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2015年12月28日月曜日

使命感あふれるジャーナリストの薄気味悪さ

以下、ジャーナリストについてあまり知らない者が書いている。1995年に日本を出て以降、日本の新聞雑誌やテレヴィにもほとんど触れたことがない。ただこの3カ月ほどのあいだ、シリア情報をいくらか得てみようと思い、ツイッター上で中東に詳しそうなジャーナリスト(一部は研究者)10人前後のツイートをやや熱心に眺めてみての感想がまずはこの文の出処である。

やや批判的な文であり、現在では下に記される良質=凡庸なジャーナリストさえーー典型的にはテレヴィのキャスターなどの位置にある人物たちがーー追放されるらしい時代なので、やや時代錯誤的な観点といいうるかもしれないが、引用を中心としたメモとして公表しておく。

下の文を記した後、精神分析的観点ーーラカンの「四つの言説」理論観点ーーから言えば、ジャーナリストの言説とは、知の言説(大学人の言説)と構造的にはおそらく同じであるだろうことに気づいたが、ここではそれには触れない(参照:ラカンの「四つの言説」における「機能する形式」)。ただ「大学人の言説」の隠蔽された「真理」とは、中立的な「知」を流通させるという見かけの背後に、主人の身振りがあるということだ。そしてときにそれが人を苛立たせることがある。

…………

個人は、主観的にはどれほど諸関係を超越していようと、社会的にはやはり諸関係の所産なのである。(マルクス『資本論』「まえがき」)
イデオロギーの最も基本的な定義は、おそらくマルクスの『資本論』の次の文である、"Sie wissen das nicht, aber sie tun es" 、すなわち、「彼らはそれを知らないが、そうする」。(ジジェク『イデオロギーの崇高な対象』1989)

…………

あらかじめ謀しあわせていたわけではなかろうし、ましてや模倣への意志が等しく彼らの筆をつき動かしていたとも思えないのに、資質も違えば方法意識も異る何人ものジャーナリストたちが、いつとはなしに同じ囀りを呟いている。書き手の素養や意気込み、その経験や訓練の風土はまるで似たところがないようにみえるのに、かなりの数の記事やらときにそれなりに臨場感あふれないでもない断片的なツイートやらが同じ言説構造におさまってしまうのだ。

いま、われわれのまわりで書きつがれつつある多くの「情報」なるものは、見たところ何の共通点も持たない発想から出発しながらも、書き手が演じつつあるジャーナリストの「使命」なるもの、すなわち果たすべき行為の形態という点で多くの細部を共有し、まるで一つの言説を多様に変奏しつつあっているように見える。しかも、変奏の多様性がかえって説話論的な構造の同一性をきわだたせてしまうという点がいささか薄気味悪い。いったい、ジャーナリストたちは、読む意識を戸惑わせるこの薄気味の悪い符合ぶりに意識的なのだろうか。


(ーーもちろんこの文は以下に引用する作家たちのひとりのバスティーシュである。いやわずかな語句を変えただけのパクリ文といったほうが正しい。)


もちろんそのことは、 才能というものが完全に失われ、 凡庸さそのものがすべてを支配しつくしているということを意味しはしない。 このようにして生産された 「ジャーナリスト」の中には、多少とも独創性に恵まれていたり、いなかったりする書き手はいるだろう。 だがそうした才能は、現代的な言説の維持にのみ貢献し、その説話論的な構造にいかなる変化も導入することはない。 ほどよく面白い記事を綴ったり、 それに失敗したりするだけのことだ。刺激的な「問題」の提起もあれば、こくありきたりな「問題」の提起もあるだろう。もちろん、面白い記事を語りうる才能の持ち主はそれなりに評価されるべきだし、 刺激的な 「問題」 の提起者もまた、それにふさわしく評価されるべきである…


…………

現象に立ちどまって、「あるのはただ事実のみ」と主張する実証主義に反対して、私は言うだろう。いや、まさしく事実なるものはなく、あるのはただ解釈のみ、と。われわれは、いかなる事実「自体」をも確かめることはできない。おそらく、そのようなことを欲するのは背理だろう。(ニーチェ『力への意志』)

仮にある情報が、その情報だけでのみなら、限りなく「事実」に近いものであるとしても、世界にある数多くの事象からその情報を選択する行為は「解釈」であるだろう。なおかつ強調点や詳述部分の移動、ディテイルの比重の置き方などが変わっていけば、事態の意味と重みと位置づけがおのずと変わる。そのとき「事実」とはどこにあるのだろう?

