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2015年11月18日水曜日

祈りとさむいぼ

カトリックの連中が《パりで起きたてロの犠牲者たちと彼ら彼女らの家族のために祈りましょう》などとツイッターで言っているのをみて、オレはすぐさま「さむいぼ」がたったんだが、きみらはそんなことないのだろうか?

ーーそれはムスリムたちのジハードをいっそう刺激するんじゃないのか、と

ここでは素朴に言うが、史上最大の大虐殺といえば、やっぱりキリスト教徒の「信心深い」十字軍戦士たちによって行われたわけでね

とっくに忘れていたはずの十字軍的な情熱を鼓舞してんじゃないだろうな、あの連中のお祈りってのは・・・

フランスにはイスラム政権ーームスリムの大統領ーーができるほうが上手くいくんじゃないか。それはまったく非現実的なことではない。時間の問題であり、そのうち必ずそうなる(大虐殺がなければね)。

…………

ヨーロッパのいくつかの都市では、あと 25年ほど内で、ムスリムが多数派になるだろう(Muslims will be majorities in some European cities within 25 years)。




なにも問題はない。ムスリムたちはヨーロッパ諸国の社会保障制度を支えている。ヨーロッパ人たちだけでどうして少子高齢化社会を支えることができよう。かつまた税金、仮に彼らの所得が低くて所得税支払いにわずかの貢献しかなくても(移民当初は)、彼らは一律に消費税(付加価値税)20%前後を払ってくれている。





たとえばフランスにいる500万人ほどのムスリムが月10万ほど消費したとしよう。付加価値税20%なら、月2万円ほど税金を支払っていることになる。年20万円強である。500万人×20万円=1兆円ほど貢献していることになる(計算(桁)まちがいないかな・・・)。

アラーは、ヨーロッパにてイスラムの勝利を授けてくれるだろう、剣も、銃も、征服もなしに。われわれにはテロリストは必要ない。自爆テロはいらない。ヨーロッパにおける五千万人超のムスリムThe 50 plus million Muslims (in Europe)が、あと数十年でヨーロッパをムスリム大陸に変えるだろう。(カダフィ大佐Muammar Gaddafi)

ーーとは2010年のメルケル独首相による記事からである(Germany Will Become Islamic State




これは仮にかつての十字軍のような史上最大の大量虐殺(街路に逃げまどう非戦闘員も含めてのイスラム教徒大量虐殺である)が起こらなければ、必然的な「来るべき」未来である。

いくらかの抄訳(メルケル首相「ドイツはイスラム国家になるだろう」)もウェブ上にあるので貼り付けておこう。

「我々の国は変わり続けるでしょう。また、移民の問題解決を取り上げるにあたっては同化が課題です。」

「長い間我々は、それについて自国を欺いてきました。例えばモスクです。それは今までよりずっと、我々の都市において重要な存在となるでしょう。」

「フランスでは20歳以下の子供の30%がムスリムです。パリやマルセイユでは45%の割合まで急上昇しています。南フランスでは、教会よりモスクが多いのです。

イギリスの場合もそれほど事態は変わりません。現在、1000を超えるモスクがイギリスには存在します。──ほとんどが教会を改築したものです。

ベルギーでは新生児の50%がムスリムであり、イスラム人口は25%近くに上るといいます。同じような調査結果はオランダにも当てはまります。

それは住民の5人1人がムスリムのロシアにも言えることです。」

すくなくとも「表面的には」次のようなデータがでている。




ダイジョウブだ、ひとは「表面的には」が大切である。

ここで避けなければならない誘惑は、「公然と自分の(人種差別的、反同性愛的)偏見を認めている敵の方が、人は実は密かに奉じていることを公には否定するという偽善的な態度よりも扱いやすい」という、かつての左翼的な考え方である。この考え方は、外見を維持することのイデオロギー的・政治的意味を、致命的に過小評価している。外見は「単なる外見」ではない。それはそこに関係する人々の、実際の社会象徴的な位置に深い影響を及ぼす。人種差別的態度が、イデオロギー的・政治的言説の主流に許容されるような姿をとったとしたら、それは全体としてのイデオロギー的指導権争いの釣り合いを根底から変動させるだろう。 (……)

今日、新しい人種差別や女性差別が台頭する中では、とるべき戦略はそのような言い方ができないようにすることであり、それで誰もが、そういう言い方に訴える人は、自動的に自分をおとしめることになる(この宇宙で、ファシズムについて肯定的にふれる人のように)。「アウシュヴィッツで実際に何人が死んだのか」とか「奴隷制のいい面」は何かとか「労働者の集団としての権利を削減する必要性」といったことは論じるべきでないことを強調しておこう。その立場は、ここでは非常にあっけらかんと「教条的」であり「テロリズム的」である。 (ジジェク『幻想の感染』)




【「IS空爆」に向かう政治的意図と未確認情報】 

アバウード容疑者がシリア東部のIS支配地にいるならば、パリでの作戦を遠隔操作で立案したり、指揮をとったりすることは、全く不可能だろう。ブリュッセルなり、フランスにいて、実際に作戦を立案し、自爆者をリクルートし、当日の手配をとるなど、実質的な指揮をとったというなら、まさに「首謀者」だが、今年1月に仲間と武器とアジトを準備したために、警官に踏み込まれて逃げた若者に、そのような経験と能力があるだろうか。

 もし、アバウード容疑者がパリに来て実際に動いたにしろ、IS支配地にいる彼の指令を受けてフランスにある組織が動いたにしろ、重要なのは、イスラム国の指令によるテロ作戦というよりも、フランスとその周辺国を含めたイスラム過激派組織による大規模なテロ作戦が実行されたという事実である。「イスラム国の指令」はあったとしても、二次的な要素である。

 どうも、この間の数日の報道や情報の流れを見ていると、「IS空爆」という戦争を激化させようとする政治的な意図のもとに、未確認情報が飛び出し、それによって世論操作が行われ、政治が動いているように思えてならない。その陰で、フランスや欧州の足下で重大な危機が広がっていくのではないかという危惧を抱かざるをえないのである。

《テロの目撃者は、劇場に立てこもった実行犯の一人が「おまえ達がシリアでやっていることの代償を払うのだ」と叫んだと語った。》(「シリアで空爆を続けるフランスへの報復」)