surmoi primordial」 の効果に結びついているものである。…

最初の他者 premier autre の水準において、…それが最初の要求 demandesの単純な支えである限りであるが…私は言おう、泣き叫ぶ幼児の最初の欲求 besoin の分節化の水準における殆ど無垢な要求、最初の欲求不満 frustrations…母なる超自我に属する全ては、この母への依存 dépendance の周りに分節化される。(Lacan, S5, 02 Juillet 1958)

この原超自我が、クラインやラカンが再解釈した、フロイトの「偉大な母なる神」である。

※参照

①ラカン派再解釈のフロイト文を含めた文献としては、「S(Ⱥ)、あるいは欠如と穴」を見よ。

②ラカンによるフロイトの死の欲動再解釈においては、タナトスとは永遠の生であるが、それについては「「死の欲動」という「不死の欲動」」を見よ。

…………

以下、古来の問いとして、ここでは、

・老子の「玄牝之門」
・プラトンの「コーラ χώρα」
・古代ギリシャ語における「ゾーエ― Zoë」

この三つに絞って、その母なる神にかかわる叙述を拾う。

最初の二つは、具体的に子宮あるいは女陰にかかわる。
ゾーエ―は直接にはそうではないが、ゾーエーとは、ビオスをもった個体が個体として生まれてくる以前の生命のことである。

ーーもちろん日本においても、たとえば柳田国男や折口信夫による「妣の国」をめぐる思考があるがここでは割愛(そもそも亡き母の意味として使われる「妣(ハハ)」とは、漢字の語源としては「女陰」の意味がある)。


◆玄牝之門

谷神不死。是謂玄牝。玄牝之門、是謂天地根。緜緜若存、用之不勤。(老子「道徳経」第六章)

谷神は不死。之を玄牝(ゲンピン)と謂う。
玄牝の門、是を天地の根と謂う。
緜緜(メンメン)として存する如く、之を用いて不動。


福永光司氏による書き下しでは次の通り。

谷間の神霊は永遠不滅。そを玄妙不可思議なメスと謂う。
玄妙不可思議なメスの陰門(ほと)は、これぞ天地を産み出す生命の根源。
綿(なが)く綿く太古より存(ながら)えしか、疲れを知らぬその不死身さよ
(老子「玄牝之門」)


※ハイデッガーは1949年に老子の『道徳経』を翻訳している。彼の『杣径 Holzwege(森の道)』(1950年)には、「玄牝之門」の変奏でありうる。

杣(そま、Holz)とは森(Wald)に対する古い名称のことである。杣にはあまたの径があるが、大抵は草木に覆われ、突如として径なきところに杜絶する。

それらは杣径 Holzwege と呼ばれている。

どの杣径も離れた別の経路を走る、しかし同じ森の中に消えてしまう。 しばしば或る杣径が他の杣径と似ているように見える。けれども似ているように見えるだけである。

これらの径の心得があるのは、杣人たちであり森番たちである。杣径を辿り径に迷うとはどういうことであるのか、熟知しているのは彼らなのである。 (ハイデガー『杣径』)

この箇所だけでは何ともいえないかもしれないが、『道徳経』十四章にでてくる「是謂惚恍」とは、ハイデガー用語「外に立つ Ex-sistenz」と相似形である。ハイデガーにとって外立とは、杣径 Holzwege の先の「開け明けた場 Lichtung」で「惚恍」することである。

事実、「外立 Ex-sistenz」の語源は、ギリシア語の έκσταση であり、Ekstase (エクスタシー・脱自)である。

存在の開けた明るみ Lichtung の中に立つことを、私は、人間の「外立 Ex-sistenz」と呼ぶ。人間にのみ、こうした存在の仕方が、固有のものとしてそなわっているのである。(ハイデガー『杣径』)

※詳述版→ 「玄牝の門」「杣径」「惚恍」「外祟」

ラカンも老子を読んでいる。

・現実界は外立する Le Réel ex-siste
・神の外立 l'ex-sistence de Dieu
・神とは単に《女 La femme》である


◆コーラ(chora)χώρα

プラトン=ティマイオスのコーラについては、中沢新一の注釈を掲げる。

それにしても、宿神=シャグジの空間はプラトンの言う「コーラ chola」というものに、そっくりである。(……)

コーラ chola は「母」である、とプラトン[『ティマイオス』]はいきなり宣言する。そして、それは「父」とも「子」とも関わりのないやり方で、自分の内部に形態波動を生成する能力を持ち、その中からさまざまな物質の純粋形態は生まれてくるのであると…語るのである。(……)

コーラは子宮[マトリックス]であると言われている。同じようにして、宿神もミシャグチも子宮であり、胞衣だと考えられていた。その中には「胎児」が入っ ていて、外界の影響から守られている。つまり、コーラは差異と生成の運動を同一性の影響から守り、宿神は非国家的な身体と思考の示す柔らかな生命を、外界 を支配する国家的な権力の思考から守護する働きをおこなってきたのだ。

こうして私たちは、プラトン哲学の後戸の位置にコーラの概念を発見するのである。この概念は、極東の宿神=シャグジの概念との深い共通性を示してみせるのだが、それはおそらく、かつてこのタイプの存在をめぐる思考が、新石器的文化のきわめて広範囲な地域でおこなわれていたためだろう、と考えるのが自然ではないか。

コー ラという哲学概念のうちに、私たちは神以前のスピリットの活動を感じ取ることができる。西欧ではいずれこのコーラの概念を復活させる運動の中から、現代的なマテリアリズム(唯物論)の思考が生まれ出ることになる。その意味では、マテリアリズム そのものが哲学すべてにとっての「後戸の思考」だと言えるかも知れない。(中沢新一『精霊の王』第十章「多神教的テクノロジー」)



◆ゾーエー Zoë

ゾーエーZoë /ビオス Bios はカール・ケレーニイの注釈を掲げる、《ゾーエーは死を知らない》。

ゾーエーはすべての個々のビオスをビーズのようにつないでいる糸のようなものである。そしてこの糸はビオスとは異なり、ただ永遠のものとして考えられるのである。(カール・ケレーニイ Karl Kerenyi『ディオニューソス.破壊されざる生の根 Dionysos Urbilddesunzerst・rbarenLebens)』1976年)

――いっさいのことが、新たにあらんことを、永遠にあらんことを、鎖によって、糸によって、愛によってつなぎあわされてあらんことを、おまえたちは欲したのだ。おお、おまえたちは世界をそういうものとして愛したのだ、――(ニーチェ『ツァラトゥストラ』酔歌 )

ビオスと 死(タナトス)との関係は、一方の死を排除してしまうような対立状態にはない。そうではなく、特徴的な死は特徴的な生の一部なのである。そればかりか、生はみずからの活動を停止する仕方によってさえも特徴づけられる。あるギリシャ語の言い回しは、<独自の死によって生を終える>ことが特徴ある死であると述べて、この点を実に端的に言い表している。それとは逆に、タナトスをしめ出す生がギリシャ語のゾーエーである。

ゾーエーにもし輪郭があるとしてもそれは稀であるが、その代わりにゾーエーは、死すなわちタナトスとことのほか対立的な関係にある。ゾーエーから明瞭に <ひびく>ところのものは< 非=死>である。それは死を自分に近寄せない何ものかである。 (カール・ケレーニイ『ディオニューソス.破壊されざる生の根 Dionysos Urbilddesunzerst・rbarenLebens)』1976年)


木村敏もゾーエ―/タナトスの区分に注目している。

ビオスというのは個人個人の生、あるいはそれ以外の生物でもそれぞれの個体が生きている生命です。それぞれに個性をもって、その人、その個人独自の生を生きている。人間の場合だったら、生命というよりは「人生」とか「生活」といったほうがいいかもしれません。かけがえのない、その人だけの生だから、これはこの上なく大切なものです。……ビオスには終わりというものがあって、死んだらそれでお終いですから、大切にしなければなりません。

これに対してゾーエーには終わりというものがありません。ケレーニイは、 「ゾーエーは死を知らない」といっています。これは、それぞれの個性的な個人の生が生まれてくる以前の、まだ一切の個別性を知らない、だから有限性も知らない、ビオスとは異次元の「生命の根源」のようなものです。 (木村敏 2008『臨床哲学の知-臨床としての精神病理学のために』 )
わたしがケレーニイから学んだことは、ゾーエーというのはビオスをもった個体が個体として生まれてくる以前の生命だということです。ケレーニイは「ゾーエーは死を知らない」といいますが、そして確かにゾーエーは、有限な生の終わりとしての「死」は知らないわけですが、しかしゾーエー的な生ということをいう場合、わたしたちはそこではまだ生きていないわけですよね。ビオス的な、自己としての個別性を備えた生は、まだ生まれていない。そして私たちが自らのビオスを終えたとき、つまり死んだときには、わたしたちは再びそのゾーエーの状態に帰っていくわけでしょう。

だからわたしは、このゾーエーという、ビオスがそこから生まれてきて、そこに向かって死んでいくような何か、あるいは場所だったら、それを「生」と呼ぼうが「死」と呼ぼうが同じことではないかと思うわけです。ビオス的な個人的生命のほうを「生」と呼びたいのであれば、ゾーエーはむしろ「死」といったほうが正解かもしれない。(同木村敏 2008)


この木村敏=ケレーニーの捉え方はアガンペンの捉え方とはまったく異なる(すくなくとも表層的には)ことに注意しなければならない。

ビオスとゾーエーの対比に関して、ここで少しいっておきたいことがあります。最近しきりに話題にされるイタリアの哲学者でジョルジョ・アガンベンという人がいるのですが、このアガンベンはゾーエーはわたしとはまったく違った意味に解釈しています。(……)

彼[アガンベン]もビオスについては、やはりそれが個々の個性をもった生命、あるいは人生だと考えているのですけれども、ゾーエーのほうは、そういった個性的なビオスがただ単に動物的な意味で生きているというだけ、まだ死んでいないというだけの、つまり「剥き出しの生」の意味で使うのです。 (木村 2008)


2017年8月11日金曜日

月さして神さんいわく十七夜

月さして神さんいわく十七夜

ーーなぜ十七月夜なのだろう、まんまるいのに。

16月夜なら満月と区別がつかないかもしれないが、17月夜だったらわかるはずなのに。




8月8日の朝5時前後の小旅行中の車のなかのことだが、家に帰って調べると陰暦6月17日で月齢 15.7となっている。

おおむね、月の満ち欠け(月相)と連動するが、必ず一致するわけではない。例えば、望(満月)の瞬間の月齢は13.8から15.8の間で変動する。すなわち、月齢14の日が満月とは限らない。これは月の軌道が楕円であるため、満ち欠けの速度が一定にはならないからである。また、朔の瞬間を含む日が旧暦の1日だったので、月齢の端数を四捨五入して1を足せば旧暦の日付とだいたい一致する。(WIKI 月齢

