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2015年3月31日火曜日

「夏が終われば忘れてしまう」

@tanajun009: これはここに書きつけるくらいがいいのだろうけれど、鈴木さんの『寝そべる建築』所収の立原道造論最後の言葉──「堀辰雄は愛情をこめて立原を、かれの詩は夏休みの宿題を書いているようなもので、それはいいんだけど、夏が終われば忘れてしまう、と言っていたそうである。」・・・泣けてしまう。(田中純)

ここで語られている内容とは、違うのかも知れないが、この田中純氏の昨晩のツイートは、突き刺さるな、なにに突き刺さるのだろう・ ・ ・

われわれは、夏休みの宿題のように、「原発事故」、「テロ事件」、「ネオナチ」などを語っていないだろうか、表面的な、利用しやすい庶民的正義感のはけ口としてのみ。そして《夏が終われば忘れてしまう》。

だが、今は、田中純氏が、おそらく語っている文脈での「突き刺さる」思いを、引用を中心に続けてみよう。

…………

君の詩集(「萱草に寄す」)、なかなか上出來也。かういふものとしては先づ申分があるまい。何はあれ、我々の裡に遠い少年時代を蘇らせてくれるやうな、靜かな田舍暮らしなどで、一夏ぢゆうは十分に愉しめさうな本だ。しかしそれからすぐにまた我々に、その田舍暮らしそのものとともに、忘られてしまふ……そんな空しいやうな美しさのあるところが、かへつて僕などには 〔arrie`re-gou^t〕 がいい。

……ただ一ことだけ言つて置きたい。君は好んで、君をいつも一ぱいにしてゐる云ひ知れぬ悲しみを歌つてゐるが、君にあつて最もいいのは、その云ひ知れぬ悲しみそのものではなくして、寧ろそれ自身としては他愛もないやうなそんな悲しみをも、それこそ大事に大事にしてゐる君の珍らしい心ばへなのだ。さういふ君の純金の心をいつまでも大切にして置きたまへ。(掘辰雄「夏の手紙 立原道造に」)
おまえはもっともらしい貌をして、難しく厳しく裁断するがじつは、おまえは少女たちの甘心を買うためにそういう姿勢をしはじめたのではなかったか。遠いアドレッセンスの初葉の時に。そう云われていくぶんか狼狽するように、これらの自然詩人たちへのかつての愛着を語るときに狼狽を感じる。(吉本隆明歳時記「夏の章――堀辰雄」)

かつてひどく好んだのに、もう長いあいだ忘れてしまっている作品たちの累々とした屍体の墓場というものがあるものだ。







ところで、安永愛による書評『Anne Penesco Proust et le violon interieur (Les Editions duCerf, 2011)』にはこうある。

ヴァントゥイユのソナタの聴取の記述に最も大きなインスピレーションを与えたものと、プルーストの書簡から読み取られるのは、サン=サーンスのヴァイオリン・ソナタである。しかし奇妙なことに、プルーストはサン=サーンスについて、自分の好みではなく凡庸な作曲家だと、1915年にアントワーヌ・ビベスコ宛ての書簡で述べている。これは一体いかなることなのだろうか。アンヌ・ペネスコは、その答をボードレールについてのプルーストの評論の記述の中に見出している(p104)。それによれば、音楽が「有益な夢想」を与えてくれさえすれば、詩人の賞賛する音楽の客観的クオリティは問題ではないというのである。また、プルーストは未完の小説『ジャン・サントゥイユ』の「粗悪音楽礼賛」のくだりでこう述べているという。「粗悪な音楽を嫌悪したまえ、しかし侮ることなかれ。いい音楽以上にうまく演奏したり歌つたりすれば、音楽は徐々に夢と人の涙で満たされる。(中略)粗悪な音楽には芸術の歴史に居場所はないが、社会の情緒の歴史において、その地位は絶大なのだ」と。

サン=サーンスの音楽を「粗悪音楽」とは言い切れないだろうが、良い音楽か否かは間わず、「夢」や「涙」と結びつく音楽であればポエジーの糧になるというプルーストの考え、そして彼が必ずしも好みではない音楽家の作品を『失われた時を求めて』における音楽の記述の発想源としていたというのは、興味深い。

実は『失われた時を求めて』執筆の前にプルーストが手がけた未完の二人称小説『ジャン・サントゥイユ』の中には、主人公ジャンがサン=サーンスのヴァイオリン・ソナタに耳傾ける場面があるのだという。このことから、サン=サーンスを好まないと1915年の時点で書簡にプルーストは書いているものの、人の嗜好は変化するものであって、プルーストのサン=サーンスのヴァイオリン・ソナタに寄せる思いは、『失われた時を求めて』の語り手がジルベルトに寄せる思いと同じく、初恋のようなものではなかったか、とアンヌ・ペネスコは推測している(p108)。プルーストは、やはりサン=サーンスのヴァイオリン・ソナ夕に魅了されていたのだとペネスコは断じる。かつて愛し、離れてしまったものへの、疼くようなやるせない思いが、文学テクスト上のヴァントゥイユの音楽の創出にあずかっていたというのが、ペネスコの見立てである。

《粗悪な音楽には芸術の歴史に居場所はないが、社会の情緒の歴史において、その地位は絶大なのだ》だって? いや《サン=サーンスの音楽を「粗悪音楽」とは言い切れない》ように、立原道造も堀辰雄も粗悪の詩人たちではないだろう・ ・ ・

かつまた、《かつて愛し、離れてしまったものへの、疼くようなやるせない思い》だって?

