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2015年7月17日金曜日

未知の涼気

風立ちぬ、いざ生きめやも

風が立つ!……いまこそ生きねばならぬ!

風が起こる……生きる試みをこそ


文法上は誤訳に近いと言われる堀辰雄訳だが、書斎を微風が通り抜ければ、やはり「風立ちぬ、いざ生きめやも」である。

雨季で雨は夕方にほとんど毎日ふるのだが、やや過ごしやすい時節になり、午後曇り空のなか微風を浴びれば心地よい。東西に日除け用に植えた木蓮の葉むらが揺れ白い花の甘いかおりも漂ってくる。この木蓮は写真でみるかぎり日本の木蓮ほど樹容も花の形も美しくはないが、わたくしはこれで満足している。

風にあたるのが苦手な乾燥肌の人もいるのだろうが、わたくしはこの齢になっても皮膚はたっぷり脂で覆われており風は強風でさえ清涼剤だ。

とはいえ憂鬱なときには、「ああ、お前はいったい何をしてきたのか。吹き来る風が私に云ふ」と呟かないでもなかったが、最近は面の皮が厚くなったせいか、中也にお世話になることは稀だ。

わたくしは記憶力がわるいほうで、憶えている詩句はわずかなのだが、このふたつぐらいは記憶にある。それと高校生時代、無理矢理おぼえた「朝の歌」はところどころ覚束ないとはいえ、今でもほぼ十四行いける。

――などと書いているのは、さきほどロラン・バルトの『記号の国』石川美子新訳の「訳者あとがき」を読んでいたせいだ。

『記号の国』ではまったくふれられていなかったにもかかわらず、『小説の準備』ではきわめて重視されているものがある。それは、天候や季節の記述であった。バルトは言う。プルーストの『失われた時を求めて』には80回も天候の記述が出てくるが、それがまるで生の本質であるかのように語られているのだと。なぜ、生の本質なのか。天候を記述することは、季節のなかに個我を投影することであり、いいかえれば、季節という普遍的なものと「わたし」の生とが反映しあうことになるからあである。バルトは、母を亡くしてからは、季節や時間の効果に敏感になっていた。「愛するものを失った人はだれでも、その季節をとてもよく思い出します。光、花、香りなどを。喪と季節とのあいだには、対比的な一致があるのです。太陽の光のもとでは、どれほど苦悩を感じてしまうことでしょうか」。そのような季節や日々や時間の色あいを、俳句があざやかに表現していることが、バルトの心に染み入ってきたのだった。(石川美子)

中学生時代、「石川美子」さんという名の、バスケットボール部の主将でしなやかな躰をした美しい少女がいたものだ。もちろん同姓同名だけであり、そのひととは同じではない。

雌鹿のような少女でブルマー姿がよく似合った。

私の母、アンリエット・ガニョン夫人は魅力的な女性で、私は母に恋していた。
急いでつけくわえるが、私は七つのときに母を失ったのだ。(……)

ある夜、なにかの偶然で私は彼女の寝室の床の上にじかに、布団を敷いてその上に寝かされていたのだが、この雌鹿のように活発で軽快な女は自分のベッドのところへ早く行こうとして私の布団の上を跳び越えた。(スタンダール『アンリ・ブリュラールの生涯』)

(相米慎二『台風クラブ』)


彼女を想起すれば、いまでも《朝礼で整列している時に、隣りにいるまぶしいばかりの少女に少年が覚えるような羞恥と憧憬と、近しさと距離との同時感覚》(中井久夫)を覚える何人かのうちのひとりではある。彼女とは同じ大学で、高田の馬場の喫茶店で出合ったことがあるが、別の男性に熱烈な恋をしているようだったので目配せするだけで話しかける余地がなかった。

次ぎの文はロラン・バルトがプルーストの「80回も天候の記述」のなかに含めているのかどうかはわからないが、わたくしが愛する官能的な箇所である。

夕食後、自動車はふたたびアルベルチーヌをパルヴィルから連れだしてくるのだ。まだ暮れきらないで、ほのかなあかるさが残っているのだが、あたりのほとぼりは多少減じたものの、焼けつくような日中の暑気のあとで、私たち二人とも、何か快い、未知の涼気を夢見ていた。そんなとき、私たちの熱っぽい目に、ほっそりした月があらわれた(私がゲルマント大公夫人のもとに出かけた晩、またアルベルチーヌが私に電話をかけてきた晩にそっくりで)、はじめは、ひとひらのうすい果物の皮のように、またときどき、私のほうから、女の友をむかえに行くときは、時刻はもうすこしおそくて、彼女はメーヌヴィルの市場のアーケードのまえで、私を待つことになっていた。最初の瞬間は、彼女の姿がはっきり見わけられなくて、きていないのではないか、勘ちがいしたのではないか、と早くも心配になってきた。そんなとき、白地に青の水玉模様のブラウスを着た彼女が、車のなかの私のそばへ、若い娘というよりは若い獣のように、軽くぽんととびこんでくるのを見るのだ。そしてやはり牝犬のように、すぐに私を際限なく愛撫しはじめるのだった。夜が完全にやってきて、ホテルの支配人がいうように、一面の星屑夜になるころ、私たちは、シャンパンを一びんもって森へ散歩に行くのでなければ、砂丘の下で寝そべるのだが、かすかなあかりに照らされた堤防の上を、まだ散歩者たちがぶらついているけれども、砂の上は暗くて、一歩先のものは何一つ彼らの目にとまるものはなかったから、べつに遠慮することはいらなかった、かつて波の水平線を背景に通りすぎてゆくのをはじめて私が目にした少女たちの、あの美しい肉体、スポーツ的な海の女性美がやわらかく息づいているあのおなじ肉体、それを私は自分のからだにぴったりとくっつけるのだ、ふるえる一筋の光の線がなぎさを区切っている不動の海の間近で、おなじ一枚のひざかけの下で、そうして、私たちは、飽かずに、海にきき入る、その海が息をひそめて、潮のひきがとまったかと思われるほど、じっと長くそのままでいるときも、またついに、息を吐いて、私たちの足もとで、その待たれた、おそい、ささやきをもたらすときも、おなじ快楽をもって、私たちはそれにきき入るのだった。(プルースト「ソドムとゴモラ 2」井上究一郎訳)