ははあ・・・

いやあWIKIとはひどく役にたつものである・・・

……いずれにせよ月などつくづく眺めたのは何年ぶりだろう。

十七月夜とは立待月。十六月夜はいざよい。
十七夜月は、夢が叶うから「かのう」ともいうらしい。

いや知らないことが多い。多すぎる。忘れたことも多すぎる(「いざよい」も「立待月」も失念している)。

わたくしは東海地方の小都市で少年時代をすごしたので、田舎者だと自認している。中学校に通う途中の道は田圃のなかだったし、そこで小学校のときはざりがり釣りをした(最初に獲ったざりがりを今度はエサにして共喰いさせて遊ぶ)。三日と八日の日に歩いて五分ほどの路上で「三八」と呼ばれる市がたった。そこで五平餅を買うのが楽しみだった。

いまだってひどく食べてみたい。





でも陰暦とともに生きていた妻とは違う。メコン川の三角州の土地で育った彼女は、月の満ち欠けとともに生きていた。彼女に比べたらわたくしはずっと都会人である。

沖縄でもまたやまとの島々でも、古い信仰が力を失い、形ばかり整ったものになって来るのは、まず都府の生活からであった。国の端々に散らばって住む者は、新らしい統一に触れないから、思い切った忘れかたはしない。(柳田国男『海上の道』)

ーー人は「都府の生活」などすると、知らないことばかりになる。「思い切った忘れかた」をしてしまう。

当地は、今でも年忌の法会は旧暦にてなされる。正月は旧暦で祝う国である。いままであまり気にしたことはなかったが、ひょっとして敬意を表すべきではなかろうか。

ところでなぜ月はかつて、あんなにもエラかったのかーーたとえばギリシャ神話においてオリンポス神話に支えられた父権制社会の前に、長い「月女神」一族に支えられた母権制社会があったとされる(バッハオーフェン)--、知っているだろうか?

太陽のかちほころ七月のきょうこのごろ、わたしは、なぜ月がかくもながいあいだ専横にも君臨して来たのかを考えてみた。これはおそらく、太陽は見るものの眼をきずつけ、自己自身よりもむしろ他のものの姿をしめすものであるに反し、一方横柄な月は夜の世界に君臨して、自己自身しかしめさぬからである。かくして、月の相貌の規則正しい推移がつねに政治的謀慮や、期待や、危惧や、野心や、そうじて眠りをさまたげるものに結びつくようになったのだ。われわれの生存は、月の満ち欠けによりも、はるかにずっと太陽の運行に依存している。しかし、太陽の像はいわば分散的なものだ。光、熱、みどり、収穫、これらがみな太陽だ。これに反して、月はただひとり姿をみせ、いわば孤立している。ただ観ものたるにすぎぬものであり、潮の満干のわずかな海岸ではとくにそうである。一連の外観のほかはなにも告げないこのかがやかしい相貌にむかって、精神はといかける。月は中空に一種きわめて感動的な詩をえがき、そしてこれが想像の人たちを説得する。月はこうした人たちを他の浜辺、他の民衆たちにむすびつける。月はいろんな企図や欲望をいだかせる。それゆえにこそ、素朴かつ敬虔な心はなによりもまず、孤独の姿によって力づよく、なにの徴しとは分からぬながら強烈にもなにかの徴しである、この熱なき星をあがめることとなったのである。(アラン『プロポ集』「外的秩序と人間的秩序」より、杉本秀太郎他訳)


神の隠れ家

コトバとコトバの隙間が神の隠れ家(谷川俊太郎「おやすみ神たち」、2014年

この世には詩しかないというおそろしいことにぼくは気づいた。この世のありとあらゆることあすべて詩だ。言葉というものが生まれた瞬間からそれは動かすことのできぬ事実だった。詩から逃れようとしてみんなどんなにじたばたしたことか。だがそれは無理な相談だった。なんて残酷な話だろう。 (谷川俊太郎「小母さん日記」)

あたりまえのことかもしれないが、詩とは神のことだ

エリオットは、詩の意味とは、読者の注意をそちらのほうにひきつけ、油断させて、その間に本質的な何ものかが読者の心に滑り込むようにする、そういう働きのものだという。(中井久夫「顔写真のこと」)

行分けだけを頼りに書きつづけて四十年
おまえはいったい誰なんだと問われたら詩人と答えるのがいちばん安心
というのも妙なものだ

ーー谷川俊太郎「世間知ラズ」1993年 


ところが行分けだけでは神はあらわれない
谷川の詩のようには

どうしてだろう
なにか秘密があるにちがいない 


ラカンの《神の外立 l'ex-sistence de Dieu》(S22)とは《現実界は外立するLe Réel ex-siste》(S22)とともに読めばよいので、現実界とは神のことさ


現実界とはただ、角を曲がったところで待っているもの、ーー見られず、名づけられず、だがまさに居合わせているものである。(ポール・バーハウ、Byond gender, 2001)
現実界は見せかけのなかに穴を開けるものである。ce qui est réel c'est ce qui fait trou dans ce semblant.(ラカン、S.18)
精神分析とは、見せかけ semblant を揺らめかすことである、機知が見せかけを揺らめかすように。[la psychanalyse fai les semblants , le Witz fait vaciller les semblants](ジャック=アラン・ミレール,1996

ラカン=アリストテレスのテュケー/オートマン(αύτόματον [ automaton ]/τύχη [ tuché ])とは、「現実界との出会い rencontre du réel/シニフィアンのネットワーク réseau de signifiants」である。

オートマンとテュケーは共存し絡み合っている。シンプルに言えば、テュケーはオートマトンの裂目である。…どの反復も微細な仕方であれ、象徴化から逃れるものが既に現れている。…裂目のなかに宿る偶有性の欠片、裂目によって生み出されたものがある。そしてこの感知されがたい微かな欠片が、喜劇が最大限に利用する素材である。(ムラデン・ドラー、喜劇と分身、2005年)

たぶん下手糞な詩は
シニフィアンのネットワーク内でしか書けてないんだろう
だから神はあらわれない

写真は絶対的な「個 Particulier」であり、反響しない、ばかのような、この上もなく「偶発的なもの Contingence」であり、「あるがままのもの Tel」である(ある特定の「写真」であって、「写真」一般ではない)。要するにそれは、「偶然 Tuché(テュケー)」の、「機会 Occasion」の、「遭遇 Rencontre」の、「現実界 Réel」の、あくことを知らぬ表現である。(ロラン・バルト『明るい部屋』)

バルトのプンクトゥムだって神のことさ

バルトのストゥディウムとプンクトゥムは、ラカンのオートマンとテュケーへの応答である。Les Studium et punctum de Barthes répondent à automaton et tuché(ミレール2011, jacques-alain miller 2011,L'être et l'un)

鍵はシミかもしれない

プンクトゥムとは、刺し傷 piqûre、小さな穴 petit trou、小さなシミ petite tache、小さな裂け目 petite coupureのことでもありーーしかもまた、骰子の一振りcoup de dés のことでもある…。ある写真のプンクトゥムとは、その写真のうちにあって、私を突き刺すme point 偶然 hasard (それだけなく、私にあざをつけme meurtrit、私の胸をしめつけるme poigne)偶然なのである。(ロラン・バルト『明るい部屋』1980年)

神の顕現のためにはシミを研究しなければならない

一人の立派なハジ(聖地巡礼をすませた回教徒の尊称)。短い灰色のひげをよく手入れし、手も同様に手入れし、真っ白い上質のジェラバを優雅にまとって、白い牛乳を飲む。

しかし、どうだ。鳩の排泄物のように、汚れが、きたないかすかなしみがある。純白の頭巾に。une tache, un léger frottis de merde, comme un besoin de pigeon, sur la capuche immaculée.(ロラン・バルト『偶景』1969年テキスト、死後出版1982)

ニーチェの《神々しいとかげ  göttliche Eidechsen》だってシミだ

軽やかな音もなく走りすぎていくものたち、 わたしが神々しいトカゲ göttliche Eidechsen と名づけている瞬間を、 ちょっとのま釘づけにするという、 けっして容易ではない技術 (ニーチェ『この人を見よ』)

沈黙のなかの叫び、閃光、稲妻が必要なんだ

・それは鋭いが覆い隠され、沈黙のなかで叫んでいる。奇妙に矛盾した言い方だが、それはゆらめく閃光 un éclair qui flotte なのである。

・ある一つの細部が、私の読み取りを完全に覆してしまう。それは関心の突然変異であり、稲妻 fulgurationである。

・ある何ものかが一閃して quelque chose a fait tilt、私の心に小さな震動を、悟りを、無の通過を生ぜしめたのである。(ロラン・バルト『明るい部屋』)

◆Glenn Gould - Bach Toccata BWV 914




2017年8月9日水曜日

「ひととき」

「ひととき」

長い年月を経てやっと
その日のそのひとときが
いまだに終わっていないと悟るのだ

空の色も交わした言葉も
細部は何ひとつ思い出さないのに
そのひとときは実在していて
私と世界をむすんでいる

死とともにそれが終わるとも思えない
そのひとときは私だけのものだが
否応無しに世界にも属しているから

ひとときは永遠の一隅にとどまる
それがどんなに短い時間であろうとも
ひとときが失われることはない

ーーー谷川俊太郎『おやすみ神たち』2014年所収

…………

ひさしぶりに近場の海に日帰りで行ってきた。近場といっても、朝三時出発六時到着。夜九時過ぎ帰宅。長男が一浪して医学校に入学が決まったので、ちょっとしたお祝いもかねて。

幸運にもとてもよい海水浴日和。しかも「ひととき」に遭遇した。きっとすぐ忘れるだろう、2017年8月8日、午後1時過ぎの「ひととき」。


白い波頭とはうそだ
白くない波頭がひかっていた
くだけると白くなる
こんな光景の記憶はない

砂浜の椰子葺の下の薄暗がり 
市場で手に入れたとびきり鮮度の 
蝦蛄と海老と蟹
家族だけの笑いさざめき

潮風の絶えまない慰撫に包まれ 
群青の囀りに耳をすます 
宴のあとの昼下り 
妻と長男は禽獣の深い眠りに耽っている

半刻ほど休んだきりで 
ふたたび独り海に向かう次男 
そのすがたをぼんやりと目で追ってゆく

そのときだ 
金の波穂と白の砕け波 
千の波の縞模様に見惚れたのは



2017年8月7日月曜日

災害が相次ぐ日本列島で、一神教的な発想は生まれるはずはない

丸山真男は日本を無思想・無イデオロギーの国と呼んでいる。

日本では、思想なんてものは現実をあとからお化粧するにすぎないという考えがつよくて、 人間が思想によって生きるという伝統が乏しいですね。これはよくいわれることですが、宗教がないこと、ドグマがないことと関係している。

