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2015年2月17日火曜日

「教えることと精神分析」Paul Verhaegheーーラカンの四つのディスクール論

“Is Psychoanalysis Teachable?” Annual conference of The College of Psychoanalysts. London, 12th February 2011における「Teaching and Psychoanalysis: A necessary impossibility.」 Paul Verhaeghe)の全私訳。

かなり以前、冒頭の三分の一強を訳したことがあるが(参照:フロイトの「主人の言説」からの転回)、その箇所もいくらか訳語変更をしつつここに掲げる。

ヴェルハーゲによるラカンの「四つの言説」理論解説とでもいうべきものだが、ラカンの「四つの言説」理論は、精神分析臨床に直接関わらない一般人でも(わたくしのような)、それが社会的絆(あるいはラカン曰くは政治)にかかわるものであるため、フロイトの『集団心理学と自我の分析』とともに、われわれの日常生活においてさえも、もっとも有効に利用できる理論のひとつだろう(たとえば、ツイッターのようなSNSで、〈あなた〉はなんのディスクールで語っているのか、という問いを発してもよい)。

なおより初歩的な解説は、90年代の論文”FROM IMPOSSIBILITY TO INABILITY:LACAN’S THEORY ON THE FOUR DISCOURSES”(Paul Verhaeghe)が優れているとわたくしは思う。そしてラカン派内部でも別の解釈法があるのは言うまでもなく、この論を信じ込みすぎないようにするのが肝腎であろう。

たとえば、四つのディスクール以外にも、ラカンには資本家のディスクールの示唆がある。それはここでは触れらなれていない(参照:ラカンの資本家のディスクールと資本主義の世界のディスクール)。

ラカンは「主人のディスクールは消滅しつつある」 と、すでにセミネールⅩⅦ「精神分析の裏側」で語っている(参照:王殺しの記憶喪失/ラカンの資本家のディスクール)。

他にも、これも一例だが、女流ラカン派分析家の第一人者Colette Soler は、資本家の言説、われわれの時代の支配的言説をNarcynicismナルシニシズムという新造語で呼んでいる。しかも社会的絆を齎さないという意味で、anti-discourseだと。

Colette Soler has named with the neological yet apt term of (the cynical narcissism of our times), we are not so unhappy about being God, particularly since the decline of the traditional forms of organized religion. Narcynicism is the subjective correlate of the dominant discourse of our times, the discourse, which is in fact an in so far as it does not constitute or promote a social bond(Psychoanalysis in the ‘posthuman' era Dr Leonardo S. Rodriguez


すなわち、現代ではラカンの四つのディスクールに当てはまらない別の次元の言説(反-言説)が台頭している可能性の側面はここでは省かれている。


…………

【教えることと精神分析:避けがたい不可能性】(ポール・ヴェルハーゲ)


フロイトの伝記がいかに様々であっても、ある一点では見解の一致をみている。すなわち、フロイトは知りたかったのだ。その発端から、われわれは野心的な男を見る。彼の仕事の目的は、知knowledgeを通して主人masterの位置に到達することだった。そしてこれは彼の初期の理論と実践をその色合いに染めている。分析治療とは失われた知を探し求めることであった。“失われた”とは、つまり知が無意識になった結果としての失われたもの。治療の目的は、この失われた知を「意識」に再-刻印することだった。

この密かに嘱望された考えにより、治療作用は、自動的に次のごとくとなる。すなわちフロイトは自らを「啓蒙主義」の後継者として現わす。知を単に伝播すれば、変化を促すのに十分であるという信念をもって。しかしながら、この「啓蒙主義」を超えて、われわれはソクラテスに出逢う、彼の絶え間ない問いとともにである。「知とはいったいなんだろう?そして、どうやってそれを教えることができるのだろう?」ここで私が呼びかけたいのは、この二つの問いである。

最初の問いにかんして、その問いにかかわる知を、いくぶん個別的に特化させてみる必要がある。知、すなわちどの主体も、まさに始原から探し求めるものとして。ドラについて考えてみよう。彼女の症状と夢を通して、である。彼女はたえまなく問い続けている、女とは、娘とは何を意味するのだろう? 男の欲望との関係において、と。この個別の実例は、普遍化された性格を授けられるだろう、それはフロイトが幼年期を研究しはじめ、彼の云うところの幼児期性探求等々、すなわち根源的な知への探求の普遍性を見出したときである。ちょうどヒステリーの患者のように、子供は三つの互いに関連する問いの答えを知りたいのだ。

