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2017年3月7日火曜日

ジャコメッティと女たち

あなたにとっての「世界で一番カッコいい人物」」第二弾。

あの頃ロダンを愛したのはリルケが褒めていたせいだ
あの頃ドガを愛したのはヴァレリーが褒めていたせいだ
あの頃ジャコメッティを愛したのはサルトルが褒めていたせいだ

人が褒めていたから愛するようになったに過ぎない
ジャコメッティは森有正が褒め加藤周一が褒め
そのため矢内原を読んだ

1959年8月3日、矢内原は2年ぶりにオルリー空港に降り立つ。パリを走るバスのなかから認めたアネットの姿。「彼女はぼくのほうに走ってくる、彼女は喜んでいる」。矢内原の眼には、街も人も変わっていない。アルベルトはまだスイスだ。そこでアネットと公園のなかを散歩、サン=ジェルマン=デ=プレに出かけて食事をとり、ホテルに帰って愛しあう。(矢内原伊作『完本 ジャコメッティ手帖』 II

(ジャコメッティとアネット、矢内原撮影)


ジャコメッティ夫妻は、有名になり金銭的な余裕が充分にできても浴室も流し台もない、パリ最下層のアトリエに二人で住み、食事はほとんどつねにカフェでとっていたと言われている。




ジャコメッティは娼婦にところに「もらい湯」にいっていたというが、もちろんそれだけではないだろう。

以下、James Lord、Giacometti portraitから引用するが、必ずしも全面的に信用する必要はない。それは矢内原伊作の叙述もある意味そうだが、朝吹登水子や石井好子などによって人はいくらか矢内原の叙述がそれほど間違いでないだろうと憶測する「証拠」がないではない。



娼婦とは最もまっとうな女たちだ。彼女たちはすぐに勘定を差し出す。他の女たちはしがみつき、けっして君を手放そうとしない。人がインポテンツの問題を抱えて生きているとき、娼婦は理想的である。君は支払ったらいいだけだ。巧くいかないか否かは重要でない。彼女は気にしない。(James Lord、Giacometti portraitより)

(ジャコメッティが晩年まで愛した Caroline Tamagno)


(アネットととものジャコメッティ)

仕事がうまく進まなくて神経がたかぶっている時に〈椿姫〉や〈冬の旅〉などが聞こえてくると『アネット! なぜヘンデルをかけないのだ』とどなったりした。ジャコメッティは他のどの音楽家のものよりも特にヘンデルのものが好きなのだ。ヘンデルの音楽は、いささかのわざとらしさも誇張もなく、全く自然で、最も『開かれた』音楽だ、と彼は言うのである。ヘンデルにくらべれば、ベートーヴェン以後のロマン派音楽はあまりにも技巧的主観的であり、『芸術』的であり過ぎる、というのが彼の意見だった。最もすぐれた芸術は『芸術』を感じさせない芸術にある。(矢内原伊作「ジャコメッティ」)

彼のなかにはニーチェだっているじゃないか! --《優れたものは軽やかであり、一切の神的なものは華奢な足で走る》(ニーチェ『ヴァーグナーの場合』トリノ書簡)

四分の三の力―― ひとつの作品を健康なものらしく見せようというなら、それは作者のせいぜい四分の三の力で産み出されていなくてはならぬ。

これに反して、作者がその極限のところまで行っていると、その作品は見る者を興奮させ、その緊張によって彼を不安におとしいれる。

あらゆるよいものは、いくぶん呑気なところがあって、牝牛のように牧場にねそべっている(ニーチェ『人間的な、あまりに人間的』)



アネット夫人はどうしても近代音楽の価値を夫に認めさせようとしてしきりに論じたが、ジャコメッティの方も近代芸術よりも中世或いは古代の芸術のほうが優れているという説を主張して譲らない。(……)「しかしあなたがそういう風に言うのも、あなたが近代人であり、現代の芸術家だからではありませんか」と僕が述べると、これには彼も賛成して、「確かにそうだ、(……)近代の目で見るからこそ古代や中世のものに動かされるのだ、つまり私はグレゴリアン聖歌を最も近代的、或いは最も現代的な音楽としてきいているのだ」と言った。「それならどうして(……)今日の芸術家はエジプトやビザンティンのような美術、或いはグレゴリアン聖歌のような音楽が作れないのかしら。」ジャコメッティは呟くように、しかし即座に答えて言った、「一人の力で社会を作ることは出来ないからだ」と。(同、矢内原伊作)

しかも彼はヘンデルさらにいっそうグレゴリオ聖歌を愛している。「僕の趣味と同じじゃないか!」

当時わたくしは立教に女友達があり、彼女に導かれて皆川達夫のグレゴリオ聖歌の話をこっそりききにいっていた。《まぎれもなく生月島の歌オラショ『ぐるりよざ』の原曲となった聖歌『オ・グロリオザ・ドミナ O gloriosa Domina (栄光の聖母よ)』、夢にまで見たそのマリア賛歌の楽譜が記されていたのである。》(皆川達夫


(La femme qui marche,1932-1936)


