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2015年7月23日木曜日

荷風と日記人格

一月十八日。晴。近巷空地林園多くして靜なり。時節柄借家としては好き方なるべし。省線市川の停車場まで十五分ばかりと云。

一月廿一日。細雨霏々午に至つて霽る。風暖にして春既に來るの思あり。驛前の露店にてわかさぎ佃煮を買ふ。一包貳拾圓なり。夜机に向はんとせしが隣室のラヂオに妨げられて歇む。 (永井荷風『断腸亭日乗』 昭和廿一年 年六十八 )

どうして歴史や小説や伝記の中に時代や人物の《日常生活》が表象されているのを見て、快楽を覚えるのだろう(私も含めた、ある種の人びとが)。なぜこまやかな細部に対する好奇心があるのだろう。日課とか、習慣とか、食事とか、すまいとか、衣服とか。それは《現実(レアリテ)》(《“かつてあった”の物質性そのもの》に対する幻影的(ファンタスマティック)な嗜好なのだろうか。そして、《細部》を、すなわち、私がたやすく入り込める、些細な、私的な情景を呼び寄せるのは幻影(ファンタスム)そのものではなかろうか。要するに、奇妙な舞台、とはいっても、偉大さの舞台ではなく、凡庸さの舞台(凡庸さの夢、凡庸さの幻影もあり得るのではないか)に悦楽を見出すような《小ヒステリー患者》(前述の読者たち)がいるのではなかろうか。

だから、《きょうの天気》(過去の天気)の記述くらい、瑣末で、無意味な記述を想像することはできないが、しかし、先日アミエルを読んでいた時、というよりも、読もうとした時、生真面目な(またしても快楽を締め出すもの)刊行者があの『日記』から日常的な細部、ジュネーブの湖畔の天候を削除して、無味乾燥な倫理的考察だけを残した方がいいと考えているのを見て、いらいらした。古びないのはあの天候であって、アミエルの哲学ではないはずなのに。(ロラン・バルト『テクストの快楽』)

一月廿二日。晴。暖氣春の如し。疥癬愈甚しければ午前近巷の醫師を尋ねて治を請ふに、傳染せし當初なれば治し易き病なれど、全身に蔓衍しては最早や藥治の能くすべきところならず。硫黄を含む温泉に浴するより外に道なしと言へり。醫師また言ふ。これ歸還兵の戰地より持ちかへりし病にて、國内傳染の患者甚多しとなり。驛前の市場にて惣菜物蜜柑等を購ひ、京成線路踏切を越え松林欝々たる小徑を歩む。人家少く閑地多し。林間遙に一帶の丘陵を望む。通行の人なければ樹下の草に坐し鳥語をきゝつゝ獨り蜜柑を食ふ。風靜にして日の光暖なれば覺えず瞑想に沈みて時の移るを忘る。この小徑より數丁、垣根道を後に戻れば寓居の門前に至るを得るなり。この地に居を移してより早くも一週日を經たれど驛前に至る道より外未知る處なし。されど門外の松林深きあたり閑靜頗る愛すべく、世を逃れて隱れ住むには適せし地なるが如し。住民の風俗も澁谷中野あたり、東京の西郊にて日常見るものとは全く同じからず、所謂インテリ風に化せざるところ大に喜ぶべし。されど道路の地質及び四方一帶の地勢よりして考ふるに、秋冬の交大雨の際河川汎濫の事なきや否や。慮ふべきは唯この一事のみ。(同 荷風)

…………

どうして荷風の日記に快楽を覚えるのか? どうして鴎外や石川淳よりも、荷風の文章を格段に好むのか? それは文体の魅力だけか?

