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2015年12月25日金曜日

「天道は畜生道」と「神は無意識的」

阪神・淡路大震災は私の中の何かを変えた。地面が揺れたごときで何が変わるかと自分に言いきかせたのは今から思えば笑止であった。

まず、私は沈黙している患者の側に何時間でもいるという精神科医にとって不可欠な能力をまだ回復していない。三十年以上続けられていたこのことができなくなった。私は一九九七年春に病院を諦念で退くからおそらく回復の機会はないだろう。これは高揚状態というか躁状態で地震に続く事態に対応した後遺症ではないかと思う。

いっぽう、私は患者のこころの傷に敏感となった。幼年時代の虐待や学校でのいじめを受けた過去が現在に働いているのを察知するのに敏速になった。過去の過酷な体験のフラッシュバックに今も苛まれている患者がいかに多いか。(中井久夫「私の「今」」1996年8月初出『アリアドネからの糸』所収)

この文は、まずは阪神大震災における中井久夫の「トラウマ」にかかわる。そしてそのトラウマによって(中井久夫自身さえも)過去のいじめ体験の記憶が如実に復活したと捉え得る。中井久夫はしばしば小学生時代のいじめ体験について語っている。たとえば50歳のときに書かれた文には次のようにある。

笑われるかもしれないが、大戦中、飢餓と教師や上級生の私刑の苦痛のあまり、さきのほうの生命が縮んでもいいから今日一日、あるいはこの場を生かし通したまえと、“神”に祈ったことが一度や二度ではなかったからである。最大限度を、“神”に甘えて四十歳代にしてもらった。この“秘密”をはじめて人に打ち明けたのは五十歳の誕生日を過ぎてからである。(……)

ヒトラー・ユーゲントの日本版「大日本少年団」で、私はことごとにいじめられた。多少は、反戦的言辞を弄する祖父のせいもあったろうが、周囲と比べれば富裕そうな家であり、しかも権力者ではなかったからだろう。

私が何とか切り抜けられたのは、幼年時代に漢文の素読や何やかやを叩き込まれたおかげで、最上級生の宿題までやってやったためであるが、これを思い出す時、ルネサンスの人文主義者の悲哀もこうであったろうと思うことがある。村の小学校の卑屈な小知識人という役まわりである。(中井久夫「知命の年に」初出1984年『記憶の肖像』所収)

冒頭の文に戻れば、いじめ体験とは井戸の底にあるトラウマのひとつだっただろうと憶測できる(いや実は三歳以前の幼児型記憶が真の井戸の底のトラウマでありうるのだが、それについてはここでは触れない。それは『徴候・記憶・外傷』にあるいくつかの論文に詳しい→参考:「初期フロイトのトラウマ概念をめぐる備忘」)。

最初に語られるトラウマは二次受傷であることが多い。たとえば高校の教師のいじめである。これはかろうじて扱えるが、そうすると、それの下に幼年時代のトラウマがくろぐろとした姿を現す。震災症例でも、ある少年の表現では震災は三割で七割は別だそうである。トラウマは時間の井戸の中で過去ほど下層にある成層構造をなしているようである。ほんとうの原トラウマに触れたという感覚のある症例はまだない。また、触れて、それですべてよしというものだという保証などない。(中井久夫「トラウマについての断想」初出2006年『日時計の影』所収 )

別に冒頭に引用したエッセイには、《地面が揺れたごときで何が変わるかと自分に言いきかせた》とあるが、中井久夫はどこで言ったのだろうか。ひとつだけそれにかかわるだろうと思われる文章をまずは掲げる。冒頭の文の約一年前のエッセイからである。

震災の後、おまえの何が変わったかという質問を受ける。新しい体験、新たな教訓というものは多々あるが、つけ加わったものでなく、芯のところで揺らいだもの、変わったものと尋ねられると、さてどうであろうかとみずからいぶかる。

理性の時代といわれる十八世紀の中ごろ、リスボンに大地震が起こって、十万ほどの人が亡くなった。いや、それは誇大な風聞であるともいうが、とにかく、ヴォルテールやライプニッツのような第一級の哲学者が神は世界を可能な中で最善のものにつくりたまうていなかったと愕然としたというふうに聞いている。私には、それが不思議でならない。

西欧のみならず、中国においても「天道是か非か」が極限の叫びでありえたが、私は「天道は畜生道なり」と喝破した二宮尊徳の系譜に繋がる者であって、自然災害によって身体は揺らいでも、思想が揺らぐということはどうも腑に落ちない。