第一に男児と女児の相違。第二に赤子の起源。最後に父と母について、すなわち両親にはどんな関係があるのか。子供は、フロイトの云うように、科学者のように進んでいき、純粋な解釈理論を捏造する。それが、フロイトが呼ぶところの、幼児期性探求と幼児期性理論である。

こうやって生み出された知における繰り返される問題は、それらの答えがけっして最終的なものではないことだ。正しい知の代りに、子供は原幻想に甘んじなければならない。真偽の交錯、知の欠如は、イマジナリーな構築物を生み出す。これが、もちろん、フロイトの確信を強めさせたのである、神経症とは、これらのことについての正しくない知、あるいは知の欠如の影響である、と。

結果として、フロイトによって提案された最初の治療上の解決法とは、患者たちに、フロイトが正しい知だと見なしていることを提供することによって成り立っていた。こういったわけで、治療者を主人Masterのポジションにおくことになる。

この完璧な実例は、ちいさなハンスのために生み出された解釈のなかに見出される。「君がこの世に生まれてくるずっと前から、私はちゃんとハンスという子供が生れてくるだろうということ、その子はママが大好きでそのためパパを恐がるにちがいないということがわかっていて、……」(『ある五歳男児の恐怖症分析』フロイト著作集5 p199:引用者)。ハンスの反応はとても意味深い。「あの先生は神さまと話をするから、あんなことがみんな前からわかるの?」この小さな相互作用はあまりにも示唆的である。それが示しているのは、分析家は、正しい知を所持し、教示し、保証するポジションの存在であるということだ。

ふたたび、ドラのケーススタディを挙げるなら、それは広範な臨床上の適否の実例となる。フロイトは主人の役割を想定している。その主人は欲望と享楽の事柄について知っている、そして治療を通して、この知を患者に教える存在なのである。それは、患者がこれらの洞察を受け入れればならないなどということだ。そして再度、この考え方の普遍化は、フロイトの性啓蒙主義にも見出される。1907年にフロイトは、情熱をこめて、この主題について書いた。大人は必要な知を与えるのを差し控えるかもしれない。だが逆に、彼らは子供たちに正しく伝えるべきである、子供たちの正しくない性理論が過剰にならないために。フロイトにとっては、はっきりしていたのだ、一般化された啓蒙は、神経症の大人を徹底的に減少させるだろうことが。

この一般化は治療法treatmentにとても強い影響をもたらした。治療cureとは教え授けることに変形される。教示することが治療となる。この混同の完璧な実例は、有名な『精神分析入門』(Vorlesungen zur Einführung in die Psychoanalyse)に見出される。“Vorlesungen”とは、文字通りの意味は、「生徒の前で読まれる」ことである。ここでの治療と教示がともに意味するのは、私が“抵抗の教示的分析didactical analysis of resistance”として考えたいことである。

精神分析的視点からいえば、どちらの反応も不成功を現わしている。居残った集団は知を吸収し、忠実な従者に変形される。立ち去った個人たちは無知のままである。彼らのどちらも、〈他者〉の知を超えないという意味では、同一である。

当時、フロイトは生徒/患者の抵抗をはっきり見つけることの真のマスターになっていた。彼らが彼ら自身でそれに気づく前にさえでも、そうであった、――彼らが実際に己れの抵抗を見出したかもしれないよりいっそう巧みにーー。そしていずれの時も、議論の刃を鈍らせようとした。このような戦略は、ただひたすら二つの可能な反応を生み出すだけである。

そのひとつは、患者を生徒に変形すること。その生徒はイエスと言い、すべてを吸収する。もうひとつは、ドラがしたように反応すること。すなわち扉をバタンと閉め立ち去ること。歴史的な視点からは、これは抵抗等の分析の産声だろう。患者を納得させるための苦闘。もし彼女あるいは彼が示された知を受け入れたくないのなら、それは抵抗の問題である、と。

