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2015年10月13日火曜日

《残された時間が少ない》(ロラン・バルト)

悲しみ。ある種の倦怠感。自分がしたり、思ったりするすべてのことにまつわるとぎれることのない(最近、喪に服していらいの)、同じ倦怠感(心的エネルギーの備給の不在)。帰宅。空虚な午後。ある困難な瞬間。午後(のちに語る)。たった一人。悲しみ。塩漬けのような状態。私は、かなりの強度で思考する。あるアイディアが不意にわきあがる。文学的な回心のようなものーー古くさい二つの単語が心によみがえる。文学に踏み込むこと。エクリチュールに踏み込むこと。これまで自分がやったことのないようなやり方で、書くこと。もう、それしかやらないこと。まず、エクリチュールによる生を統一するために、コレージュをやめること(講義は、しばしば書くことと葛藤状態に陥るから)。続いて、講義と仕事とを同じ企て(文学的な)へと投入し、主体の分割を停止せしめ、たった一つの計画、偉大なる計画を優先させること。(ロラン・バルト「日記」1978年4月15日 カサブランカにて)

ーーやめなくちゃいけない、教師なんて。もう時間がないんだ

《残された時間が少ない》、明確でなくとも、不可逆的な秒読みが始まる時がくるものです(これこそ意識の問題です)。人は自分が死ぬものであることを知っていました(人の話が聞けるようになった時から、そう教え込まれてきました)。それが、突然、自分が死ぬものであると感ずるのです(これは自然な感情ではありません。自然なのは自分は死なないと思うことです。だから不注意による事故が沢山起こるのです)。 (ロラン・バルト「長い間、私は早くから床についた」『テクストの出口』所収)

1977年10月25日の母の死の翌年、上のように語るロラン・バルトは、このときすでに62歳だった。そしてパリの街頭での自動車事故によるあっけない死は1980年の3月のことだ。

「ほら、ヴェルトは再び母親を見つけ出そうとしているのよ」、病院の救急看護室から出るとき、デボラがぼくにそういった。ヴェルトはそこの血液注入台の上で死にかけていた…彼はほとんど裸同然でそこにいた、いたるところに管、漂流したまだ息のある大きな魚のようだった(……)みんなまだそこにいて、嘘をついていた。彼はそんなに悪くなく、事故はそれほど大したことじゃなかったんだと…実際には、彼はすぐ危篤に陥り、もうだめだった…(ソレルス『女たち』)

ーー教師なんてパロールの人にすぎないのさ。知識人とは、自分のパロールを活字にし、公表する者にすぎないんだよ。

パロールの側にいる教師に対して、エクリチュールの側にいる言語活動の操作者をすべて作家と呼ぶことにしよう。両者の間に知識人がいる。知識人とは、自分のパロールを活字にし、公表する者である。教師の言語活動と知識人の言語活動の間には、両立しがたい点はほとんどない(両者は、しばしば同一個人の中で共存している)。しかし、作家は孤立し、切り離されている、エクリチュールはパロールが不可能になる(この語は、子供についていうような意味に解してもいい〔つまり、手に負えなくなる〕)所から始まるのだ。(「作家、知識人、教師」『テクストの出口』所収)

要約されることのできない(要約すると、ただちに、メッセージとしての自分の性格を破壊する)《メッセージ》の送り手は、皆、《作家》(この語は、つねに、社会的価値ではなく、実践を指す)と呼ぶことができる。《メッセージ》が要約できないというのが、作家が、狂人、饒舌家、数学者と共有する条件である。しかし、それは、まさに、エクリチュール(すなわち、ある種の能記〔シニフィアン〕の実践)が明確にしなければならない条件である。(同上)

ーーファルスだって? ヤツは気がふれてるだけさ

ぼくはヴェルトが打ち明けてくれたことを思い出す、彼がノイローゼにかかっていた頃のことで、ファルスの診察室にわりと足繁く通っていた。「あんなところに通うとろくなことはないよ」…彼はまさにそのために動顛させられた…「彼に自分の今までの出来事を話しているうちに」、ヴェルトはつけ加えて言った、「突然わかったんだ、気のふれた奴とおしゃべりするなんて、ぼくはとんでもない阿呆だって」…明快な話さ…(ソレルス『女たち』)