日本語の文学的散文を操って比類を絶するのは石川淳である。その漢文くずし短文は、語彙の豊かさにおいて、語法の気品において、また内容の緊密さにおいて、荷風を抜きほとんど鴎外の塁に迫る。・・・・・・荷風以後に文人と称し得る者はただ一人の夷斎石川である。(加藤周一『日本文学史序説』)

ロラン・バルトが荷風の日記を読むことがあったなら、ひどく好んだのではないか。

ーーというのは、バルトが書いているように、ある種の人にとって、ということだけである。退屈と感じる人びとがいるのはわかる。

ただ、わたくしは季節の変わり目に、荷風の日記をひどく読みたくなることが、この数年続いている。

もっとも「掃庭人格」などという批判(吟味)があるのを知らないわけではない。

「荷風先生という方はとても変った方だよ。立派なお邸に住っていらしって、優しく、丁寧なものごしの方だけど、その御家の荒れていること、雑草がもう背よりも高く茂ってて、まるでお化け屋敷のようだったよ」(小堀杏奴「火吹竹」)

この文を引用しつつ、『荷風と東京「断腸亭日乗」私註』(川本三郎)にはこう書かれている。

荷風の庭好きはだから極端にいえば、言葉(文化)としての庭好きであって、実際に、庭や草花が好きというのとは少し違う。現実の庭いじりよりも、荷風にとっては、日記に「庭の落葉を掃ふ」「雨の晴れ間に庭の雑草を除く」と書き記すことが大事なのである。

事実、本当に庭好きならば偏奇館の庭はいつもきれいに整えられている筈だが、実際にはそうではなかった。

断腸亭日乗 大正14年11月16日より。

毎朝二階を掃除して後、暇あれば庭に出で草を抜き葉を掃ふ時、必思出すは伊澤蘭軒が掃庭の絶句なり。

すなわち、次ぎの文である。

わたくしは更に細に詩集を検して、箒を僮僕の手に委ぬることが、蘭軒のために奈何に苦しかつたかを想見した。文化己巳は蘭軒の猶起行することを得た年である。当時の詩中に「掃庭」の一絶がある。「手提筅箒歩庭隅。無那春深易緑蕪。刈掃畏鏖花草去。頃来不輙付園奴。」(森鴎外『伊沢蘭軒』)

中井久夫が次ぎのようにいうときも、たぶん「掃庭人格」のたぐいのことを読みとってであろう。

日記も、読まれることを予想して書かれることがしばしばある。永井荷風の『断腸亭日乗』やジッドの『日記』は明らかにそうであろう。精神医学史家エランベルジェは、日記を熱心に書きつづける人には独立した「日記人格」が生まれてくると言っている。日記をつける人も読む人も、このことは念頭に置くほうがよいだろう。(中井久夫「伝記の読み方、愉しみ方」『日時計の影』所収)

これらの日記人格でありうるとは念頭に置きながらも、やはり荷風の日記に魅せられるのだ。

《「自我」がもはや「自身」でない以上、私が「自我」について語っていけない理由はないではないか。》(『彼自身によるロラン・バルト』)

《ここに書かれているいっさいは、小説の一登場人物――というより、むしろ複数の登場人物たち――によって語られているものと見なされるべきだ。(……)すなわちエッセーはおのれが《ほとんど》小説であること、固有名詞の登場しない小説であることを、自分に対して白状するべきであろう。》(同上)

……たとえば、カフカは、《自分の不安を根絶する》ために、いいかえれば、《救いを得る》ために日記をつけた。私にはこの動機は自然とは思えない。少なくとも終始不変とは思えない。伝統的に「私的日記」に与える目的についても同様である。もはやそれが適切とは思えない。それは《誠実さ》(自分を語る、自分をさらけ出す、自分を裁く)の効用や威光と結びつけられてきた。しかし、精神分析、サルトルの底意批判、マルクス主義のイデオロギー批判が告白を空しいものとしてしまった。誠実さは第二度の想像物〔イマジネール〕でしかない。そうだ。(作品としての)「私的日記」を正当化する理由は、純粋な意味で、懐古的でさえある意味で、文学的でしかあり得ないだろう。私は、今、四つの動機を考えている。

第一は、エクリチュールの個性、《文体》(以前なら、そういっただろう)、作品に固有の個人語法(少し前なら、そういっただろう)に彩られたテクストを提供することである。これを詩的動機と名づけよう。