フロイトが、この欠陥の共通点を悟るまでには、長くかからなかった。実に、患者が、解釈にたいして、分類された‘イエス’あるいは‘ノー’と応じるかどうかにかかわらず、どちらの応答もうさんくさいし、要するに同じことになる。すなわち患者が解釈を受け入れていないということなのだ。どちらもなにか別のものの効果である、そのなにかが、もっともっと重要になる。すなわち転移の関係、それによって分析家は、主人のポジションを承認されたり拒絶されたりするのだ。

この経験をもとに、フロイトは、彼の進みゆく道を根本的に変える。すなわち、知は分析家によって提供されてはならないということだ。逆に、知が生み出されなければならないのは患者においてである、と。そして教示するマスターのポジションは、治療法のなかでは禁じられるようになる。教示する代りに、分析家は教えられなければならない。分析家の考え方の代りに、患者の考え方が治療場面を満たすようになる。患者は知っている者である、ただ彼が知っていることを彼自身が知らないだけなのだ。

外部の原因からくる知は、それが教師からであろうと書物からであろうと、たんに自由な言動を抑制する要因である。これはこの時期以降のフロイトの技術的忠告にはっきりと示されている。すなわち理想的には患者は分析家の仕事を読むべきではない、分析家は前もって情報と解釈を提供するのを自制すべきである等々。この点においてドラの事例研究から鼠男の分析の隔たりは途方もなく大きい。後者の事例では、治療における説明の不毛性を明白に確認している。臨床上において、すべての注意はある状況を作り出すことに捧げられている。その状況によって、患者は可能なかぎり多くの連想を生み出せるように、と。

この方向転換――知は分析主体(患者)にあるのであって、分析家にあるのではないーーは最終的なものではない。新しい躓きの石がこの逆転から生ずる。フロイトがこのことを経験したのは、彼が幼児期性理論を研究しているときだった。それはフロイトに知と知を超えた何かの相違を教えた。その何かとは別の審級に属しているものであり、すなわち象徴的秩序以外の審級である。この点で、すべての啓蒙形式はなにかが不足している。それは治療においても同様である。言葉にできない何かがある。その何かを表わすには言葉が欠けている。もともとフロイトはこれをトラウマ的経験と考えた。だが後に彼はそれを"mycelium(菌糸体)"、“われわれの存在の核”、“原初に抑圧されているもの”と呼んだ。

ここでフロイトが遭遇した困難はますます不可能性の形を呈するようになる。彼の分析家の経歴のはじめの半分では、多かれ少なかれ“最後の言葉”、最終的な知が、見出されると確信していた。それは、治療がそれでまったく十分であるという条件での言葉、知である。後期の段階では、言語化はある点までしか可能ではいと結論せざるを得なかった。

この点を超えて、別の秩序、快原則の彼方の秩序、すなわち表象("Vorstellungen")を超えた秩序が横たわっている。シニフィアンとして表れる知は、最終的なものではないのだ。その彼方がある。ラカンとともに、ここに、われわれは真理の領域に出会う、とりわけ真理の典型的な特性に。すなわち真理は半分しか言えないのだ、"le mi-dire de la vérité"。なぜわれわれは、それを“真理”と呼ぶのか? 知との相違は何なのか?

真理はつねに欲望と享楽にかかわると答えうるかもしれない。だがフロイトの知は最初からそうだった。真理の本質的な性格とは、欲望と享楽についての知がもはや言葉にできない究極の点に直面することである。知自体はつねにシニフィアンの領野の内部にある。真理もまたその領野の内から始まる。だがそれを超えた領域に行き着くのだ。この欲望と享楽の究極的な領域は、その駆り立てるdriving部分である。駆り立てることDrivingは欲動driveから来る。このシニフィアンを超えた領域は、ラカンのリアル(現実界)である。あるいは、それを主体の視点から観察するならば、失われた‘対象a’であり、それは永遠に話す主体に欠如しているものであり、彼の絶え間なく移り変わる欲望を引き起こす。

こうやって、フロイトは二つ目の不可能性に躓く。一つ目のものは、分析家が知を生み出すこと、主人のポジションを保証する知を想定することの不可能性だった。二つ目のものは、どの話す主体にも妥当する何かにかかわる。すなわちすべてを言うことと最後の知を生み出すことの不可能性である。