ーーファルスの四つの言説? セミネールⅩⅦ(1969-1970)? 「精神分析の裏側」かい? ああ、ちょっとはイカレタかな・・・

このように、精神分析的記述(ラカンの記述である。語る人なら誰でも、ここで、その洞察の鋭さを確かめ得るだろう)に従えば、教師が聴講者にしゃべる時、「他者」はつねに存在し、彼の言述に穴をあける。そして、たとえ彼の言述が無謬の知性で完結し、科学的《厳密さ》や政治的急進性で武装していても、やはり穴はあけられるだろう。私がしゃべりさえすれば、私のパロールが流れさえすれば、私のパロールは外に流出するのである。もちろん、すべての教師が精神分析の被験者の立場にあるとはいっても、受講する学生が逆の状況を利用できるわけではない。なぜなら、まず第一に、精神分析的な沈黙には、何ら優越する点がないからである。第二に、時折、被験者が殻を破り、こらえることができず、パロールに身を焼き、弁論の淫らなパーティーに加わるからである(たとえ被験者が頑固に押し黙っているとしても、彼はまさに自分の沈黙の頑固さを語っているのだ)。

ーーあのときじつは気づいていたんだけれど。母がまだ生きていてね、悲しませちゃいけないと思って。

(バルトの母は長寿であり84歳で亡くなっている)


ーーロラン・バルトの以下の文にラカンの四つの言説のマテーム(S1、S2,$、a)を挿入してみようと思ったけれど、やめておくよ。オレの超自我に睨まれそうだからな

伝統的な小説が前衛的な小説にくらべてものわかりのよさそうな表情を浮かべているというのではありません。筒井康隆だって、安部公房だって、薄気味の悪いほどものわかりがよく、その点では村上春樹と変わりません。こうした一連の闘争放棄は、小説がみずから装置であることを止め、読まれるべき言葉としてあっさり解読装置に身をゆだねてしまうことからくるものです。批評家の手にしているものが解読装置であって、小説がその装置によって解読される対象でしかないようにすべてが進行してしまい、そのことに、小説家も、批評家も疑いの目を向けようとすらしていないという現状が納得しがたいものに思われたのです。

しかし、この関係は不健康に転倒している。装置であるのは、むしろ小説の方なのです。装置でありながら、何の装置だか使用法がわからないものとして小説が存在しているのでなければならない。そして批評家は、その目的や使用法を心得た人間ではないはずです。ましてや、装置を解読する装置が批評なのでもないでしょう。小説という装置は、おそらく小説家にとってさえ、それが何に役立つか見当もつかない粗暴な装置であり、であるが故に、小説は自由なのです。批評家は、使用法もわからぬままにその小説を作動させる。それが、小説を擁護するということの意味なのです。(蓮實重彦『闘争のエチカ』)

ーーむしろバルトのエッセイからラカン理論を解読(解体)しなくちゃな、


◆「作家、知識人、教師」(ロラン・バルト、1971,Tel Quel)より


【教育の場で語ること】

(教育の場で)語ろうとする者は誰でも、自然的な(発声の際の息のような物理的自然に属する)原因の単なる結果として、パロールの使用が彼に課す演技を自覚しなければならない。この演技は次のように展開する。

話し手は、率直に、「権威」の役を選ぶこともできる。この場合、彼は、《うまく話す》、つまり、どんなパロールの中にもある「法」に従って話すだけでいい。繰り返しなしで、適当な速度で、あるいは、明晰に(これこそ、職業的な、よいパロールに要求されるものだ。明晰、そして権威が)。明確な文はまさに判決、すなわち、センティティアであり、刑罰的なパロールである。

話し手はまた、パロールが自分の談話に導入しようとするこうした「法」を窮屈に感ずることもある。彼は、たしかに、(《明晰》を強制する)語り方を変質させることはできないが、語ること(「法」を示すこと)について弁解することはできる。彼は、その時、自分の合法性を乱すために、パロールの不可逆性を利用する。すなわち、彼はいい直し、つけ加え、口ごもる。

彼は言語活動の無限性の中に入り込み、皆が彼から期待している単純なメッセージに、メッセージの観念そのものを破壊するような新たなメッセージを重ね、パロールの流れにつける傷や切屑のきらめきによって、言語活動はコミュニケーションには還元されないということを自分とともに信じるようにわれわれに要求する。「テクスト」の口ごもる語り方に近い、こうしたすべての操作によって、未熟な教師は、話し手というものを、いわば、警官のようにする割の合わない役割を緩和しようとするのである。

