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2015年3月13日金曜日

「屎ト云フモ可ナリ、 屁ト云フモ亦可ナリ」(成島柳北)


成島柳北の「超越論的」態度」より引き続く。

…………

「好古小言」上漁史

今余ガ思フマヽヲ書キ綴リテ、
世ノ好古家ニ質サントス。
定メテ其ノ心ニ逆カフコトモ有ランナレド、
ソハ余ガ一家言トシテ宥シ給ヒネ。
…………

蚊居肢子世ノ好事家ニ質サントス。
定メテ其ノ心ニ逆カフコトモ有ランナレド、
ソハ余ガ一家言トシテ宥シ給ヒネ。

柳北研究諸家ノ論ヲ眺ムルニ
其ノ文恰モ謹厳居士ノ如ク
濹上氏ノ諧謔ナク
濹上氏ノ対句ナシ
其ノ退屈ナル之レヲ号ケテ
屎ト云フモ可ナリ、
屁ト云フモ亦可ナリ。

諸氏ノ美シキ魂ノ汗ノ果物ニ敬意ヲ表スレド
諸氏ノ誠実ナ重ミノナカノ堅固ナ臀ヲ敬ヘド
余少シバカリ窓ヲ開ケタシ。
にいちぇト共ニ「空気ヲ! モツト空気ヲ!」ト叫ビタシ。
余新鮮ノ空気ニ触ルヽコトヨリ暫シ隔タリ、
鼻腔ヲ見栄坊ニテ鵞鳥ノ屁屎尿ノ穢臭ニ穿タレ
身骨ヲ美シキ魂ニテ猫カブリノ垢衣汗物ノ腐臭ニ埋メルガ如シ。

考証ハ固ヨリ有用ナレド、
務メテ雅致ヲ失ハズ、
空シク理窟ニノミ流レザルヲ可トス。
井蛙先生少シク注意シ給フ可シ。

平成二十七年三月十三日昼、蚊居肢子斎戒沐浴シ、
恭シクにいちぇノ文ヲ具ヘテ自ラ其ノ舌ヲ祭ル。

最後に、わたしの天性のもうひとつの特徴をここで暗示することを許していただけるだろうか? これがあるために、わたしは人との交際において少なからず難渋するのである。すなわち、わたしには、潔癖の本能がまったく不気味なほど鋭敏に備わっているのである。それゆえ、わたしは、どんな人と会っても、その人の魂の近辺――とでもいおうか?――もしくは、その人の魂の最奥のもの、「内臓」とでもいうべきものを、生理的に知覚しーーかぎわけるのである……わたしは、この鋭敏さを心理的触覚として、あらゆる秘密を探りあて、握ってしまう。その天性の底に、多くの汚れがひそんでいる人は少なくない。おそらく粗悪な血のせいだろうが、それが教育の上塗りによって隠れている。そういうものが、わたしには、ほとんど一度会っただけで、わかってしまうのだ。わたしの観察に誤りがないなら、わたしの潔癖性に不快の念を与えるように生れついた者たちの方でも、わたしが嘔吐感を催しそうになってがまんしていることを感づくらしい。だからとって、その連中の香りがよくなってくるわけではないのだが……(ニーチェ『この人を見よ』手塚富雄訳)

…………


「祭舌文」成島柳北


明治十年二月十三日、濹上子斎戒沐浴シ、
恭シク一壜ノ葡萄酒ト一臠ノ牛肉トヲ具ヘテ自ラ其ノ舌ヲ祭ル。
其文ニ曰ク、嗚呼吾ガ心ハ謹慎ニシテ吾ガ胆ハ縮小ナリ。
生来未ダ嘗テ狂暴悖戻ノ事ヲ為サズ。
然ルニ汝三寸ノ贅物妄リニ喋々トシテ遂ニ意外ノ禍害ヲ招キ、
吾ヲシテ飛ンダ迷惑ヲ為サシメタル。


「他山の石 」成島柳北

濹上子晩酌シテ酔ヘリ。
寝ニ就カントスルニ猶早シ、
書ヲ読マントスルニ亦懶シ。
我輩ガ常ニ筆墨ヲ弄シテ日ニ数千百字ヲ駢列スルモ、
未ダ曾テ一人ノ笑ヲ皷シ一人ノ泣ヲ醸スコト能ハズ、
其ノ無用ナル之レヲ号ケテ
屎ト云フモ可ナリ、
屁ト云フモ亦可ナリ。


「土用干ノ記 」上漁史

阮氏ノ褌ヲ曝スハ少シク激ニ失シテ長者ノ風無シ。
郝生ノ腹ヲ曝スハ甚ダ傲ニ失シテ君子ノ笑ヲ免レズ。
三伏ニハ唯ダ世俗ニ随ヒ、曝ス可キ物ヲ曝スゾ善ケレ。
強ヒテ奇ヲ好ムハ何ノ用ニカ立ツ可キヤ。

「阿房山賦」 成島柳北

妓ヲ揚ゲル玉ヲシテ玉川ノ砂利ヨリモ多ク、
妾ニ投ズル金ヲシテ深川ノ薮蚊ヨリモ多ク、
了簡ノ浮々シタルハ海ニ在ル水母ヨリモ軽ク、
鼻ノ下ノ延ビ過ギタルハ電信ノ張鉄ヨリモ長ク、
智慧分別ハ雨夜ノ蛍火ヨリ少ナク、
行跡ノ見苦シキハ折助ノ附合ヨリ甚シカラシム。


「忙ノ説 」上漁史

濹上子性甚ダ閑ヲ好ム。
而シテ一歳ノ中閑ヲ得ルノ日ハ稀ニシテ毎ニ忙ニ苦シム。
窃カニ謂フ新年ハ少シク閑ヲ貪リ以テ自カラ慰セント。
然ルニ一日ヨリ今日ニ至ル迄一日ノ閑無ク一刻ノ閑無ク困却極レリ。
家ニ在レバ故交新知来タリテ応接暇無ク、
社ニ出レバ論士説客来タリテ送迎ニ労ス。
之ヲ謝セントスレバ無礼不敬ヲ以テ譴責サレンヲ恐ル。
之ヲ謝セザレバ新聞ノ手伝ヲ為シ火之元ヲ見廻ハル能ハズ。
朝ヨリ暮ニ至ル迄息ヲ休ムル間無シ。


「ごく内ばなし」成島柳北

獄内ニ在テハ意ヲ一身ノ安危存亡ニ注ス。
何ノ暇カ能ク心ヲ男女ノ欲ニ動カサン。
偶々 洗濯婆々ノ皺面ヲ見テハ遙ニ老妻ヲ想ヒ、
囚繋女子ノ垢顔ヲ拝シテハ誤テ青楼ノ尤物【ベツピン】ナリト疑フノミ
新鮮ノ空気ニ触ルヽこと稀レニ、身ヲ垢衣汗物ノ中ニ埋メ、穢臭ノ鼻孔ヲ穿ツ