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2015年1月29日木曜日

絶望さえも失った末人たち

以下は、「世界資本主義のガン/イスラム対抗ガン」などの補遺。多くはこのところ引用してきたもののくり返し、もしくはその断片を引用した文をもうすこし長く引用している。

…………

まずヘーゲル主義者フランシス・フクヤマの「歴史の終焉」をめぐるジジェクの見解(当時の)を「新しい形態のアパルトヘイト」から再掲しよう。

私のフクヤマに対する批判は、彼がヘーゲル的でありすぎるということではなく、まだ十分にヘーゲル的ではないということです。十分に弁証法的ではないと言ってもかまいません。というのも、ヘーゲルが繰り返し強調しているのは、ある政治システムが完成されて勝利をおさめる瞬間は、それがはらむ分裂が露呈される瞬間でもあるということなのです。(「スラヴィイ・ジジェクとの対話」初出1993 「SAPIO」浅田彰『「歴史の終わり」と世紀末の世界』所収)

では具体的に八九年以降どんな「分裂が露呈」されているのか。

実際、勝ちをおさめたかに見える自由民主主義の「世界新秩序」は、「内部」と「外部」の境界線によってますます暴力的に分断されつつあります。「新秩序」の なかにあって人権や社会保障などを享受している、「先進国」の人々と、そこから排除されて最も基本的な生存権すら認められていない「後進国」の人々を分か つ境界線です。しかも、それはもはや国と国との間にとどまらず、国の中にまで入り込んできています。かつての資本主義圏と社会主義圏の対立に代わり、この「内 部」と「外部」の対立こそが現在の世界情勢を規定していると言っていいでしょう。このように、とことんヘーゲル的に言うなら、自由民主主義は構造的にみて普遍化され得ないのです。(同上)

実際、冷戦終了後、世界は混沌をきわめつつあるようにみえる。いまはそれから25年ほど経っているが、中井久夫が2000年に書いたように、歴史の終焉どころか歴史の退行がいっそう進行中であるといいうるだろう。

私は歴史の終焉ではなく、歴史の退行を、二一世紀に見る。そして二一世紀は二〇〇一年でなく、一九九〇年にすでに始まっていた。(「親密性と安全性と家計の共有性と」)

ここで、「仏テロ事件後のラ・マルセイエーズによる「情緒の昂揚」」にて貼り付けたエマニュエル・トッドのテロ事件後の電話インタビュー記事のいくらかを、まずは再度抜粋する。

……フランスが今回の事態に対処したいのであれば、冷静になって社会の構造的問題を直視すべきだ。北アフリカ系移民の2世、3世の多くが社会に絶望し、野獣と化すのはなぜなのか。(……)

背景にあるのは、経済が長期低迷し、若者の多くが職に就けないことだ。中でも移民の子供たちが最大の打撃を被る。さらに、日常的に差別され、ヘイトスピーチにされされる。

「文化人」らが移民の文化そのものを邪悪だと非難する。

移民の若者の多くは人生に意味を見いだせず、将来の展望も描けず、一部は道を誤って犯罪に手を染める。収監された刑務所で受刑者たちとの接触を通じて過激派に転じる。社会の力学が否定的に働いている。(……)

真の問題はフランスが文化道義的危機に陥っていることだ。誰も何も信じていない。人々は孤立している。社会に絶望する移民の若者がイスラムに回帰するのは、何かにすがろうとする試みだ。

ジャック=アラン・ミレールは、テロ事件後、テルアビブの友人の精神分析家Susannaの言葉を引用している(もっともこれは必ずしも彼の見解ではない)。

すべての指導者が、一緒になって並び立ち、腕を組んで歩き、どんなゴールの不在のもとに一体化しているのを見ると、みじめさを感じてしまう。私は思うのだが、彼らはすべての希望を失っただけではなく、さらに悪いことに、絶望さえも失っているのだ。(12.01.2015 JACQUES-ALAIN MILLER ON THE CHARLIE HEBDO ATTACK)。

ここにある《彼らはすべての希望を失っただけではなく、さらに悪いことに、絶望さえも失っている》とは、トッド曰くの《真の問題はフランスが文化道義的危機に陥っていることだ。誰も何も信じていない》の変奏と言いうるものだ。