しかし、《まずく話す》ためのこうした努力の末、また、ひとつの役割が彼に課される。なぜなら、聴き手(読者とは何の関係もない)は、自分自身の想像物(イマジネール)に捉われて、これらの試行錯誤を弱さのしるしとして受け取り、人間的な、あまりに人間的な、つまり、リベラルな教師というイメージを彼に送り返すからである。

どちらを選んでも、先行きは暗い。几帳面な公務員にせよ、自由な芸術家にせよ、教師は、パロールの舞台からも、そこで演じられる「法」からも逃れられない。というのは、「法」は、述べることの中身においてではなく、語ることにおいて生み出されるからである。「法」を覆すには(単に「法」の網をくぐるだけではなく)、声の語り方、語の速度、リズム、そして、もうひとつのわかりやすさまでも解体する必要があろう。―――あるいは、全然、何もしゃべらないか、である。しかし、それはまた他の役割を背負うことになろう。すなわち、経験豊かな、しかも、多くを語らぬ、寡黙な、偉大な知性の持主という役割か、あるいは、実践の名の下に、無用なおしゃべりを一切放棄する闘士という役割である。どうしようもない。言語活動とはつねに力であり、語るとは権力への意志を行使することなのだ。パロールの空間には、無垢な場所もないし、安全な場所もない。


【教育者の立場】

どうして教師と精神分析者を同一視することができよう。まったく逆だ。精神分析されるのは教師の方である。

私が教師だとしよう。私は、しゃべらない者の前で、また、しゃべらない者のために、際限なくしゃべる。私は私と述べるものである。(〈人〉とか、〈われわれ〉とか、非人称文でいい変えても同じことだ)。私は、知識を披露する(外に置く)という口実で、言述を提出する(前に置く)者である。それがどのように受け取られるか、私には決してわからない。したがって、私は、私を構成するような、決定的な、しかも、不快でさえあるイメージで安心することが決してできない。人が思っている以上にうまい呼び方だが、発表(外に置くこと)において、披露されるのは知識ではない。主体である(主体はつらい冒険に身をさらすのだ)。鏡は空虚である。鏡は、私の言語活動が展開するままに、それのゆがんだ形しか私に返さない。

ソ連の飛行士に変装したマルクス兄弟のように(『オペラは踊る』におけるーー私はこの作品をテクストに関する多くの問題についてのアレゴリーだと思っている)、私は、発表の始めに、大きなつけひげをつける。しかし、私自身のパロールの波(唖のハーポが、ニューヨーク市庁舎の演壇で、がぶ飲みする水差しの代わり)に少しずつひたされて、私はひげが皆の前でぼろぼろとはがれていくのを感ずる。

何か《洒落た》考察によって聴衆をほほえませるや否や、何か進歩主義的な常套句で聴衆を安心させるや否や、私はこうした挑発の迎合性を感ずる。私はヒステリー的欲動を遺憾に思う。遅まきながら、人に媚びる言述よりいかめしい言述の方が好ましく思われ、ヒステリー的欲動を元に戻したいと思う(しかし、逆の場合には、ヒステリー的に思えるのは、言述の《厳しさ》の方である)。実際、私の考察にある微笑が応じ、私の威嚇にある賛意が応じると、私は、ただちに、このような共犯の意思表示は、馬鹿者か、追従者によるものと思い込む(私は、今、想像上の過程を描写しているのだ)。反応を求め、つい反応を挑発してしまう私だが、私が警戒心を抱くには、私に反応するだけで十分である。

そして、どのような反応をも冷まし、あるいは、遠ざけるような言述を続けていても、そのために自分が一層正確である(音楽的な意味で)とは感じられない。なぜなら、そのときは、私は自分のパロールの孤独さを自賛し、使命を持った言述(学問、真理、等)というアリバイをそれに与えなければならないからである。


【公的なパロールの背負う十字架】

このように、精神分析的記述(ラカンの記述である。語る人なら誰でも、ここで、その洞察の鋭さを確かめ得るだろう)に従えば、教師が聴講者にしゃべる時、「他者」はつねに存在し、彼の言述に穴をあける。そして、たとえ彼の言述が無謬の知性で完結し、科学的《厳密さ》や政治的急進性で武装していても、やはり穴はあけられるだろう。私がしゃべりさえすれば、私のパロールが流れさえすれば、私のパロールは外に流出するのである。もちろん、すべての教師が精神分析の被験者の立場にあるとはいっても、受講する学生が逆の状況を利用できるわけではない。なぜなら、まず第一に、精神分析的な沈黙には、何ら優越する点がないからである。第二に、時折、被験者が殻を破り、こらえることができず、パロールに身を焼き、弁論の淫らなパーティーに加わるからである(たとえ被験者が頑固に押し黙っているとしても、彼はまさに自分の沈黙の頑固さを語っているのだ)。