乳房の下にある窪みに人差し指や中指を入れて感触を愛しんでいたくなるような作品だ。

彼の20歳代の作品の窪みだっていい。

(Watching Head,1927)


わたくしは若いころルーヴルの土産物ショップで手に入れた キクラデス Cycladesの小さな模造彫刻を撫でまわすだけで今のところ我慢しているが、どうも最近はくぼみが欲しくてたまらない。




ブランクーシのイミテーションでも手に入れるべきだろうか。




だがすぐにくぼみが物足りなくなる気がする。

おそらくコンスタンティン・ブランクーシ Constantin Brâncuşi の作品群はおおむね女性向けなのではなかろうか・・・



…………

美には傷以外の起源はない。どんな人もおのれのうちに保持し保存している傷、独異な、人によって異なる、隠れた、あるいは眼に見える傷、その人が世界を離れたくなったとき、短い、だが深い孤独にふけるためそこへと退却するあの傷以外には。(ジャン・ジュネ『アルベルト・ジャコメッティのアトリエ』宮川淳訳)

 Il n’est pas à la beauté d’autre origine que la blessure, singulière, différente pour chacun, cachée ou visible, que tout homme garde en soi, qu’il préserve et où il se retire quand il veut quitter le monde pour une solitude temporaire mais profonde. (Jean Genet, L’atelier d’Alberto Giacometti)




ジャコメッティは若き時代、毎夜眠りにつく前に、自分が二人の男を殺し、二人の女をレイプして殺害することを想像した。(James Lord、Giacometti portraitより)

美には割れ目以外の起源はない。

現実は象徴界によって多かれ少なかれ不器用に飼い馴らされた現実界である。そして現実界は、この象徴的な空間に、傷、裂け目、不可能性の接点として回帰する。(François Balmès, Ce que Lacan dit de l'être,2000ーー「エディプス的なしかめ面 grimace œdipienne」 と「現実界のしかめ面 grimace du réel」


(Suspended Ball 1930-1931)

ーーこの作品はアンドレ・ブルトン、サルバドール・ダリ等を魅了した。ジャコメッティはこの作品制作前後にシュルレアリストグループに入る(1934年に父の死があり、作風の変化をブルトンに難詰され1935年にブルトングループから離反する)。

ジャコメッティはシュレアリストのある会合にて、次の問いに答えるよう求められた。「どうやって女たちを選ぶのか?」「あなたは暗闇に身を隠す。女が通り過ぎるとき、彼女目掛けて身を投じ、強姦する」(James Lord、Giacometti portraitより)

(LE COUPLE,1928-1929)

1926ー27年に同じカップルと題された作品は、次のもの。




1925年から関係が続いていた4歳年上の米女性Flora Mayaとは1929年に別れている(Giacometti Chronology, MoMA、2001,PDF





ジャコメッティの母は、彼の家族のなかで「支配者」であり、彼は強い依存関係にあったとされる。(James Lord、1986)




さてここまで精神分析的記述を敢えて避けてきたが、ここですこしだけフロイトとラカン派の記述にお出まし願っておこう。

……生物学的要因とは、人間の幼児がながいあいだもちつづける無力さ(寄る辺なさ Hilflosigkeit) と依存性 Abhängigkeitである。人間が子宮の中にある期間は、たいていの動物にくらべて比較的に短縮され、動物よりも未熟のままで世の中におくられてくるように思われる。したがって、現実の外界の影響が強くなり、エスからの自我に分化が早い時期に行われ、外界の危険の意義が高くなり、この危険からまもってくれ、失われた子宮内生活をつぐなってくれる唯一の対象は、極度にたかい価値をおびてくる。この生物的要素は最初の危険状況をつくりだし、人間につきまとってはなれない「愛されたいという要求 Bedürfnis, geliebt zu werden」を生みだす。(フロイト『制止、症状、不安』ーー自分の屍骸を解剖してその病状を天下に発表する義務

(左端、ジャコメッティ)

構造的な理由により、女の原型は、危険な、貪り食う〈大他者〉と同一化する。それはもともとの原初の母であり、元来彼女のものであったものを奪い返す存在である。このようにして純粋な享楽の元来の状態を回復させようとする。これが、セクシュアリティがつねに fascinans et tremendum(魅惑と戦慄)の混淆である理由だ。すなわちエロスと死の欲動(タナトス)の混淆である。このことが説明するのは、セクシュアリティ自身の内部での本質的な葛藤である。どの主体も彼が恐れるものを恋焦がれる。熱望するものは、享楽の原初の状態と名づけられよう。(ポール・バーハウ1995,Paul Verhaeghe,NEUROSIS AND PERVERSION: IL N'Y A PAS DE RAPPORT SEXUEL,PDF


すべての女性に母の影が落ちている。つまりすべての女は母なる力を、さらには母なる全能性を共有している。これはどの若い警察官の悪夢でもある、中年の女性が車の窓を下げて訊ねる、「なんなの、坊や?」

この原初の母なる全能性はあらゆる面で恐怖を惹き起こす、女性蔑視(セクシズム)から女性嫌悪(ミソジニー)まで。(ポール・バーハウ1998,Paul Verhaeghe,Love in a Time of Loneliness THREE ESSAYS ON DRIVE AND DESIRE)

ジャコメッティの母の名は、Annetta Giacometti-Stampaである。

そして1943年にBrasserie Centraleにおけるディナーで、ジャコメッティは20歳になったばかりのAnnette Armと出逢う。



ーーとても美しい写真だ。



いやあ、徹底的に美しい。ブランクーシ的抱擁! 