……描写はすべて一つの眺めである。あたかも記述者が描写する前に窓際に立つのは、よくみるためではなく、みるものを窓枠そのものによって作り上げるためであるようだ。(ロラン・バルト『S/Z』)




人は、真実と物語の真実らしさの許容度をいつもとり違えている。というより、正確には、その許容度こそが真実と信じられているものの実態だとすべきかもしれぬ。真実の物語があるわけではなく、物語の真実らしさの許容度があるだけなのだ。物語にあって人が読むものは、本当らしく見せるための配慮の体系でしかない。この配慮の体系と許容度とは、時代によって、また文化によって、そしておそらくは階級によって異なってくるだろう。(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』P.414)
……抽象的な数字の持つ意味を具体的な量に換算して人を納得させながら論を進める場合、具体的なものとして示された「地球の円周」そのものが実は人間の想像を越えた距離なので、説得されたはずの意識はかえってまどろんでいるだけであり、何ごとかを理解したわけではない。にもかかわらず、その数字は、あくまで客観的なものだと主張する論者にきまって有利に働く。つまり、客観性そのものとしてある数字を親切に解説する言説として、この種の試みは多くの人に容認されてしまうのだ。こんにち人びとが情報と呼ぶところのものがそこへ提示されているからである。

(……)その数字の具体性をたやすく想像しえないものでありながら、それが数字として引用されているというだけの理由によって、読むものを納得させる力を持っている。納得といっても、人は数字の正しさを納得するものではなく、その数字を含んでいる物語の本当らしさに納得するのである。(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』p.432)





寺田寅彦氏はジャアナリズムの魔術についてうまい事を言っていた、「三原山投身者が大都市の新聞で奨励されると諸国の投身志望者が三原山に雲集するようなものである。ゆっくりオリジナルな投身地を考えている余裕はないのみならず、三原山時代に浅間へ行ったのでは『新聞に出ない』のである。このように、新聞はその記事の威力によって世界の現象自身を類型化すると同時に、その類型の幻像を天下に撒き拡げ、あたかも世界中がその類型で充ち満ちているかの如き錯覚を起させ、そうすることによって、更にその類型の伝播を益々助長するのである」。類型化と抽象化とがない処に歴史家の表現はない、ジャアナリストは歴史家の方法を迅速に粗笨に遂行しているに過ぎない。歴史家の表現にはオリジナルなものの這入り込む余地はない、とまあ言う様な事は一般常識の域を出ない。僕は進んで問いたいのだ。一体、人はオリジナルな投身地を発見する余裕がないのか、それともオリジナルな投身地なぞというものが人間の実生活にはじめから存在しないのか。君はどう思う。僕はこの単純な問いから直ちに一見異様な結論が飛び出して来るのにわれながら驚いているのだ。現実の生活にもオリジナルなものの這入り込む余地はないのだ。(小林秀雄「林房雄の「青年」」)

たとえば、われわれは現在シリア情報に踊っている。パリテロ事件後はいっそうにそうだ。だがシリア内戦は長いあいだほとんど座視されていたのではなかったか。リビアとシリアの反政府デモ(2011年)はほぼ同じ時期に起きているが、国連などはリビアのみに武力介入し、石油埋蔵量がわずかなためか、自国の利害にあまりかかわらないせいかはいざ知らず、シリアには介入していない。2013年のアサド側による化学兵器使用疑惑において、ようやくジャーナリズムの餌食の顕著な対象となったといってよいだろうが、そこでもロシアと米国に代表される「西側」の、おそらく利害の相克などにより、オバマに代表される西側諸国の指導者は、武力介入をぎりぎりのところで思い留まることになる。

