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2017年4月18日火曜日

「夕暮れの涼しいときに」と「白い月影は森を照らし」

◆マタイ第64曲 Am Abend, da es kühle war 夕暮れの涼しいときに(Karl Richter、Fischer-Dieskau 1958)



◆Faure、La lune blanche luit dans le bois 白い月影は森を照らし (Ian Bostridge)




ーーいやあ実によく似ている。昨日、何度か「夕暮れの涼しいときに」を聴いていて、ふと気付いてしまった。世界中でまだ誰も言っていない。「世界初」の発見である。コレハヒョットシテのーべる音楽批評賞モノノ発見デハナカロウカ・・・

ここで記念にこの100年あまりのあいだで「唯一」の真の作家プルースト(ノーベル文学賞はプルースト文学賞と改名すべきである)の文をバッハとフォーレ、そして蚊居肢散人に捧げておく。

その楽節は、ゆるやかなリズムで、スワンをみちびき、はじめはここに、つぎはかしこに、さらにまた他のところにと、気高い、理解を越えた、そして明確な、幸福のほうに進んでいった。そしてその未知の楽節がある地点に達し、しばし休止ののち、彼がそこからその楽節についてゆこうと身構をしていたとき、突然、楽節は方向を急変し、一段と急テンポな、こまかい、憂鬱な、とぎれない、やさしい、あらたな動きで、彼を未知の遠景のかなたに連れさっていった。それから、その楽節は消えた。彼は三度目にその楽節にめぐりあいたちとはげしく望んだ。すると、はたして、その楽節がまたその姿をあらわしたが、こんどはまえほどはっきりと話しかけてくれなかったし、まえほど深い官能をわきたたせはしなかった。しかし、彼は家に帰ると、またその楽節が必要になった、あたかも彼は、行きずりにちらと目にしたある女によって生活のなかに新しい美を映像をきざみこまれた男のようであり、その名さえ知らないのにもうその女に恋をし、ふたたびめぐりあうてだてもないのに、その女の新しい美の映像がその男の感受性にこれまでにない大きな価値をもたらす場合に似ていた。(プルースト「スワン家のほうへ」)

わたくしはあまり人が好まないフォーレ(本来の発音はフォレである)のいくつかの作品にひどく惹かれるのだが、フォーレへの愛はその多くがバッハ起源ではなかろうか? 十代半ばからの数年のあいだほとんどバッハしか聴かなかった。三年のドイツ赴任から帰ってきた自動車会社勤務でクラッシックファンの叔父がわたくしのレコード棚を見て呆れ果てていたことを想い出す。あの頃の影響が生涯、色濃く残っているには相違ない。

わたくしがこよなく愛するフォーレ遺作の弦楽四重奏も、ああここにはバッハがある! と感じてしまうのだが、上のようにぴったりとーーわたくしの妄想的頭のなかでーー、合致するものを見出せない。少年時代の一時期、毎日のように聴いていたオルガン小曲集(オルゲルビュッヒライン Orgelbüchlein)かトリオソナタの緩徐楽章あたりにあるのではないか、とは疑っているのだが。





いやこれはーーすばらしく美しい曲にはちがいないがーーちょっと違う。長い間きいていない『音楽の捧げもの』あたりのトリオソナタを探すべきか。それとも平均律のフーガを弦楽四重奏に編曲したものを聴き込めば第二の発見に至るかもしれない・・・

…スワンや彼の妻はこのソナタに、明瞭にある楽節を認めるのだが、私にとってその楽節は、たとえば思いだそうとするが闇ばかりしか見出せない名前、しかし一時間も経ってそのことを考えていないときに最初はあれほどたずねあぐんだ綴がすらすらとひとりでに浮かびあがってくるあの名前のように、ソナタのなかにあって容易にそれとは見わけにくいものなのであった。また、あまりききなれないめずらしい作品をきいたときには、すぐには記憶できないばかりでなく、それらの作品から、ヴァントゥイユのソナタで私がそうであったのだが、われわれがききとるのは、それほどたいせつではない部分なのである。(……)

そればかりではない、私がソナタをはじめからおわりまできいたときでも、たとえば距離や靄にさまたげられてかすかにしか見ることのできない記念建造物のように、やはりこのソナタの全貌は、ほとんど私に見さだめられないままで残った。そこから、そうした作品の認識にメランコリーがむすびつくのであって、時間が経ってからのちにそのまったき姿をあらわすものの認識はすべてそうなのである。

ヴァントゥイユのソナタのなかにもっとも奥深く秘められた美が私にあきらかになったとき、はじめに認めてたのしんだ美は、私の感受性の範囲外へ習慣によってさそわれて、私を離れ、私から逃げだしはじめた。私はこのソナタがもたらすすべてを時間をかさねてつぎつぎにでなければ好きになれなかったのであって、一度もソナタを全体として所有したことがなかった、このソナタは人生に似ていた。しかし、そうした偉大な傑作は、人生のようには幻滅をもたらすことはないが、それがもっている最上のものをはじめからわれわれにあたえはしない。

