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2016年2月7日日曜日

ベケットの非私とフロイトの否定 [Die Mutter ist es nicht ]

It is not mine. I have none: I have no voice and must speak. that is all I know. It's round that I must revolve, of that I must speak - with this voice that is not mine. bul can only be mine, since there is no one but me. (Or if there are others, to whom it might belong, they haw never come near me.) (Beckett, The Unnamable、ベケット『名づけえぬもの』)

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おれはいま母の部屋にいる。なぜここにいるのか。おれはこんなところに来たくなかった。 誰かが連れてきた。が、誰だったか思いだせない。ひとりでここに来るはずはない。そうだ、誰かが無理やりに連れてきた。おれじゃない。おれは母の部屋に来たくない。隙間風が吹いてる。なぜ風が吹きこむのか。戸は閉まっている。建てつけが悪いせいか。いつからそうなったのか。北向きの暗い部屋だ。大きな三面鏡がある。昔のままだ。鏡台の前でヤリたいという女がいた。遊びにきてよ、旦那が休日出勤だから、という。料理の腕前はなかなかだ。蛸のサラダ。パテ。サフランライス。白ワインとチーズはおれの持参。ベランダで、とも言った。電話がかかってきた(当時は据置き電話だ)。が、体の向きをかえ、ふたたびおれに尻を差しだした。その格好で電話先の友だちとかすかに笑いながら話している。呻り声はもうでない。せいぜいくぐもった声だ。ときおり吐息を洩らすだけ。優しく淫らな声。あの女は旦那に退屈してた。奈良の女子大出のインテリ女だ。実に女たちというのはなんでもやりかねない。おれは東京の国立女子大の女子寮で数日過ごしたことがある。ドアをあけると部屋の左右に二段ベッドがふたつ。四隅に机が四つという部屋。盆休みのさなかで、女以外はほとんど誰もいない。おいで、大丈夫だから。門限はすぎ、門扉は閉まっている。塀をよじのぼって飛びおり寮棟めがけて走る。サッカーができそうなくらいの広さの前庭。二段ベットの上でヤッたのははじめてだ。かなり揺れる。女臭い部屋だ。どうも女は臭い。恥垢がにおった。母の膝で耳かきをしてもらったときだ。この女も舐めたらその臭いがした。いや、味がした。母のを舐めたことはない。でも同じ臭いでびっくりした。若いころの母はひどく美しかった。あのころの母より美人はそういない。でもあの若い母とヤリたいわけじゃない。樹がざわざわしている。上のほうからだ。なんの樹というのだろう。実家の母の部屋の外には大きな樹木はなかった。

母が寝込んでいた祖父の屋敷の部屋。南向きなのに薄暗かった。屋根の庇が深く、その部屋の前の庭には大きな樟の木があった。風が吹くとザワザワ鳴った。樟は美しい樹だ。樟だけじゃない。おれは大きな樹が好きだ。それに並木道がひどく好きだ。樹々に抱かれている気分になる。おれは母に抱かれた記憶がない。いやそんなことはない。風邪をひくと、母が部屋に飲み物をもってきた。林檎の絞り汁だ。それから母は蒲団に入ってしばらく抱いてくれた。母の長い病が治ってからだ。いつあの病は治ったのだろう。その記憶もない。おれには考えたくない記憶がある。あの祖父の古い屋敷が好きだった。どの柱も黒く光っていた。渡り廊下があちこちにあった。便所の戸を開けてさえ廊下があった。あの屋敷におれの秘密があるにきまっている。秘密? どんな秘密だというのだ。

おれは母が死んでも悲しくなかった。ほっとしたといえばいいすぎだ。女が、てっきりマザコンだと思っていたのに驚いたわ、と言った。母は最期のころ、小さくなった躰を車の後部席でさらにちぢこめて、こうやってアンタに遊びに連れていってもらいたかったわ、とボソッと言った。助手席の父が、もうひとふんばり、と空しく言った。あの赤い中古のスポーツカーはよい買物だった。自動車会社の技師のドイツから帰ってきたばかりの父の弟は、あのエンジンはひそかな自信作だった、と言った。最期の一年ほどは、京都から故郷の町へ二百キロの道を毎週帰郷した。実によいエンジンだった。その後、ホンダとサーブに乗ったが、あのトヨタには全然かなわない。

