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2015年11月25日水曜日

シリアの川のほとり

◆JS Bach - An Wasserflüssen Babylon, BWV 267




よく知られているように(?)、「バビロンの川のほとりにて An Wasserflüssen Babylon」の川とは現在のイラクかシリアに流れる川のことである。そもそもメソポタミアとは「二つの川の間」という意味であり、現在のシリアやイラクの地方である。

いくらか調べてみたかぎりでは、ユーフラテス川の大きな支流の一つであるカブール Khabur 川(ハブール川Habor)が「バビロンの川」にあたるらしいが、はっきりしたことは不明。灌漑用運河であるという見解もある。

バビロン川とありますが、これはおそらくケバル川のことでしょう。イラクのバグダッド市から160㌖、バビロン市からは70㌖ほど南にくだったところにあります。ここはかつて、アッシリヤ人の要塞があったニップル市のそばを流れる、農業のための灌漑用運河だそうです。ユーフラテス川から引いていました。新バビロニヤ勃興の戦いで荒廃し、減少した人口を補うために連れて来られたユダヤ人の、移住先になったと考えられています。移住先は一カ所だけではありませんでしたが、多数のユダヤ人が配置された二カ所のうちの一カ所が、そこであったろうというわけです。もう一カ所は熟練した職人たちのもので、バビロン市の建設事業のためでした。バビロン川のほとりということで、すぐに思い浮かべるのは、ケバル川です。広大な乾燥地帯に造られた人口運河で、大きく直線的なものですが、今は、周囲にさまざまな建造物が並んでおり、中には非常に古いバビロンの名称を持つものも見られるようです。そんな古い建造物も、もしかしたら彼らが造ったものではないかと想像してしまいます。もっとも、そんな古いものは、残存していたとしても、崩れ落ちた廃墟、遺跡でしかないとは思いますが。行って現場を見て来たような言い方をしていますが、見たのはグーグル・アースです。十分とは言えなくても、そこに立っているかのような気分になりました。

 このケバル川に配置されたユダヤ人は、もちろん種々雑多な仕事についていたのでしょうが、基本的には開拓農業だったようです。メソポタミア文明は、基本的には農業文化です。そしてそれは、最新の文明でした。もっとも、ニップル市の歴史は古く、紀元前6千年紀ころに居住が始まり、シュメール時代には、最高神エンリルを都市神とした宗教的中心地になっていたそうですから、灌漑用水路建設にも力がいれられたと思われます。が、歴史が長く、中心都市だったということは、幾多の戦火にさらされて来たことを意味します。BC1739年に発生した、大規模な反乱によって壊滅的被害を受け、ニップル市は残ったものの、都市機能は失われてしまったそうです。そんなところで苦労しているユダヤ人が、ヤーヴェ礼拝で竪琴を奏でることを大切にしている。彼らの信仰が窺われるではありませんか。(聖書に聞く

だがwikiには《ケバル川はハブール川ともされてきたが、バビロニアのニップル市付近の灌漑用運河でありハブール川とは別と考えられている》とされている。





いずれにしろ「バビロンの川」とは、かつてのバビロン帝国内にあるチグリス川、ユーフラテス川であるか、その支流(あるいは上にみたように灌漑用運河)のどれかであるには違いない。




「バビロン川のほとり、そこで、私たちはすわり、シオンを思い出して泣いた。その柳の木に私たちは竪琴を掛けた。それは、私たちを捕らえ移した者たちが、そこで、私たちに歌を求め、私たちを苦しめた者たちが、興を求めて、『シオンの歌を一つ歌え』と言ったからだ。私たちがどうして、異国の地にあって主の歌を歌えようか。エルサレムよ。もしも、私がおまえを忘れたら、私の右手がその巧みさを忘れるように。」(詩篇137:1-5







ーー「イスラム国」の連中はどうやらバビロンの川のほとりがお好きなようである。

シリアは、「イスラム国」に起因する不幸のせいで、今は15世紀前後成り上がった野蛮国やその末裔国に空爆されているが、もちろんイラクとともに古代最古のメソボタミア文明発祥の地である。

四大文明はすべて同時に発生したわけではありません。まず、紀元前3500年ごろ、チグリス・ユーフラテス川流域でメソポタミア文明が生まれ、それにやや遅れてナイル川流域にエジプト文明が誕生しました。インダス文明の成立はずっと遅れ、前2500年ごろ、黄河文明はさらに千年を経過した前1500年ごろだとみられています。(文明の曙 ーメソポタミア・エジプトー

