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2015年12月4日金曜日

日の沈む地方の蛮族たちの末期の熱病

「ヨーロッパ」という語の語源ははっきりしていないようだが、アッカド語の erebu、フェニキア語の ereb 等であるという説がある。

Europe from Latin Europa "Europe," from Greek Europe, which is of uncertain origin; as a geographic name first recorded in the Homeric hymn to Apollo (522 B.C.E. or earlier):
 
"Telphusa, here I am minded to make a glorious temple, an oracle for men, and hither they will always bring perfect hecatombs, both those who live in rich Peloponnesus and those of Europe and all the wave-washed isles, coming to seek oracles."
 
Often explained as "broad face," from eurys "wide" (see eury-) + ops "face," literally "eye" (see eye (n.)). But also traditionally linked with Europa, Phoenician princess in Greek mythology. Klein (citing Heinrich Lewy) suggests a possible Semitic origin in Akkad. erebu "to go down, set" (in reference to the sun) which would parallel orient. Another suggestion along those lines is Phoenician 'ereb "evening," hence "west."(Etymology Dictionary

アッカド語とは何だったか?

アッカド語は、「アッシリア・バビロニア語(Assyro-Babylonian)」とも呼ばれ、古代メソポタミアで、主にアッシリア人やカルデア人(バビロニア人)やミタンニ人に話されていた言語。当時は国際共通語でもあった。アフロ・アジア語族セム語派に分類される。(wiki)

フェニキアとは次の通り。

フェニキア(希: Φοινίκη, Phoiníkē, ポイニーケー、羅: Phoenices, Poeni, ポエニ、英: Phoenicia)は、古代の地中海東岸に位置した歴史的地域名。シリアの一角であり、北は現シリアのタルトゥースのあたりから、南はパレスチナのカルメル山に至る海岸沿いの南北に細長い地域であって、およそ現在のレバノンの領域にあたる。(wiki)
……紀元前9世紀から紀元前8世紀に、内陸で勃興してきたアッシリアの攻撃を受けて服属を余儀なくされ、フェニキア地方(現在のレバノン)の諸都市は政治的な独立を失っていった。アッシリアの滅亡後は新バビロニア、次いでアケメネス朝(ペルシア帝国)に服属するが、海上交易では繁栄を続けた。(同上)

ーーすこしまえ「シリアの地はバビロン川のほとりだ」としたが(参照「シリアの川のほとり」)、もう少し遡るべきだったか。


ヨーロッパという語の語源が、フェニキア語であるという説が記されている文をもうすこし抜き出しておこう。

Europa, Europe comes from the Phoenician word EROB, meaning where the sun set (west of Phoenicia,west of Bosphorus, Sea of Marmora). Erebo: I go under. Ereba: The land where I go under. Acu (pronounciatian asu) the land where I (the sun) are coming up: Ereb, ereba= europa Asu = Asie, Asia. (guardian,Where did the name Europe come from?
アジアという名称の起源は、古代(前11~前7世紀ごろ)地中海東部に栄えたフェニキア人が、その地より東方の地域をアスAsu(日の出る地方)、西方をエレブEreb(日の沈む地方)とよんだのが、アジアおよびヨーロッパの名称の始まりであるという。【出典:日本大百科全書】
 ……国名シリアは紀元前7世紀頃に最盛期を迎えたアッシリアにちなむという。アッシリアの首都はアッシュールで今のイラクの首都バグダッドの北にあたる。アッシリアの碑文に、"Asu"「日が昇る地方」というのがある。これにラテン語で地名につく語尾"ia"がついて、"Asia"つまりアジア、まさに太陽が昇る地方なのだ。  同じくアッシリアの碑文に、"Erb"「日が没する地方」があり、"Europa"の語源となったという。この"Europe"はギリシャ神話では"Europa"となる。この「エウロパ」は木星の衛星の一つの名でもある。  ところで「シリア」には現在の「シリア」のほかに「歴史的シリア」がある。昔のアッシリアほど広範囲ではないが、それでも、今のシリア、レバノン、ヨルダン、パレスチナ、イスラエルを含んでいたからかなり広い。  

元に戻るが、「シリア」の正式名称は、「シリア・アラブ共和国」だ。これをアラビア語で表記すると、共和国・アラブの・シリアの語順になる。その「シリアの」の部分は「アッスリーア」で「スリーア」はまさに「シリア」なのだ。  

アラビア語の定冠詞は男性・女性とも"al"だが、"s"などで始まる語の前では、その音を重ねることになっている。代表的な例は「太陽」で単独では「シャムス」だが、定冠詞がつくと「アッシャムス」となる。つまり「シリア」=「アッシリア」だ。多分かれらは偉大な先祖を持っていることに誇りを持っていることだろう。(「シリア」の国名は「アッシリア」から、その「アッシリア」は「アジア」の語源となった「アッス」から

