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2015年12月3日木曜日

諸君人間通の人々よ、御自分をもっとよくお知りなさい!



最も厳しい倫理が支配している、あの小さな、たえず危険にさらされている共同体が戦時状態にあるとき、人間にとってはいかなる享楽が最高のものであるか? それ故に力があふれ、復讐心が強く、敵意をもち、悪意があり、邪推深く、どんなおそろしいことも進んでし、欠乏と倫理によって鍛えられた人々にとって? 残酷の享楽である。残酷である点で工夫に富み、飽くことがないということは、この状態にあるそのような人々の徳にもまた数えられる。共同体は残酷な者の行為で元気を養って、絶え間のない不安と用心の陰鬱さを断然投げすてる。残酷は人類の最も古いお祭りの歓楽の一つである。(……)



「世界史」に先行している、あの広大な「風習の倫理」の時期に、現在われわれが同感することをほとんど不可能にする……この主要歴史においては、苦悩は徳として、残酷は徳として、偽装は徳として、復讐は徳として、理性の否認は徳として、これと反対に、満足は危険として、知識欲は危険として、平和は危険として、同情は危険として、同情されることは侮辱として、仕事は侮辱として、狂気は神性として、変更は非倫理的で破滅をはらんだものとして、通用していた! ――これらすべてのものは変わった、人類はその故にその性格を取りかえたに違いない、と諸君はお考えになるか? おお、諸君人間通の人々よ、御自分をもっとよくお知りなさい!(ニーチェ『曙光』第一書 18番)



人間は、父親の殺されたのはじきに忘れてしまっても、自分の財産の損失はなかなか忘れないものであるから、とくに他人の持ち物には手をださないようにしなくてはならない。物を奪うための口実は、いくらでも見つかるものである。そのため、ひとたび略奪で暮らすことを味わった者は、他人の物を奪うための口実をつねに見つけるようになる、それに対して、血を流させるような口実は、やたらにさがせるものではなく、すぐ種切れになるものである。(マキャベリ『君主論』)


……仇討ちのおこなわれる国とは(すべて山国である点に注目しておこう)、中世の封建的正義の思想が十分に練り上げられず、浸透しきれなかった国々である。たとえば、ベルベルの国々であり、コルシカ島であり、アルバニアである。サルディーニャ島に関する研究についてマルク・ブロックが指摘しているところによれば、島は「長い間、大陸にいきわたっている大きな影響の潮流から免れていた」ために、中世に「封建主義化されないで、広く領土支配を受けた社会であった。」これはサルディーニャ島の島国性を強調することになるし、事実、それはサルディーニャ島の過去の決定的な力である。しかし、この島国性とは別に、やはり強力な、山があったのである。山は、海以上ではないにしても、海と同じくらい、人口の孤立化の責任を負っている。山は、我々の目の前で、オルゾコロや他のところで、近代国家とカービン兵の配置ゆえに暴動を引き起こすあの悲壮で残酷な無法者をつくりだす。民族学者も映画人もこの感動的な現実に心をとらえられた。「盗みをしない者は、人間ではない」とサルディーニャ島のある小説の主人公は言う。「法律は、自分の手で手に入れる。自分に大切なものを取るのだ。」(フェルナン・ブローデル『地中海』)




※もちろん、ここで引用した文と画像とはまったくーーいやほとんど関係がないことを念押ししておこう。

…………

(山内)いったい遊牧民を蛮族視する見方は、中国に限らず、有史宗教または世界宗教が農耕文明と結びついた第二次農耕文明の成立後、騎馬遊牧民の侵入に苦しめられた農耕民による偏見なのです。(蓮實重彦、山内昌之『20世紀との訣別:歴史を読む』岩波書店、1999年2月)

むしろわれわれは、山地人の仇討ちよりは、平地の人間の集団ヒステリー的熱病、平野を襲う疫病神による病いのほうがより重度の残酷さをもっているのではないかと疑うべきだろう。

山は(……)他人が使うための人間をつくりだすところだ。山の生活が四方に広がり、惜し気なく与えられ、海の歴史全体を豊かにする。おそらく山は、その起源において、この海の歴史をつくりさえしたのだ。なぜなら山の生命はたしかに地中海の最初の生命であったように思われるからだ。そしてこの地中海の文明は、「中近東や中央アジアの文明とまったく同様に、羊飼いの生活基盤をカバーしえいるが、隠すことはできない。」(Jules BLANCHE)羊飼いの生活基盤というと、狩猟者と家畜飼育者の原始的な世界、ここかしこで焼き畑農業をしながらの移牧と遊牧生活が思い起される。人々が非常に早い時期に開墾した高地に結びついた暮らしである。

その理由はなにか。おそらく山の資源のさまざまな見本作りである。また平野は、もとは淀んだ水とマラリアの領分であったという事実がある。あるいは大河の変わりやすい水が溢れ出てくる地帯であった。人の住む平野、これは今日では繁栄のイメージがあるが、それが達成されたのは遅く、何世紀にもわたる集団の努力の骨折りの結果である。古代ローマのヴァロの時代には、人々がヴェルブルム〔ローマの町〕に小舟で行った時代の思い出がまだ生きていた。高いところに住む人々の居住が、溜まり水のきらきら光る、熱病がちの低地の人々のほうへと徐々に広がっていった。(ブローデル『地中海』P.76)



……結局、ほとんどすべての平地には、水の停滞がある。しかもその帰結は至るところで同じだ。Acqua, ora vita, ora morte〔水は、生の国であり、死の国である〕 ここでは、水は死の類義語である。動かない水は、葦と籐の非常に大きな茂みをつくり出す。少なくとも、水は、夏には、浅瀬や川床の危険な湿気を保つ。この湿気から恐ろしいマラリア熱、つまり暑い季節の間、平野を襲う疫病神が生じる。(同、ブローデルP.99 )