あるいはまたニーチェの《人間は欲しないよりは、また無を欲するものである》(『道徳の系譜』)、《人間意志は一つの目標を必要とする、そしてそれは欲しないよりは、またしも無を欲する》における「無」さえ欲しない末人論の谺をきくことができるのかもしれない。

見よ! 私は君達に末人を示そう。
『愛って何? 創造って何? 憧憬(あこがれ)って何? 星って何?』―こう末人は問い、まばたきをする。

そのとき大地は小さくなっている。その上を末人が飛び跳ねる。末人は全てのものを小さくする。この種族はのみのように根絶できない。末人は一番長く生きる。

『われわれは幸福を発明した』―こう末人たちは言い、まばたきをする。
彼らは生き難い土地を去った、温かさが必要だから。彼らはまだ隣人を愛しており、隣人に身体を擦りつける、温かさが必要だから。…

ときおり少しの毒、それは快い夢を見させる。そして最後は多量の毒、快い死のために。…
人はもはや貧しくも豊かにもならない。どちらも面倒くさすぎる。支配する者もいないし、従う者もいない。どちらも面倒くさすぎる。

飼い主のいない、ひとつの畜群! 誰もが同じものを欲し、誰もが同じだ。考え方が違う者は、自ら精神病院へ向かう。(ニーチェ『ツァラトゥストラ』序説 手塚富雄訳)

《われわれは幸福を発明した》における「幸福」とは、アングロサクソン流、すなわち世界資本主義家流、新自由主義、あるいは市場原理主義流の幸福である。

人間は幸福をもとめて努力するのではない。そうするのはイギリス人だけである。(ニーチェ『偶像の黄昏』)

すなわち、なんの信念もなしにその日その日が「幸福」であればよい、という態度である。

後はどうとでもなれ。これがすべての資本家と、資本主義国民の標語である。だから資本は、社会が対策を立て強制しないかぎり、労働者の健康と寿命のことなど何も考えていない。(マルクス)

ところで、どうして無=絶望さえも欲することを失ってしまったのか。それは現在のシステムには展望がまったくないからではないか。いま誰がこの現在よりも将来がよりよくなっていると「夢想」できるひとがいるだろう? ーーとは言いすぎであり、いわゆる「後進国」ではそう考えている人たちも多いのを知らないわけではないがーー、すくなくとも「先進諸国」に住む人びとやとりわけその指導者層は、実のところ、日々を、いま進みつつある下り坂が急にならないように舵取りしつつ、やりすごしているだけではないのか。ただ急坂を転げ落ちることだけは避けようとして。そしてその坂道には、ときおりムスリムや資本の欲動が奈落の穴を開けてみせる。

最初に言っておきたいことがあります。地震が起こり、原発災害が起こって以来、日本人が忘れてしまっていることがあります。今年の3月まで、一体何が語られていたのか。リーマンショック以後の世界資本主義の危機と、少子化高齢化による日本経済の避けがたい衰退、そして、低成長社会にどう生きるか、というようなことです。別に地震のせいで、日本経済がだめになったのではない。今後、近いうちに、世界経済の危機が必ず訪れる。それなのに、「地震からの復興とビジネスチャンス」とか言っている人たちがいる。また、「自然エネルギーへの移行」と言う人たちがいる。こういう考えの前提には、経済成長を維持し世界資本主義の中での競争を続けるという考えがあるわけです。しかし、そのように言う人たちは、少し前まで彼らが恐れていたはずのことを完全に没却している。もともと、世界経済の破綻が迫っていたのだし、まちがいなく、今後にそれが来ます。(柄谷行人「反原発デモが日本を変える」ーー「人間は幸福をもとめて努力するのではない。そうするのはイギリス人だけである」(ニーチェ)より)

…………

以下は、冒頭近くに掲げたトッドの文章と「ともに」読むための参考文献のいくつかである(「フランス人のマグリブ人に対する敵意」にてもトッドの考え方のいくらかの引用がある)。とはいえ、もっとも肝腎であるかもしれないパレスチナの話はここでは除いている。