芸術には、「青春の魅力」とでもいうべきものがつきまとっていると見える面があるのも事実で、……人はまた、自分の身にとってみれば、今は失ってしまった「青春」こそ、少なくとも、その理想的な世界にいちばん近いものだったと、思いたがる。

「あの時は、よかった」そうして、実人生では長続きさすことの不可能なその青春の優しさ、汚れのなさを、芸術作品こそは、いつまでもほろびない形で、――つまり、不朽な「美」の形にまで高めてーーその中にとじこめて残していてくれる。こうして、青春・美・芸術という一連のつながりが、人の頭の中に形をとってくる。それに人間は、「創造」ということを考える時、そこにこれからも生命を持ち続けてゆく「若々しさ」をあわせて見ないのは、むずかしいのではないだろうか。

あるいは、人は芸術にぶつかった時、その中にあるほかの何よりも、まず青春の魅力というものに、敏感に感応しやすいというのが、正しいのかも知れない。(吉田秀和『私の好きな曲』上 p50)

さらにはまた、《人は芸術にぶつかった時、その中にあるほかの何よりも、まず青春の魅力というものに、敏感に感応しやすい》だって? だが、《一番早く目につく美は、またあきられやすい美》でもあるだろう。

…スワンや彼の妻はこのソナタに、明瞭にある楽節を認めるのだが、私にとってその楽節は、たとえば思いだそうとするが闇ばかりしか見出せない名前、しかし一時間も経ってそのことを考えていないときに最初はあれほどたずねあぐんだ綴がすらすらとひとりでに浮かびあがってくるあの名前のように、ソナタのなかにあって容易にそれとは見わけにくいものなのであった。また、あまりききなれないめずらしい作品をきいたときには、すぐには記憶できないばかりでなく、それらの作品から、ヴァントゥイユのソナタで私がそうであったのだが、われわれがききとるのは、それほどたいせつではない部分なのである。(……)

そればかりではない、私がソナタをはじめからおわりまできいたときでも、たとえば距離や靄にさまたげられてかすかにしか見ることのできない記念建造物のように、やはりこのソナタの全貌は、ほとんど私に見さだめられないままで残った。そこから、そうした作品の認識にメランコリーがむすびつくのであって、時間が経ってからのちにそのまったき姿をあらわすものの認識はすべてそうなのである。ヴァントゥイユのソナタのなかにもっとも奥深く秘められた美が私にあきらかになったとき、はじめに認めてたのしんだ美は、私の感受性の範囲外へ習慣によってさそわれて、私を離れ、私から逃げだしはじめた。私はこのソナタがもたらすすべてを時間をかさねてつぎつぎにでなければ好きになれなかったのであって、一度もソナタを全体として所有したことがなかった、このソナタは人生に似ていた。しかし、そうした偉大な傑作は、人生のようには幻滅をもたらすことはないが、それがもっている最上のものをはじめからわれわれにあたえはしない。ヴァントゥイユのソナタのなかで一番早く目につく美は、またあきられやすい美であり、そうした美がすでに人々に知られている美とあまりちがっていないのも、まず早く目にとまる美だからである。しかしそんな美がわれわれから遠ざかったとき、そのあとからわれわれが愛しはじめるのは、あまり新奇なのでわれわれの精神に混乱しかあたえなかったその構成が、そのときまで識別できないようにしてわれわれに手をふれさせないでいたあの楽節なのである。われわれが毎日気がつかずにそのまえを通りすぎていたので、自分から身をひいて待っていた楽節、それがいよいよ最後にわれわれのもとにやってくる、そんなふうにおそくやってくるかわりに、われわれがこの楽節から離れるのも最後のことになるだろう。われわれはそれを他のものより長く愛しつづけるだろう、なぜなら、それを愛するようになるまでには他のものよりも長い時間を費していたであろうから。それにまた、すこし奥深い作品に到達するために個人にとって必要な時間というものはーーこのソナタについて私が要した時間のようにーー公衆が真に新しい傑作を愛するようになるまでに流される数十年、数百年の縮図でしかなく、いわば象徴でしかないのである。(プルースト『花咲く乙女たちのかげに Ⅰ』P172-174)

《今は失ってしまった「青春」こそ、少なくとも、その理想的な世界にいちばん近いものだったと、思いたがる》だって?

……中村武羅夫氏は青春という時期の陰湿さを大そう強調している。一方、私に質問した学生は、その時期の明るさを大そう強調している。そして、その強調の仕方がいずれも一オクターヴ高い感じがする。

この一オクターブ高いという感じが、いつも青春というものにつきまとう。そして、陰湿さも明るさも、いずれも楯の両面のような気がする。(吉行淳之介「鬱の一年」)





《彼は、声をあげて泣いていた。その泣き声は泣いている間も、ずっと彼の耳からは離れない。彼は誇張したのだろうか、(……)いやそうとまではいうまい。だがその泣き声が、どんな影響をきく人に与えるかを、彼はよく知っていた。》(吉田秀和)

…………
@Cioran_Jp: もしニーチェ、プルースト、ボードレール、ランボー等が流行の波に流されず生き残るとすれば、それは彼らの公平無私な残酷さと、気前よくまき散らす憎悪のせいである。ひとつの作品の生命を長持ちさせるのは残忍さだ。根拠のない断定だって?福音書の威力をみたまえ。このおそろしく喧嘩早い書物を。(シオラン)