しかし、教師にとって、受講する学生は、やはり、模範的な「他者」である。なぜなら、彼らはしゃべらないふりをしているからであるーーーしたがって、また、その無言の外見の中から、それだけ一層強く、あなたの中で語るからである。彼らの表に出ないパロールは私自身のパロールなのであるが、彼らの言述が私の中を満たさないだけに一層、私に打撃を与えるのである。

これが公的なパロールというものの背負う十字架である。教師がしゃべるにせよ、聴き手がしゃべるよう要求するにせよ、いずれの場合も、まっすぐ(精神分析用の)長椅子に向かうのだ。教育の関係はその関係によって促される転移以上のものではない。《学問》、《方法》、《知識》、《観念》が群をなしてやってくる。それらは余分に与えられるものであり、剰余である。

ーーとはいえ教師をやっていかざるをえないときもあるのさ。とすれば、あのウンザリ感をすこしでも減らすにはどうしたらいいんだろ?

知の領域における父性原理の権化ともいうべき論文形式、後年のバルトは終始痛烈な異議申し立てをおこなった。後年のバルトにとって、論文形式は「戯画」であり、「ファルス」なのである。(花輪光『ロマネスクの作家 ロラン・バルト』)

ーー言語を含むあらゆる権威に対して裏をかいたり、はぐらかしたりすることさ、まずはな

 このはぐらかしの方法の基本的操作はといえば、書くときは断章化であり、語るときは脱線、または貴重な両義性を持つ語を用いて言うなら、遠足=余談(excursion)である。それゆえ私は、この授業において互いに編みあわされていく発言と聴き取りが、母親の周りで遊ぶ子供の行き来に似たものとなることを望みたい。子供は、母親から遠ざかるかと思うと、つぎには母親のもとにもどって小石や布切れを差し出し、こうして平和な中心のまわりに、ぐるりと遊びの輪を描き出す。その輪の中では、結局のところ、小石や布切れそのものよりも、それが熱意のこもった贈物となる、ということのほうが重要なのである。(文学の記号学―コレージュ・ド・フランス開講講義

ーーこれもやってみたさ、でも物足らなかったんだよ、

ああなんとかしてプルーストのように書けないものか

私の全人間の転倒。(……)私はかがんで、ゆっくり、用心深く、靴をぬごうとした。ところが半長靴の最初のボタンに手をふれたとたんに、何か知らない神聖なもののあらわれに満たされて私の胸はふくらみ、嗚咽に身をゆすられて、どっと目から涙が流れた。(……)私はいま、記憶のなかに、あの最初の到着の夕べのままの祖母の、疲れた私をのぞきこんだ、やさしい、気づかわしげな、落胆した顔を、ありありと認めたのだ、それは、いままで、その死を哀悼しなかったことを自分でふしぎに思い、気がとがめていたあの祖母、名前だけの祖母、そんな祖母の顔ではなくて、私の真の祖母の顔であった。(……)こうした私は、彼女の腕のなかにとびこみたいはげしい欲望にかきたてられ、たったいまーーーその葬送後一年以上も過ぎたときに、しばしば事実のカレンダーを感情のそれに一致させることをさまたげるあの時間の錯誤のためにーーーはじめて祖母が死んだことを知ったのだ。(プルースト「ソドムとゴモラ 二」 井上究一郎訳)