ヴァントゥイユのソナタのなかで一番早く目につく美は、またあきられやすい美であり、そうした美がすでに人々に知られている美とあまりちがっていないのも、まず早く目にとまる美だからである。しかしそんな美がわれわれから遠ざかったとき、そのあとからわれわれが愛しはじめるのは、あまり新奇なのでわれわれの精神に混乱しかあたえなかったその構成が、そのときまで識別できないようにしてわれわれに手をふれさせないでいたあの楽節なのである。

われわれが毎日気がつかずにそのまえを通りすぎていたので、自分から身をひいて待っていた楽節、それがいよいよ最後にわれわれのもとにやってくる、そんなふうにおそくやってくるかわりに、われわれがこの楽節から離れるのも最後のことになるだろう。われわれはそれを他のものより長く愛しつづけるだろう、なぜなら、それを愛するようになるまでには他のものよりも長い時間を費していたであろうから。それにまた、すこし奥深い作品に到達するために個人にとって必要な時間というものはーーこのソナタについて私が要した時間のようにーー公衆が真に新しい傑作を愛するようになるまでに流される数十年、数百年の縮図でしかなく、いわば象徴でしかないのである。(プルースト『花咲く乙女たちのかげに Ⅰ』)

やむえないことである。公衆にとっては、《真に新しい傑作を愛するようになるまでに流される》年月は、100年でも足りないのである。もう100年か200年ほどはお待ちしよう。1750年に死んだバッハが真に理解されたのは、1950年代のカール・リヒターとグレン・グールドによる。それまでに19世紀のメンデルスゾーンによる「ロマンティック的」バッハの発見はありはしても。他にはシューマンによるバッハの発見という僅かな例外があるだけである。

もちろん「真のバッハ」とは虚構である。真理とは常に虚構の構造をもっている--《La vérité a structure de fiction》--これはラカンが言ったことであるがニーチェも同じことを言っている(参照)。すなわち真理とはレトリックである。だがリヒターとグールドは長持ちするレトリックを1950年代に発明したのである。わたくしもリヒターなみになんとかフォーレのレトリックを発明したいと祈願している、そろそろフォレの死後100年に至るので頃合いではある(やや力不足の点があるのを認めるのに吝かではないが)。

◆Faure, String Quartet, Movement 2(OP121)



ーーもちろんフォーレはこの作品をベートーヴェンの後期弦楽四重奏のいくつかを念頭に置きながら作っているには相違ない。

フォーレ(1845ー1924)は妻への手紙に、「ベートーヴェンの弦楽四重奏は、ベートーヴェンでないすべての作曲家に、弦楽四重奏を怖がらせる」と書いている(1924)。ラヴェルやドビュッシーによる若書きでよく演奏される弦楽四重奏などは彼には問題外だった。

彼は最晩年の死去の前年1923年までピアノなしのカルテットを書かなかった、いやおそらく書けなかった(OP121は1923年から1924年にかけて作曲されている)。そして批評家たちにベートーヴェンの影響を指摘されることに心配した。フォーレは最初に第2楽章のアンダンテを書いた。これがOP121の中心であることは疑いない。

だがここにはベートーヴェンだけではなく、バッハのコラールがかならずある。そもそも彼は教会オルガニストの職にてキャリアを始めたのだから。そしてわたくしにいわせれば、フォーレのレクイエムなど許しがたい凡作である。フォーレの核心は、ピアノ伴奏の歌曲と最晩年のいくつかの作品にしかない。

それはバッハを愛して編曲し、同時にフォーレをひどく愛するナウモフがよく知っている(いや口がすべってしまったが、ナウモフはなぜかレクイエムのピアノ編曲をしており、たぶん血迷ったのであろう・・・)。





ナウモフにはバッハのBWV614などの編曲もあるが、クルターグの編曲よりはかなり劣るのはやむえない。至上「最高」の寡作作曲家クルターグの類まれなる愛の結晶なのだから。

以下のクルターグ夫妻の演奏は、クルターグ90歳時であり、マルタは88歳である。

◆Márta and György Kurtág play Bach-transcriptions by Kurtág



ーーじつにここには今ではどこかにいってしまった「祈り」がある。

フォーレのOP121の話に戻すが、この作品は三楽章も際立って輝かしい楽章でありながら、なぜか演奏されることが極めて少ない。おそらくラヴェルやドビュッシーの弦楽四重奏の演奏回数の十分の一以下だろう。

OP121が演奏される回数が少ないのは、ひどく馬鹿げている。もっとも音楽家とはおおむね聴く耳をもたない連中の集まりであるのはよく知られている。

かつて音楽は、まず人々の―特に作曲家の頭の中に存在すると考えられていた。音楽を書けば、聴覚を通して知覚される以前にそれを聞くことができると考えられていたんです。私は反対に、音が発せられる以前にはなにも聞こえないと考えています。ソルフェージュはまさに、音が発せられる以前に音を聞き取るようにする訓練なのです……。この訓練を受けると、人間は聾になるだけです。他のあれこれとかの音ではなく、決まったこの音あの音だけを受け入れられるよう訓練される。ソルフェージュを練習することは、まわりにある音は貧しいものだと先験的に決めてしまうことです。ですから〈具体音の〉ソルフェージュはありえない。あらゆるソルフェージュは必然的に、定義からして〈抽象的〉ですよ……。(ジョン・ケージ『小鳥たちのために』)

地上には小鳥たちはわずかにしかいず、阿呆鳥が大半なのだからやむえない。アホウドリとは。、別名ブラヴォードリと呼ばれるのはよく知られてはいなかっただろうか?