母の葬式後、夢をみなくなった。田舎の一本道をひとりで遠くまで歩く夢。向こうには鎮守の森がある。そこが目的地だ。だがひどく遠い。冷や汗がでて目醒めた。何度もくり返してみた夢。今でも遠くまで続く一本道をみると寒いぼが立つ。愛するのは大きな樹に囲まれた並木道だ。あの樟の木のように、頭上でザワザワしてくれたらもっといい。それと海に向かう急坂。自転車ででこぼこ道を駆け下りると、頭の斜め上に、鳩たちが歩む海が浮かぶ。今ではこの道は廃道となっている。何人もが自転車のハンドルをとられ、傍の藪に突っ込み転がり落ちる、という事故があった。ヴァレリーのあの詩を読んだのは、この十六歳の伊古部の海の経験のあとだ。鳩たちは伊古部の海の東にある赤羽根漁港の漁船だった。《鳩歩む この静かな屋根は/松と墓の間に脈打って /真昼の海は正に焔。 /海、常にあらたまる海! /一筋の思ひの後のこの報ひ、 /神々の静けさへの長い眺め 》

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◆Realism in Psychoanalysis Alenka Zupancic(Lacan and Philosophy: The New Generation Lorenzo Chiesa, editor、2014, PDF)より。

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分節化ーー代数的な(アルジェブラ的な)分節化という意味だがねーー、その見せかけ semblance の分節化ーーそれは、文字だけを伴うものだーー、そしてその効果。これが唯一の装置だよ、その装置を用いてのみ私が現実界とは何かを示しうる。現実界とは、この見せかけのなかに、穴を開けるfait trou もの、あるいはその穴を開けるのを構成するものだ。科学的言説としての分節化された見せかけに穴を穿つことだ。科学的言説は進んでいくんだ、それが見せかけであるかどうかさえ心配せずにだ。問題となっているのは、単にネットワーク、ネット(網)、格子だ、…それが、正しい場所に正しい穴が現れるようにする。どんなほかの参照項もない、この演繹 deductions が不可能に到る以外のものは。この不可能が現実界だ。物理学において、我々は唯一目指そうとする、論証的装置を用いて、現実界的である何かに。まさにその厳密さをもって、一貫性の限界に遭遇するわけだ。しかし、我々に関心を与えるものは、真理の領野だ。(Le séminaire, livre XVIII. D'un discours qui ne serait pas du semblant,)

«Réel qui fait trou dans le discours scientific » (Lacan,séminaire, livre XVIII). →« Réel qui fait trou dans le symbolique »


【限界としての現実界】ーー波打ち際 littorale」としての現実界

この「精神分析的実在論」の決定的な核心は、現実界は、存在の実体ではなく、正確な意味で、その限界であることだ。すなわち、現実界とは、伝統的存在論が「存在としての(qua)存在」を語りうるために切り捨てcut off なければならなかったものである。我々は唯一「存在としての存在」に到る、それから何かを取り去ることによって。そして、この何かがまさに「穴」なのだ。それは、存在として十全に構成されるために欠如しているもののことだ。現実界の領野は、存在自体内部の合間にある。その理由で、非在が「存在としての存在」である。非在が唯一、存しうるのは、それがある以外に何かがあることによって、である。人は、もちろん問いただすことができる、そこにないものを切り捨てて何の問題があるのだ、と。だが、とても重要なのだ、切り捨てたとき、それが何かになるという理由だけでなく、その何かになったものが、精神分析学のまさに対象であるという理由で。


【純シニフィアン】ーー「純シニフィアンの物質性

(……)われわれは言うことができる、現実界の次元を構成する空間が歪曲することは、原因かつ結果をもっている、と。その原因とは、純シニフィアンの出現であり、結果とは、新しい種類の対象の出現である。しかし、これまた次のようにも言いうる、純シニフィアンのようなものはない、と。というのは、裂け目が純粋で明瞭になればなるほど、触知でき縮減不能の--あるいはシンプルな現実界の--対象を生み出すから。


【フロイトの否定 [Die Mutter ist es nicht ]】

これは、たとえば、Verneinung(否定)という精神分析の概念の基本的教えである。この「否定」という題をもつフロイトの短いエッセイは、最も興味深く複雑なもののひとつだ。それは、とりわけ、ひとつのシニフィアンを扱っている。「いいえ no」、あるいは「否定」である。そしてもし、フロイトがかつて言ったと報告されているように「時には、葉巻はただの葉巻だよ」であるなら、このエッセイの要点は、「いいえ」は決してただの「いいえ」ではない、ということだ。そして、その語の使用が「道具的」であればあるほど(すなわち、純シニフィアンとして機能すればするほど)、何かほかのものがそこに貼りつくようになりうる。