最初の不可能性は1933年に最も定式化されたものが見出される。フロイトはそこで三つの不可能な職業について語っている。主人になること、教育すること、分析することである。どんな人でも他人にたいして真理を装うのは不可能である。それが、まさにこれらの三つの職業に要求されることだが。フロイトは何について話しているかよく分かっていた、というのは彼自身これらを結びつけようとして来たのだから。彼の初期の時代、治療は、主人のポジションから教えることになっていた。

二番目の不可能性は彼のエッセイ『快原則の彼方』に叙述される。この叙述は根本的な不可能性に直面している。というのはシニフィアンの領域を超えて横たわる何かに関わるのだから。何かが言葉を超えて、いやさらにどんな表象の形をも超えて、その存在を主張し続ける。この何かは欲動と関係がある。それは、快原則の彼岸にある欲動の部分であり、他の決定的なことを目指すのだ。フロイトの最初の詳述はトラウマ的神経症の分野と子供のゲーム(fort-da)の両方に位置づけられた。こうして「彼方」の一般的な性質が描写された。

フロイトに明らかになっていなかったことは、この二つの不可能のあいだの繋がりである。その二つの各々は、互いに他のものに答えようとするという意味で繋がりがある。主人のポジションはシニフィアンの鎖における欠如を蔽う答のための保証guaranteeとして機能すると想定されるが、その逆もまた真であり、象徴界は主人のポジションを裏づけて欠如に蓋をする。四つのディスクールのラカン理論は、この二つの不可能性を、その各々の相互依存とともに図式化してくれる。さらに言えば、この理論は、四つの異なったディスクールを通して、二つのあいだにある構造的に決定される相互作用を描写してくれる。





それぞれのディスクールは同じ形式的な構造によって成り立っている。そこには四つのポジションがある。まず始まりは、動作主agentであり、真理truthによって衝き動かされdriven、他者anotherに向かって話す動作主である。その結果、生産物productもたらす。これらのポジションは、二つの構造的な分離disjunctionsを含んでいる。動作主(話し手)は、自分のメッセージを完全に他者に送り届けることが不可能impossibleである。この不可能性impossibility(ラカン仏原語impossibilité:引用者)は、地盤に横たわる不能性incapability(ラカン仏原語 impuissance:引用者)に基づいている。すなわちどのディスクールも、何かを生産することが不能なのである。その何かとは、まさに出発点、すなわち、真理を抱え込んでいるからだ。不可能と不能のどちらも真理の根源的な他律性heteronomyの影響である。その部分はシニフィアンを超えたところに横たわっており、享楽の領野に属する。

この形式的構造の四つのポジションには、四つの異なったタームによって占められる。それは、それぞれの具体的なディスクールの個別性によって決定されるということである。




この理論によって、ラカンは、フロイトの三つの不可能な職業を、三つの異なったディスクールとして形式化し得た。その各々は、不可能性の個別的な外見をもっている。不可能な「支配すること」"regieren"は、主人のディスクールである。不可能な教育すること"edukieren"は、大学人のディスクールである。不可能な分析すること"analysieren"とは分析家のディスクールである。ラカンは四つ目をつけ加えさえした。不可能な欲望することは、ヒステリーのディスクールとして設置される。これらの四つのディスクールは、互いに密接に関係している。その意味は、構造的に決定づけられた、ひとつのディスクールから他のディスクールへの移行があるからだ。ひとつのディスクールの不可能性は、次のディスクールの不可能性を生み出しかつまた応じられる。この理論の格別な利点、われわれ主体にとっての、――知とその精神分析対精神分析的な知を通しての伝達にとっての、――その利点とは、知(ターム)と真理(ポジション)のあいだの関係性にかかわる転移に焦点を当てるからである。実にどのディスクールも、社会的絆を代表象representする。そのディスクールは行き詰まりに陥ったとき、他の社会的絆に向かってシフトする。すなわち、知と真理への別の関係性とともに別のディスクールにシフトする。このディスクール理論の適用は、われわれに理解させてくれるだろう、二つの不可能性のあいだの必然的なものとしての教育と分析のあいだの関係を。


分析家と患者のあいだの関係性は、二重の形でわれわれの実践を決定づける。最初に、関係性は患者が連想を生み出すために生産的でなければならない。二番目に、この関係性それ自体が、影響を与えられなければbe worked onならない。最初の側面は知を誘発し、二番目のものは真理にかかわる。