もともと戦後体制は、1929年恐慌以後の世界資本主義の危機からの脱出方法としてとらえられた、ファシズム、共産主義、ケインズ主義のなかで、ファシズムが没落した結果である。それらの根底に「世界資本主義」の危機があったことを忘れてはならない。それは「自由主義」への信頼、いいかえれば、市場の自動的メカニズムへの信頼をうしなわせめた。国家が全面的に介入することなくしてやって行けないというのが、これらの形態に共通する事態なのだ。(柄谷行人「歴史の終焉について」『終焉をめぐって』所収)
われわれは忘れるべきではない、二十世紀の最初の半分は“代替する近代“alternate modernity””概念に完全にフィットする二つの大きなプロジェクトにより刻印されれていたことを。すなわちファシズムとコミュニズムである。ファシズムの基本的な考え方は、標準的なアングロサクソンの自由主義-資本家への代替を提供する近代の考え方ではなかったであろうか。そしてそれは、“偶発的な contingent ”ユダヤ-個人主義-利益追求の歪みを取り除くことによって資本家の近代の核心を救うものだったのでは? そして1920 年代後半から三十年代にかけての、急速なソ連邦の工業化もまた西洋の資本家ヴァージョンとは異なった近代化の試みではなかっただろうか。(ジジェク『LESS THAN NOTHIN』2012 私訳)


◆柄谷行人―浅田彰対談より(初出 『SAPIO』 1993.6.10 『「歴史の終わり」と世紀末の世界』所収

浅田彰)戦前の状況を考えれば、イギリスやフランスなどの先進国に比べ、ドイツやロシアは圧倒的に遅れていた。しかし、いちばん遅れていたロシアがたまたま共産主義という世界史的理念を担ってしまったがために世界史的勢力として台頭し、それとの対抗関係でドイツはファシズムを選択した。それで歴史の激動があったわけでしょう。

しかし第二次大戦後は、その激動が凍結されて宙吊りになった。とくに西側から見れば、共産主義という大きな敵がいるがゆえに、逆にすべてが安定するというかたちで秩序が保たれていた。一般的に、社会というのは、内部矛盾を外部の敵に投影することで安定するのだけれども、恰好の敵が共通にひとつあったから、全部それとの関係で安定できた。(……)

それからまた、西の「第一世界」に対する東の「第二世界」という図式があれば、これを想像的に乗り越えるために第三項としての「第三世界」をもってきて、その象徴としての毛沢東主義をロマンティックに賛美することもできた。しかし一対二の戦いが解体すると三も解体してしまって、多数性の中でわけがわからなくなっている。それが現状でしょう。

そうはいっても、やはり内なる矛盾を外なる敵に投影したいという欲望はずっとあるから、何らかの第三項を捏造せざるを得ない。イスラムがそれに選ばれたのは歴史的偶然だと思うけれども、とりあえずイスラムがあったから、あらゆる矛盾がそこに投影されているという感じじゃないですか。(……)

冷戦下では、一方でソ連がスポンサーになって第三世界が革命と自立の道を歩むということがあり、なかなかうまくいかないにせよ、とりあえず実験だけはなされた。他方、アメリカもそれに対抗して、第三世界をさまざまな開発計画などでサポートし、国内的にもマイノリティをサポートしていくというそぶりだけは見せていたわけです。

しかし、そもそも冷戦構造が崩れてしまうと、そんなことをいちいちやる必要もなくなって、落ちこぼれは落ちこぼれで勝手にしろという感じになってきた。そこのところで、ある種の絶望感が広がってきた。こうなると、合理的な開発計画とかではもうだまされないから、原理主義ぐらいまでいってしまわないと、もたなくなっているのではないか。(……)
さっき言ったように、ある種の左翼的展望がついえ、また左翼を敵にする必要がなくなった資本主義が第三世界の発展にあまり助力をしなくなったという端的な政治経済的条件が、彼らを原理主義に追いやっているだけのことですよ。しかも、アルジェリアで解放戦線に対する拷問のプロだったル・ペンのような人物が、フランス本国で国民戦線のリーダーになり、イスラムの移民がわれわれフランス人から職を奪っていると言って、ナショナリズムを煽っている。ドイツでも似たような状況がある。これは密接に関連しあった事態です。
柄谷行人)六〇年代の裏返しですね。ただ、表面上連続しているように見えるものもあって、カンボジアのポル・ポト派やベルーのセンデロ・ルミノソがそうでしょう。毛沢東主義そのままの原理主義として持続しているように見えて、まったく質の違ったものです。あそこにまったく展望はありません。