もし、私が震災直後に、仕事場と自宅との往復において、襲撃を絶えず警戒して、暗闇を窺ってはうさんくさい広場を身を低くして足早やに横切ることの繰り返しを強いられたならば、私も少しは変わったかもしれない。実際、江戸末期から関東大震災まで、地震とは常に略奪の機会であった。アウエハント教授が名著『鯰絵』に示されたように、オランダのライデンに多く残る地震絵の中で鯰が小判を降らせているとおりである。

また、少数民族虐殺が起これば、戦後とはいったい何だったかと私は思ったであろう。さらに、もしそういう場面に遭遇すれば身を以て立ちはだからなければならない。そういう場合の勇気と怯懦とが紙一重の差であることが若くない私にはわかっており、咄嗟に私の中の何かがどちらに動くかは充分なほどには自信がなかった。

しかし、最初に外に出た時すでにそういうことははなから問題にならないことがわかった。神戸への精神科医療派遣の際に、東京方面では、もし事故が起こったらどこが補償するかがなかなか決まらなくて弱っているとある先生から電話があった時、「こちらは大丈夫ですが、こちらよりも東京のほうが危なくないですか」と言った私の冗談は日ならずしてほんとうになってしまった。その頃には私もテレビを見る余裕があったので、非常な不消化物をこれでもかこれでもかと精神の胃に詰め込まれてくる感じがして、オウム真理教、それいチチェン、ボスニアの内戦のほうが精神的重圧であった。もっとも、人間はひどく残酷にもやさしくもなれる生き物であって、その差は紙一重でしかない場合があることもかねてから知らないではなかった。(中井久夫『家族の深淵』「あとがき」一九九五年七月四日、神戸にて)

さて冒頭の文とこの文を重ね合わせて読めば、二宮尊徳の「天道は畜生道なり」という命題は否定されたことになるのだろうか。

あるいは、《ヴォルテールやライプニッツのような第一級の哲学者が神は世界を可能な中で最善のものにつくりたまうていなかったと愕然としたというふうに聞いている。私には、それが不思議でならない》とあるが、それに対してはどうなのだろう?

ここでは当面この問いを曖昧なままにしておくが、そもそも中井久夫は、「「祈り」を込めない処方は効かない(?)」というエッセイを書いているぐらいだ。これはある意味で、「〈神〉を信じない処方は効かない」とすることができるのではないか(もっともこの〈神〉をどうとらえるかについては、後述する)。

……サルの実験の際に頭をなでて「すまない」と思いつつ注射するのとそうでないのとではサルの反応が違うという友人の話もある。「利きますように。副作用が出ませんように」と心の中でつぶやきながら処方箋を渡す時には何かが受け手に伝わり、ひいては薬の効き目にも影響するのではないかと私は本気で思っている。薬は、その作用に心身が「賛成」するかどうかで効力がちがってくることが少なくないと私は信じている。
来世を私は願わない。おのれのみの転生を求めて生涯をかけて修業するのはエゴイズムであると私は思う。私の人生にはもう破滅かと思うことが何度かあった。それでも、私はベストの人間に会い、能力以上に仕事をし、若い時の予想より多く「世界を味わった」と思っており、そう思いつづけていたい。死後は無であろうが、ただ、勝手に「明るい無」であると思うことにしている。(中井久夫「「祈り」を込めない処方は効かない(?)」初出1999年『時のしずく』所収)


かつまた、中井久夫のすくなくともライプニッツに対する捉え方は、「表面的」であるという観点が、哲学研究者からはあるのかもしれない。

私自身、ヴォルテールやライプニッツの考え方についてはほとんど無知なのだが、たとえば次ぎのような指摘が若い哲学研究者の方の論文にある。

それは、「ライプニッツ的オプティミズムの現代的可能性について ―未来の「弁神論」に向けて―」(伊豆藏好美、30-Nov-2013)であり、ヴォルテールやライプニッツがリスボン地震のとき、どのようなことを言ったのかの引用のあとに、伊豆藏さんはライプニッツの「弁神論」をめぐって、レヴィナスの名を出しながら、次ぎのように書いている。

しかし、もしもそうであるなら、レヴィナスの言う意味での「広義の弁神論」は、21世紀の現在でもなおさまざまな形で生き続けている、ともみなせるのではないだろうか。実際、東日本大震災の直後にも、指導的立場に ある少なくない人々があろうことか「天罰」や「神の仕業」といった言葉を口にして物議を醸したのは記憶に新 しいことであるし ( 6 ) 、近年の一連の大災害や無差別テロに対する知識人たちの反応は、 「悪に関する彼らの考察が『弁神論』の段階から何ひとつ変わっていないこと を証明している」との指摘もあるほどなのである ( 7 ) 。