イデオロギー過剰なんていうのはむしろ逆ですよ。魔術的な言葉が氾濫しているにすぎない。イデオロギーの終焉もヘチマもないんで、およそこれほど無イデオロギーの国はないんですよ。その意味では大衆社会のいちばんの先進国だ。

ドストエフスキーの『悪霊』なんかに出てくる、まるで観念が着物を着て歩きまわっているようなああいう精神的気候、あ そこまで観念が生々しいリアリティをもっているというのは、われわれには実感できないんじゃないですか。

人を見て法を説けで、ぼくは十九世紀のロシアに生れたら、あまり思想の証しなんていいたくないんですよ。スターリニズムにだって、観念にとりつかれた病理という面があると思う んです。あの凄まじい残虐さは、彼がサディストだったとか官僚的だったということだけで はなくて、やっぱり観念にとりつかれて、抽象的なプロレタリアートだけ見えて、生きた人間が見えなくなったところからきている。

しかし、日本では、一般現象としては観念にとりつかれる病理と、無思想で大勢順応して暮して、毎日をエンジョイした方が利口だという考え方と、どっちが定着しやすいのか。ぼくははるかにあとの方だと思うんです。だから、思想によって、原理によって生きることの意味をいくら強調してもしすぎることはない。しかし、思想が今日明日の現実をすぐ動かすと思うのはまちがいです。(丸山昌男『丸山座談5』針生一郎との対談)

だが、なぜ日本はことさら無思想・無イデオロギーの国なのだろうか。

柄谷行人は、岩井克人との対談(1990年)にて、「日本的な生活様式とは実際に江戸文化のこと」という意味合いのことを言っている(参照)。

江戸文化の影響とは次のようなものである。

江戸幕府の基本政策はどういうものであったか。刀狩り(武装解除)、布教の禁と檀家制度(政教分離)、大家族同居の禁(核家族化)、外征放棄(鎖国)、軍事の形骸化(武士の官僚化)、領主の地方公務員化(頻繁なお国替え)である。(中井久夫「歴史にみる「戦後レジーム」」)

ここでは「布教の禁と檀家制度」に絞れば、次のようなことがあった。

信長が比叡山を焼いた事件の大きさである。比叡山がそれまで持っていた、たとえば「天台本覚論」という宇宙全部を論じるような哲学がそれによって燃え尽きてしまう。比叡山が仮に信長に勝っていたらチベットのような宗教政治になったかどうかはわからないが……。(……)

布教しないということはその宗教は半分死んだようなものかもしれないが、檀家制度という、生活だけは保障する制度をする。(中井久夫「山と平野のはざま」『時のしずく』所収)

日本が「無思想・無イデオロギーの国」であるのは、《信長が比叡山を焼いた事件》、そしてその後の布教の禁と檀家制度の影響が大きいのは間違いないだろう。

だがそれだけだろうか? 丸山真男は、日本は《人間が思想によって生きるという伝統が乏しい》ことは、《宗教がないこと、ドグマがないことと関係している》と言っているが、この「宗教」とは「一神教」のことである(日本には自然宗教はふんだんにある。[参照]:「創唱宗教/自然宗教」)。

一神教とは神の教えが一つというだけではない。言語による経典が絶対の世界である。そこが多神教やアニミズムと違う。一般に絶対的な言語支配で地球を覆おうというのがグローバリゼーションである。(中井久夫『私の日本語雑記』2010年)

一神教の起源については次のような見解がある。

一神教は進化の結果からではなく、宗教的天才による〈革命〉(リボリューション)によってのみ生じた。(山我哲雄『一神教の起源』、PDF

だが日本において一神教が育たなかったのは、宗教的天才の不在だったせいだろうか。上の聖書学者山我哲雄のような、学会で高い評価を得ている方ではなく、市井の、ーーおそらく独学歴史研究者だろうーー関裕二氏次の、わたくしにはとても面白い叙述を見出した。歴史的事実関係についての記述にはやや疑いをもって読まねばならないが、発想の仕方はとても示唆溢れている。

考えてみれば、災害が相次ぐ日本列島で、一神教的な発想は生まれるはずはなかったのだ。日本列島に住んでいれば、一生に一度は、何かしら災害に見舞われたに違いない。誰が、荒れ狂う嵐に打つ勝てると思うだろう。誰が、大津波をはね返すことができると信じただろう。「自然を支配し、改造する」などという、一神教的発想が、絵空事であることは、理屈抜きに体が覚えていたに違いないのである。

一神教は砂漠で生まれた。地震も、津波も、台風も、火山の噴火もない場所で生まれたのだ。彼らは、「自然が支配できる」と考えたが、彼らの考える「自然」こそ、観念的なものにすぎなかった。なにしろ、砂漠には「自然がなかった」からである。それはそれで苛酷な環境だったことはたしかだ。だからこそ、「この境遇を克服したい」と考えたのだろうが、本当の「自然」を知らないからこそ、「人間は世界を征服できる」と妄信したのだろう。ここが、多神教と一神教の、決定的な差である。

また、多神教世界では、「万物は流転し、滅びたものはいずれ蘇る」と信じた。だから、アイヌはイオマンテで熊祭をし、殺した熊の魂は、再び地上界に戻ってくると願い、信じた。熊だけではない。太陽も沈み、やがて昇る。一年の移り変わりも、循環する。日照時間は短くなり、冬至の日に太陽の力が一番弱まるが、逆に「影」は長くなる。死と再生は隣り合わせだ。縄文人の円形の家で、冬至の朝日が入口にちょうど射し込む例が見つかって、円形の家は母胎で、再生の呪術が込まられているのではないかと考えられている。自然も同様に、移ろう。木々の葉は散り、春にならば深緑に覆われる。人間も、死んで終わるわけではない。魂はいつか再び、この世に戻ってくると信じていた。それは、「自然を観察していると、そう考えざるを得ない」からであり、この点も、一神教の発想とは異なっている。

ひとりの人間の、生も、多様性を持ち、「廻る」と信じられていた。鬼のような生命力を持った童子。成長して長寿を保つと、穏やかな老翁となり、周囲を和ます。そして、寿命が尽きて死んでいくが、日が沈み、また日は昇るように、いずれこの世に戻ってくると信じたのである。関裕二『日本人はなぜ震災にへこたれないのか』、2011年) 

ようするに日本が理念がない国、つまり丸山真男のいう「日本を無思想・無イデオロギーの国」であるのは、地震大国であることの影響が大きいはずである。関裕二氏が《一神教的発想が、絵空事であることは、理屈抜きに体が覚えていた》とするのは冒頭の丸山真男の《思想なんてものは現実をあとからお化粧するにすぎない》との文と響き合う。

次の中井久夫の文も、日本的環境においては長期的ヴィジョンなど通用しない、という風に読むことができる。

中国人は平然と「二十一世紀中葉の中国」を語る。長期予測において小さな変動は打ち消しあって大筋が見える。これが「大国」である。アメリカも五十年後にも大筋は変るまい。日本では第二次関東大震災ひとつで歴史は大幅に変わる。日本ではヨット乗りのごとく風をみながら絶えず舵を切るほかはない。

為政者は「戦々兢々として深淵に臨み薄氷を踏むがごとし」という二宮尊徳の言葉のとおりである。(中井久夫「日本人がダメなのは成功のときである」1994初出)

中井の《日本ではヨット乗りのごとく風をみながら絶えず舵を切るほかはない》との表現は、これもまた丸山の《無思想で大勢順応して暮して、毎日をエンジョイした方が利口だという考え方》に繋がってくるだろう。

だがここでふたたび丸山を繰り返しておこう、日本においては《思想によって、原理によって生きることの意味をいくら強調してもしすぎることはない》と。

思想は実生活を越えた何かであるという考えは、合理論である。思想は実生活に由来するという考えは、経験論である。その場合、カントは、 合理論がドミナントであるとき経験論からそれを批判し、経験論がドミナントであるとき合理論からそれを批判した。つまり、彼は合理論と経験論というアンチノミーを揚棄する第三の立場に立ったのではない。もしそうすれば、カントではなく、ヘーゲルになってしまうだろう。 この意味で、カントの批判は機敏なフットワークに存するのである。ゆえに、私はこれをトランスクリティークと呼ぶ。(柄谷行人「丸山真男とアソシエーショニズム 」2006)
理論の正しさは経験からは演繹できない。いや、経験から演繹できるような理論は、真の理論とはなりえない。真の理論とは日常の経験と対立し、世の常識を逆なでする。それだからこそ、それはそれまで見えなかった真理をひとびとの前に照らしだす。 (……)

真の理論とは日常の経験と対立し、世の常識を逆なでする。だが、日常経験と対立し、世の常識を逆なでするというその理論のはたらきが、真理を照らしだすよりも、真理をおおい隠しはじめるとき、それはその理論が、真の理論からドグマに転落したときである。そしてそのとき、その真理に内在していた盲点と限界とが同時の露呈されることになる。(岩井克人『二十一世紀の資本主義論』)

…………

※付記
このたびの東日本大地震大津波の惨事の後から、千何百年昔にも東北に今回の規模に劣らぬ大地震大津波のあったことが指摘された。

平安初期の貞観年間のことだという。年表を見ると、八六九年、陸奥大地震大津波とある。 しかもその五年前には、富士山が大噴火を起こしている。陸奥の災害の九年後には関東の 大地震、そのまた九年後には畿内の大地震が記されている。

あまりのことに大昔のことながら暗然とさせられているうちに、ふっと貞観の仏たちの相貌が浮かんだ。(古井由吉『楽天の日々』写実ということの底知れなさ)



◆地震の神話と地震の記憶 保立道久、2015,pdf

『歴史のなかの大地動乱』(岩波新書)で基本的な説明をしたことですが、日本の神話の基本には地震・噴火神話がありました。

日本が本格的に文明化したのは八世紀、奈良時代のことでしたが、この時代には、まだまだ神話世界は生きていました。そして、問題は、八世紀・九世紀が列島にとって一つの大地動乱の時代であったことです。(……)歴史の側の資料を点検してみると、地震や噴火が八・九世紀の社会史と深い関係をもっていることは一目瞭然である。そのうちもっとも重要なのは、734年に発生した河内大和地震でしょう。(……)九世紀に入っても事態は同じでした。とくに今回の3.11の地震とほぼ同じ規模をもっていたという869年の陸奥大地震・大津波(……)。

そのしばらく前の864年には富士大噴火が起きており、その後、いわゆる関東大地震と同じ発震構造をもつとされる南関東大地震が起き、さらに南海トラフの大地震が発生しています。これらの史料をみていますと、当時の人々は神話の神々がおそるべき怨霊に姿をかえて復活したと感じていたのではないかと思います。その恐怖は相当のものであったでしょう。

私は、京都祇園社の祇園会の創始が、869年の陸奥大地震・大津波の直後と伝えられているのは、このような世情と関係していると考えています。

(……)