浅田彰)展望がないから原理主義的に過激化するんで、したがって原理主義に展望はない。

柄谷行人)ところが、絶対に展望のない現実があるということを見ないで、ひとは原理主義を啓蒙主義的に解消できると思っている

イスラム原理主義には展望がない、--おそらくそうなのだろう。だが他方、世界資本主義、新自由主義連盟の側はどうなのだろう。それはやはり、《彼らはすべての希望を失っただけではなく、さらに悪いことに、絶望さえも失っている》ではないのか。

さて、浅田彰曰くの《一般的に、社会というのは、内部矛盾を外部の敵に投影することで安定するのだけれども、恰好の敵が共通にひとつあったから、全部それとの関係で安定できた》を捕捉する意味で次のジジェクの説明を続けよう(「徳の俳優と悪の俳優」より)。

私の興味をひいたのは、東側と西側が相互に「魅入られる」ということでした。これは「幻想」の構造です。ラカンにとって、究極の幻想的な対象とはあなたが見るものというより、「まなざし」自体なのです。西側を魅惑したのは、正統的な民主主義の勃発なのではなく、西側に向けられた東側の「まなざし」なのです。この考え方というのは、私たちの民主主義は腐敗しており、もはや民主主義への熱狂は持っていないのにもかかわらず、私たちの外部にはいまだ私たちに向けて視線をやり、私たちを讃美し、私たちのようになりたいと願う人びとがいる、ということです。すなわち私たちは私たち自身を信じていないにもかかわらず、私たちの外部にはまだ私たちを信じている人たちがいるということなのです。西側における政治的な階級にある人びと、あるいはより広く公衆においてさえ、究極的に魅惑されたことは、西に向けられた東の魅惑された「まなざし」だったのです。これが幻想の構造なのです、すなわち「まなざし」それ自体ということです。

そして東側に魅惑された西側だけではなく、西側に魅惑された東側もあったのです。だから私たちには二重の密接な関係があるのです。(Conversations with Žižek, with Glyn Daly(,邦題『ジジェク自身によるジジェク』)からだが、邦訳が手元にないので、私訳 を附す)

資本主義諸国は、ベルリンの壁が崩壊する以前にも、己れの制度を信じていなかったにもかかわらず、社会主義諸国からの「まなざし」があり、その「まなざし」に同一化することによって、「人間の顔をした社会主義」を目指す努力、つまり福祉国家への努力があった。

ある意味では冷戦の期間の思考は今に比べて単純であった。強力な磁場の中に置かれた鉄粉のように、すべてとはいわないまでも多くの思考が両極化した。それは人々をも両極化したが、一人の思考をも両極化した。この両極化に逆らって自由検討の立場を辛うじて維持するためにはそうとうのエネルギーを要した。社会主義を全面否定する力はなかったが、その社会の中では私の座はないだろうと私は思った。多くの人間が双方の融和を考えたと思う。いわゆる「人間の顔をした社会主義」であり、資本主義側にもそれに対応する思想があった。しかし、非同盟国を先駆としてゴルバチョフや東欧の新リーダーが唱えた、両者の長を採るという中間の道、第三の道はおそろしく不安定で、永続性に耐えないことがすぐに明らかになった。一九一七年のケレンスキー政権はどのみち短命を約束されていたのだ。

今から振り返ると、両体制が共存した七〇年間は、単なる両極化だけではなかった。資本主義諸国は社会主義に対して人民をひきつけておくために福祉国家や社会保障の概念を創出した。ケインズ主義はすでにソ連に対抗して生まれたものであった。ケインズの「ソ連紀行」は今にみておれ、資本主義だって、という意味の一節で終わる。社会主義という失敗した壮大な実験は資本主義が生き延びるためにみずからのトゲを抜こうとする努力を助けた。今、むき出しの市場原理に対するこの「抑止力」はない(しかしまた、強制収容所労働抜きで社会主義経済は成り立ち得るかという疑問に答えはない)。(……)