すると問われるべきはむしろ、恐るべき災厄や破局はなぜ、必ずやある種の「弁神論」を、もはやいかなる神も信じているようには思えない人々の間にさえ呼び起こすのか、という問いではないだろうか。そして、こう考えられないだろうか。私たちは通常深く自覚することな く「弁神論的思考」によりさまざまな不安や苦痛に対処 しているのだが、それが不可能なほどに法外な災厄や試練に直面したときにとりわけ、当の思考の有効性が改めて問われ、あるいはその失効が繰り返し主題化されてきたのだと。

ーー彼女は、結論近くで、アランをも持ち出し、彼の「オプティミズム」の定義、「それによって自然的なペシ ミズムを退けるような意志的判断」と引用してもいる。

わたくしもひとつアランを引用しておこう。

私が信頼を寄せれば、彼は正直な人間でいる。私が心のうちで彼をとがめていると、彼は私のものを盗む。どんな人間でも、私のあり方次第で私にたいする態度をきめるのである。(アラン「オプチミスム」)

あるいは、第二次大戦が始まる直前に、ドイツでひそかに呟かれることが多くなったらしい《ルターの言葉》ーー実際にはルターの言ではないという話もあるがーーを引用してもよい。

たとえ明日この世界が滅びることを知っていても、私は、それでもなお、今日、私のリンゴの若木を植えるだろう。

これ以上の寄り道はやめておこう。ここでの核心のひとつは、「ライプニッツ的オプティミズムの現代的可能性」を読んで、まずラカンの「神は無意識的である」という命題を思い出したことである。ここではそれをめぐるジジェクの説明を掲げる。

もっともこれに付随する「騙されない者は間違える」をめぐっては、ジジェクは、かつて「私のラカンはミレールのラカンである」(『ジジェク自身によるジジェク』)とさえ言明した師匠ジャック=アラン・ミレールの解釈さえも批判しており、ラカン派内でも見解の統一はない(参照:Lorenzo Chiesa、ジジェクによるミレール吟味(サントーム/主人のシニフィアンをめぐる))。

ここではその解釈の当否を当面保留しつつ、次の文を掲げる。

人は直接的には大他者の不在を手に入れえない。人は先ず大他者に騙されなければならない。というのは、「父の名 le Nom‐du‐Père 」とは、「騙されない者は間違える les non‐dupes errent」を意味するからだ。「知を想定された主体」の錯覚 illusion への屈服を拒絶する者たちは、この錯覚によって隠されている真理を失う。

このことは、我々に「神は無意識的である」へと引き戻す。すなわち〈神〉(知を想定された主体としての神、大他者としての神、経験上のすべての受け取り手を超えた究極の受け取り手としての神)は、半永久的な、言語の構成的構造である。〈彼〉なしでは、我々は精神病となる。ーー〈神-父〉の場なしでは、主体はシュレイバー的妄想に陥る(Lacan, “La méprise du sujet supposé savoir,” 1968)。

「知を想定された主体」としての神は、この上ないものであり、大他者、真理の場の基盤的側面である。このように、大他者は神性のゼロレヴェルである。…「もし私にこの言葉遊びが許されるのなら、le dieu—le dieur—le dire (神ー神話すー話す)がそれ自体を生みだす。話すことは無から神を創りだす。何かが言われる限り、神の仮説はそこにあるだろう」(Lacan, Le séminaire, Livre XX: Encore)。

我々が話す瞬間、我々は(少なくとも、無意識的に)神を信じている。ここで我々は、ラカンの「神学的唯物論」に、最も純粋な形で遭遇する。発話行為(究極的には、我々自身)そのものが神を創造する。……(ZIZEK,LESS THAN NOTHING,2012,私訳)

ーーラカンの「神学的唯物論」とは、蓮實重彦の「魂の唯物論的擁護」を思い起させる言葉だが、ここでそれに触れるのは--長くなりすぎるのでーー、やめておこう・・・(参照)。

ジジェクの文には、《〈神-父〉の場なしでは、主体はシュレイバー的妄想に陥る》とある。ここでさらに柄谷行人の次ぎの文を並べてみよう。

ふつうの歴史的思考は、現代の認識論的枠組みで過去を構成し解釈することでしかない。ニーチェがこのような「歴史主義」を攻撃する一方で、「歴史的に考える」ことを説いたことは矛盾しない。後者は、前者を超越論的に考察することにほかならない。