シリアとは由緒正しさがまったく異なるどこかの極東の島国の人々も次のようにシリアを流れる川に憧憬にまみれるように歌っていらっしゃる。

◆バビロンの流れのほとりにて(パレストリーナ) ブルク・バッハ室内合唱団




近代ヨーロッパにおけるアラビア文化の過小評価には、しばしば不当な点がある。たしかに七世紀中葉におけるアレクサンドリアの陥落は古代医学の終焉を告げるものであった。医学の知識の集積所、医師の再生産の中心が失われた重大な事件である。しかし、多くのシリア人、ギリシア人の医師たちは回教世界に迎えられ、まず文化翻訳者となり、引き続き彼らの医学を発展させた。実際八世紀にはじまる彼らの最盛期には、バグダッドをはじめとする主要な都市において完備した精神病院があり、休息、音楽、水浴、体操など、古代世界の精神医療の伝統を継承し、それを発展させた治療が行なわれていた。われわれはその実状を知る位置にはないが、この精神病院はその文化に対応して、オアシスをモデルとして精神的オアシスを指向したのではないかとも読みとれる。ヨーロッパ世界はアラビアの精神病院をモデルとして、まずスペインに同様の施設を建設するが、オアシス的休息の意味は、勤勉を価値とするヨーロッパ文化に継承されなかった。(中井久夫「西欧精神医学背景史」『分裂病と人類』所収)


(誇り高き最古の文明の末裔シリア難民)


……中世後期の制度、機構、施設でイスラム世界に倣ったものが少なくない。特に大学とルネサンス型宮廷である。イスラム世界の宮廷でカリフがまわりに賢者・学者〔マギ〕を集めたように、ルネサンス期の皇帝、王、大公、僧籍を持つ支配者は占星術師、人文家〔ヒューマニスト〕、芸術家、司書、道化、魔術師、法学者、顧問僧を集めた。これらは全体として一風変わったルースな組織であった。この政府の政策立案の基礎が事実にもとづいたものであることは少なかった。

事実を精査しないで、「シンタグマティズム」とでもいうべき原理が拠る傾向が存在した。これは部分から全体を演繹するという思考法、行動方式である。その部分なるものはしばしばかすかな徴候であり、僅少な可能性である。シンタグマティストの精神はそのようなものから一つの全体を紡ぎ出し、この全体が何かの部分であるとされて、さらに別の全体を紡ぎ出す。この過程は非常に思弁的であり、時にはほとんど幻想的であり、場合によってはパラノイア的とさえいいうる。ここで働いている原理は直観であり、アナロジーであり、照応である。シンタグマティズムの源泉としてはアリストテレスに倣ったトーマス・アクィナスの哲学、新プラトン主義があるが、占星術、錬金術などもある。(中井久夫「アジアの一精神科医からみたヨーロッパの魔女狩り」初出 英文1979 『徴候・外傷・記憶』所収)


Stone head of priest-king Gudea of Lagash (southern Mesopotamia)

……ジジェク氏によれば、我々が本当に多くの内戦国家を助け、難民が出ないようにす るには、やるべきことは簡単だ。つまり、それらの国々で儲けている西側資本が手を引け ば良いだけだという。

「(アラブやアフリカにおける)国家権力の崩壊は、現地の現象ではなく、西側が利益を得 ている結果なのだ。崩壊した国の増加は、偶然の不幸ではなく、明らかに、強国が経済的 植民地に行使するメカニズムによるものである。中でもリビアとイラクの場合は、西側の干渉がとりわけ直接的に行われた」

また、ジジェク氏によれば、アラブの国家崩壊の原因は、第一次世界大戦後に、イギリスと フランスが引いた人工的な国境、そして、それによってできた人工的な国家に遡るものだ。 IS の出現は、かつて植民地の支配者がシリアとイラクに分けてしまったスンニ派が、ようや く一つになったとも解釈できるという。(川口マーン惠美「シュトゥットガルト通信」ーーグローバリズムとは現代の「奴隷制度」である! )

(シリア難民)

ーーそもそも彼らは風貌は、悪臭紛々たるどこかの卑しい成り上がりものたちとは異なり、誇り高き古代文明、その高貴さの名残りを、この現代の金まみれの我々の眼前に髣髴とさせてくれる。

我々がまさに分かっていること、それは難民の複合経済が何億万ドルもの利益を生み出していることだ。誰が資金調達してのか? 組織しているのは誰だ? ヨーロッパの諜報機関はどこだ? 彼らはこの暗黒の冥府を探っているのか? 難民が絶望的状況にあるという事態は、微塵足りとも次の事態を考慮から除かない、すなわち難民のヨーロッパへの流入が巧妙に計画されたプロジェクトだという事態を。(ジジェク NOVEMBER 16, 2015 Slavoj Zizek: In the Wake of Paris Attacks the Left Must Embrace Its Radical Western Roots

◆Syria Tradition Music




さて、ここでいささか際物の評判がないでもない「行政調査新聞」から引用してみよう。

ーー際物がきらいな人は、まずは「中東問題がどうしてこうなったか歴史的経緯がよく分かるまとめ」がよいのではないか。池内恵と山形浩生の対談「イスラム国躍進の構造と力『公研』2014年10月号」もある。