冷戦が終わって、冷戦ゆえの地域抗争、代理戦争は終わったけれども、ただちに古い対立が蘇った。地球上の紛争は、一つが終わると次が始まるというように、まるで一定量を必要としているようであるが、これがどういう隠れた法則に従っているのか、偶然なのか、私にはわからない。(中井久夫「私の「今」」1996.8初出『アリアドネからの糸』所収)

このように中井久夫は、《今、むき出しの市場原理に対するこの「抑止力」はない》と1996年にすでに書いているわけだが、それから二十年弱経たいまはおそらくいっそうそうだろう。

行政は、《国内的にもマイノリティをサポートしていくというそぶりだけは見せ》ることもなく、《落ちこぼれは落ちこぼれで勝手にしろという感じに》いっそうなってしまったのではないか。

こうした文脈から、ジジェクにより、リベラルデモクラシー、--それは定義にもよるが、市場原理主義であったり新自由主義であったりするのだろうーー批判が、くり返し語られることになる(参照:「新しい形態のアパルトヘイト」)。

西洋のリベラル左翼が自らを有罪証明すればするほど、彼らはいっそう、そのイスラム憎悪を隠蔽しようとする偽善ぶりをムスリム原理主義者に非難される。この布置は、超自我のパラドックスの完璧な再生産である。あなたは〈他者〉の要求に従えば従うほど、あなたは罪深くなる。まるで、イスラムに寛容であればあるほど、あなたはいっそうの圧迫を受けるだろう、というかのようだ。
ホルクハイマーが1930年代にファシズムと資本主義について言ったこと--資本主義について批判的に語りたくない者はファシズムについても沈黙すべきである--は今日の原理主義にも当てはまる。リベラルデモクラシーについて批判的に語りたくない者は原理主義についても沈黙すべきである。(Slavoj Žižek on the Charlie Hebdo massacre: Are the worst really full of passionate intensity?

この記事を読んで東浩紀氏は次ぎのようにツイートしている。

@hazuma: いつものジジェク節ではあるが、左翼が寛容になればなるほど原理主義が台頭してくる、なぜなら問題は原理主義側の劣等感だからだ、というのは日韓問題にも適用できるのかもしれない。→ http://t.co/gxQ7c4ZHwo

@hazuma:しかし、リベラルデモクラシーにはラジカル左翼の助けが必要なのはいいとして、その具体的な内容がわからん。それもまたいつものジジェク節だな。

というわけで「ジジェク節」という言葉の連発であるが、ーー文句は慎んでおこう、結局、「コミュニズムよ、再び!」(ジジェク「『ポストモダンの共産主義』)や、柄谷行人の「世界共和国」などの「夢想」にかかわるのだから。そして、冷戦終結後の多くの「識者」は「神の二度めの死」を是認せざるをえない態度をもっているのだろう。

……神と宗教のもっともシンプルな定義は、真実と意味は同一のものだという考えにある。神の死とは、この真実と意味とを同じものとする考えの終りであ る。そしてコミュニズムの死もまた、歴史に関しての真実と意味の分離を告げていると、私ならつけ加える。「歴史の意味」にはふたつ意味がある。ひとつは、 歴史がどこへ向かうか、といった「方向性」。もうひとつは、プロレタリアートの手になる人間の解放史などといった歴史の目的である。実際コミュニズムの時 代には、正しい政治判断を下すことは可能だとの確信があった。そのとき、私たちは歴史の意味に動かされていたのだ。……そしてコミュニズムの死は、歴史の領域でのみ、神の二度めの死となるのである。(アラン・バディウ ”A conversation with Alain Badiou, lacanian ink 23 (2004) ))

《悲劇はこういうことです。私たちが現在保持している資本-民主主義に代わる有効な形態を、私も知らないし、誰も知らないということなのです。》(ジジェク

おそらくほとんどの人びとは、資本主義については岩井克人が書く次ぎのような認識なのであり、だがジジェクやバディウ、あるいは日本でなら柄谷行人は、それとは異なった方策を探しつつも、ではどうするかという具体的な提案はない(またあっても実現性にはほど遠い)。それが「ジジェク節」やら柄谷行人=カントの「世界共和国」、あるいはその後の彼のナイーヴな「夢想」と呼ばれるものだろう(浅田彰:《世界共和国へ、まではいい。しかしあり得るべきアソシエーショニズムや柳田国男の理想的世界を夢想したことは希望的観測でしかない#genroncafe》 )。