フロイトの最も有名な例はもちろんこれだ、「夢のなかのこの人物は誰かとおっしゃいますが、母ではありません [Die Mutter ist es nicht ]」。フロイトはつけ加える、どの場合でも、質問が解決されれば、それが実に母であることが確認できる、と。だが、フロイトの議論をさらに追っていくと、一段ごとに明らかになってくることは、この否定によって導入後されたものは、「それは私の母です/それは私の母ではありません」の二項択一以外の何かほかのものだということだ。


【「検閲 censorship 」としての無意識】


こういわけで、一歩一歩進もう。彼の夢のなかでのある人物が誰を演じているかを尋ねられることはないままで、患者は、母という言葉に向かって突き進み、自発的にその言葉を口に出す。否定を伴いながら、である。あたかもその語を言わなければならなかったかのようであり、しかし、それと同時に、言うことができないかのようだ。否応なしであると同時に不可能なのだ。結果は、言葉は否定されたものとして口に出る。抑圧は、意識的に話されたものとともに共存する。

ここで最初に避けねばならない間違いは、この人物は彼の夢のなかで実際に何を見たかという観点、そして、意識的な検閲 censorship のせいで、分析家に嘘を吐いたという観点からこれを読むことだ。というのはーーこれは否定 Verneinung を理解するために決定的だけでなく、フロイトの無意識自体を理解するためにも決定的であるーー、この事例における無意識というのは、まずなりよりも「検閲」のことであり、たんに「母」というその対象ではないから。

ここでは、無意識は歪曲自体(否定)にしがみついている。そして、主体がおそらくほんとうに夢のなかで見たもののなかには隠されていない。別の人物、知っていたりか知らなかったりする人物が実際に夢のなかに現れたということは充分にありうる。しかし、精神分析にとって関心がある無意識の物語とは、夢の報告において起こった、この「私の母ではない」に始まる。


【消去しえない抑圧を生み出した裂け目、亀裂の構造】--原抑圧

しかし、事態はいっそう興味深くなる。というのは、フロイトが続けてこう言うからだ、分析において、我々がこの人物から「いいえ not」を引っ込め、抑圧されたもの(その内容)を承認させてさえ、「抑圧的な過程自体は、これによっては、未だ取り除かれていない」。抑圧、症状は居残るのだ、被分析者が抑圧されたものに意識的になって後にも。これは次のようにもまた定式化できる。すなわち、我々は(抑圧された)内容を受け容れ、それを消去する。しかし、抑圧を生み出した裂け目、亀裂の構造を消去しえない、と。我々はまたこうも主張できる、患者が言いたかったことは、まさに彼が言ったことだ、と。すなわち、それは、母以外の他の人物でもなければ母でもない。そうではなく、「非-母 not-mother」、あるいは「母に非ず mother-not」だ、と。

《内容と形式とのあいだの裂け目は、内容自体のなかに投影される(反映し返される reflected back into)。それは内容が全てではない not all ことの表示としてである。何かが内容から抑圧され/締め出されているのだ。形式自体を確立するこの締め出しが、「原抑圧」 (Ur‐Verdrängung)である。そして如何にすべての抑圧された内容を引き出しても、この原抑圧はしつこく存在し続ける。》(ジジェク,2012


ジュパンチッチの文は、以下、次のように続く。

エルンスト・ルビッチの『ニノチカ』からの秀逸なジョークが、「母に非ず mother-not」という単独な対象 singular object のよりよい把握のための手助けを、ここでしてくれるかもしれない。男がレストランに入って、ウエイターに言う、「クリームなしのコーヒーをください」と。すると、ウエイターは応じる、「すいません、クリームを切らしておりまして。ミルクなしではいかがですか?」

これはジジェクのLESS THAN NOTHINGに、ジュパンチッチ= ルビッチを引用してのとても長い説明がある。いまはそれには触れない。

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今日は旧正月の大晦日だ。妻や息子たちがざわざわしている。階下からだ。頭上ではない。樟の木のざわざわとはちがう。だがこのざわざわもまたいい。