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2015年1月3日土曜日

ルソー派とニーチェ派

まずフロイトの『文化への不満』――岩波新訳では『文化のなかの居心地の悪さ』という題名になっている――から、攻撃欲動の反転を説く文章を抜き出す(より長くは、「メモ:超自我、良心、罪責感(フロイト)」を参照のこと)。

われわれの攻撃欲動を無力化するため、どんな方法がとられているだろうか。…われわれの攻撃欲動を取りこみ、内面化する方法である。しかし実のところこれは、攻撃欲動をその発祥地へ送り返すこと、つまり自分自身へと向けることに他ならない。(フロイト『文化への不満』フロイト著作集3 人文書院)

そして次にニーチェの「良心の疚しさ」の定義をめぐる叙述を並べてみよう。

外へ向けて放出されないすべての本能は内へ向けられるーー私が人間の内面化と呼ぶところのものはこれである。後に人間の「魂」と呼ばれるようになったものは、このようにして初めて人間に生じてくる。当初は二枚の皮の間に張られたみたいに薄いものだったあの内的世界の全体は、人間の外への捌け口が堰き止められてしまうと、それだけいよいよ分化し拡大して、深さと広さとを得てきた。……粗野で自由で漂泊的な人間のあの諸本能に悉く廻れ右をさせ、それらを人間自身の方へ向かわせた敵意・残忍、迫害や襲撃や変革や破壊の悦び、――これらの本能がすべてその所有者の方へ向きを変えること、これこそ「良心の疚しさ」の起源である。外部に敵や抵抗がなくなったために慣習の狭苦しさと単調さのうちへ押し込められた人間は、耐え切れなくてわれとわが身を引き裂き、追い詰め、食い齧り、掻き立て、虐げた。自分の檻の格子に身を打つけて傷を負うこの動物(それを諸君は「飼い馴ら」そうとしているのだ)。この窮乏した者、荒野への郷愁に憔悴した者(彼らは自ら冒険を、拷問所を、不安で危険な蛮地を創り出さずにはいられなかった)、――この阿呆が、憧憬に悴れ絶望に陥ったこの囚人が「良心の疚しさ」の発案者となったのだ。(ニーチェ『道徳の系譜』第二論文 木場深定訳 岩波文庫p99)

《敵意・残忍、迫害や襲撃や変革や破壊の悦び、――これらの本能がすべてその所有者の方へ向きを変えること、これこそ「良心の疚しさ」の起源》とあるように、フロイトの《攻撃欲動をその発祥地へ送り返すこと》とほとんど同じことが書かれている。

もっとも、ニーチェの『道徳の系譜』の第二論文は、上に引用した文のまえに「正義」について書かれているのだが、ニーチェの叙述は反感=ルサンチマンを「良心の疚しさ」の起源とし、《支配欲・所有欲などの如き真に能動的な感情》を「正義」の起源としている。ただしその箇所はニュアンスに溢れ、いろいろな読み方ができるのだが、長くなるので、最後に資料として示す。

その箇所の読み取りようによっては、たとえばジジェクの指摘するような次のような解釈が生まれ得ないでもない。

ラカンは、ニーチェやフロイトと同じく、平等としての正義は羨望にもとづいていると考えている。われわれがもっていない物をもち、それを楽しんでいる人びとに対する羨望である。正義への要求は、究極的には、過剰に楽しんでいる人を抑制し、誰もが平等に楽しめるようにしろという要求である。(ジジェク『ラカンはこう読め!』)

ジジェクのこのフロイトの「正義」は、おそらく『文化への不満』1930よりも十年近く前に書かれた次の文に由来するのではないか。

社会的公正の意味するところは、自分も多くのことを断念するから、他の人々もそれを断念しなければならない、また、おなじことであるが他人もそれを要求することはできない、ということである。この平等の要求こそ社会的良心と義務感の根元である。(フロイト『集団心理学と自我の分析』1921)

ところで、ニーチェは『道徳の系譜』で、次ぎのように書いているのだ、《正義の起源を……《反感》の地盤の上に求めようとする近頃現れた試みに対して、ここに一言拒否の言葉を挟んでおこう》と。すなわちニーチェの実質上の最晩年、狂気に陥る年の前々年に書かれた『道徳の系譜』1887においては、正義の起源はルサンチマンではなく、攻撃欲動としているわけであり、この叙述からのみ判断すれば、ジジェクが《ラカンは、ニーチェやフロイトと同じく、平等としての正義は羨望にもとづいていると考えている》と書くのは「誤読」である(ここではラカンやフロイトの「正義」はとりあえず問わないままにしておく)。