第二は、毎日毎日、重大なニュースから風俗の細部まで、大小入りまじった時代の痕跡を散りばめることである。(……)これを歴史的動機と名づけよう。

第三は、作者を欲望の対象とすることである。私は私の関心を引く作家の内面を知りたいと思うことがある。彼の時代の、趣味の、気質の、気づかいの日常的な細部を知りたいと思うことがある。作品よりも彼の人となりの方を好むことさえある。彼の「日記」を貪り読んで、作品は放り出すこともある。だから、私は、他人が私に与えることのできた快楽の作り手となって、今度は自分が、作家から人間に、また、その逆へと移行させる回転ドアのように、人を誘惑しようと努力することができる。あるいは、さらに重大なことだが、(私の本の中で)《私は私が書くものよりも価値がある》ことを証明しようと努力することもできるのだ。「日記」のエクリチュールは、その時、剰余としての力(ニーチェのいうPlus von Macht「力の剰余」として作られる。人はそれが完全なエクリチュールに欠ける所を補うであろうと思っている。これをユートピア的動機と名づけよう。実際、人は決して、「想像物〔イマジネール〕」に打ち勝つことができないからである。

第四の動機は「日記」を文の作業場にすることである。《美しい》文のではない。正確な文のである。つまり、絶えず言表行為〔エノンシアシオン〕の(言表〔エノンセ〕のではない)正確さを磨くことである。夢中になって、一生懸命、デッサンのように忠実に。もうまるで情熱としっていいほどに。《もしあなたのくちびるが正しい事を言うならば、わたしの心も喜ぶ》(『箴言』、第二十三章十六節)。これを愛の動機と名づけよう(多分、熱愛的とさえいってもいいだろう。私は「文」を熱愛する)。……(ロラン・バルト「省察」1979『テクストの出口』所収ーー痛みやすい果実

もちろんこのブログもブログ人格に居直って書いているのはいうまでもない。ツイッターを眺めれば、他人のツイートのほとんどは「ツイッター人格」によるものではないかとさえ睨んでいる。

ではリアルでは、人は「リアル人格」なのか。そもそも「リアル」とは何なのだろう?人は直接に他人と対面するときでさえ、「演技」しているのではないか。

……私が自分の選んだ仮面(偽りの人格)を通じて演じる感情は、どういうわけか、自分自身の内部で感じていると思っている感情よりもずっとリアルだということである。自分自身の偽りのイメージを作り上げ、自分が参加しているヴァーチャル・コミュニティでそのイメージを使うとき(たとえば性的なゲームでは、内気な男はしばしば魅力的で淫蕩な偽人格 screen persona をまとう)、その偽人格が感じ、装う感情はけっして偽りのものではない。真の自己(だと自分で思っているもの)がそれを感じているわけではないにもかかわらず、ある意味ではそれは本物の感情である。たとえば私は心の奥底ではサディストで、他の男をぶちのめし、女を強姦することを夢想しているとする。実生活において、他人に対しこの真の自己をあらわすことは許されていない。そこで私はもっと謙虚で礼儀正しい仮面をかぶる。この場合、実生活における態度の方が仮面で、私の真の自己は、私が虚構の偽人格として選んだものの方に近いのではなかろうか。(ジジェク『ラカンはこう読め』)

 とすればフロイトの英訳者であったジョン・リヴィエールーー女流精神分析医でもあったーーの「仮装としての女性性」(Joan Rivière,Womanliness as a Masquerade(1929))というラカンが再三言及した名高い論の記述を思い出さないではいられないが(参照)、ここではあまりややこしいことは言わずに、ふたたびジジェクの文を貼りつけておくだけにしよう。

A man stupidly believes that, beyond his symbolic title, there is deep in himself some substantial content, some hidden treasure which makes him worthy of love, whereas a woman knows that there is nothing beneath the mask. (ZIZEK,LESS THAN NOTHING,2012)

《男はマヌケにも信じている、象徴的仮面に下に、己の実体、隠された宝があって、それが彼を愛するに値する者にすると。他方、女は知っている、仮面の下にはなにもないことを。》

もちろん、ここの男と女は、解剖学的な男女ではない。男のなかにもラカン派のいう「女」はいるし、逆もしかり。

中上健次は私の家に泊っていった時、ホモの家に来たみたいだな、と言ったものですが、私はといえば、彼を、まったくこれは中上のオバだ、と思いましたし、第一、彼の書く小説は、ある意味で女性的です――そして、それが秀れた小説の特徴なのです。(金井美恵子 『小説論』)