転移関係の生産性は次ぎの事実によって成り立っている。患者は分析家を、「知っている者the-one-who-knows」のポジションにあるものと見なす。そしてそのことは、どうして患者は彼の連想を、知っていると想定されたこの〈他者〉this Other who-is-supposed-to-knowに向けて生み出すのかを説明する。この段階では、分析家は、主人のディスクールのタームで理解されうる。実際、患者の観点からは、分析家は主人の人物像master figure、S1としての動作主agentの場所に置かれている。これが、他者の場所に置かれた患者がシニフィアンS2を生み出す理由である。このようにして、知は生み出される:S1 → S2。

この分析の最初の段階は、知の少なからぬ進展をもたらす。これが、精神分析は無知に対する効果的な療法とラカンが考えた理由である。必然的に、すなわち構造的に、このディスクールの次のステップは、「対象a」を生み出す。シニフィアンで表現されうる知を超えたことろに横たわる何かである。




この二番目の段階は主人のディスクールの限界を意味する。すなわちわれわれはふたつの可能性に直面する。前段階のディスクールに退行regressionするか、もしくは次ぎのディスクールに進行progressionするか、である。




この退行は、大学人のディスクールをもたらす。そこでは知それ自体が動作主として舞台に登場する。(ここでの「退行」とは、具体的には主人の言説から時計と逆廻りということ:引用者)。




この退行はフロイトによってとても長いあいだ選択されていたものである。というのは彼は知それ自体が主体とその欲望の対象のギャップを埋めるために充分なものであると期待していたからだ。結果はまったく反対である。なぜなら大学人のディスクールの生産物は、分裂した主体だからである:S2 → a → $。結果はまったく明らかだ。知の増大してやまない集積物を生産し、生徒にとっての「対象a」の喪失は強化され、彼はよりいっそう分裂する。はっきり言えば、知れば知るほど、あなたは躊躇うようになる。

他方、進行の道のりは、分析家のディスクールのバラドックスをもたらす。ここには、真理のポジションに知を見出すことができる。その知とは、複数のシニフィアンの胴体the body of signifiersである。ラカンはそれを次ぎのように表現した。「人が分析家から期待するものは、彼が、彼の知を真理のタームにおいて機能させることである」。これは不可能である、そしてこういうわけでラカンは続ける、「それは彼が彼自身を半分しか話さないことに縛りつける」と(ここでふたたび「真理は半分しかいえないmi-dire」(ラカン)を想起しておこう:引用者)。




このS2(真理のポジションにあるS2:引用者)は、分析――その論理的には最初の段階のあいだにの分析――によって、患者によって生み出された複数のシニフィアンの胴体(集合体)である。実際に、治療の始まりは分析家のディスクールで成り立っているわけではない。というのは、この最初の段階では患者はたえまなく増え続ける知の集積を生産することであるから。分析家のディスクールとともに、この知の集積物は、避けがたくそれを超えたところに横たわるもの、「対象a」に導かれる。そしてその対象aがこのディスクールの動作主agentの場に回転して置かれる。それが、主体と主体の欲望の分裂を引き起こすa → S/。このディスクールの生産物として、主体は彼自身によって作られた主人のシニフィアンS1と遭遇する。a → $ → S1

四つのディスクールのこの理論は、分析と教育のあいだの関係を構造的な方法で議論することを可能にさせてくれる。それは転移、知と真理の要素に焦点を当てることによってである。決定的な差異は異なったゴールに横たわっている。それを私は次のように描写したい。すなわち精神分析にとっての分離、教育にとっての疎外と。ディスクールのタームでは、これらのゴールが意味するのは、教育は知の伝達を目標とし、他方、分析は知を超えて作用する原因としての真理の「乗っ取りー互選co-optation」に焦点を当てる。

