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2015年3月3日火曜日

〈私〉の愛する曲:バッハBWV853 フーガ

この「私」に何の価値があるのでしょう?」の続き。

……個人の好き嫌いということはある。しかしそれは第三者にとって意味のあることではない。たしかに梅原龍三郎は、ルオーを好む。そのことに意味があるのは、それが梅原龍三郎だからであって、どこの馬の骨だかわからぬ男(あるいは女)がルオーを好きでも嫌いでも、そんなことに大した意味がない。昔ある婦人が、社交界で、モーリス・ラヴェルに、「私はブラームスを好きではない」といった。するとラヴェルは、「それは全くどっちでもよいことだ」と応えたという。(加藤周一『絵のなかの女たち』「まえがき」より)

ーーというわけで、どこかの馬の骨が、愛する曲を掲げることにする。

「自我」がもはや「自身」でない以上、私が「自我」について語っていけない理由はないではないか。(ロラン・バルト)

◆Naoumoff plays Bach's fugue in e flat minor from WTC1





このBWV853のフーガの演奏、バッハのコラール変奏曲みたいで、ナモコフいいねえ、やっぱりきみに惚れ惚れするよ。テンポにいささかのゆれがあったり、次のフレーズの音がはやく入りすぎたりする箇所があるようにも思えるが、そんなことはまったくどうでもよいことだ。

一見完璧な演奏だって退屈なことはあるのだから。下の演奏群はまともな類である。それでも何度もきいていれば退屈してくる。

・Sviatoslav Richter in Salzburg, 1972 - Bach WTC I (2/4)(BWV853 Fugue 9.32より

・AFANASSIEV, Bach "THE WELL-TEMPERED CLAVIER" BOOK Ⅰ (2)
BWV.853 Fuga12.18より

Nikolayeva plays Bach (BWV.853 Fuga)

・GOULD BWV853 03:40 8b Fugue in d#

・Prelude and Fugue No. 8 in E-flat minor, BWV 853, from Bach's Well-tempered Clavier, Gulda pianist 04.32より

・Edwin Fischer : Das Wohltemperierte Klavier, Book I, BWV 853 (Bach) 03.22より


ーーバッハのすぐれたフーガというのは完璧でない演奏のほうがいいのではないか? ところどころハッとさせてくれたほうが。曲そのものが完璧なのだから、ナモコフのようにドモったり早口になるほうが。

…………

いささか許しがたい。

・Maurizio Pollini - Bach Well Tempered Clavier Book 1 33.11より

シフには恨みはないが、くりかえしてききたいとは思わない(これは1984年版であり、最近の録音はしらない)。

・SCHIFF, Bach "THE WELL-TEMPERED CLAVIER" BOOK Ⅰ (2) 3.40より

…………

◆Naoumoff's transcription of Bach's Cantata 202








シュワルツコップBWV 202「しりぞけ、もの悲しき影』(Weichet nur, betrübte Schatten)」(結婚カンタータ)に行き当たったから貼り付けておこう。






やっぱり、でも、ナウモフの演奏のなかでは、このフォーレがいいけどさ。

◆Faure Andante Opus 121





Faure, String Quartet, Movement 2


このあたりの曲から、一生のがれられそうもない。だが、「それは全くどっちでもよいことだ」。

◆J. S. Bach BWV 731, BWV 625, BWV 622, BWV 665 Organ Chorale Preludes by Albert Schweitzer