このブログを検索

2017年4月9日日曜日

回答

質問を受けるとは、主人のポジションS1に立つということである。 
これが、ヒステリーの言説が表わしていることだ。 



被質問者が主人の場に立つとは、彼が実際上、主人(支配者)なのか否かは関係ない。 欲望の主体$ →主人S1という「社会的つながり(=言説)」の場に立たされるのであって、《彼らはそれを知らないが、そうする Sie wissen das nicht, aber sie tun es》(マルクス)。

個人は、主観的にはどれほど諸関係を超越していようと、社会的にはやはり諸関係の所産なのである。(マルクス『資本論』序文)

質問に応じれば、S1は、知S2を生み出す。 
だが、この知 S2は、質問者の隠された真理の場にある a とは合致しない。 
このa は原初に喪われた対象であり、口唇 oral 対象(母の乳房)とされることもある。 




この観点をとれば、質問という行為は、母の乳房に到りたいという原動因に駆り立てられている、ということになる。 

だがこの原動因は抑圧されているので、「私に教えて! 私の欲望を」という形をとる。

主人S1としての私は、上の図の右側にあるように、分割された主体$を隠蔽して、エラそうに答えをひねり出す。

それはヘーゲルの主人ー奴隷なら、奴隷S2に向けてである。
ようするに、答えを受け取るものは、奴隷のポジションに置かれる。
奴隷はその返事をうけて、糞a(肛門Anal 対象)を生みだす。

これが支配者としての、わたくしの回答である。