2015年になって大々的に武力介入がなされるようになったのは、イスラム国の仕業だと想定されるテロ事件やシリア難民の大流入により、西側諸国の安全保障感が脅かされるようになったせい(ほとんどそのせいだけ)ではないだろうか。そうでなかったら座視し続けていたのではなかろうか。

いずれにせよ我々がシリア内戦にこの今注目するのは、ジャーナリズムの多量な情報のせいであり、世界にはほかにも「人道的に」痛ましい事象が多数あるはずだ。だがそれさえ小林秀雄のいうように(非人権状況を歎くための)オリジナルなものではないといえるだろう。

ここでもし、この世界資本主義の時代において限りなくオリジナルに近いものがあるとするなら、イデオロギー、ヘゲモニー、エコノミーの三幅対におけるエコノミーと口にだしてなにやら言ってみたい誘惑にはかられるが、それはここでは慎んでおく。

とはいえ、この資本の論理の席捲する現代とは、《 自由、平等、所有そしてベンサム(Freiheit, Gleiheit,EigentumundBentham)だけである》(マルクス『資本論』)ーーにおけるベンサム主義(経済の論理、効率の論理)、ほとんど非イデオロギー的イデオロギー「新自由主義」の時代ではあろう。

ここでは新自由主義時代のバイブルとして、米国でよく読まれているらしいアイン・ランドの書から次ぎの文を抜き出しておくだけにする。

お金があらゆる善の根源だと悟らない限り、あなたがたは自ら滅亡を招きます。(アイン・ランド『肩をすくめるアトラス』)




中井久夫は、ほぼ20年前だが、次ぎのように記している。

さて、有史以来、民族は移動するものであった。現在紛争の特に烈しいバルカン半島、インドシナ半島、南アフリカは民族移動が何世紀も続いているところである。十九世紀末、英国、フランス、ドイツは世界を分割して、旗の立っていない土地を消滅させた。二回の大戦は少し地図を変えたけれども、すべての土地に旗が立っていることは変わらなかった。大戦による国力の衰微と、大戦への植民地人の協力の代償としての自治の約束と、植民地人の民族主義と、冷戦の力学とは、これらの植民地を、植民地時代の境界のままの独立に導いた。ほかに選択肢はなかった。国連はこの境界を保障する機構となった。実際、コンゴからカタンガ分離運動が起こった時、国連軍はこれを抑えるために軍を送った。ナイジェリアからの独立を賭けたビアフラ戦争では大量の死者を出して敗北するビアフラを世界は座視した。 (中井久夫「治療文化論再考」初出1994年『家族の深淵』所収)

現在にも座視されている「ビアフラ」はたくさんある。




もちろん「良心的な」ジャーナリストは、来年あたりからもうすこしは騒がれるかもしれないイエメンなどに今から触れつつ、「人道的」ジャーナリストとしてアリバイづくりをしていないわけではない。とはいえ、ジャーナリストの言説は基本的には次ぎの機制、あるいは誘惑をまぬがれないだろうし、マルクスのいうとおり、「彼らはそれを知らないが、そうする」。

十九世紀の初めのフランスのジャーナリストで、エミール・ド・シラルダンという人が、カルチエラタンの屋根裏部屋の火事のほうが、リスボンの革命よりも、新聞記事としては絶対に読者を喜ばせると言う。(蓮實重彦『闘争のエチカ』(柄谷行人との対談)

集団的事故で子を失くした両親のPTSDをジャーナリズムは問題にするけれども、交通事故も同程度かそれ以上の悲惨だと思うのに、視野に入ってこない。(中井久夫「トラウマと解離」(「批評空間」2001Ⅲ―1 斉藤環、中井久夫、浅田彰共同討議)
十九世紀半ばの西欧には今では考えられないほど鉄道事故が頻発しており、事故の結果、医学的所見がないのに心身の障害を訴える人が続出した。これは学界では「機能的神経障害」と呼ばれた。治療よりも補償が問題であった。補償をめぐる被害者対鉄道会社の攻防の両側に医師がいた。