わたくしは不幸にも若いころ、ブランクーシを褒めている人物に誰も出会わなかったので、長いあいだ彼の作品にはほとんど関知していなかったが、とてもすばらしい彫刻家であるに相違ない。もっとも現実とはこういうものではない。

ラカン派の用語では、結婚は、対象(パートナー)から「彼(彼女)のなかにあって彼(彼女)自身以上のもの」、すなわち対象a(欲望の原因―対象)を消し去ることだ。結婚はパートナーをごくふつうの対象にしてしまう。ロマンティックな恋愛に引き続いた結婚の教訓とは次のようなことである。――あなたはあのひとを熱烈に愛しているのですか? それなら結婚してみなさい、そして彼(彼女)の毎日の生活を見てみましょう、彼(彼女)の下品な癖やら陋劣さ、汚れた下着、いびき等々。結婚の機能とは、性を卑俗化することであり、情熱を拭い去りセックスを退屈な義務にすることである。(ジジェク、LESS THAN NOTHING,私訳ーーうんざりすることのない愛しい妻



ーーアネット! 私のグレゴリア聖歌をヴェルディだけにはしないようしてくれ

…………

※付記

蛇足ながら、ここに写真として貼り付けたジャコメッティの作品群のほとんどは、通説では、いわゆる「真のジャコメッティ」となったと言われる1945年のモンパルナスの映画館の出来事以前のものであることを断っておく(他の作家の作品の提示も、いささかキクラデス彫刻への偏愛気味のことろがあるわたくしの「趣味」に大いにかかわっている)。

「でも、空間についてのぼくのいっさいの考えをくつがえし、ぼくを、ぼくが今いる道に決定的に導き入れてくれた真の啓示、真の衝撃ともいうべきものを、ぼくは同じころ、1945年に、ある映画館で体験したのだ。ニュース映画を見ていたのだけれどね、突然、ぼくには、そこに映っている人の姿のかわりに、三次元の空間を動いている人々のかわりに、平たい布の上のいくつかの斑点が見えたのさ。ぼくには画面に映った人々の存在がもう信じられなくなっていたんだな。

ぼくは隣にいる人を見た。すると、これがまた対照的に、何か途方もない深みを帯びているのだ。ぼくは突如として、あの深みを意識していたのだ。ぼくたちは皆、この深みのなかに身を浸しているけれども、慣れているせいで気づかないんだよ。ぼくは外に出た。すると、モンパルナスの大通りが、まるで見知らぬものに思えた。何もかも、別物になっていた。あの深みが、人々も、樹々も、事物も、変形させていたのだ。おそろしく静かだったな―苦しいほどだったよ 。あの深みの感情が沈黙を生みだし、事物を沈黙のなかに沈めているのだ。

この日に、ぼくは理解した、写真だとか映画とかは、真の意味での現実性を何ひとつも表現していないってことをね。とくに、空間という第三の次元を少しも表現していないということをね。ぼくにはわかったのだ。現実に関するぼくのヴィジョンは、映画などが持っているいわゆる客観性とは反対の極に位していることが。ぼくがこんなに強く感じているこの深みを描くように試みなければならない、ということがね」 」 (ジャン・クレイ「アルベルト・ジャコメッティとの最後の会話」 )

キクラデス彫刻にかかわっていえば、20世紀最大の古代キクラデス作家モディリアーニを忘れてはならない(モディリアーニはブランクーシに学んだが、貧困のため画家に転向したと言われている)。



ほかにもわたくしの住まいの比較的近場に存在するクメール彫刻群が、至高の「愛の呼びかけ」を以て、常にわたくしを待っているという幸福をもっている。




もちろんときには生身のほうがよいとすれば、カンボジアジプシーと当地の人が呼ぶ女たちの踊りを歩いて五分の市場裏広場にて年に数度観賞することさえできる。




ーーいやあ、ぜんぜんジャコメッティの女の話じゃなくなってしまった・・・

とはいえ、ニーチェを再掲すれば、《優れたものは軽やかであり、一切の神的なものは華奢な足で走る》(『ヴァーグナーの場合』トリノ書簡)のである。すなわち《最もすぐれた芸術は『芸術』を感じさせない芸術にある》(ジャコメッティ)なのだ。




James Lordによれば、ジャコメッティは足フェチだったそうだが、彼ははたしてこんな美しい足たちに遭遇できたであろうか? もちろん蚊居肢散人がひどい足フェチであるのは知る人ぞ知るである。




われわれは、ユーラシア大陸西端の陸塊にすぎない「ヨーロッパ半島」の女たちの美を過大評価してはならない。

かつまた人は、《笑うことによって厳粛なことを語る ridendo dicere severum》(ニーチェ)ーーのでなくてはならぬ。