日本の歴史文化には地震が骨絡みになっている事情はご理解いただけたでしょうか。私は、歴史学がこのようなことを見のがしてきたことに驚いています。それは歴史学が、地震列島日本の人々が、実は、地震のことを一種のタブーにしてきたという状態を本格的に突破しようという見通しをもっていなかったことを示すといわれてもやむえないでしょう。

(……)たしかに、この列島の住人は、過去の記憶の宝庫を点検してみる必要があるのではないでしょうか。(保立道久「地震の神話と地震の記憶」2015) 

《日本という国は地震の巣窟だということ。大水、噴火、飢餓なども、年譜を見ればのべつ幕なしでしょう。この列島に住み、これだけの文明社会を構築してしまったという問題があります。》(古井由吉「新潮45」2012 年1 月号)



ひきつづき人知を尽くさなくてはならない。それでも災害をすっかり排除することはできない。 しかしまた、災害にたいして備わっている、まもられている、という信頼なしに、人は日常の心で生きられるものだろうか。苦しいところへ追いこまれたものだ。

これまでの大災害、天変地異や飢饉や疫病の歴史を年譜だけでも眺めて、その頻繁なくり かえしの中で生きた古人たちの心を思うべきなのだろう。厄災の脅威に身近から迫られな がらの日常もあり、祭りや踊りもあった。

生きながらえたと感じる古人たちの祭りは、現代のイベントよりも、はるかに強烈なものだったと思われる。心身の底で死者たちと通じあっていたはずだ。(古井由吉『楽天の日々』写実ということの底知れなさ)

◆先進的地震津波シミュレーションの進捗について(独立行政法人海洋研究開発機構、金田義行、2013、pdf)



危機と言われる。この言葉ほど風化しやすいものはない。人は危機感を日常に長くは保って いられないものらしい。それでは生きられない。しかし危機そのものは日常につねにつきまとう。

考えてみればよい。大津波に吞まれた人はその直前まで日常の内にあったのだ。このたび の大災害から遠隔の地にあった人にとってもいつなんどき、日常に断層が一瞬にして走るか、 知れはしない。「決定的な」などと言うもおろかな断層が。(古井由吉『楽天の日々』写実ということの底知れなさ)

…………

上に引用した文のなかで、古井由吉は《人知を尽くさなくてはならない》と言っている。もちろん《それでも災害をすっかり排除することはできない》。

なによりもまず「人知を尽くす」べき標的は「東京」である。

東京の場合には富も権力も情報も非常に集中しているために、どのようにして他の地方が東京を救援するかという問題は、実際検討されているのだろうか。私にはわからない。われわれが冷静でいられたのは、やがて救援があるということを疑わなかったからである。(中井久夫『精神科医の見た二都市 1995年2,3月』)

最後に、日本には稀なヴィジョンの人、磯崎新の見解を掲げよう。

◆都市に未来はあるのか──建築と都市工学の対話、2014
磯崎新──もうひとつ聞きたいことがあります。人を東京の内側に収めることが前提になっているようですが、なぜ人は東京に同じ状態で住んでいなければいけないのか、外に出す方法は考えられないのでしょうか。東京の真ん中に、東京を延長していくことにどれほどの意味があるのでしょうか。3.11の東京では、多くの帰宅難民が出ました。あのときの東京のインフラは、死者を出さないぎりぎりのところで持ちこたえるだけで精一杯だったことを、誰もが記憶しているでしょう。ところがいまではまた内に向かって人を増やそうとしている。あたかも避難の仕方を統制すれば生き延びれるかのように、希望的なことしか話題にしない。何が必要か。僕は東京の人口を1,300万人から1,000万人を切る、理想的には800万人まで減少させることができなければ、インフラは機能しきれないと思っています。それがいろいろなことを考えたときの適正値でしょう。

東京国際フォーラム フォーラムレポート ゲスト: 磯崎新 (建築家)


磯崎新) 確率論なので何とも言えないですが、30年以内に70%の確率で直下型地震が東京に起こると言われています。その時に東京がものすごいエネルギーで壊れる訳だから、色々なシミュレーションが行われているのですが、被害は今回の震災の100倍くらいと予測されています。今回帰宅難民の中で死人がでなかったのは奇跡的なことで、ある意味ストレステストをやってもらったと考えた方が良い。そうなると東京は本気で何かをやらないといけない。少なくとも東京は安泰なのではなくて、より危険な臨界状態にいるということを考えた方が良いと僕は思います。首都が移るのはそんなに難しいことではないんです。東京が首都であるべきという思い込みが我々の思考を固めてしまっているんです。一つの社会の体制が出来上がったときに、例えば近代で考えると、国民国家の首都が国民国家の見識を示していて、都市という概念で出来上がっている。ところが今、二世代くらい後の状況が社会では起こっているにもかかわらず、国民国家がかつて決めたものに我が国は則っている。首都の形態を東京が取っていない最大の理由なのではないか。世界でも上手く行っている例はあまりないですよ。国会をイカダに乗せる案は、宮崎駿さんのアニメにも出てくるラピュタのような感じで国会が日本中を訪問したら面白いと思っていて、震災があってそれを思い出したんです。


母なる神々の国日本

一神教とは神の教えが一つというだけではない。言語による経典が絶対の世界である。そこが多神教やアニミズムと違う。一般に絶対的な言語支配で地球を覆おうというのがグローバリゼーションである。(中井久夫『私の日本語雑記』2010年)

…………

一般に、世界宗教は、偉大な宗教的人格によって開示されたものだといわれている。しかし、そのような人格と弟子たちとの関係は、けっしてフロイトのいう「感情転移関係」をまぬかれるものではない。つまり、世界宗教も集団神経症によってのみ可能なのだ。だからまた、それが始祖の死後に、その死自体を儀礼的に意味づける共同体の宗教を作り出すことも避けられない。さもなければ、どんな偉大な人格も、世界宗教の始祖となりえなかっただろう。(柄谷行人『探求Ⅱ』1989年)

ーー柄谷行人は、一神教的世界宗教は集団神経症を生むと言っているが、日本は一神教でなくても、感情転移関係がある。絆というやつだ。


ひとりをひとりにむすび
ひとりをひとりにからませ
ときにひとりとひとりをしばる
みえないうんめいの いと
ひとからひとへ めぐりつづけるエネルギー
あいしあうものを きずなはむすぶ
にくしみあうものを きずなはむすぶ
みしらぬものどうしすら きずなはむすぶ
ひとりではいきていけない わたしたちのいのちづな
きずな

ーー「きずな」谷川俊太郎)

きずなとは共感の共同体にかかわるとしてよいだろう。

公的というより私的、言語的(シンボリック)というより前言語的(イマジナリー)、父権的というより母性的なレヴェルで構成される共感の共同体。......それ はむしろ、われわれを柔らかく、しかし抗しがたい力で束縛する不可視の牢獄と化している。(浅田彰「むずかしい批評」『すばる』1988 年 7 月号)

言語による経典が絶対の世界、つまりイデオロギー的一神教による集団神経症と前言語的多神教・アニミズム的集団神経症とどっちがよいのだろう? どちらかしかないんだろうか?

上の二項対立は、厳密にフロイト用語を使えば、一神教的精神神経症/多神教的現勢神経症となる。

現勢神経症 Aktualneurose の症状は、しばしば、精神神経症 psychoneurose の症状の核であり、そして最初の段階である。(フロイト『精神分析入門』1916-1917)

一神教的抑圧の症状、多神教的原抑圧の症状といってもよい。

……もっとも早期のものと思われる抑圧(原抑圧 :引用者)は 、すべての後期の抑圧と同様、エス内の個々の過程にたいする自我の不安が動機になっている。われわれはここでもまた、充分な根拠にもとづいて、エス内に起こる二つの場合を区別する。一つは自我にとって危険な状況をひき起こして、その制止のために自我が不安の信号をあげさせるようにさせる場合であり、他はエスの内に出産外傷 Geburtstrauma と同じ状況がおこって、この状況で自動的に不安反応の現われる場合である。第二の場合は根元的な当初の危険状況に該当し、第一の場合は第二の場合からのちにみちびかれた不安の条件であるが、これを指摘することによって、両方を近づけることができるだろう。また、実際に現れる病気についていえば、第二の場合は現勢神経症 Aktualneurose の原因として現われ、第一の場合は精神神経症 Psychoneurose に特徴的である。(フロイト『制止、症状、不安』1926)

ラカン的には一神教的父なる超自我の症状/多神教的母なる超自我の症状である。

母なる超自我 Surmoi maternel…父なる超自我 Surmoi paternel の背後にこの母なる超自我がないだろうか? 神経症において父なる超自我よりも、さらにいっそう要求し encore plus exigean、さらにいっそう圧制的 opprimant、さらにいっそう破壊的 ravageant、さらにいっそう執着的 insistant な母なる超自我が。(Lacan, S.5, 15 Janvier 1958)

最晩年のフロイトに戻っていえば、男性的神/母なる神である。

母なる神々は、男性の神々によって代替される Muttergottheiten durch männliche Götter(この神々はたぶん元々は息子たちだったのではないか?)(フロイト『モーセと一神教』1939年)

しかしなぜ日本はイデオロギー的な「言語による経典が絶対の世界」の宗教を嫌い、前言語的な「自然宗教」信仰に留まったのだろうか。

日本を囲繞したさまざまの民族でも、死ねば途方もなく遠く遠くへ、旅立つてしまふという思想が、精粗幾通りもの形を以つて、大よそ行きわたつて居る。独りかういふ中に於いてこの島々にのみ、死んでも死んでも同じ国土を離れず、しかも故郷の山の高みから、永く子孫の生業を見守り、その繁栄と勤勉とを顧念して居るものと考へ出したことは、いつの世の文化の所産であるかは知らず、限りも無くなつかしいことである。(柳田国男「魂の行くえ」1949年ーーコトバとコトバの隙間が神の隠れ家

自然宗教に留まったのは、龍の棲む国、鯰大国のせいではなかろうか。この敵には言語による経典は機能しない。今うろおぼえで記すが、リスボン大地震によって、ユーラシア大陸の西端の陸塊である「ヨーロッパ半島」の連中も一神教への疑念は生じたはずである。日本のように地震・津波にしょっちゅう見舞われた国で言語による経典など信じるはずはない。