だがそれなりに愛着がないではないジジェクに難癖するのはやめ、ここではフロイトの《攻撃欲動をその発祥地へ送り返すこと、つまり自分自身へと向ける》とニーチェの《支配欲・所有欲などの如き真に能動的な感情》との二つの叙述をのみを取り出して、これが実のところ、われわれの「正義」の起源ではないかという問いを、良心の疚しさと正義の関係を曖昧にしたまま、すなわち宙吊りののまま放りだしておくことにする。

なお、フロイトの『マゾヒズムの経済的問題』1924には、タナトス(死の欲動)概念を説明するなかで、ニーチェの「権力への意志概念」に触れて、《破壊欲動とか征服欲動とか権力への意志》(Destruktionstrieb, Bemächtigungstrieb, Wille zur Macht)と三つを並列的に置いている(参照:『マゾヒズムの経済的問題』におけるBemächtigungstrieb)。これはフロイトの捉え方では「死の欲動」と「権力への意志」はほとんど同じものと見なしているとしてよいだろう。そしてそれが「正義」の起源である、--とまでは断言しないでおくが、ただしこう付け加えてはおこう。

柄谷)文化に対して自然を回復せよというロマン派と、それを成熟によって乗り越えよというロマン派がいて、それらは現在をくりかえされている。後期フロイトはそのような枠組を脱構築する形で考えたと思います。文化あるいは超自我とは、死の衝動そのものが自分に向かったものだという、これはすごく大きな転回だと思う。彼はある意味で、逃げ道を絶ってしまった。

浅田)ニーチェが言っていたのもそういうことなんじゃないか。力が自由に展開されるとき、それが自分自身に回帰して、自分自身を律するようになる。ドゥルーズやフーコーがニーチェから取り出したのもそういう見方なんで、それがさっきストア派的と言っていた姿勢にも結びつくわけでしょ。(「「悪い年」を超えて」『批評空間』1996 Ⅱ-9 坂本龍一 浅田彰 柄谷行人 座談会)

さてもう少しフロイトの『文化への不満』から、ここでの文脈上核心的なと思われる叙述を抜き出す。

・罪責感は、ある場合には攻撃欲動の発動が中止された時に生まれるものである

・超自我が持っていると考えられる攻撃エネルギーについて二つの考え方があって、それはただ優位に立つ外部の他者の懲罰エネルギーを継続し心理生活のために保存しているにすぎないという考え方に対し、他方では、それはむしろ、自分自身の攻撃エネルギーで、この自分の欲動満足を制止する優位に立つ他者に向けられたものの使用されずに終わったものだという考え方がある。

・罪責感に本質的かつ共通な点としては、それが内部へ転位した攻撃欲動であるということだけが残った

ところでジジェクは最近の書2012で、「超自我」をめぐって次ぎのように書いている。

最も純粋な超自我の審級……不可解な審級、それがわれわれを操り、自己破壊の渦巻く奈落へと導く。

超自我の機能は、まさにわれわれ人間存在を構成する恐怖の動因、人間存在の非人間的な核を途方に暮れさせることにある。この次元とは、ドイツの観念論者が否定性と呼んだものであり、そしてまたフロイトが死の欲動と呼んだものである。現実界のトラウマ的な固い核、――そこから昇華がわれわれを保護してくれるーーその核であるどころか、超自我そのものが現実界を仕切っている仮面なのである。(ZIZEK"LESS THAN NOTHING"私訳ーーボランティア、あるいは「わずらわしい大義の人」より)

やや難解な箇所なので、拙い訳よりは原文を読んだほうがよい。
……the agency of the superego at its purest: as the obscene agency which manipulates us into a spiraling movement of self‐destruction.

The function of the superego is precisely to obfuscate the cause of the terror constitutive of our being‐human, the inhuman core of being‐human, the dimension of what the German Idealists called negativity and Freud called the death drive. Far from being the traumatic hard core of the Real from which sublimations protect us, the superego is itself a mask screening off the Real.

ジジェク流のラカン解釈では、《現実界のトラウマ的な固い核》を昇華して守ってくれるものが超自我ではなく、むしろ自己破壊的、すなわち自己自身に向けて攻撃的に作用するものが超自我の死の欲動的側面ということになるのだろうか。

他方、わが国の精神科医中井久夫は次ぎのように書いている。

……心的外傷には別の面もある。殺人者の自首はしばしば、被害者の出てくる悪夢というPTSD症状に耐えかねて起こる(これを治療するべきかという倫理的問題がある)。 ある種の心的外傷は「良心」あるいは「超自我」に通じる地下通路を持つのであるまいか。阪神・淡路大震災の被害者への共感は、過去の震災、戦災の経験者に著しく、トラウマは「共感」「同情」の成長の原点となる面をも持つということができまいか。心に傷のない人間があろうか(「季節よ、城よ、無傷な心がどこにあろう」――ランボー「地獄の一季節」)。心の傷は、人間的な心の持ち主の証でもある(「トラウマとその治療経験――外傷性障害私見」『徴候・記憶・外傷』所収P93)