混乱を避けるために、後者を「系譜学的」と呼ぶことにしよう。系譜学的であることは、結果であるものを原因とみなす「認識の遠近法的倒錯」をえぐりだすことである。

(中略)そもそも、このような系譜学はこえること(超越的)ではなく、超越論的なのである。たとえば、マルクスやニーチェが何といおうと、ひとは(彼ら自身も)”目的論的”に生きている。それを否定することはできない。だが、それをカッコにいれることはできる。たとえば、日常的にもの(客観)が私(主観)の前にあるという考え方を否定するならば、ひとはまず生きていけない。その自明性をとりあえず還元(カッコ入れ)しようとするのが超越論的ということであって、本当にその通りに生きてしまえば、分裂病者になるだろう。(柄谷行人『探求Ⅱ』)

さらにはこうも引用することができる、《理念を嘲笑する人たちは、それが超越論的仮象だということ、それがなければ人が生きていけないということを知らない。》(柄谷行人、第一回長池講義

この文は「超越論的仮象としての〈神〉を嘲笑する人たちは、それがなければ人が生きていけないことを知らない」、とすることができるだろう。中井久夫の「「祈り」を込めない処方は効かない(?)」もこの文脈で読むことができる。われわれは、つねに、すくなくとも無意識的には、”目的論的”に生きているのだ。

この超越論的にかかわる柄谷行人の詰め将棋の話はとても示唆溢れる。

一般的な通念では、カントは、『純粋理性批判』において、感性を触発してそれに内容を与えるものを物自体とみなし、『実践理性批判』では、超越論的主観を物自体とみなしたとされる。つまり、前者は理論的な問題、後者は実践的(道徳的)問題だとみなされている。しかし、このような区別はおかしい。たとえば、ハンナ・アーレントは、「理論的」の反対概念は「実践的」ではなく「思弁的」であるといっている。実は、科学における理論も「実践的」であるほかない。それは自然が解明されるはずだという「統整的理念」なしにはありえないからだ。カントは「理論的信」についてこう語っている。

《ところで実践的判断の意見には信という語が適合するから、これに倣って理論的判断における信を理論的信と名づけてもよい。私達に見える遊星のうちの少なくともどれか一つに住民がいるということを、もしなんらかの経験によって確めることができるものなら、私はこの命題の真であることに対して全財産を賭けたいとさえ思っている。つまり私が言いたいのは、地球以外の世界にも居住者があるということは、単なる意見ではなくて強固の信だということである(私はかかる確信が正しいということに対しては、私の生涯の数多の利益を賭けてもよいくらいである)。(『純粋理性批判』)

これは、科学認識(綜合的判断)はスペキュレーション(思弁)ではないが、ある種のスペキュレーション(投機)をはらんでいるということを示している。だからこそ、それは「拡張的」でありうるのである。

しかし、理論的/実践的を簡単に分けることができないように、物自体を物と他我(主観)に分けて考えることはできない。科学的仮説(現象)を否定(反証)するのは、物ではない。物は語らない。未来の他者が語るのだ。しかし、この他者は、反証するためには、必ず感性的なデータ(物)を伴っていなければならない。したがって、物自体が他者であるということは、物自体が物であるということと背反しない。肝心なのは、物であれ、他者であれ、その「他者性」である。とはいえ、それは何ら神秘的なものではない。「物自体」によって、カントは、われわれが先取りできないような、そして勝手に内面化でいないような他者の他者性を意味している。したがって、カントは、われわれが現象しか知りえないということを嘆いているのではない。「現象」の認識(綜合判断)の普遍性は、むしろそのような他者性を前提するかぎりで成立しうるのである。

カントは、そうした他者を先取りしてしまうことを「思弁的」と見なす。だが、他方で、彼はそれが仮象であるとしても不可欠な仮象(超越論的仮象)であると考えた。たとえば、われわれが自然を認識できるだろうという「統整的理念」は、事実、発見的に働くのである。マンハッタン・プロジェクトに関与したというノーバート・ウィーナー(サイバネティックスの創始者)は、原爆製造に成功した後、防諜上最大の機密とされたのが、原爆の製造法ではなく、原爆が製造されたという情報であったといっている。同時期にドイツ・日本でもそれぞれ原爆の開発を進めていたので、それが製造されたという事実がわかれば、たちまち開発に成功するからである。詰め将棋の問題は実戦におけるよりはるかに易しい。かならず詰むという信が最大の情報である。自然界が数学的基礎構造をもつというのもそのような理論的な「信」である。この意味で、もし近代西洋においてのみ自然科学が誕生したとしたら、このような「理論的信」があったからだといってよい。(柄谷行人『トランスクリティーク』 p83-84)