もちろんそれ以外にも別の理由があるのかもしれないが。

江戸幕府の基本政策はどういうものであったか。刀狩り(武装解除)、布教の禁と檀家制度(政教分離)、大家族同居の禁(核家族化)、外征放棄(鎖国)、軍事の形骸化(武士の官僚化)、領主の地方公務員化(頻繁なお国替え)である。(中井久夫「歴史にみる「戦後レジーム」」)
……このシンポジウムで私の前に米山俊直先生が話された中で私の印象に強く残ったのは、信長が比叡山を焼いた事件の大きさである。比叡山がそれまで持っていた、たとえば「天台本覚論」という宇宙全部を論じるような哲学がそれによって燃え尽きてしまう。比叡山が仮に信長に勝っていたらチベットのような宗教政治になったかどうかはわからないが……。それ以降、秀吉と家康がした大きな改革が三点くらいある。一つは「大家族同居の禁」である。江戸時代のほうが明治以降よりも小家族であった。森鴎外の『阿倍一族』のような反乱を起こされたら困るからである。もう一つは刀狩という「武装解除」である。最後の一つは「布教の禁」で宗教は布教してはいけないということである。おそらく幕末のいろいろな宗教運動がものすごい抵抗に遭ったのは、布教の禁に真っ向から対立するからだろうと思う。布教しないということはその宗教は半分死んだようなものかもしれないが、檀家制度という、生活だけは保障する制度をする。以上の三つに付随して「宗教者医療の禁」がある。「医は仁術なり」という言葉は「お医者さんは非常に親切であれ」ということではなくて、「仁」という儒教の道徳にもとづいた非宗教人だけに医術を許すということである。ただし日蓮宗は狐憑きを治療してよいなどいくつかの例外はある。(中井久夫「山と平野のはざま」『時のしずく』所収)

ーーいやあわたくしはこういった慣れないことを考えると、中井久夫ばかりに依拠することになる。


◆日本人の宗教 中井久夫(1985年)

日本人が西欧よりはやく脱宗教化したという歴史的事実は、医学史から学んだ。「医は仁術なり」という宣言は、「宗教者でなく儒教的教養を身につけた医師が医療に当たれ」という意味で、神主、僧侶の医療行為が同時に禁止されている。例外は日蓮宗の狐払いくらいか。刀狩り、検地にはじまり、檀家制度、布教の禁止、大家族同居の禁と続く一連の制度で、江戸時代初期に完成したこれらの制度が今日まで及ぼしている影響は決して無視できないと、素人ながらに思う。

医学や教育など、西欧で元来宗教の手にあったものを世俗の専門家が行なうように制度を変えるのを「セキュラリゼーション」とか「ライシスム」とかいうが、フランスなど十九世紀になおこの闘争をやっていて、ずいぶん抵抗もあった。

日本では、逆に宗教が行方不明になりかけていて、無宗教だという意見が高度成長期時代まであった。イザヤ・ベンダサンという「人」が、ヒンドゥー教やユダヤ教と同じ意味で「日本教」というものがあると指摘すると、なるほどということになった。西郷隆盛がその大聖人であるというといかにもという気になる。この宗教では「向う三軒両隣いちょろちょろしている人」が重要であるといわれると、それももっともという気がする。そこで、宗教論はうやむやになったように思う。

しかし、強烈な宗教的情熱を最近目の当たりにした。偶像崇拝どころではない。最近の航空機事故は悲惨であったが、その処理も私を大いに驚かせた。いかなる死体のはしきれをも同定せずにはおかないという気迫が当然とされ、法医学の知識が総動員されて徹底的に実行された。こういうことは他国の事故では起こらない。海底の軍艦の遺骨まで引き揚げようとするのは我が国以外にはあるまい。

同定した遺体の破片は歯一つでもすぐ火葬に付する。国に持って帰るのも、現地で火葬に付してからである。すっかり風化していても生では持ち帰らない。

死者の遺体はーー特に悲惨な死を遂げた人の遺体はーーただの物ではなくて、それは火できよめて自宅、せめて自国まで持ってこないと「気がすまない」とはどういうことだろうか。一つは、定義はほんとうにむつかしそうだが、「アニミズム」と呼ぶのが適当な現象である。もう一つは、国なり家族なり、とにかく「ウチ」にもたらさないと「ゴミ」あつかいをしていることになるということである。「ゴミ」の定義は「ソト」にあるものだ(「ひとごみ」とはよく言ったものだ)。そうしておくとどうも「気がすまない」。「気がすまない」のは強迫的心理であり、それを解消しようとする行為が強迫行為である。そういう意味では、神道の原理が「きよら」であり、何よりも生活を重んじるのとつながる。

むかし、神道が清潔をあまりに言うのは、かつて何か血なまぐさいことをしたからではないか、と思ったことがあるが(精神分析学を持ち出さずとも、マクベス夫人の例を考えるだけでよかろう)、縄文人をインディアンのように弥生人が虐殺したということはないという。

アニミズムは日本人一般の身体に染みついているらしい。イスラエルと日本の合同考古学調査隊が大量の不要な遺骨を運び出す羽目になった時、その作業をした日本隊員は翌日こぞって発熱したが、イスラエル隊員は別に何ともなかったそうである。( 中井久夫「日本人の宗教」1985年初出『記憶の肖像』所収)



◆日本人の宗教 中井久夫(20074月、神戸新聞)



もう古くなった統計だが、それによると、特定の宗教を信仰している日本人は三〇パーセントに満たないが、祈りの必要を感じている人は七〇パーセントを超えるという。この落差は海外では奇異とされるが、欧米人も、定期的に教会に行く人の率は三〇パーセント程度かと思う。米国人のほうが欧州人より多いそうであるが、州によって、地域によって違いそうだ。




信者と非信者を白か黒かと峻別し、後者を異端、異教徒として排斥するのがほんとうに宗教本来のあり方だろうか。

そもそも宗教は教典、戒律、儀礼だけから成るものではない。言葉と儀式を包む雰囲気的とでもいうか、言葉にならない、あるいは言葉を超えた何ものかに包まれて初めて宗教であると私は思う。

人生は科学が扱いかねるものに満ちている。私も「どうして他人でなく私が」という、うめくような声を聞いてきた。人生は自分ではどうしようもない偶然性と不確定性とに大きく左右される。生をうけたこと自体がそうである。子の誕生の喜びはその将来の不確定性とセットである。結婚は必ずしも幸福を約束しない。成功はその裏にどんでん返しの可能性がある。もっと端的な不条理も多い。たとえば犯罪被害者である。




まことに、人生は偶発性と不確定性と不条理性に満ちている。宗教はこれに対する合理化であり埋め合わせでもある。「いかなる未開社会でも確実に成功するものに対しては呪術は存在しない」と人類学者マリノフスキーはいう。棟上げ式も、進水式も不慮の事故を怖れ、成功と無事故を祈るものである。




どの個別宗教もその教義、教典が成立した時に、その時のその場の何かがもっとも先鋭な不条理であったかを鋳型のように示している。一神教は苛烈な不条理に直面しつづけたユダヤ民族の歴史を映しているだろう。

人間はもともと狩られる存在であって劣等感の塊であったという。それが「万物の霊長」に成り上がると、頭の上に何もないのが落ちつかない。人は優越感だけでは自分を支えられないのである。そこで眼に見えない存在として神を自分の上に置いたという説明がある。だから、多くの宗教が富者、知者、支配者の傲慢を戒め、謙遜と敬虔とを美徳とするのかもしれない。

しかし、動物を狩る技術は同種間の狩り、すなわち戦争を生みもした。その際には「正義われにあり」という感情を支えるために使われもした。二十世紀でも二次の世界大戦において参戦国の教会はすべて神に自国の勝利を保証した。




宗教の起源説はまだまだあるが、それは必要条件を説明しても充分条件を説明しないと思う。そうするにはあまりに深く、宗教は言葉を超えた情の大海に深くその脚を浸している。

神経心理学は脳と言動とを橋渡ししようとする科学であるが、私の尊敬するその道の学者(山鳥重〔あつし〕氏)は、知情意といっても、基本は情であって、これに対して知と意とは情の大海に浮かぶ船、海の中で泳ぐ魚にすぎないと語っている。




宗教原理主義が流行である。宗教の自然な盛り上がりか。むしろ、宗教が世俗的目的に奉仕するのが原理主義ではないか。わが国でも、千年穏やかだった神道があっという間に強制的な国家神道に変わった。原理主義の多くは外圧か内圧かによって生まれ、過度に言語面を強調する。言語と儀礼な些細な違いほど惨烈な闘争の火種になる。




しかし、宗教は人をもつなぐ。未知の部族を訪問する研究者は、仏教であれボン教であれ、そこが何教でかを知ると安心する。避けるべきタブー、従うべき儀礼がわかるからである。たとえば手を合わせて「ナマステ」というば許していただけることも多かろう。しかし、その部族限りの宗教であると、歓待の最中のどんな些細な行為が実は重大な違反として首が飛ぶかもしれない。日本人が外国で不気味に思われるとしたら、その宗教、すなわちルールがわからないということがあるまいか。

日本人は初詣では神社、葬式は仏教、クリスマスはキリスト教と使いわけているのは儀式のレベルのことで、日本人が和語、漢語、カタカナ語を巧みに使って漢字仮名まじり文を書いているのと同じである。他のすべての生活様式も同じである。その底には共通の祈りがあって、ことば以前の感情に日本人の“宗教”があるのではなかろうか。

宗教の勧誘者は「私には私の信仰がありますから」と申し上げると、たいていは素直に帰って下さる。この宗教的寛容さがうらやましい国民でもあるだろう。(中井久夫「日本人の宗教」2007年) 



2017年8月6日日曜日

コトバとコトバの隙間が神の隠れ家

まずジュパンチッチによる科学・宗教・芸術の簡潔な定義を掲げる。

◆アレンカ・ジュパンチッチ Alenka Zupančič、The Splendor of Creation: Kant, Nietzsche, Lacan,2013、PDFより。

科学が基盤としているのは、象徴界内部で形式化されえないどんなリアルもないという仮定である。すべての「モノ das Ding 」は徴示化 signifying 審級に属するか翻訳されるという仮定である。言い換えれば、科学にとって、モノは存在しない。すなわちモノの蜃気楼は、われわれの知の(一時的かつ経験上の)不足の結果である。ここでのリアルの地位は、内在的であるというだけではなく手の届くもの(原則として)である。
宗教が基盤としているのは、リアルは根源的に超越的な・〈大他者〉の・排除されたものという仮定である。リアルは、不可能かつ禁じられており、超越的で手の届かないものである。
芸術が基盤としているのは、リアルは内在的かつ手の届かないものという想定である。リアルは、つねに表象に「突き刺さっている」。表象の他の側あるいは裏面に、である。裏面は、定められた空間に常に内在的でありながら、また常に手が届かない。(……)芸術は常に境界と戯れる。境界を創造・移動・越境する。

図式的すぎるきらいはあるにしろ、すぐれて簡潔な定義だと感じ、すでに何度か引用しているのだが、「宗教」についてはいささか異和を抱きはじめた。この定義は「一神教」の定義ではないか、と。

すくなくとも日本のような「自然宗教」信仰風土においては、ジュパンチッチの定義に依拠するなら、宗教は《超越的で手の届かないもの》ではなく、むしろ芸術の範疇、すなわち《内在的かつ手の届かない》神信仰ではないだろうか。

