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2016年11月21日月曜日

ほれぼれするスカルラッティ

◆Scarlatti - Irina Zahharenkova (2012) - Various sonatas (K. 211, 213, 294)



Irina Zahharenkova (born 23 February 1976 in Kaliningrad) is an Estonian pianist and harpsichordist(WIKI)

惚れ惚れするスカルラッティだ、名手たちの演奏を忘れてしまうぐらい。

世の中はスカルラッティよりもモーツァルトのほうがいいという種族ばかりだが、あれはどういったわけだろう。いやそんなことはどうでもいい、モーツァルトだっていいさ。

彼女のK208 を聴きたい。

とても好きな曲なのだが、いままで聴いた演奏はどれも何かが足りない、というか多すぎるというのか(もともとギター編曲で演奏されることが多く、わたくしも最初はギター演奏で巡り合った)。

◆Scarlatti - K.208 - Jean Rondeau



◆Maria Joao Pires Scarlatti




なにが足りないって?なにが多すぎるって?

呼吸するためではなくて、誰かの息が絶えるときのように、もはや自己の内部にあるのか外部にあるのかわからないが、いきなり口をあける深淵。音それ自体があまりにも稠密な光を放っているので、音は裏側にあるくぼみの反射でしかないのではないかと思われてしまう。音たちがみずからあがなうべき影、目に見えるものと目に見えないもののあいだにある絶対的な均衡の法則にしたがって音たちが死者の国から連れてくる影。(シュネデール、グールド、ピアノソロ)

Irina Zahharenkova にはこれがある? さあね、耳なんてのは錯覚でできあがってるのさ、でも「音、沈黙と測りあえるほどに」の演奏家には間違いないね、とくに二曲目のK213 の冒頭を初めとするいくつかの箇所なんて。
…………

セルゲイ・カスパロフ Sergey Kasprov の2008年版はネット上からなくなっているが、2009年版のk319を貼り付けておこう(2008年版は冒頭の天空に駆け上がる眩暈のするような音を初めとして、息詰まるような演奏だった、2009年版は、わたくしには緊張感がやや薄れてきこえる、でもこれもまたすばらしい演奏には相違ない。Horowitz の k319?あれは違った曲演奏してるんじゃないか・・・テクニックで飼い馴らされたスカルラッティ)。

◆Scarlatti Sonata k319 Sergey Kasprov, piano La Roque d'Antheron 2009



カスパロフの2008年とは、第2回スヴャトスラフ・リヒテル国際ピアノコンクール(2008)の第一次予選の録音(彼は二次予選で落ちた)。アファナシエフが絶賛しているのを知って探して聴いた。

その人物は腹の底からモスクワ音楽院仕込みのロシア人だった。演奏を開始する前のピアノを前にしての彼の挙措に、まず私は打たれた。あたかもステージを泳いで横切る準備をしているかのごとくに、体全体がピアノに向かって前のめりに傾けられたのだ。彼のスカルラッティのソナタに私は衝撃を受けた。モスクワの空気が、ソヴィエト連邦時代の生活にあった強烈さがそこにはあった。ロシア学派だ。ついに私は、それが意味するものをはっきりと理解した。(……)

彼ほど才能のあるピアニストはそうそう街を歩いてはいないものだ。私はこれほどの才能をもったピアニストを他には知らない――確かに、現在存命中のすべてのピアニストの演奏を聴いたわけではないけれど。・・・(中略)・・・カスプロフはステージで微笑んだりはしない。想像するに、彼は音楽の政治局の誰かの気を引こうとしてはいないのだ。(アファナシエフ『ピアニストのノート』