それ以前はどうであったのか。一般に災害は個人が耐え忍ぶものとされていた。十九世紀半ばに至って、西欧では個人の権利意識が向上し、また鉄道事故は今日の航空機事故のようにジャーナリズムの餌食となり、百パーセント企業の責任として訴訟の対象となった。むろん、百パーセントの被害者は他になかったわけではない(たとえば馬車による交通事故)が社会問題とならなかった。現在でも、航空機事故に比してその数千倍、数万倍の自動車事故は無視され、ほとんど近代社会を運転するためのコストとみなされている。(中井久夫「トラウマとその治療経験――外傷性障害私見」初出2000年『徴候・記憶・外傷』所収)





…………

以下、メモとして蓮實重彦の『凡庸な芸術家の肖像』からいくらか抜き出しておこう。ここでの文脈では、「凡庸なジャーナリストの肖像」とすることができるが、ただし、ジャーナリストだけではなく、だれもがその凡庸さを免れていない。それは凡庸な知識人の肖像とすることもできるだろうし、知識人でないわたくしもあなたも免れるわけではない。

すなわち、《誰もが凡庸と呼ばれる思考の風土からもっとも離れた地点に自分を位置づけようとしており、 そうした姿勢のはば広い共有ぶりが、ことによると凡庸さの実態だといえるのかもしれぬ》のであり、ドゥルーズの言い方なら次のごとし。

耐え難いのは重大な不正などではなく凡庸さが恒久的につづくことであり、しかもその凡庸は、それを感じている彼自身と別のものではない。(ドゥルーズ『シネマ Ⅱ』)


《つまりあたりに氾濫する無自覚な凡庸さを何とか超えようとする姿勢そのものがまさしく凡庸さを回避しようとする身振りの単調さによって、 (……)それを攻撃する側の人間までが凡庸さをあたりに蔓延させる運動そのものというべきもので帝国の独裁者の振舞いをも嘲笑してみせることで、 自分の立場を相対的に高めようとする凡庸な精神が作用している。それがそっくりわれわれの精神と共鳴しているかもしれぬその凡庸さが、改めて痛ましく思われる。》


《帝国の独裁者の振舞いをも嘲笑してみせる》とあるが、わが国の指導者層の言動を嘲笑してみせる一般人の振舞いは、もはや日常茶飯事になってしまった。

およそあらゆる人間の運命のうち最も苛酷な不幸は、地上の権力者が同時に第一級の人物ではないことだ。そのとき一切は虚偽であり、ゆがんだもの、奇怪なものとなる。

さらに、権力をもつ者が最下級の者であり、人間であるよりは畜類である場合には、しだいに賤民の値が騰貴してくる。そしてついには賤民の徳がこう言うようになる。「見よ、われのみが徳だ」とーー(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第四部「王たちとの会話」手塚富雄訳)



【人類の大義と真実を口にする記者】

従軍記者になるための条件は、それが一般的に保守的と呼ばれるものであれ革新的と呼ばれるものであれ、きまって人類の大義と真実の二語を口にし、それを口にすることでみずからの成熟を確信し、いまある自分自身を肯定し、しかも強要されたわけでもないのに、他者の群に向かってそう物語ってみせる人間のことである。(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』P.344)


【本当らしく見せるための配慮の体系】 

自分一人が特権的な証人たりえたできごとを本当のこととして他人に報告しようとするとき、人は、みずから語りつつある物語が真実であると立証すべく、本当らしさへの配慮で思わず武装してしまう。語ることは、語ることの真実らしさに支えられることなしに遂行されはしないからである。しかも、物語に耳を傾ける者たちは、語ることの真実らしさを確信しえたときに、初めて説話論的な安心を獲得する。つまり、物語は、本当らしく見せるための配慮が共有されるとき、初めて語る者と聞く者とを結びつけるのである。その意味で、物語とは、本当らしく見せるための配慮の体系だといってよい。p.412