上に《アッシリアの碑文に、"Erb"「日が没する地方」があり、"Europa"の語源となった》とあるが、これは英文献でいくらか探してみたが、それに合致する記述は見当たらない。つまり、ここでは当面、信憑性は曖昧なままにしておく。

とはいえ、「ヨーロッパ」の語源が、アッシリアあるいはシリアの地にあることを、そろそろヨーロッパ人たちははっきりと認めるべきではないか。彼らの名づけ親(ゴッドファザー)は、シリアであることを。

The name Syria has since the Roman Empire's era historically referred to the region of Syria. It is the Latinized from the original Indo-Anatolian and later Greek Συρία. Etymologically and historically, the name is accepted by majority mainstream academic opinion as having derived from Ασσυρία, Assuria/Assyria, from the Akkadian Aššur or Aššūrāyu, which is in fact located in Upper Mesopotamia (modern northern Iraq southeast Turkey and northeast Syria).(Name of Syria

いや、20世紀の最も偉大な歴史家のひとりトインビーは、イスラム世界を顕揚したあまり最近ではまったく人気がないように、欧米人たちは、古代最古のメソポタニア文明の放蕩息子にすぎないことを公然とは認めたがらないのだろう。

2015年はヨーロッパにおいて二人の父親殺しの記念すべき年である。前半にはギリシヤというヨーロッパ文明の「父」を半殺しにしたように、後半は「名付け親」のシリアを「連帯」して空爆して平然としている。とはいえ、まさか元奴隷民の成り上がり者たちのルサンチマンというわけでもあるまい。

《ある事業が成功するかしないかは、いつに、その事業に人々を駆り立てるなにかがあるかなにかにかかっている。》(マキャベリ)

……そのためには、理性的に判断して、自ら先頭に立って犠牲を甘受するエリート階級だけでは充分ではない。……民衆は、目先の必要性がないかぎり、感性に訴えられなければ、動かないものである。

最大の奴隷“資源”の産地は、いまだキリスト教化されていない地方であった。六世紀頃はアングロ・サクソン人が、九、十世紀に入ると東欧のスラブ民族が、奴隷市場で売られる主要な民族であった。

しかし、ヨーロッパのキリスト教化が進むにつれて、奴隷の供給源が減少し、十一世紀以後は供給源を求めて、ヴェネツィア商人は黒海へまで出かけていかなければならなくなった。それいしても、中世の奴隷は、ヨーロッパからアフリカへ流れていたのである。

少なくとも十四世紀までは、文化の程度は、断然、東のほうが進んでいた。(塩野七生『海の都の物語』上 P.86)

ーー元奴隷民たちは、なにに駆り立てられているというのだろう? 西欧文明の「父」を半殺しにした勢いで、ゴッドファザーの地をも殲滅しようとするわけか。

文章を作って、「ゆえに」と言うたびに、ギリシャ人たちは著作権料として10ドル受け取るべきであって、そうすればもうギリシャの負債などなくなるだろう。(ゴダール

彼らは、ヨーロッパと口にするたびに、シリアの難民を10人づつ受けいれるべきではないか? 爆弾ひとつ落すたびに、1000人づつ受け入れるべきではないか?

…………

ところでシロッコとはなんだったか? 




北は、トラモンターナ。トランス・モンターナの略で、山の彼方からの風、という意味である。
北東は、グレコ。言わずもがな、ギリシアのことだ。
東は、レヴァンテ。太陽の昇る方向を意味している。東地中海は、レヴァンテの海と呼ぶのが普通である。
東南は、シロッコ。シリアの方角から吹く風を意味している。
南は、アウストロ。オーストラリアの国名は、ここから来ている。
南西は、リベッチオ。リヴィアの方角からの風という意味である。
西は、太陽の沈む方角という意味で、ポネンテと呼ばれた。
北西は、マエストラーレ。現代フランスのパリ - ニース間の特急はミストラルという名あが、もともとはローマのある方角からの風という意味である。(塩野七生『海の都の物語』p.91)



シリアの方角から吹く風がそんなにいやか? Ereb(日の沈む地方)の諸君よ

アラーは、ヨーロッパにてイスラムの勝利を授けてくれるだろう、剣も、銃も、征服もなしに。われわれにはテロリストは必要ない。自爆テロはいらない。ヨーロッパにおける五千万人超のムスリムThe 50 plus million Muslims (in Europe)が、あと数十年でヨーロッパをムスリム大陸に変えるだろう。(カダフィ大佐Muammar Gaddafi)

ーーとは2010年のメルケル独首相による記事からである(Germany Will Become Islamic State)。

…………

と記したところで、次の記事に出会った。

@usui1965: 独軍1200人派兵へ…仏空母護衛・戦闘機支援。アフガン、コソボを上回る史上最大の軍事展開、ただし空爆は行わず。 https://t.co/9du8i7hEHx