ーー最後にすこしだけやってみたさ、

ただ一度だけ、写真が、思い出と同じくらい確実な感情を私の心に呼びさましたのだ。それはプルーストが経験した感情と同じものである。彼はある日、靴を脱ごうとして身をかがめたとき、とつぜん記憶のなかに祖母の本当の顔を認め、《完璧な無意志的記憶によって、初めて、祖母の生き生きした実在を見出した》のである。シュヌヴィエール=シュル=マルヌの町の名も知れぬ写真家が、自分の母親(あるいは、よくわからないが、自分の妻)の世にも見事な一枚の写真を遺したナダールと同じように、真実の媒介者となったのだ。その写真家は、職業上の義務を超える写真を撮ったのであり、その写真は、写真の技術的実体)から当然期待しうる以上のものをとらえていたのだ。さらに言うなら(というのも、私はその真実が何であるかを言おうとつとめているのだから、この「温室の写真」は、私にとって、シューマンが発狂する前に書いた最後の楽曲、あの『朝の歌』の第一曲のようなものだった。それは母の実体とも一致するし、また、母の死を悼む私の悲しみとも一致する。この一致について語るためには、形容詞を無限に連ねていくしかないだろう。…(ロラン・バルト『明るい部屋』)

ーーシューマンの暁の歌とともにな




年齢というのは、年代的与件、年月の連鎖であるとしても、それはほんの部分的でしかありません。途中、ところどころに、仕切りがあり、水面の高低差があり、揺れがあります。年齢は漸進的なものではありません。突然変異するものです。(……)私の年齢が潜め、また、動因しようとしている現実的な力はどういうものか。これが、最近、突然生じた問いです。そして、この問いが、今、この時点を《私の人生の道の半ば》としたように思えるのです。(……)

プルーストにとって、《人生の半ば》は、もちろん、母親の死でした(1905年)。生活の突然変異、新しい作品の開始が数年後のことであったとしてもです。つらい悲しみ、唯一の、何物にも還元できないような悲しみは、私にとって、プルーストの語っていた《個人的なものの頂点》をなし得るように思えます。遅まきながら、この悲しみは、私にとっても、私に人生の半ばとなるでしょう。というのは、《人生の半ば》とは、おそらく、死は現実的なものであって、もはや単に恐るべきものではないということを発見する瞬間以外のものではあり得ないからです。

このように道を辿って来ると、突然、次のような明白な事実が現われます。一方では、私にはもういくつもの人生を試みる時間がないということです。(ロラン・バルト《長い間、私は早くから床についた》)

…………

※附記


ラカンのセミネールとエクリの関係は、治療における被分析者と分析家の関係に似ている。

セミネールでは、ラカンは被分析者としてふるまう。すなわち「自由連想し」、即興で語り、飛躍したり跳躍したりしながら、聴衆に語りかける。そのため聴衆のほうはいわば集合的な分析家の役割を負わされる。

これと比べ、彼の書いたものはひじょうに濃縮されていて、公式的である。時には託宣のような不可解で曖昧な命題を投げつけ、それに取り組んで明快な命題に翻訳し、適切な例を挙げ、その意味を論理的に証明しろ、と読者を挑発する。通常の学問的な手続きにおいては、著者が命題を公式化し、さまざまな議論によってそれを裏付けるわけだが、それとは対照的にラカンはしばしばこの仕事を読者に委ねる。いやそれだけでなく、読者は、ラカンが次々に繰り出す互いに矛盾した命題の中から、どれがラカンの本当の命題なのかを決めなくてはならず、託宣のような公式の真意を忖度しなければならない。そうして厳密な意味において、ラカンのエクリは分析家による介入のようなもので、その目的は、被分析者に既製の意見や陳述を提供することではなく、被分析者を働かせることである。(『ラカンはこう読め!』巻末「読書ガイド」より)

ーーラカンは退屈じゃなかたんだろうか
あの死ぬまで続くセミネールってのはなんだったんだろ?

父の名? ファルス? アホラシ!

神だって?

神だと? 神とは シンプルに〈女〉のことさ、〈他者〉の〈他者〉があるなら、〈女〉は存在するってことさ(ラカン、S.23)

La toute nécessité de l'espèce humaine étant qu'il y ait un Autre de l'Autre. C'est celui-là qu'on appelle généralement Dieu, mais dont l'analyse dévoile que c'est tout simplement « La femme ». (Séminaire 23 Staferla 版 p.173)

ーーウンザリさ、ラカンの男根主義、あのカトリック教義まみれ!

フェミニズムというのは一種のユダヤ嫌悪じゃないか、という …あほらしい!… そんなことは火を見るよりも明らかだったが、もっと若くて、もっと知識があって、もっと大胆な幾人かのユダヤ女性たちはそいつが耳障りになりだしたにちがいなかった  P410 
彼女は反ユダヤ主義者ではない、ちがうさ、いやはや、でもやっぱり聖書によって踏みつぶされたのが何かを見出すべきだろう …別のこと… 背後にある …もうひとつの真実を…

「それなら、母性崇拝よ」、デボラが言う、「明らかだわ! 聖書がずっと戦っているのはまさにこれよ …」

「そうよ、それに何という野蛮さなの!」、エドウィージュが言う。「とにかくそういったことをすべて明るみに出さなくちゃならないわ …」(ソレルス『女たち』P476)

ーーわかるか、ラカンの野蛮さが、はあン?