わたしたちは後戻りすることはできない。共同体的社会も社会主義国も、多くはすでに遠い過去のものとなった。ひとは歴史のなかで、自由なるものを知ってしまったのである。そして、いかに危険に満ちていようとも、ひとが自由をもとめ続けるかぎり、グローバル市場経済は必然である。自由とは、共同体による干渉も国家による命令もうけずに、みずからの目的を追求できることである。資本主義とは、まさにその自由を経済活動において行使することにほかならない。資本主義を抑圧することは、そのまま自由を抑圧することなのである。そして、資本主義が抑圧されていないかぎり、それはそれまで市場化されていなかった地域を市場化し、それまで分断されていた市場と市場とを統合していく運動をやめることはない。

二十一世紀という世紀において、わたしたちは、純粋なるがゆえに危機に満ちたグローバル市場経済のなかで生きていかざるをえない。そして、この「宿命」を認識しないかぎり、二十一世紀の危機にたいする処方箋も、二十一世紀の繁栄にむけての設計図も書くことは不可能である。(岩井克人『二十一世紀の資本主義論』

…………

※附記:ハイパーメディア社会における自己・視線・権力「情報資本主義と神の眼」(浅田彰 大澤真幸 柄谷行人 黒崎政男)より
大澤――原理主義というのは,いま支配的な情報資本主義に反抗するものとしては,いちばんはっきりしたスタンスをとれるわけでしょう.逆に言うと,原理主義ほど情報資本主義の中にいる知識人に評判の悪いものはない.しかし,ジジェクが言っているように,よく考えてみると,昔は原理的に行動するのが正しいとされ,そのつど方針を変えるやつは日和見主義と言われて信用されなかったわけですよ.それが,いまでは日和見主義のほうが倫理的だと言われ,原理主義の方がいちばん非倫理的だと思われている.倫理の意味が逆転してしまっている.

柄谷――だから,僕はどちらもネガになっていると思うわけですよ.昔の第三世界というのは,進歩とか発展とか近代化を考えていた.それはもう全部あきらめたので,徹底的にラディカルにやる,と.他方,昔は第一世界もちゃんと主体的にやっていたのが,いまはもうそんなつもりもないんですよ.だからいまは,第一,第二,第三といった構造は完全に消えてしまって,世界資本主義-対-原理主義ということになっているんですね.

浅田――結局,現代の世界資本主義の矛盾は解きがたいとしか言いようがないでしょ

《ピケティの話。なんであんなに受けているか… 東「経済ではなく、やはり心の問題では」浅田「資本主義でいいでしょ&再分配と承認で多文化主義」→ その程度ではダメ。中沢「ピケティはアメリカ人が読んで安心できるから。マルクスは安心できない。でも読んだら飽きる本》#genroncafe

…………

最後に絶望を失わない態度とはどんなものか、を示すジャン・ジュネの「驚くほど美しい」文章を掲げておこう。

季節の空気、空の、土の、樹々の色、それも語れぬわけではないだろう。だが、あの軽やかな酩酊、埃の上をゆく足取り、眼の輝き、フェダイーンどうしの間ばかりでなく、彼らと上官との間にさえ存在した関係の透明さを、感じさせることなど決してできはしないだろう。すべてが、皆が、樹々の下でうち震え、笑いさざめき、皆にとってこんなにも新しい生に驚嘆し、そしてこの震えのなかに、奇妙にもじっと動かぬ何ものかが、様子を窺いつつ、とどめおかれ、かくまわれていた、何も言わずに祈り続ける人のように。すべてが全員のものだった。誰もが自分のなかでは一人だった。いや、違ったかも知れない。要するに、にこやかで凶暴だった。(……)

「もう希望することを止めた陽気さ」、最も深い絶望のゆえに、それは最高の喜びにあふれていた。この女たちの目は今も見ているのだ、16の時にはもう存在していなかったパレスチナを。(ジャン・ジュネ『シャティーラの4時間』)