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2016年2月1日月曜日

「ただ彼らは臭うんだ」

目に見えるだけではすこしも害にならない人間がいる。僕たちはそういう人間にほとんど気がつかないで、すぐにまた忘れてしまっている。しかし、そういう人間たちがどうにかして目に見えるのではなくて、耳に聞こえると、耳のなかで育ち、いわば孵化し、場合によっては、犬の鼻孔からはいりこむ肺炎菌のように、脳のなかへまで匐い入り、脳髄を食い荒らしながら成長する。

それは隣人である。

僕はひとりぼっちで漂白するようになってから、数えきれないほど多くの隣人を持った。階上の隣人、階下の隣人、右隣りの隣人、左隣りの隣人、あるいは、この種類の隣人を同時に持ったこともある。僕は隣人の物語が書けそうである。大著述になるだろう。、むろんそれは僕が隣人に悩まされた神経衰弱の物語になるだろう。隣人はそのたぐいの生物と同じく、僕たちのある組織内に生じさせる障害によってのみ存在を感じさせるのが特徴である。(リルケ『マルテの手記』)




たぶん、下層階級と中流階級とのあいだの鍵となる相違は、臭いにかかわる。中流階級の人びとにとって、下層階級は臭う。彼らは規則正しく身体を洗わない。あるいは中流階級のパリジャンのおなじみの応答を引用するならこうだ。彼らは地下鉄の一等車に乗るのを好むのはなぜだ、と問われ、「私は二等車に労働者と一緒に乗るのを気にしないよ、でもただ彼らは臭うんだ」。

これが教えてくれるのは、現在、隣人とは何を意味するかの「定義」のひとつだ。「隣人」は臭う者と定義できる。これが、今日、脱臭剤や石鹸が重要な理由だ。それは隣人を最低限は我慢できるものにする。私は隣人を愛する用意がある…もし彼らがひどく臭わなかったら。(……)

ラカンは、フロイトの部分対象のリスト(乳房、糞便、ペニス)を補った、声と眼差しという二つの対象をつけ加えることによって。我々は、たぶん、このシリーズにもう一つ加えるべきだろう、すなわち臭いを。(Tolerance as an Ideological Category 、Autumn 2007、Slavoj Zizek


※メトロの一等車/二等車は最近廃止されたという情報もあるが、詳しいことは知らない。





声:   もうすこしシズカにしていただけませんか?
眼差し:そんなにジロジロみないでくださる?

ーーあ、ごめんなさい!


臭い:その臭いなんとかなりません?

ーー(冷汗がでてさらに臭くなる……)

生物が、外部環境を識別するために発達させた感覚機能には、視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚の 5つがあります。いわゆる「五感」です。そのなかであえて順位をつけると、生物学的に一番重要だと考えられる感覚は嗅覚です。その理由として、まず「こちらからコンタクトしなくてもその存在が確認できる」という点があげられます。たとえば視覚であれば、対象物が自分の視野に入ってはじめて認識することができます。味覚の場合は、対象物を口に入れる、というこちらからの積極的なコンタクトが必要になります。しかし嗅覚はどうでしょう。嗅覚は、相手が見えなくても、接触しなくても、そのにおい物質が空気中を拡散して伝われば、その存在を認知できるシステムになっています。(福岡伸一「生物の進化と“ におい ”の関係」


ところでフランス人とイタリア人の体臭はどちらが強いだろうか?

ーーふつうは調理にバターを使う国のほうが、オリーヴ油を使う国のほうが臭いはずだよ


世界には、ニュックマム人種とショウユ人種の体臭の違いってのもあるしな(ニュックマム種族というのは、じつにみごとな美女でも腋臭がときにあらあらしい野生のにおいがするよ、ーーどんなときだかは言わないでおくが・・・)




「他者」に関して、われわれの神経を逆撫でし、苛々させるのは、他者がその享楽を作り上げるその(こちらからみると)奇怪なやり方である(食べ物の臭い、「騒がしい」歌や踊り、風変わりな身振り、仕事に対するおかしな姿勢、等々。(ジジェク『斜めから見る』1991)
…… エイリアンたちはまったく人間にそっくりに見えるし、人間そっくりの行動をするのだが、ちょっとした細部(眼がおかしなふうに光るとか、指の間や耳と頭部の間に皮膚が余分についているとか)から彼らの正体がばれる。そのような細部がラカンのいう対象aである。些細な特徴がその持ち主を魔法のようにエイリアンに変身させてしまう。( ……)ここでは人間とエイリアンとの違いは最小限で、ほとんど気づかないほどだ。日常的な人種差別においても、これと同じことが起きているのではなかろうか。われわれいわゆる西洋人は、ユダヤ人、アラブ人、その他の東洋人を受け入れる心構えができているにもかかわらず、われわれには彼らのちょっとした細部が気になる。ある言葉のアクセントとか、金の数え方、笑い方など。彼らがどんなに苦労してわれわれと同じように行動しても、そうした些細な特徴が彼らをたちまちエイリアンにしてしまう。(ジジェク『ラカンはこう読め!』)

ーーというわけで、「正しい」反人種差別主義者になるためには、修業がいるぜ
まずは臭いに不感症にならないとな

匂いを嗅ごうとする欲望のうちには、さまざまの傾向が混じり合っているが、そのうちには、下等なものへの昔からの憧れ、周りをとり巻く自然との、土と泥との、直接的合一への憧れが生き残っている。対象化することなしに魅せられる匂いを嗅ぐという働きは、あらゆる感性の特徴について、もっとも感覚的には、自分を失い他人と同化しようとする衝動について、証しするものである。だからこそ匂いを嗅ぐことは、知覚の対象と同時に作用であり ──両者は実際の行為のうちでは一つになる ──、他の感覚よりは多くを表現する。見ることにおいては、人は人である誰かにとどまっている。しかし嗅ぐことにおいて、人は消えてしまう。だから文明にとって嗅覚は恥辱であり、社会的に低い階層、少数民族と卑しい動物たちの特徴という意味を持つ。 (ホルクハイマー&アドルノ『啓蒙の弁証法』