ある時期まで、ラカンはフロイトのエディプス理論を立証し増幅あるいは拡張した。彼は、父性隠喩の公式とともに構造主義的用語を以て、子どもが母から解放されるメカニズムを描いたのだが、それは父自身の介入ではなく彼が「父の名 le‐Nom‐du‐Père」と呼ぶところのものによってである。
この概念の宗教的含意(コノテーション)は、大文字の使用によって強調されているようにひどく鮮明であり、ほとんど自動的な嫌悪感をもたらしうる。ラカンの反-母性的見解は、その家父長制の密かな神格化と相俟って実にきわめてカトリック教義を連想させる (Tort, 2000)。もし人がこの嫌悪感をなんとかやり過ごすのなら、この公式にフロイト理論との二つの主要な相違を見出すだろう。

…第一にラカンにおいては、父から起こる禁止は子どもに向けられるのではなく、母に向けられる。それは母の欲望、さらにはおどろおどろしい母の享楽に向けられるのだ。既に見てきたように、この考え方はフロイトの神話の第二のヴァージョン(『モーセと一神教』)にもインプリシットに読みとりうる。

第二に、「父の名」にて、ラカンは父の形象と機能を区別している。どんな個別の父も権威のある一定の機能を取りうるのは、ただ彼のポジションが、象徴秩序とその固有の法そして人間の交流を統御する慣習に支えられている為だけである。

ラカンにとって、エディプス期とは自然から文化への移行以外のなにものでもない。これはレヴィ=ストロース(『親族の基本構造』)に頷きつつの考え方である。フロイトと同様に、この論法はある相互保証に依拠する。象徴秩序は、父の名と法(近親相姦禁止と族外婚の強制)を支える。

同時に父の名が象徴秩序とその固有の法の基礎をつくる。父はそのとき具体的形象として、権威を授かる。それは彼が象徴秩序の支えの代理人として振舞うという事実から来る。そしてこれが父の機能である。.(PAUL VERHAEGHE,new studies of old villains A Radical Reconsideration of the Oedipus Complex、2009)

ーー結局、フロイトのパクリだろ!

…時がたつにつれて、ぼくはファルスの突然の怒りがよくわかるようになった…彼の真っ赤になった、失語症の爆発が……時には全員を外に追い出す彼のやり方……自分の患者をひっぱたき…小円卓に足げりを加えて、昔からいる家政婦を震え上がらせるやり方…あるいは反対に、打ちのめされ、呆然とした彼の沈黙が…彼は極から極へと揺れ動いていた…大枚をはたいたのに、自分がそこで身動きできず、死霊の儀式のためにそこに閉じ込められたと感じたり、彼のひじ掛け椅子に座って、人間の廃棄というずる賢い重圧すべてをかけられて、そこで一杯食わされたと感じる者に激怒して…彼は講義によってなんとか切り抜けていた…自分のミサによって、抑圧された宗教的なものすべてが、そこに生じたのだ…「ファルスが? ご冗談を、偉大な合理主義者だよ」、彼の側近の弟子たちはそう言っていた、彼らにとって父とは、大して学識のあるものではない。「高位の秘儀伝授者、《シャーマン》さ」、他の連中はそう囁いていた、ピタゴラス学派のようにわけ知り顔で…だが、結局のところ、何なのか? ひとりの哀れな男だ。夢遊病的反復に打ちひしがれ、いつも同じ要求、動揺、愚劣さ、横滑り、偽りの啓示、解釈、思い違いをむりやり聞かされる、どこにでもいるような男だ…そう、いったい彼らは何を退屈したりできるだろう、みんな、ヴェルトもルツも、意見を変えないでいるために、いったい彼らはどんな振りができるだろう、認めることだ! 認めるって、何を? まさに彼らが辿り着いていたところ、他の連中があれほど欲しがった場所には、何もなかったのだということを…見るべきものなど何もない、理解すべきものなど何もないのだ…(ソレルス『女たち』鈴木創士訳)