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2016年4月8日金曜日

ドガ・ヴィスコンティ・コッポラ

(私の魂)といふことは言へない
その証拠を私は君に語らう




ドガってのは実にいい
最近はほしいものがあまりなくなったんだけど
残り少ない欲望のうちのひとつ
何がほしいって
ドガのデッサン一枚ほしいよ
ジャコメッティの小さな彫刻と同じくらい

彼は七十歳の時に(……)こう言った、「我々は、現在我々がやっていることよりも、何時かは為し得るだろうことについて、自信を持たなければならない。でなければ仕事なんて意味がない。」

七十歳の時にである……。

これこそあらゆる虚栄心から人を救う真の驕慢である。ちょうどトランプや将棋の愛好者が、遊んでいる時のことを忘れず、就寝後も闇の中にトランプのテーブルや将棋盤を見る気がし、現実におけるよりも更に生々しい作戦の幻影に悩まされるように、本質的な芸術家というものは、彼の芸術に憑かれているのである。

この程度に、或る何物かの実在に魅せられていない人物は何物をも持たない無価値の人間である。そういう人物は空地に等しい。 (ヴァレリー『ドガに就て』 吉田健一訳)

とはいえ、あのデッサン眺めてたら
ラウラ・アントネッリ(Laura Antonelli)を想い出したな
あのヴィスコンティの遺作イノセントのさ
こっちのほうもいまだ欲しくないわけじゃない


◆L'INNOCENTE LUCHINO VISCONTI




当時は同時にSimonetta Stefanelliにも惚れこんでいた
ゴッドファザーⅡの日本公開はオレの十代最後のころだったはず
イノセントも同じころではなかったか

一番「元気がよかった」ころだからな
映画で美しい女をみたら、
だいたい惚れこんだよ、あの当時は




あのころはいつもお祭りだった。家を出て通りを横切れば、もう夢中になれたし、何もかも美しくて、とくに夜にはそうだったから、死ぬほど疲れて帰ってきてもまだ何か起こらないかしら、火事にでもならないかしら、家に赤ん坊でも生まれないかしらと願っていた、あるいはいっそのこといきなり夜が明けて人びとがみな通りに出てくればよいのに、そしてそのまま歩きに歩きつづけて牧場まで、丘の向うにまで、行ければよいのに。「あなたたちは元気だから、若いから」と人には言われた、「まだ結婚していないから、苦労がないから、むりもないわ」でも娘たちのひとりの、びっこになって病院から出てきて家にはろくに食べ物もなかったあのティーナ、彼女でさえわけもなく笑った、そしてある晩などは、小走りにみなのあとをついてきたのが、急に立ち止まって泣き出してしまった、だって眠るのはつまらないし楽しい時間を奪われてしまうから。(パヴェーゼ『美しい夏』 La bella estate 河島英昭訳)


◆TheGodfather2 Simonetta Stefanelli Apollonia




ーーというわけで、バッハの限りなく美しい結婚カンタータの冒頭
Arleen Auger の歌声で貼り付けておこう
これも十代のころ勃然とした曲なんだな
勃然としたのは魂のほうだったが

しかも(私の魂)は記憶する
そうして私さへ信じない一篇の詩が
私の唇にのぼつて来る
私はそれを君の老年のために
書きとめた

ーー伊東静雄「鶯」(一老人の詩)


この曲は(わたくしにとって最近は)Arleen Auger じゃないとはいけない

◆Arleen Auger "Weichet nur, betrübte Schatten" J.S. Bach



十六才の夢の中で、私はいつも感じていた。私の眼からまっすぐに伸びる春の舗道を。空にかかって、見えない無数の羽音に充ちて、舗道は海まで一面の空色の中を伸びていった。恋人たちは並木の梢に腰かけて、白い帽子を編んでいた。風が綿毛を散らしていた。

十六才の夢の中で、私は自由に溶けていた。真昼の空に、私は生きた水中花だった。やさしい牝馬の瞳をした年上の娘は南へ行った。彼女の手紙は水蓮の香と潮の匂をのせてきた。小麦色した動物たちは、私の牧場で虹を渡る稽古をつづけた。

私はすべてに「いいえ」と言った。けれどもからだは、躍りあがって「はい」と叫んだ。

ーー大岡信「うたのように 3」