【言説が真実として受け入れられる条件】

(大衆化社会では)ある証人の言葉が真実として受け入れられるには、 二つの条件が充たされていなけらばならない。 語られている事実が信じられるか否かというより以前に、まず、 その証人のあり方そのものが容認されていることが前提となる。 それに加えて、 語られている事実が、 すでにあたりに行き交っている物語の群と程よく調和しうるものかどうかが問題となろう。 いずれにせよ、 人びとによって信じられることになるのは、 言葉の意味している事実そのものではなく、 その説話論的な形態なのである。 あらかじめ存在している物語のコンテクストにどのようにおさまるかという点への配慮が、 物語の話者の留意すべきことがらなのだ。p.754


【その場にいない人間に何が語れようかという、疲れを知らぬ旅人】

(これらの)著者それぞれの政治的姿勢の違いにもかかわらず同じ構造の言説に属しており、基本的には、誰がより多くの正しい情報を持っているかという点にすべてが還元されるだろう。その場にいない人間に何が語れようかという、疲れを知らぬ旅人マクシムの一貫した立場と、コミューン擁護派のリザガレーのそえとはほぼ同じものなのである。

ところで、その場にいたという説話論的な特権の虚構的な肥大化こそがジャーナリズムの基盤なのだから、こうした立場はこんにちまで根強く生き残っている。(……)実際、ロンドンに亡命中のドイツ人が、事態の推移に寄りそうようにして『フランスの内乱』を書きえたのは、マルクスがそのような知の配置に敏感であり、またその配置の変換に創造的に関わりえたからにほかならない。その説話的な戦略は、話者の説話論的な特権の否定だといってよかろうが、それは同時に、その場にいたという説話論的な特権の虚構的な肥大化としてあるジャーナリズム的磁場の徹底的な批判ともいえるだろう。あるいはまた、語ることそのものに露呈される階級性批判としてもよいものが、別のいい方をするなら、旅行記的な言説の根本的な否定ということにもなろう。

(……)実際にこの目で見たりこの耳で聞いたりすることを語るのではなく、見聞という事態が肥大化する虚構にさからい、見ることと聞くこととを条件づける思考の枠組そのものを明らかにすべく、ある一つのモデルを想定し、そこに交錯しあう力の方向が現実に事件として生起する瞬間にどんな構図におさまるかを語るというのが、マルクス的な言説にほかならない。だから、これとて一つの虚構にすぎないわけなのだが、この種の構造的な作業仮説による歴史分析の物語は、その場にいたという説話論的な特権者の物語そのものの真偽を越えた知の配置さえをも語りの対象としうる言説だという点で、とりあえず総体的な視点を確保する。(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』P.508)


【デマゴギーと呼ぶところのもの】

人がデマゴギーと呼ぶところのものは、決してありもしない嘘出鱈目ではなく、物語への忠実さからくる本当らしさへの執着にほかならぬ(……)。人は、事実を歪曲して伝えることで他人を煽動しはしない。ほとんど本当に近い嘘を配置することで、人は多くの読者を獲得する。というのも、人が信じるものは語られた事実ではなく、本当らしい語り方にほかならぬからである。デマゴギーとは、物語への恐れを共有しあう話者と聴き手の間に成立する臆病で防禦的なコミュニケーションなのだ。ブルジョワジーと呼ばれる階級がその秩序の維持のためにもっとも必要としているのは、この種のコミュニケーションが不断に成立していうことである。P.563


さて、蓮實重彦の文章を引用してみたが、これらは、《三面記事的な偽の現場主義が支える物語的な真実の限界》とでも要約できる内容である。そして、《カルチエラタンの屋根裏部屋の火事のほうが、リスボンの革命よりも、新聞記事としては絶対に読者を喜ばせる》のであるならば、読者に読まれるために書かれる「営利行為」としてのジャーナリズム全体が、三面記事的な側面をもっている。

これらの内容に対して、マルクスの天才をもっていないにもかかわらず、現場を歩かないですませようとする書斎派の戯言だという反駁も憶測されはする。いずれにせよ、《万人はいくらか自分につごうのよい自己像に頼って生きている》(エリオット)のであり、ジャーナリストも批評家もそれぞれ都合よく自らの正当性を語りがちだ。