さて、二宮尊徳の「天道は畜生道なり」をどう考えたらよいのだろう。我々は、すくなくとも「事前的」には、天道は畜生道ではない、そういいうるのではないか。

事後的(思弁的)には天道は畜生道であるかもしれない。だが事前的(倫理的)には、そうではないのだ、「思弁は後ろ向きであり、倫理は前向きである」(キルケゴール)。

とはいえ、ラカンも最晩年に向けて、〈神〉をめぐっていろんなことを言っている。たとえば、我々は次ぎの文をどう読むべきだろうか?

神は、我々が世界と呼ぶところのものの作者じゃない。我々が神に帰するのは、職人の仕事だな、最初のモデルは、ヨク知ラレテイルヨウニ、陶器作りだよ、型に入れて作ったといわれるがーーダガドンナ材料デダロ?ーー、偶然じゃないよ。世界、それはただ一つの事を意味する、y a d'l'Un(「一」のようなものがある)だ。

Yad'l'un、ーーだが何処にあるのかわからない。 この「一」が世界を構成したなんてことはあるはずがないさ

〈他者〉の〈他者〉、現実界、それは不可能だ、そんなものはゴマカシさ。われわれのはぐらかし……ハ・グ・ラ・カ・シ……詐欺だね。(ラカン、S.23、粗訳ーー「réel/réalitéの混淆」)

わたくしは、ラカン自身、事後的/事前的なあいだで常にその発言が揺れ動いているというふうに(とりあえずは)読む。だからその都度の発言のみをとらえて、こういう立場だということは言い難い。それは中井久夫もしかり。

…………

ラカンの〈神〉? わかってるさ、そんな単純なものでないのは。

神とは シンプルに〈女〉のことさ、他者の他者があるなら、〈女〉が存在するってことさ(ラカン、セミネール、.ⅩⅩⅢ)

というわけで、「難解版:「〈他者〉の〈他者〉は外-存在する」(ジジェク=ラカン)」なんてどうだろ? 〈神〉は対象aとして外立 (Ex-sistenz) するのさ。

そして、対象aとは、究極的には幼児型記憶のトラウマさ、下の③④だね

Lorenzo Chiesa2007による対象aの五つの定義の要点
①S(Ⱥ)としての象徴的ファルスΦによって生み出された裂け目の想像的表象
②主体から想像的に切り離されるうる部分対象
③シニフィアン化される前の、すなわちS(Ⱥ)以前の Ⱥ
④母なる〈他者〉(m)Otherの得体の知れない欲望
⑤アガルマ、すなわち隠された秘宝、あなたのなかにあってあなた自身以上のもの(ただし厳密にはやや異なる)。

要は「スフィンクスの謎」だよ、「母親がガラスの器にイチジクの実を入れてほの暗い廊下を向こうから歩いてくる」(中井久夫)

いちじくの樹よ、すでに久しい以前からおんみはわたしに意味深いのだ、
いかにおんみは花期をほとんど飛び越えて、
遅疑することなく決意した果実のなかへ、
世の声高い賞讃もうけず、おんみの清純な秘密を凝集することか。
噴水の管(くだ)にも似ておんみのしなやかな枝々は、
樹液を下へ、上へと送り、それはほとんど醒めることなしに、眠りの中から
甘美な事業の幸福へとおどり入る。
さながら神があの白鳥に転身したように。(リルケ『ドゥイノの悲歌』第六 手塚富雄訳)

で、きみたちの神はつねに無意識的に存在しているのさ

父の機能を基礎づけるのは父親殺しだと主張さえしてフロイトが父なるものを守っているように、無神論の真の公式は「神は死んだ」ではなく、「神は無意識的である」である。(ラカンセミネールⅩⅠ)

きみたちの無信仰(無神論)? 日本人の宗教はいまだアニミズムだよ(中井久夫曰く)。意識的に信仰している連中のほうがまだましじゃないかい? アニミズム信仰なんてのは「現実主義者」であるらしい科学者たちの信仰と同じ穴の狢だぜ

アルチュセールがおもしろいことをいっている。科学者は最悪の哲学を選びがちである、と(笑)。 細かい実験をやってて、そこではすごくハードな事実に触れているのに、それを大きなヴィジョンとして語り出すと、 突然すごく恥ずかしい観念論になっちゃうことがあるわけ。それこそアニミズムとかね。(浅田彰ーー村上龍との対談、2000)