最初に、教えること。教育とは、要するにつねに送り届けるシニフィアンpassing signifiers、知の過程ということになる。教師から生徒への、である。この送り届けることは、陽性転移があるという条件の下でのみ効果的である。人は愛する場所で学ぶ。これは完全にフロイト派のタームで理解できる。主体は〈他者〉のシニフィアンに自らを同一化する。すなわち、この〈他者〉に陽性転移した条件の下に、この〈他者〉によって与えられた知に同一化する。ラカン派の観点からなら、この同一化はつねに疎外である。〈他者〉によってもたらされたシニフィアンを取り入れることは、主体を、存在論的に、自らの異邦人strangerに変える。この疎外は、獲得と喪失をともに意味する。もちろん知の獲得がある。しかしこの過程はよりいっそう先に進む。主体によって取り入られた数々のシニフィアンに依存することによって、その外的な現実が同様に成長する。というのは、この現実は、まさに象徴的秩序によって決定づけられたものだからである。他方、われわれは喪失に捉われる。それは構造的に決定づけられており、先ずは現実界にかかわる。さらに具体的にいえば、存在-の-喪失"le manque-à-être"にかかわる。次に象徴界である。より具体的に言えば選択の喪失である。すなわち自らの欲望は〈他者〉の欲望につねに疎外される。

これらの影響は生徒たちに適用される。教えることは、避けがたく、結合と集団の形成の効果をもたらす。そこではおのおのの個性ある主体が消滅する。教師にとっては、教えるという行動、――シニフィアンを生み出すことーーは、避けがたく、彼の知の限界に直面する。かつまた言語化を超えて横たわる真理の部分に直面する。これが、教えることは不可能な職業だと考えられる構造的な理由である。

次に分析。ここには反対の方向に動く過程がある。もっとも同じように転移の下であるが。分析主体(患者)なのである、受け取り先に坐っている分析家に、シニフィアンとそして知を生み出すのは。今度は、分析家は教えられる者である。とすれば疎外は分析家の側に位置する結果となる。ここに必然的に伴なう危険は、分析家は自らを、彼に向けて生み出され、彼に帰されさえする知に同一化することだ。対照的に、患者の側では、疎外をバイパスする可能性が作られる。実際には、分析主体が、知っている者the one who knowsとしての位置を占める分析家に向けて、シニフィアンを生産し続ければするほど、この分析主体は、これらのシニフィアンの疎外的な特性に直面する。それは主体としての“彼の”アイデンティティの観点からである。この点に関してラカンを引用しよう、《この仕事、彼が「他の者another」に向けて再構築することを引き受ける仕事において、彼は根源的な疎外をふたたび見出す。その疎外は彼を、「他の者のようにlike another」構築するのだ。そしてそれはつねに他の者によって彼から受け取られる運命にある》。この意味で、分析の仕事は、服喪mourningの仕事に密接にかかわる。というのは、それはわれわれの疎外されたアイデンティティの徹底操作working through(これはフロイト用語durcharbeitenであり、ラカン用語では、幻想の横断la traversée du fantasme:引用者)をもたらすからである。この仕事は主体を原初の欠如に直面させる。それは象徴界の心臓部に横たわっているものである。これは幼児の知の探求が、袋小路に陥った場所にあるのと同じ欠如である。同じ理由でそのようになるというのは、すなわち象徴的な性アイデンティティ、父の機能、性関係にかかわるからである(参照:スフィンクスの謎)。象徴界はけっしてこれらの現実界の領野を抱え込んでいない。欠如として、主体を穴voidに遭遇させ、彼に二つの可能性を委ねる。

最初の選択として、分析主体はこの遭遇からあとずさりするかもしれない。そして主人によって生み出され支えられた答に回帰するかもしれない。結果として、彼は疎外の内部にとどまる。そして〈他者〉の欲望とその知に従属したままでいることになる。彼は生徒のままなのだ。引き続いて、彼は集団に入り、集団の知を共有する。ソシュールの言語学用語で言うならば、彼は、現実界を覆うためにその集団によって使われたシニフィアンの慣習conventionsを共有するということになる。