日本というのは、《内在的かつ手の届かない》神の国日本だろう、と。

さて凡て迦微(かみ)とは、古御典等(いにしえのみふみども)に見えたる天地の諸の神たちを始めて、其を祀れる社に坐す御霊をも申し、又人はさらにも云わず、鳥獣木草のたぐひ海山など、其余何にまれ、尋(よの)常ならずすぐれたる徳のありて、可畏き物を迦微とは云ふなり、(すぐれたるとは、尊きこと善きこと、功しきことなどの、優れたるのみを云に非ず、悪きもの奇(あや)しきものなども、よにすぐれて可畏(かしこ)きをば、神と云なり、(……)

抑迦微は如此く種々にて、貴きもあり賤しきもあり、強きもあり弱きもあり、善きもあり悪きもありて、心も行もそのさまざまに随ひて、とりどりにしあれば(貴き賤きにも、段々多くして、最賤き神の中には、徳すくなくて、凡人にも負るさへあり、かの狐など、怪きわざをなすことは、いかにかしこく巧なる人も、かけて及ぶべきに非ず、まことに神なれども、常に狗などにすら制せらるばかりの、微(いやし)き獣なるをや、されど然るたぐひの、いと賤き神のうへをのみ見て、いかなる神といへども、理を以て向ふには、可畏きこと無しと思ふは、高きいやしき威力の、いたく差(たが)ひあることを、わきまへざるひがことなり、)大かた一むきに定めては論ひがたき物になむありける」(本居宣長『古事記伝』三ーー神のタタリ

わたくしは長いあいだ「無宗教」のつもりだったが、じつはずっと「神」のことを考えてきたのではないか、などと思いはじめたのは、つい最近、小林秀雄の『本居宣長』を読んでからである。

いや小林秀雄はそもそも『本居宣長』だけではなく、《おっかさんは、今は蛍になってゐる》という話もあれはやっぱり神の話じゃないか。こんなことを考えてしまうのは、わたくしは齢をとってきたせいではないかとはもちろん疑っている。

でもわたくしと同じような考え方をする仲間は「すぐれた」作家たちのなかにたくさんいるから安心である・・・

日本を囲繞したさまざまの民族でも、死ねば途方もなく遠く遠くへ、旅立つてしまふという思想が、精粗幾通りもの形を以つて、大よそ行きわたつて居る。独りかういふ中に於いてこの島々にのみ、死んでも死んでも同じ国土を離れず、しかも故郷の山の高みから、永く子孫の生業を見守り、その繁栄と勤勉とを顧念して居るものと考へ出したことは、いつの世の文化の所産であるかは知らず、限りも無くなつかしいことである。(柳田国男「魂の行くえ」1949年)
日本文化が定義する世界観は、基本的には常に此岸的=日常的現実的であったし、また今もそうである。(加藤周一「日本社会・文化の基本的特徴」『日本文化のかくれた形』所収、2004年)


「おやすみ神たち」 谷川俊太郎、2014年

神はどこにでもいるが
葉っぱや空や土塊(つちくれ)や赤んぼにひそんでいるから
私はわざと名前を呼んでやらない
名づけると神も人間そっくりになって
すぐ互いに争いを始めるから

コトバとコトバの隙間が神の隠れ家
人々の自分勝手な祈りの喧騒をよそに
名無しの神たちはまどろんでいる
彼ないし彼女らの創造すべきものはもう何も無い
人間が後から後からあれこれ製造し続けるから

おやすみ神たち
貴方がたったの一人でも八百万(やおろず)でも
はるか昔のビッグバンでお役御免だったのだ
後は自然が引き受けてそのまた後を任されて
人間は貴方の猿真似をしようとしたが

いつまでも世界をいじくり回しても
なぞなぞの答えが見つかる訳もなく
創ったつもりで壊してばかり
空間はどこまでも限りなく
時間はスタートもゴールも永遠のかなた--

私は神たちに子守唄でも歌ってやろう


――Kさんの友人の文化人類学者が、日本文化に特有のかたちとして「中心の空洞」ということをいうよね? たとえば戦前の国家権力を洗い出してゆくと、結局、中心の天皇の場所が空洞になっていて、責任の究極の取り手がない。あるいはやはり天皇家と関わるけれど、東京という大都市の中心は皇居で、そこが緑の空洞になっている。ギー兄さんの、なかになにもないかも知れない繭というのも、「中心の空洞」ということで、いかにも日本人的な信仰のかたちなんだろうか?

――「中心の空洞」ということを考えるとして、それが本当に日本人固有なものかねえ。量子力学にしてからがその直喩に立っているんじゃないの? それならばヨーロッパにあり、アメリカにあり、またアジアの人間も共有する、というもので……

ともかく私は繭の「中心の空洞」に集中するとして、もっと通りの良い言葉でいえば、それに向けて祈るとして、いつまでもそこからなにも現れないままで、決して不都合だとは考えないと思うよ。「中心の空洞」に向けて祈りを集中しているとして、人間の側の営為として、いまの私にはどんな不協和音も兆してこないよ。

――なぜ、「中心の空洞」に向けて祈るんだろう?  とあきらかに今度はゲームのようにでなく、ザッカリー・K・高安は尋ねた。

――なぜ、「中心の空洞」に向けて祈らずにいられるんだろう?  ……まあ、そのように感じて、祈る者や祈らぬ者や、お互いをキョロキョロ見交わすのが、私たちの集会の出発点かも知れないなあ。

――僕はギー兄さんの考え方を、無神論のカテゴリーに、あるいは人間的なニヒリズムに、つまり若いころのKさんみたいな、実存主義者のものに分類するけれども、とザッカリー・K・高安はいった。しかし、そういう考え方の連中がなお教会を建てるということに、僕は関心を持たないではいられないね。(大江健三郎『燃え上がる緑の木』第二部第二章「中心の空洞」)



2017年8月5日土曜日

「腹部の狂愚」「胸部の狂愚」「精神の狂愚」

創唱宗教/自然宗教」にて、宗教学者の阿満利麿氏が『日本人はなぜ無宗教なのか』1996における二つの区分ーー自然宗教/創唱宗教ーーをめぐっていくらかの備忘をしたが、アランが「自然宗教/人間宗教/精神の宗教」の三区分をしているのを見出したので、まずはここに記す。


アラン『プロポ集』「人間の段階」杉本秀太郎他訳より

【自然宗教】
最も自然な、あるいはこういってよければ、最もふるい宗教は、自然宗教で、このものはきみがいったように、じじつ牡牛や蛇をあがめ、また火山や月や太陽をあがめる。この偉大な宇宙、八方からわれわれをとらえわれわれの生死をにぎり、しかもみずからはわれわれ以上にとかく考えたりしないこの宇宙は、まさしく恐れられ愛されるにふさわしいものだ。じじつ、このものは恐れられ愛されつづけて来た。詩人たちはいつになってもこのものを歌いつづけるだろう。クリスマス、復活祭、万霊祭は季節の祭であって、これには不信仰者などありうべくもない。だれしもめいめいが、ここでは汎神論者で、この偉大な魔力にしたがうのだ。

【人間宗教】
しかしまた、いついかなるところにも人間宗教というものがあった。このものは偉大な先人たちの記念のうちにきずかれるもので、前者の自然宗教にくらべ思想というものの刻印をいささか多くとどめている。自然宗教とは結局のところ動物的で、さらには植物的な本能たるものにすぎず、花に花をさかせ、鳥に巣をつくらせるとおなじものたるにすぎない。ところがここでは、人間は力あふれる人間範型を神とみなし、これに霊感をえて支配と征服へとむかう。この宗教は伝統、伝説、また服従によって酔う。この宗教も自然宗教におとらず熱狂的なものだ。しかし、感情はここではいっそう気だかい。ここでは、感情がやどるのは胸部であって、腹部ではない。そして、乱飲乱舞という腹部の狂愚があるように、また勇武という胸部の狂愚があり、これが怒りと勇気を一種の錯乱状態にまでたかめる。そして、自然宗教が詩によってたかめられ純化されうるように、この力の宗教は、自身の身体を統御しようという気だかい野心のよって地上の王たる、人間競技者をたたえるとき、それはうつくしい。そのうえ、勇気というものはつねにうつくしく、またいつになってもうつくしいであろう。祖国は英雄たちによって崇高である。また戦争とは死とのたたかいにほかならず、ここに敵どうしがたがいに尊敬しあい讃えあう。そして、あらゆる種類の人命救助となると、たしかにこのものはさらにいっそううつくしく、またあまねくたたえられている。もし人間がけもののように逃げるばかりであれば、人間はつまらぬものでしかなかろう。ここでは神とは人間なのであって、ヘラクレスであり、シーザーであり、レーニンなのだ。そして、どの国民もみずからおもうほど、そうたがいには分かれているものではない。ところで、この宗教はこれまた一個の自然宗教なのだ。というのは、偉大な人間たちとは力と征服者の謂なのだから。


【精神の宗教】
第三の宗教は、こうした偉大なものたちの根拠、すなわち精神にむかう。キリスト教がこれであって、このものは叡智のめがけるとおなじ諸目的にむかう。ただし、形象、礼拝、および至高の諸価値に対する直接感情によってである。人間の至高の価値とは自由な精神にほかならず、この第三の宗教が、権勢や支配や圧制の蔑視を力づよく肯定するかずかずの伝説、形象、象徴、範型によって意味するところは、まさにそれなのだ。自由な精神はけっして強制せずただたんに啓示する。自由な精神はけっしてはなやかな外観にだまされない。このものは権力の誘惑に抵抗する。このものは良識や勇気や正義をどこに見出してもそれをうやまう。このものは、およそ人間のかたちをしたもののうちにはすべてそれらがあるのだと想定して、けっして皇帝マルクス・アウレリウスと奴隷エピクテトスとのあいだに差別をもうけない。こうした点については、世の哲学者もすべて同意する。

しかし、精神の宗教は、十字架にかけられた神というあの言語道断の映像によって、哲学よりももっと力づよくかたった。ここでも、神とは人間にほかならない。ただし、権力や富とはかくも無関係な、その真の偉大さにおける人間である。のみならず、精神の宗教は哲学者たちがめったによくしなかったことをあえてする。この宗教は、いかなる種類のものであれ、すべて権力は精神をそこなうと、あえて表明するのだ。

ところで、この豊かな遺産はまったく純粋なものだというわけではない。これをきよめ、これに光輝あらしめるのは、われわれの仕事である。すくなくとも、低級な諸宗教はその本来の位置につきもどされる。抹殺されてしまうのではなく、従属させられるのだ。というのは、精神こそいっさいの審判官であり、そしてなにものも精神を審判することはできないのだから。自分の胸と腹をあまり尊重しすぎることなく、あまり軽蔑しすぎることなく、これをよく統御しうるものは幸いである。もし私のあやまりでなければ、かかる人こそ文明のための働き手なのだ。たしかに、人間性というものを形成することは、うつくしく、かつ困難な仕事である。そして、論議はいつになっても果てるべくもない。だが、親愛なる不信仰者よ、私がなぜ宗教というものは不合理な迷信の山とは全然ちがうものだときみにいったか、また親愛なる真の信仰者よ、なぜ祖国の宗教が、われわれの現実の諸宗教の構築のなかでまったく下級のものでも、まったく高級のものでもないといったか、以上口たらずながら説明した。私はつくりごとはしない。説明するだけだ。

…………

自然宗教/創唱宗教の二区分よりは明らかにすぐれている。だがここに欠けているものがあるとしたら、何か?