ただし、ここでレヴィ=ストロースの自伝の冒頭は思い起しておこう、それは「私は旅と探検家がきらいだ」で始まる。文化人類学者として現場を歩き廻った彼の言葉である。さらにこうもある。

研究の目的に到達するために、これほどの努力とむだな消耗が必要だということは、私たちの仕事のむしろ短所とみなすべきで、なんらとりたてて賞賛すべきことではない。私たちがあれほど遠くまでさがし求めにいく真理は、このような挟雑物を取り去ったのちに、初めて価値をもつのである。(レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』川田順造訳)

忘れてはならないのは、「その場にいない人間に何が語れようかという、疲れを知らぬ旅人」であるのみでは、レヴィ=ストロースのいうように、ラチが明かないことだ。もちろん「思想家」や「分析者」らの下請けに徹するつもりなら別だが。

旅をするとは、何かを言うためにどこかに出かけて行き、また何かを述べるために帰ってくることにほかならない。行ったきり帰ってこないか、向こうに小屋でも建てて住むのであれば話しは別ですけどね。だから、私はとても旅をしようという気になれない。生成変化を乱したくなければ、動きすぎないようにこころがけなければならないのです。トインビーの一文に感銘を受けたことがあります。『放浪の民とは、動かない人たちのことである。旅立つことを拒むからこそ、彼らは放浪の民になるのだ』というのがそれです。(ドゥルーズ「哲学について」『記号と事件』)

ほかにも、蓮實重彦のあれらの文章は、1980年代に書かれたものであり、たとえば最後のデマゴギーでも、現在では意図的なフレームアップ(捏造)を流すデマも思いの外多くなっているのかもしれない。とすれば蓮實重彦のこれらの文は、今では、むしろ「良質な」ジャーナリスト、「良質な」知識人の書き物にのみ当てはまる「批判」だろう。

ただし、その「良質な」彼らにおいてさえ、《自分が暗黙に前提している諸条件そのものを吟味にかける》姿勢はーージャーナリストの宿命とさえいえるかもしれないがーー、彼らの標準的な言説構造においてはきわめて稀であり、《超越的、つまりメタレヴェルに立って見下すものではなく、自己自身に関係していくもの》(柄谷行人『闘争のエチカ』)としての「超越論的」姿勢を、彼らの文章に垣間見ることは僥倖でしかない。すなわち《自分が批判している対象とは異質の地平に立って、そこに自分の主体が築けるんだと思うような形で語られている抽象的な批評がいまなおあとを絶たない》(蓮實重彦、同『闘争のエチカ』)のであり、これはもちろん今こうやって記しているわたくしも免れがたい。その免れがたさは、ほとんど「文体」の問題とさえいえる。

「私」が「私」を客観する時の、その主体も「私」ですね。客体としての「私」があって、主体としての「私」がある。客体としての「私」を分解していけば、当然、主体としての「私」も分解しなくてはならない。主体としての「私」がアルキメデスの支点みたいな、系からはずれた所にいるわけではないんで、自分を分析していくぶんだけ、分析していく自分もやはり変質していく。ひょっとして「私」というのは、ある程度以上は客観できないもの、分解できない何ものかなのかもしれない。しかし「私」を分解していくというのも近代の文学においては宿命みたいなもので、「私」を描く以上は分解に向かう。その時、主体としての「私」はどこにあるのか。(中略)この「私」をどう限定するか。「私」を超えるものにどういう態度をとるか。それによって現代の文体は決まってくると思うんです。 (古井由吉『ムージル観念のエロス』)

古井由吉の文体で、ジャーナリストが記事を書けば、ほとんど誰も読まなくなるだろう。だが新聞記者に典型的なジャーナリストの問題の中心のひとつは、やはりその「文体」にあるには相違ない。それはジャーナリスト共同体(業界)内部でよく訓練されたジャーナリストであればあるほど目立つとさえいいうる。