二番目の選択では、分析主体は真理との遭遇に没入することがありうる。すなわち、〈他者〉にある根源的な欠如(斜線を引かれた〈大他者〉S(Ⱥ)としてよいだろう:引用者)に直面するということだ。結果として、彼は〈主人〉の答えthe answer of the Masterを一つの答an answerに縮減させる。それによって分離の可能性が開かれる。知のその領野を超えて、主体は真理を新しく選択するのだ。支えとなってくれる〈他者〉はいない。結果として、次の歩みはただ指し示されるだけであり、けっして予測できない。独りで処方されなければならない。この点以降は、創造性が可能である。そして疎外の決定論は、分離の準-決定論semi-determinismにとって代わられる。教えることの過程と比較して(そこでは、生徒たちの集団への均質化homogenizationをもたらし、教師は分け距てられたままなのだが)、分析は、分析主体たちのあいだに根源的な差異を生産して終わる(そして分析家を疎外に委ねる危険がある)。これは偶然の一致ではない、ラカンが彼の倫理のセミネールにおいて議論したことと合致するのは。すなわちこの点を超えて人がしなければならない選択は、自由裁量的なarbitraryものである(なんの支えもない)。象徴界と現実界とのあいだの構造的な裂け目により、分離は教えられることはない。しかし教育は、分離のための欠かせない前提条件である。主体は充分な量の支えを与えてくれるシニフィアンとそれに伴なった疎外と知が必要である。その後ようやく、主体は支えの欠如のポイントを受け容れる。いったんこの点に到達したら、どのシニフィアンもどの知も地に落ちる。

締め括ろう。転移は二重の仕方で使われ得る。シニフィアンを送り届けるか、あるいは人にシニフィアンをつくり出すようにするか。どちらの場合も、作り出されたシニフィアンは、教師の立場のものであれ、分析主体のものであれ、主体を避けがたく欠如のポイントに直面させる。そして分析の過程の可能性を開く。一番目の場合、教えることが主なゴールであり、それは疎外を起こし、知の伝達を生む。その結果、共有されたシニフィアン、たとえば「ドクサ」のまわりに集団の形成をもたらす。しかしながら、〈主人Master〉にとっては、それは象徴秩序にある欠如との遭遇を引き起こす。そして主人に、この欠如に向けて、分裂した主体としての己れのポジションを問うよう余儀なくさせる。二番目の場合、分析が目標となる。それは分離を起こし、分析主体を彼自身の主体性、彼の他者性other-nessに遭遇させつつ、真理の「乗っ取り-互選co-optation」を引き起こす。しかしながら、分析家にとっては、〈主人〉のポジションとの同一化の罠を開く。そしてそこから彼は逃れされなければならない。この二つの過程はきわどく関係しあっている。主人のディスクールは知を注ぎ込む。しかし分裂した主体に関係することができない形での「対象a」を生み出す。分析(家)のディスクールは、この知を超えたところから始まる。この「対象a」が動作主agentなのであり、それは分裂した主体への思いがけない関係において彼自身のS1を生み出す。

これらの二つの過程のあいだの内的なアンティノミーはいわゆる精神分析の「学校」とその絶えず現われる窮境において最も明瞭の表現を見出すことができる。いかにして可能だというのだろう、彼ら自身の他者性の極みpinnacleに達した人々による集団を形成することが?


…………

以上。

ひとつだけ問いを立ててみよう。

パロールの側にいる教師に対して、エクリチュールの側にいる言語活動の操作者をすべて作家と呼ぶことにしよう。両者の間に知識人がいる。知識人とは、自分のパロールを活字にし、公表する者である。教師の言語活動と知識人の言語活動の間には、両立しがたい点はほとんどない(両者は、しばしば同一個人の中で共存している)。しかし、作家は孤立し、切り離されている、エクリチュールはパロールが不可能になる(この語は、子供についていうような意味に解してもいい〔つまり、手に負えなくなる〕)所から始まるのだ。(ロラン・バルト「作家、知識人、教師」ーー「分析家と黒人の召使い」より)


バルトはここで、知識人も教師も、パロールを活字にしているにすぎず、エクリチュールの実践者ではない、としているわけだが、パロールを活字にする者たちは、まずは大学のディスクール(ときにはヒステリーのディスクールであったり主人のディスクール)だろう。

ここでは大学の言説にのみに絞れば、それは次ぎのようであった。



知S2の集積がaに向けて語るS2→a. 