アランは自然宗教的「腹部の狂愚」と人間宗教的「胸部の狂愚」と言っている。だが「精神の狂愚」の指摘が欠けている。もっとも彼は精神の宗教、《この豊かな遺産はまったく純粋なものだというわけではない》と記しているのだから、そこに「精神の狂愚」を暗示しているという観点もあるだろう。

さてわたくしが言いたい「精神の狂愚」とは「理性の欲動」のことである。

カント以前の宇宙では、人間は単純に人間だった。動物的な肉欲や神的な狂気の過剰と戦う理性的存在だったが、カントにおいては、戦うべき過剰は人間に内在しているものであり、主体性そのものの中核に関わるものである(だからこそ、まわりの闇と戦う<理性の光>という啓蒙主義のイメージとは対照的に、ドイツ観念論における主体性の核の隠喩は<夜>、<世界の夜>なのだ)。

カント以前の宇宙では、狂気に陥った英雄は自らの人間性を失い、動物的な激情あるいは神的な狂気がそれに取って代わる。カントにおいては、狂気とは、人間存在の中核が制約をぶち破って爆発することである。(ジジェク『ラカンはこう読め』)

ジジェクはカントの名を出しているが「世界の夜」ともある。ここではヘーゲルを引用しよう。

人間存在は、すべてのものを、自分の不可分な単純さのなかに包み込んでいる世界の夜 Nacht der Weltであり、空無 leere Nichts である。人間は、無数の表象やイメージを内に持つ宝庫だが、この表象やイメージのうち一つも、人間の頭に、あるいは彼の眼前に現れることはない。この闇。幻影の表象に包まれた自然の内的な夜。この純粋自己 reines Selbst。こちらに血まみれの頭 blutiger Kopf が現れたかと思うと、あちらに不意に白い亡霊 weiße Gestalt が見え隠れする。一人の人間の眼のなかを覗き込むとき、この夜を垣間見る。その人間の眼のなかに、 われわれは夜を、どんどん恐ろしさを増す夜を、見出す。まさに世界の夜 Nacht der Welt がこのとき、われわれの現前に現れている。 (ヘーゲル『現実哲学』イエナ大学講義録草稿 Jenaer Realphilosophie 、1805-1806)

この「世界の夜」を見すえ、そこに留まることが精神の力を生む。これがヘーゲルの考え方である。

力なき美は悟性を憎む。なぜなら、悟性は、美にそれがなし得ないことを要求するからである。だが、死を前にしてしりごみし、破滅から完璧に身を守ろうとするような生ではなく、死を耐え抜き、そのなかに留まる生こそが精神の生なのである。精神が己の真理を勝ちとるのは、ただ、自分自身を絶対的分裂 absoluten Zerrissenheit のうちに見出すときにのみなのである。

精神がこの力であるのは、否定的なもの Negativen から目をそらすような、肯定的なものであるからではない。つまりわれわれが何かについて、それは何物でもないとか、偽であるとか言って、それに片をつけ、それから離れて、別のものに移って行く場合のようなものであるからではない。そうではなく、精神は、否定的なものを見すえNegativen ins Angesicht schaut、否定的なものに留まる verweilt からこそ、その力をもつ。このように否定的なものに留まることが、否定的なものを存在に転回する魔法の力である。(ヘーゲル『精神現象学』「序論」Hegel, Phänomenologie des Geistes, “Vorwort”、1807年)


ゆえに「精神の狂愚」を避け真の精神の力を得るためには、われわれ人間の誰にとっても内在する「腹部の狂愚」と「胸部の狂愚」を見すえることが肝要である、としてよいだろう。

カトリック教徒の大罪はこれを怠ったことである。

医療・教育・宗教を「三大脅迫産業」というそうだからひとのことはいえないが、罪や来世や過去の因縁などで脅かすことは非常に困る。また、自分の偉さやパワーを証明するために患者を手段とすることは、医者も厳に自戒しなければならないが、宗教者も同じであると思う。カトリックの大罪である「傲慢」(ヒュブリス)に陥らないことが大切である。(中井久夫「宗教と精神医学」初出1995年『精神科医がものを書くとき』所収)

わたくしはニーチェの『ツァラトゥストラ』の次の文、《わたしは君があらゆる悪をなしうることを信ずる。それゆえにわたしは君から善を期待するのだ。》 をこの文脈のなかで読む。

『反キリスト』を書いたニーチェは、じつは真のキリスト教徒である。すくなくとも次の文からはそう読める。

【十字架で死んだその人が生きぬいたと同じ生のみが、キリスト教的である】
――もとに話をかえして、私はキリスト教のほんとうの歴史を物語る。――すでに「キリスト教」という言葉が一つの誤解であるーー、根本においてはただ一人のキリスト教者がいただけであって、その人は十字架で死んだのである。「福音」は十字架で死んだのである。この瞬間以来「福音」と呼ばれているものは、すでに、その人が行きぬいたものとは反対のものであった。すなわち、「悪しき音信」、禍音であった。「信仰」のうちに、たとえばキリストによる救済の信仰のうちに、キリスト者のしるしを見てとるとすれば、それは馬鹿げきった誤りである。たんにキリスト教的実践のみが、十字架で死んだその人が生きぬいたと同じ生のみが、キリスト教的なのである・・・今日なおそうした生は可能であり、或る種の人たちにとってはそのうえ必然的ですらある。真正のキリスト教、根源的キリスト教は、いかなる時代にも可能であるであろう・・・信仰ではなく、行為、なによりも、多くのことをおこなわないこと、別様の存在である・・・意識の状態、たとえば、信仰とか真なりと思いこむとかはーーいずれの心理学者も知っていることだがーー本能の価値にくらべれば完全にどうでもよいことであり、五級どころのことである。もっと厳密に言うなら、精神的因果性の全概念が誤りなのである。キリスト者であることを、キリスト者であるゆえんのものを、真なりと思いこむことに、たんなる意識の現象性に還元することは、キリスト者であるゆえんのものを否定することにほかならない。実際のところ一人のキリスト者も全然いなかったのである。「キリスト者」なるものは、二千年以来キリスト者と呼ばれているものは、たんに心理学的な自己誤解にすぎない。(ニーチェ『反キリスト者』筑摩文庫pp.222-223)


【自由、ルサンチマンのあらゆる感情を越えでた卓越性という、こうした死に方のうちにある模範】

――福音の宿業はあの死とともに決せられた、――それは「十字架」にかかったのである・・・死がはじめて、この予期もしない恥ずべき死がはじめて、一般にはたんに悪党をかえるためにのみ取っておかれた十字架がはじめて、――この最も身の毛のよだつパラドックスがはじめて、使途たちに本来の謎を提示した、「あれは誰であったのか? あれは何であったのか?」――動揺させられ、最も深い傷手をおった感情、そうした死はおのれたちの関心事の論駁であるかもしれないとの疑惑、「なぜまさしくこうであるのか?」との恐ろしい疑問符――こうした状態はあまりにもよく理解できることである。ここでは万事が必然的であり、意味を、合理性を、最高の合理性をもたなければならなかった。使徒の愛はなんらの偶然も知らないのである。いまやはじめて深淵が口を開いた、「彼を殺してしまったのは誰か? 彼のほんとうの敵は誰であったのか?」――こうした問いが閃光のごとくひらめいたのである。答え、支配権をにぎっているユダヤ人ども、その最上流階級。この瞬間以来彼らはおのれたちが秩序に反抗する叛乱のうちにあると自覚し、その後はイエスをも秩序に反抗して叛乱をくわだてたと解した。そのときまでは、こうした戦闘的な、こうした否と断言し、否を実行する特徴はイエスの像のうちにはなかった。それどころか、彼はこうしたこととはあいいれなかった。明らかにこの小さな集団はまさしく主要な点を理解していなかった、自由、ルサンチマンのあらゆる感情を越えでた卓越性という、こうした死に方のうちにある模範を、――これこそ、総じて彼らがイエスをいかに少ししか理解していなかったかを示す一つの目じるしである! 本来イエスがその死でねがったのは、おのれの教えの最も強力な証拠を、証明を公然とあたえるということ以外の何ものでもありえなかった・・・しかし彼の使徒たちには、この死を容赦することなど思いもおよばなかった、――そうすれば、最高の意味で福音的であったであろうに。ましてや、心の柔和な好ましい平安のうちでイエスと同じ死にわが身を提供することなど思いもおよばなかった・・・まさしくこのうえなく非福音的な感情が、復讐が、ふたたび優勢となった。事態がこうした死でけりがつくことなどありうべからざることであった。「報復」が、「審判」が必要となったのである(――しかし、「報復」、「罰」、「審判」にもまして非福音的なものがなおありえようか!)。もういちど俗うけするメシアの待望が前景にでてきた。歴史上の一瞬間が注視された、「神の国」はその敵を審くために来るというのである・・・しかしかくして万事が誤解されてしまった、終幕としての、約束としての「神の国」とは! だが、福音とはまさしく、この「国」の現存、実現、現実であったのだ。まさしくそうした死こそこの「神の国」であった。いまやはじめて、パリサイ人や神学者に対する軽蔑や反感の全部が師の類型のうちへともちこまれた、――かくして師その人が一箇のパリサイ人、神学者にでっちあげられた!  他方、これらまったくの支離滅裂におちいった者どもの狂暴となった崇拝は、イエスが教えたところの、誰にも神の子たるの資格をあたえるあの福音的な平等観はもはや我慢できなくなった。彼らの復讐は、法外な仕方でイエスを持ちあげ、おのれたちから引きはなすことであったのである。あたかも、以前ユダヤ人がその敵たちへの復讐からその神をおんれたちから引きはなして、高所に持ちあげてしまったのとまったく同様である。ただ一つの神とただ一人の神の子、この両者こそルサンチマンの所産である・・・((ニーチェ『反キリスト者』文庫pp.222-223)pp.224-226)




2017年8月4日金曜日

「死の欲動」という「不死の欲動」

フロイトは『快原理の彼岸』の最終章で、《ここは、さらなる研究を始めるべきところなのかもしれない Hier wäre die Stelle, mit weiteren Studien einzusetzen.》と記している。