……言語へのあるタイプの禁欲も必要である。この禁欲が意識的に破壊された時、しばしば「ジャーナリストの文体(むしろ非文体)」が生まれる。ジャーナリストを経験した作家は、大作家といわれる人であっても、ある「無垢性の喪失」が文体を汚しているのはそのためである。(中井久夫「「創造と癒し序説」——創作の生理学に向けて」)


さて、ここまでは、エラそうなことはまったく言えない海外住まいの初老のディレッタントが記しているものとして読んでほしいが、とはいえ誰であっても忘れてはならないのは、次のことなのだろう。

重要なことは、われわれの問いが、我々自身の“説明”できない所与の“環境”のなかで与えられているのだということ、したがってそれは普遍的でもなければ最終的でもないということを心得ておくことである。(柄谷行人『隠喩としての建築』1983年)

…………

いささかジャーナリスト嘲弄気味の文を掲げすぎたので、最後にこうつけ加えておこう。マルクスはジャーナリスティックな批評家であっただろう、と。

重要なのは、(……)マルクスがたえず移動し転回しながら、それぞれのシステムにおける支配的な言説を「外の足場から」批判していることである。しかし、そのような「外の足場」は何か実体的にあるのではない。彼が立っているのは、言説の差異でありその「間」であって、それはむしろいかなる足場をも無効化するのである。重要なのは、観念論に対しては歴史的受動性を強調し、経験論に対しては現実を構成するカテゴリーの自律的な力を強調する、このマルクスの「批判」のフットワークである。基本的に、マルクスはジャーナリスティックな批評家である。このスタンスの機敏な移動を欠けば、マルクスのどんな考えをもってこようがーー彼の言葉は文脈によって逆になっている場合が多いから、どうとでもいえるーーだめなのだ。マルクスに一つの原理(ドクトリン)を求めようとすることはまちがっている。マルクスの思想はこうした絶え間ない移動と転回なしの存在しない。(柄谷行人『トランスクリティーク』P250)


そしてジャーナリスト的非文体においても、マルクス的な態度が場合によっては可能でありうるのは、ジジェクの次の文が示唆する(実際、ジジェクの英文体はそれだけ読めばひどくジャーナリスティックであり、一見魅力に乏しい)。

ショート(short circuit 短絡)が起こるのはネットワーク回路に誤った連結があるときだ。「誤った」とはもちろんネットワークの円滑な機能という立場からの意味である。とすればショートによる火花はクリティカルな読解にとって最もすぐれた隠喩のひとつではないだろうか。最も効果的な批評critical行為の一つはふだんは触れ合うことのない電線を交差させることではないか?

名高い古典(テキスト、作家、概念)を取り出しそれをショート回路的方法で読むこと、それは「マイナー」な作家あるいは概念的装置のレンズを通してだ(「マイナー」とはここではドゥルーズがいう意味で理解しなければならない。すなわち「劣った質」ではなく、支配的イデオロギーから外れたり否認された、あるいは「より低く」、威厳に劣った話題を扱うということに)。もしこのマイナーな参照がよく選ばれていれば、このようなやり方はわれわれの通念を完璧にかき乱し掘り崩す洞察へと導きうる。

これはマルクスが哲学と宗教にかんしてやったことだ(政治的経済のレンズを通して哲学的考察のショート回路、すなわち経済的考察)。そしてフロイトとニーチェが道徳についてやったことだ(無意識のリビドー経済のレンズを通して最高級の倫理的概念をショートさせること)。

このような読み方が獲得するものはたんに「脱崇高化」だけではない。より高い知的内容をより低い経済的あるいはリビドー的原因に引き下げるだけではない。このような接近法は、むしろ解釈されるテキストへの独自の脱中心化であり、「思考されていないもの」、否認された仮定と結果に光を照射するのだ。(ジジェク編集「Short Circuits 2007」の序文、私訳)

※冒頭近くの「パクリ文」は、最初のものが『小説から遠く離れて』からであり、その後の文は『物語批判序説』からである。