ドイツも「連帯」しちまったようだぜ。とはいえ同時にこうもある。

@spearsden: メルケル独首相、難民受け入れ方針維持。英ガーディアン https://t.co/f8SncLhThq

フランスの人気者マリーヌ・ルペンーー日の沈む地方の蛮族の首領のひとりーーはこうオッシャッテイルらしい。

@ishikawayuichir

【仏ロプス誌】仏極右FN党首マリーヌ・ルペン、イスラム原理主義に対する「この戦争にわれわれは勝つしかない」「さもないとこの国はイスラム全体主義に権力を握られ、我々の憲法はシャリアに、法律は過激イスラム主義に代えられるだろう」。 https://dg7k.net/zspfk

ウエルベックの『服従』」(浅田彰)の筋書きの実現がいっそう現実味を帯びてきたようだ。

……2017年の大統領選挙でマリーヌ・ル・ペンの国民戦線が単独では一位になり、国民戦線政権だけは避けようという諸党派の合意に基づいて現職のオランドが決選投票に勝つのだけれど、その下でますます矛盾が激化し、2022年にはル・ペンがさらに大統領に近づく。そこにムスリム同胞団(架空)が登場するわけだ。とはいえ、それはイスラム過激派とはまったく違って、エコール・ポリテクニークと国立行政大学院(ENA)を出た如才ない若きエリートが党首を務めている。これなら国民戦線よりましではないか。いや、EU/ユーロ圏からの離脱を目指す国民戦線に対し、ヨーロッパをアフリカ北岸まで拡大しようとするムスリム同胞団の方が、資本の利害にも合致している。そこで、社会党から保守党までみながムスリム同胞団と連立を組んでイスラム政権が出来てしまう、というわけだ。荒唐無稽に見えて、それなりにリアルな想定ではないか。(ここでウエルベックがパラダイムとしているのは、2002年の大統領選挙で右のシラクと左のジョスパンが対決するはずだったのに極右のジャン=マリー・ル・ペンがジョスパンに勝って決選投票に残ってしまい、仕方なく他の全党派がシラクを支持した、あの現実の悪夢である。)

こうしてイスラム政権が出来ると、郊外の治安は一気に改善され、アラブのオイル・マネーが流入して財政もぐんと改善される。その一方で、しかし、社会的にはかなりラディカルな変革が進む。一言でいうと中世回帰だ。経済的には、生産手段の私有(資本主義)か国有(ソ連型社会主義)かが問題ではなく、生産手段を分散させて小さなアトリエのネットワークのようなものを主とする経済をつくることが大切だ、というチェスタートン流の分配主義が採用される。もちろんチェスタートンはこれをカトリック社会主義に近い立場で主張したのだが、それはシャリーア(イスラム法)とも適合するだろう、というわけだ。それに伴って、高等教育は大幅に縮減し、職業教育を充実させる。ソルボンヌもイスラム大学になり、主人公は教授を辞めることになる。しかし、彼は冷静だ。まだ40代なのに定年まで勤めたのと同じ年金が出るし、考えてみれば文学教育など95%の学生には無意味なのだから未練などない、ときどき女子学生と性関係をもっていた、その機会を失うのは残念だが、そもそもそんな性生活は荒涼としたものでしかなかった……。社会的にも、近代の「ロマンティック・ラヴ」イデオロギーは放棄され、恋愛結婚から見合い結婚に戻る、しかしイスラム教では一夫多妻制が認められるのだから、結構な話じゃないか……。

ーー結構な話じゃないか? マルクスのアソシエーションの変種だぜ・・・

一般に流布している考えとは逆に、後期のマルクスは、コミュニズムを、「アソシエーションのアソシエーション」が資本・国家・共同体にとって代わるということに見いだしていた。彼はこう書いている、《もし連合した協同組合組織諸団体(uninted co-operative societies)が共同のプランにもとづいて全国的生産を調整し、かくてそれを諸団体のコントロールの下におき、資本制生産の宿命である不断の無政府主と周期的変動を終えさせるとすれば、諸君、それは共産主義、“可能なる”共産主義以外の何であろう》(『フランスの内乱』)。この協同組合のアソシエーションは、オーウェン以来のユートピアやアナーキストによって提唱されていたものである。(柄谷行人『トランスクリティーク』)

いずれにせよ、浅田彰による「ウエルベックの『服従』」の紹介を読めば、人は「ほどよく聡明な」ジャーナリストやら学者やらの見解ばかりに耳を傾けるのではなく、すぐれた小説家の想像力の片鱗にも触れなければならないことが分かるのではないか(参照:未知の表徴を探りあてるジェニー(大江健三郎))。