この1920年に上梓された論文、フロイト64歳の論文にて、フロイトは新たな「出発点」に立った。エロス/タナトスの模索である。

死の枕元にあったとされる草稿には次のようにある。

破壊欲動の最終的な目標は、生きた物 das Lebende を無機的状態 anorganischen Zustand へ還元することだと想定しうる。この理由で、破壊欲動を死の欲動 Todestrieb とも呼ぶ。(フロイト『精神分析概説』草稿、死後出版1940年)

破壊欲動、すなわちタナトスの目標は、無機的状態に還元することだとしている。 これがフロイトの最後の言葉ではあるが、ラカンはこの「無機的状態」に反して考えた(いやむしろ、フロイトの思考を真に「忠実に」追求していけば、生前のフロイトとは逆の捉え方になる、と考えたとしてもよい)。

ラカンの考え方は、《非生命体(無機物 l'inanimé=死)への回帰傾向の彼岸》に死の欲動があるという彼の言明が最も明瞭に示している。


【死の彼岸にある欲動】

欲動自体、それは破壊欲動 pulsion de destructionなのだが、そのかぎりにおいて、非生命体(無機物 l'inanimé=死)への回帰傾向の彼岸 au-delà de cette tendance au retour à l'inanimé になくてはならない。(ラカン、S7、04 Mai 1960)

ラカンにとって死の欲動は無機的状態への回帰どころか「永遠の生(不死の生)」にかかわるのである。

リビドー libido、純粋な生の本能 pur instinct de vie としてのリビドー。これは、不死の生vie immortelle、押さえ込むことのできない生vie irrépressible、いかなる器官 organeも必要としない生、単純化され、壊すことのできない indestructible 生、そういう生の本能である。 (ラカン、S11、20 Mai 1964)

フロイトにとってリビドーはエロス側にある。

(多細胞)生物のなかでリビドーは、そこでは支配的なものである死の欲動あるいは破壊欲動 Todes- oder Destruktionstrieb に出会う trifft。この欲動は、細胞体を崩壊させ、個々一切の有機体を無機的安定状態 Zustand der anorganischen Stabilität(たとえそれが単に相対的なものであるとしても)へ移行させようとする。リビドーはこの破壊欲動を無害なものにするという課題を持ち、そのため、この欲動の大部分を、ある特殊な器官系すなわち筋肉を用いてすぐさま外部に導き、外界の諸対象へと向かわせる。(フロイト『マゾヒズムの経済論的問題』1924)

だがラカンにとってはすべての欲動(リビドーを含む)は、潜在的に死の欲動である。

全ての欲動は、潜在的に(実質的に)死の欲動である。 toute pulsion est virtuellement pulsion de mort(ラカン、E848、1966年)

以上より、ラカンにとって「死の欲動」とは、死の彼岸にある「不死の欲動」ということが言える。

これはジジェクが長年くり返していることでもある。

◆「不死」の生 'undead' life、「不死の」機械 'undead' Machine
生は、通常の死の彼岸に生き続ける、非主体的な「不死の」欲動という「ラメラ」の恐ろしい鼓動である。死は、象徴秩序自体であり、寄生物として生体を植民地化する構造である。ラカンにおいて死の欲動を定義するものは、この二重の亀裂である。生と死とのあいだの単なる対立ではなく、生自体の分裂、すなわち「通常の」生と恐ろしい「不死の」生への分割であり、そして死自体の分裂--「通常の」死と「不死の」機械への分割である。 (ジジェク『幻想の感染』、1997年、私訳)

◆「不死の」永遠の生 'undead' eternal life
フロイトの死の欲動は、自己消滅への渇望や、どんな生命緊張の無機的不在への回帰渇望とはまったく関係がない。それどころか死の欲動とは、死にゆくことのまさに反対ーー「不死の」永遠の生自体の名であり、罪と苦痛のまわりを彷徨う終わりなき反復循環に囚われるという悲惨な運命の名である。したがって、フロイトの「死の欲動」の逆説は、まさに「死」の反対の名だということである。精神分析内で「不滅性」が現れるあり方の名、生の不気味な過剰の名、生と死の(生物学的)循環の彼岸に生き続ける「不死の」衝動の名である。精神分析の究極の教えは、人間の生はけっして「ただの生」ではないということである。人間は単に生きているのではない。人間は、過剰のなかの生を享楽する奇妙な欲動にとり憑かれ、突出した剰余・物事の通常の成行きから逸脱した剰余に熱狂的に纏いつかされている。(ジジェク『パララックス・ヴュ―』2006年、私訳)

◆「不死の」衝動 'undead' urge
盲目的で破壊されないリビドーの執着を、フロイトは「死の欲動」と呼んだ。ここで忘れてはならないのは「死の欲動」は、逆説的に、その正反対のものを指すフロイト的名だということである。精神分析における死の欲動とは、不滅性、生の不気味な過剰、生と死、 生成と腐敗という(生物的な)循環の彼岸に生き続ける「不死の」衝動である。フロイトにとって、死の欲動とはいわゆる「反復強迫」とは同じものである。反復強迫とは、過去の辛い経験を反復する不気味な衝動であり、この衝動は、その衝動に情動化された有機体の自然な限界を超えて、その有機体の死の彼岸においてさえ生き続けるようにみえる。(ジジェク『ラカンは こう読め!』2006年、既存訳をいくらか修正、「死なない undead」→「不死の」等)

◆(生物学的)死の彼岸 beyond (biological) death
死の欲動とは、ニルヴァーナ原理(すべての緊張の解消へと向う奮闘・原空無への回帰渇望)と同じものであるどころか、ニルヴァーナ原理(涅槃原理)の彼岸、その原理に反して生き続け、己れを主張するものである。言い換えれば、ニルヴァーナ原理とは、快原理に対立するものであるどころか、快原理の至高の表現、最も根源的な表現である。この厳密な意味で、死の欲動は、ニルヴァーナ原理の正反対のものを表わす。死の欲動とは、「不死の」相、(生物学的)死の彼岸に己れを主張する妖怪的生の相を表わすのである。(ジジェク、LESS THAN NOTHING、2012年、私訳)

この「不死 undead」とは、カントの無限判断における不死の相似形として捉えうる、《魂は不死である die Seele ist nichtsterblich》。

仮に私が魂について「魂は死なない ist nicht sterblich」と言ったとすれば、私は否定判断によって少なくとも一つの誤謬を除去したことになるだろう。ところで「魂は不死である die Seele ist nichtsterblich」という命題による場合には、私は魂を不死の実体という無制限の外延中に定置することによって、論理の形式面からは事実肯定したことになる。(……)

[後者の命題が主張するのは]魂とは、死すものがことごとく除去されてもなお残るところの、無限に多くのものの一つである、ということに他ならない。(……)しかし、この[あらゆる可能なものの]空間はこのように死すものが除去されるにも関わらず、依然として無限であり、もっと多くの部分が取り去られても、そのために魂の概念が少しも増大したり肯定的に規定されるということはありえない。(カント『純粋理性批判』)

ーーラカン用語を使っていえば、象徴的「生/死」の「非全体 pas-tout 」に外立するものが現実界的「不死」である。《現実界は外立する Le Réel ex-siste 》 (S22)

    生/死
 ーーーーー
 不死=非死



【涅槃原理】

上に引用した文のなかでジジェクは、《ニルヴァーナ原理とは、快原理に対立するものであるどころか、快原理の至高の表現、最も根源的な表現》あるいは《死の欲動は、ニルヴァーナ原理(涅槃原理)の正反対のものを表わす。死の欲動とは、「不死の」相、(生物学的)死の彼岸に己れを主張する妖怪的生の相を表わすのである》としている。

他方、フロイトは《涅槃原理は死の欲動の傾向を表現》するとしている。

バーバラ・ローはこのように仮定された志向を「涅槃原理 Nirwanaprinzip」と呼ぶことを提案した。われわれもこれに異存はない。ところがわれわれは、快不快原理 Lust-Unlustprinzip を不用意にもこの涅槃原理と同一視してしまった。そうなると、一切の不快は心のなかにある刺激緊張の高まりということにならなければならないし、また一切の快は同じくその低減と一致することとなり、涅槃(およびそれと同一のものとみなされる快)原理は、われわれの不安定な生命を無機状態の安定性 Stabilität des anorganischen Zustandes へと導いていくことを目標とする死の欲動 Todestriebe に全面的に奉仕することとなり、生命が突き進む経過を邪魔しようと努める生欲動 Lebenstriebe、リビドーの諸要求にたいして警告を発するという機能を持つことになるであろう。

しかしこのような考え方の正しかろうはずはない。思うにわれわれは刺激規模の増大と減少を緊張感情の系列の中で直接感じとるのであり、また、快をともなう緊張もあれば、不快な弛緩もあることは疑うべくもない。性的興奮の状態は、かかる快をともなった刺激増大のもっとも顕著な一例ではあるが、しかしたしかに唯一の例ではない。したがって、快不快は、刺激緊張と呼ばれるある量の増減に関係づけられてはなるまい。もっとも快不快は明らかにこの契機と深い関係を持っているのである。快不快はこの量的要因に依存するのではなく、 われわれが質的なものとして言い表すしかないところの、量的要因の一性格に依存するのである。(……)

いずれにせよ、死の欲動 Todestrieb に帰属する涅槃原理 Nirwanaprinzip が生物においてはある変様を受け、この変様のために涅槃原理が快原理となったであろうから、今後は両原理を同一物とみなすことを避けるべきであろう。(……)死の欲動 Todestrieb と相並んで、生の諸事象の調整にこのようにして無理やりに一役買って出たのは、生の欲動 Lebenstrieb、すなわちリビドー Libido 以外のものであるはずがない。

こうしてわれわれは、僅かではあるが興味深い一連の関係を手にした。すなわち、涅槃原理は死の欲動の傾向を表現し、快原理はリビードの要求を代表し、その変様である現実原理は外界の影響を代行する。das Nirwanaprinzip drueckt die Tendenz des Todestriebes aus, das Lustprinzip vertritt den Anspruch der Libido und dessen Modifikation, das Realitaetsprinzip, den Einfluss der Aussenwelt."(フロイト『マゾヒズムの経済論的問題』1924年)

…………

以上、表層的にあらわれているフロイトの「死の欲動」の記述とラカン的な「死の欲動」(ジジェクの明瞭な解釈における)の捉え方は、まったく正反対のものであることを示した。

ジジェクにとってはーーおそらくラカンにとってもーーこれが真のフロイトの「死の欲動」なのである。

ジジェク2012の表現なら、《フロイトを「聖書解釈学的」に読む誤ち》を犯して、《フロイトが「死の欲動」概念において目指していたもの--より正確に言えば、フロイト自身が己の発見の十全な意味作用に盲目のままで気づいていなかった死の欲動の鍵となる相》を見逃してはならない。巷間の《素朴なフロイト学者》のように死の欲動を心理学的に捉えてはならず、ラカンやドゥルーズが繰り返したように《死の欲動とは超越論的概念》(参照)なのであり、《フロイトをよりいっそうラディカルに読まねばならない》ということになる。