これは「飼い慣らされていない」対象に知を植えつけることを示す。

かつまた、S2の下の真理のポジションには、S1がある。これは話し手S2の真の動因である。




すなわち話し手の真理はS1なのである。

知識人やら評論家のディスクールの中立的な「知」という見かけの背後に、われわれはつねに主人の身振りを見出すことは容易であろう。

こうして生れる生産物は、分裂した主体$である(S2 → a → $)。すなわち知れば知るほど、躊躇うようになる主体が形成される。


では「作家」たち、そのエクリチュールはなんなのだろうか。バルトは、エクリチュールはパロールが不可能になる場所から始まるとしている。エクリチュールとは分析家のディスクールではないか?とまず問うてもよい。


もしこの図を、真理のポジションにあるS2、すなわち知の集積物を抑圧し、その残滓(剰余享楽a)から出発すると読めば、作家とはそのような書き手ではないか。

多くの場合、大学のディスクールでしかない批評家たちが、稀に作家(エクリチュール)に転回するのは、このあたりの機微や秘密があるのではないか。

もっとも上のヴェルハーゲの論にあるように、次のことを忘れてはいけないだろう。

象徴界と現実界とのあいだの構造的な裂け目により、分離は教えられることはない。しかし教育は、分離のための欠かせない前提条件である。主体は充分な量の支えを与えてくれるシニフィアンとそれに伴なった疎外と知が必要である。その後ようやく、主体は支えの欠如のポイントを受け容れる。いったんこの点に到達したら、どのシニフィアンもどの知も地に落ちる。

すなわち知は欠かせない前提条件なのである。それを超えてようやく分離、--ここではエクリチュールとしておくがーーそれが可能になる。

ここでニーチェのツァラトゥストラの冒頭を思い出してもよい。

『ツァラトゥストラ』の第一部は、次のような三つの変身の物語で始まっている。

「どのようにして精神は駱駝となるか、またいかにして駱駝はライオンとなるか、そしてライオンはついに小児となるか」。駱駝とは荷を担ぐ動物である。駱駝は既成の諸価値の重圧を担い、また教育の重荷を、道徳とか文化・教養の重荷を担いでいる。駱駝はそうした重荷を煮担いで砂漠へと向かい、そしてそこでライオンに変身する。ライオンは諸々の彫像を壊し、重荷を踏みにじり、あらゆる既成の価値の批判を断行する。そしてそのライオンの役目はついに小児となること、すなわち<戯れ>と新たな始まりになること、新しい価値および新しい価値評価の原理の創始者となることである。

(……)三つの変身のあいだにある断絶は、おそらくまったく相対的なものに過ぎないだろう。ライオンは駱駝のうちにも現存しており、ライオンのなかには小児がいる。そして小児のなかには悲劇的な結末が存在しているのである。(ドゥルーズ『ニーチェ』)

すなわち、ライオンや小児になるためには、、まず荷を担いだ駱駝とならなければならない。

浅田彰の言い方でならこうなる。

もちろん、先行研究うんぬんで既存の記憶に押しつぶされるより、ちょっとは蛮勇を奮ったほうがいい。でも、逆に言えば、蛮勇は過去の蓄積を突き破るように生まれるわけですよ。哲学の理論体系はだいたいヘーゲルで完成されており、それと現実とのずれの中でヘーゲル的な円環を突き破るようにしてマルクスの意味での批判=批評というのが始まり、我々もその前提の上でやってきた。ところが、國分なんかは自前の哲学を語りたいらしい。(2014.SPA抜粋 2/11・18合併号ーー「えらくなろう」という不滅の幼児願望

駱駝となった経験もないのに、ライオンや小児として振舞う連中が多すぎるとの見解として読むことができるだろう。

國分功一郎氏の評価については、ここでは保留しておく。かつまた浅田彰自身、ほとんど終始、ーー『ヘルメスの音楽』などに読むことができる稀な場合を除いてーー、大学の言説の人であるとも言い得る。

作家達は分析家の言説だと仮にしたが、とはいえ、作家たちのなかには、別の次元の書き手もいる。四つの言説の他者にかかわる社会的絆から逃れ、他者の鎖に繋がれていない「自由浮遊の」空間の<一者>、il y a de l'Un(〈一者〉がいる)(ラカン『セミネールⅩⅩ』)の〈一者〉としての作家もいるに相違ない。



※附記

なおこのヴェルハーゲの四つの言説論は、「社会的絆と権威(Paul Verhaeghe)」とともに読むといいかもしれない。

また基本的な理解としては、「資料:ラカンの幻想の式と四つの言説」などを参照。

いまのリンクには、比較的初期のジジェクの四つの言説の説明があるが、最近では(『LESS THAN NOTHING』2012)、ラカンの四つの言説と性別化の式の統合の試みを繋ぎ合わせる試みを提示している(参照:ラカンの S(Ⱥ)をめぐって)。