イスラム国はいったいどのような歴史から生まれ、育ってきたのか。彼らを支えてきたのは何者なのか。

イラク戦争でスンニ派のフセイン政権が倒され、シーア派が実権を握ろうとしたころ、彼らはスンニ派過激組織として活動を開始していた。

その後彼らは、イラクとシリアのイスラム国 (ISIS) 、 イラクとレバントのイスラム国(ISIL)などと名乗っていたが、その深奥にあるのは「サイクス・ピコ協定によって欧州が勝手に作った体制を打倒する」という思いだったはずだ。

サイクス・ピコ協定とは、第一次大戦中に英仏露が交わしたオスマントルコ分割案のこと。第二次大戦後に日本を縛っているYP(ヤルタ・ポツダム)体制のようなものと考えればいいのかもしれない。とにかく彼らは英仏露が勝手に決めたサイクス・ピコ協定を引っくり返すために結集した。 「イラクとレバントの国ISIL」とレバントを名乗っているところにもその主張が見えている。ちなみにレバントとはシリア、レバノン、ヨルダン、パレスチナといった中東の地域を指す。

そんな彼らが強大な武力を手にし始めたのは、2006 年にイラク政府がシーア派統一会派として成立したころである。2004 年ころには「イラクの聖戦士アルカイダ」と名乗っていた組織が分裂、解体、連合の後に2006 年には「ムジャヒディーン(聖戦士)諮問評議会」と名乗り、スンニ派をまとめ始めた。これがイスラム国の初期(ISIS またはISIL)の姿だ。

彼らは当初、米国の民間軍事会社ブラックウォーターから武器を購入していた。その事実からも、アルカイダ同様に米CIA と密接な関係を持っていたと考えられる。中東地域の戦乱を拡大したい旧ネオコンが背後にいるのではないかとの噂もあったが、ネオコンが関与したという具体的な証拠はない。

元米国家安全保障局、元米CIA のE・スノーデンは「イスラム国の指導者であるバグダディは、モサドとCIA とMI6 が育てたエージェントである」と分析する。スノーデンは証拠を提示していないが、その可能性は高い。 (…)

さらにスノーデンは、 「モサド (イスラエル)は、ISIS とイランを戦わせ、スンニとシーアの両方を消耗させて弱体化するためにISIS を作った」とも語っている。

スノーデンのこの言葉を裏付けるかのように、イスラエルのネタニヤフ首相はこう言っている。 「イスラエルや米国は、ISISとイランとの戦いを傍観し、両者が弱体化するのを待つべきだ」

この他にも、イスラム国が確保していた石油利権をクルド人に奪わせるために米軍が空爆するなど、イスラム国の背後に米英イスラエルが関与している雰囲気は十分にある。ユダヤ陰謀論者が喜びそうな材料には事欠かないといった雰囲気なのだ。 (行政調査新聞 2014 年 9 月)

いずれにせよーー際物にせよそれなりの専門家にせよーーサイクス・ピコ協定が諸悪の根源だというのはほぼ主流の見解なようだ。

さて、エドワード・スノーデンが実際に「イスラム国の指導者であるバグダディは、モサドとCIA とMI6 が育てたエージェントである」と言ったのかどうかは、いくらか探ってみたかぎりでは、わたくしには曖昧なままである。

ただジョン・マケインーー2008年の大統領候補であり、かつてベトナム戦争で捕虜になり、3日間の拷問を受けたことでも知られるーーはバグダディとどうやら「お知り合い」(偽造画像でなければ)らしいという情報だけはネット上にかねてより流通している。




2013年の時点で、ジジェクが「エドワード・スノーデンはヒーローだ」と言ったことも知られている(THE GUARDIAN)。かつスノーデンは現在ロシアに亡命に近い生活をしているらしいことも知られている。

IS(イスラム国)の最高指導者バグダディ氏の正体が、イスラエル諜報機関のサイモン・エリオット氏であるという説は、日本のメディアではなるべく触れないことにしているようだ。専門家やジャーナリスト評論家などへの質問としても、まず、出てこない。その理由は「それを言っちゃあ、みもふたもない」からか? または、この説に反対意見の人も受け入れる意見の人も、どららも、なんの証拠も確信も持ててないからか。(加藤健二郎「なぜ、イスラム国の指導者がイスラエルの工作員であることに触れられないのか?」

※ 追記
1:Inside jobs and Israeli stooges: why is the Muslim world in thrall to conspiracy theories?
2:Hillary Clinton: “We Created Al Qaeda”.

イスラエルびとたちも上にみたように、《新バビロニヤ勃興の戦いで荒廃し、減少した人口を補うために連れて来られたユダヤ人の、移住先になった》シリアの川のほとりが、エルサレムと同様(あるいはひょっとしてそれ以上に)憧憬の土地なのであろうか。

ただしチグリス川・ユーフラテス川の水量は、あれらの成り上がりものたちの世界資本主義ナンタラに起因する地球温暖化・環境破壊のために、水量の減少(そして塩害)が目立ってきているという不運がある。



…………


というわけで(?)、再度、「バビロンの川のほとりにて」、すなわち「シリアの川のほとりにて」である。

◆Bach - An Wasserflüssen Babylon, BWV 653b, Organ