彼らは、芸術作品に関することになると、真の芸術家以上に高揚する、というのも、彼らにとって、その高揚は、深い究明へのつらい労苦を対象とする高揚ではなく、外部にひろがり、彼らの会話に熱をあたえ、彼らの顔面を紅潮させるものだからである。そんな彼らは、自分たちが愛する作品の演奏がおわると、「ブラヴォー、ブラヴォー」と声をつぶすほどわめきながら、一役はたしたような気になる。しかしそれらの意志表示も、彼らの愛の本性をあきらかにすることを彼らにせまるものではない、彼らは自分たちの愛の本性を知らない。しかしながら、その愛、正しく役立つルートを通りえなかったその愛は、彼らのもっとも平静な会話にさえも逆流して、話が芸術のことになると、彼らに大げさなジェスチュアをさせ、しかめ顔をさせ、かぶりをふらせるのだ。(プルースト「見出されたとき」) 

《深い究明へのつらい労苦》をしなくてはならないのに、時代のドグマが「名曲」だとしたり仲間内で「流行」になりつつある作品に対してのみ、他人に《ブラヴォー》と叫び立てる種族をアホウドリと呼ぶのである。

かつまた《あらゆる印象は、二重構造になっていて、なかばは対象の鞘におさまり、他の半分はわれわれ自身の内部にのびている》(プルースト)のにもかかわらず、対象の鞘におさまった部分のみを喚き立てる種族をもアホウドリと呼ぶのである。

ブラヴォードリは、他人の欲望の幻想的囮/スクリーンになる社会的つながりを確立しようとする言説構造をもっており、これを「倒錯者の言説」と呼ぶことについては、「倒錯者の言説(マゾヒストの言説)」にてやや詳述した。そもそも日本ツイッター社交界においては思想・文学・芸術・映画などをめぐってアホウドリ以外にお目にかかることは稀である。

(ところで、蚊居肢散人はどこかで似たようなことをやっていなかっただろうか・・・ま、その探求はこの際、脇にやる。というのは、《万人はいくらか自分につごうのよい自己像に頼って生きている》(エリオット)のであり、自らの振舞いについてはメクラなのである。)

フォーレは晩年、象徴的音の生垣に穴をあけ現実界を垣間見せたのである。ソルフェージュの箍からはずれた音を書いたのである。音楽家たちがそれを聴き分ける耳がないのは、オベンキョウしすぎたためである。

これは音楽家だけの話ではない。専門家とは自分の専門の真理が分からなくなってしまう種族なのである。すなわちドクマというタガメ女に飼い馴らされてしまい、ラカン風に言えば《幻想の窓 fenêtre du fantasme》(S11)を通してしかものが見えなくなる、ロラン・バルト風に言えば、《見るものを窓枠自体によって作り上げてしまう》(『S/Z』)のである。

最晩年のラカン自らのマヌケ宣言は、いま記した意味で捉えなければならない。

私は相対的には relativement マヌケ débile mental だよ…言わせてもらえば、全世界の連中と同様にマヌケだな。というのは、たぶん、いささか啓蒙petite lumière されているからだな(ラカン、S24,17 Mai 1977)

たださらに遺憾なことに、専門家はおおむね勉強しすぎて、相対的なマヌケどころか、絶対的マヌケになってしまう。世界が非一貫的なもの(非全体pas-tout)であることを忘却してしまうのである。彼らの不感症ぶりは、すこし観察すればすぐ瞭然とすることである。

ニーチェの「真理は女である」とは、真理は非全体であるという意味である。

真理が女である、と仮定すれば-、どうであろうか。すべての哲学者は、彼らが独断家であったかぎり、女たちを理解することにかけては拙かったのではないか、という疑念はもっともなことではあるまいか。彼らはこれまで真理を手に入れる際に、いつも恐るべき真面目さと不器用な厚かましさをもってしたが、これこそは女っ子に取り入るには全く拙劣で下手くそな遣り口ではなかったか。女たちが籠洛されなかったのは確かなことだ。(ニーチェ『善悪の彼岸』)

…………

いやあ音楽だけ貼り付けてすまそうと思っていたのだが、ひどい「自由連想」をしてしまった。シツレイ!!

音楽について記すと、どうも妄言・暴言を吐きたくなる傾向があるのは、これはいったいどうしたわけか?

ーー《人はつねに愛するものについて語りそこなう》(ロラン・バルト)