中井久夫のここでの叙述にある《ある種の心的外傷は》は、もちろんある種のトラウマは、のことである。そしてそれが《「良心」あるいは「超自我」に通じる》とある。この「あるいは」をどう読んだらいいのだろうか。良心と超自我はほとんど同じものと読むべきだろうか。

かつては、父は社会的規範を代表する「超自我」であったとされた。しかし、それは一神教の世界のことではなかったか。江戸時代から、日本の父は超自我ではなかったと私は思う。その分、母親もいくぶん超自我的であった。(中井久夫「母子の時間 父子の時間」『時のしずく』所収)

ーーと読めば、この文から、中井久夫は自我理想と超自我の区別をしていない。というのは社会的規範を代表するものを「超自我」としているのだから(後詳述)。そしてこれが「標準的」なフロイトの読み方であるに相違ない。だがラカン派では、超自我はかならずしも「良心」、あるいは自我理想と同じではない。

ところで中井久夫には心的外傷、すなわちトラウマをめぐって次ぎのような叙述がある。

最初に語られるトラウマは二次受傷であることが多い。たとえば高校の教師のいじめである。これはかろうじて扱えるが、そうすると、それの下に幼年時代のトラウマがくろぐろとした姿を現す。震災症例でも、ある少年の表現では震災は三割で七割は別だそうである。トラウマは時間の井戸の中で過去ほど下層にある成層構造をなしているようである。ほんとうの原トラウマに触れたという感覚のある症例はまだない。また、触れて、それですべてよしというものだという保証などない。(中井久夫「トラウマについての断想」『日時計の影』所収 )

ここには原トラウマという語彙が出てきている。この原トラウマが、ラカン派の文脈では攻撃欲動や死の欲動にかかわる。

たとえばPaul Verhaegheの『BEYOND GENDER. From subject to drive 』2001に収められた「Trauma and Psychopathlogy in Freud and Lacan. Structural versus Accidental Trauma.」という論文にはこうある。

われわれは欲動とフロイトのトラウマ概念との間に注目すべき類似を見出す。(……)

誰もがトラウマに遭遇する、というのは欲動のまさに性質のため、例えば自身の欲動のために。このトラウマは構造的なトラウマとして考えられるべきである。その意味は、避け得ないものであり、かつ、われわれの主体性の構造にかかわるものだからである。この構造的なトラウマの上に、一定の割合の人びとは、他のトラウマ、外部からくるトラウマに対処しなければならない。(私訳)

※参照:初期フロイトのトラウマ概念をめぐる備忘

さて、この原トラウマ、あるいは構造的なトラウマが、攻撃欲動や死の欲動に関わってくる。ラカンによれば、すべての欲動は、潜在的には死の欲動である、《…toute pulsion est virtuellement pulsion de mort.》 (Lacan Ecrit 848)

さて少し前に戻り、自我理想と超自我をめぐっての話を再度続ける。フロイトは『自我とエス』で、ほとんど自我理想=超自我としている(第三章の表題は「自我と超自我(自我理想)」III. Das Ich und das Über-Ich (Ichideal).。このように山括弧で記されれば、通常は同じものとしがちであろう。いずれにせよフロイトの超自我と自我理想の区別はこの論文だけでなく、晩年にいたるまで曖昧なままであり、しばしば同じものとして扱っているように感じるときがある。

だがラカン派では、自我理想は象徴界、超自我が現実界に属するものである。

<理想自我>は主体の理想化された自我のイメージを意味する(こうなりたいと思うような自分のイメージ、他人からこう見られたいと思うイメージ)。

<自我理想>は、私が自我イメージでその眼差しに印象づけたいと願うような媒体であり、私を監視し、私に最大限の努力をさせる<大文字の他者>であり、私が憧れ、現実化したいと願う理想である。

<超自我>はそれと同じ媒体の、復讐とサディズムと懲罰をともなう側面である。
(『ラカンはこう読め』2006ーー「ユーモア」と「超自我」(柄谷行人とフロイト)

ここに「同じ媒体の」と書かれているように、「自我理想」と「超自我」を厳密に分けているわけではないように思えるが、続いて次のように書かれることになる。

この三つの術語の構造原理の背景にあるのは、明らかに、<想像界><象徴界><現実界>というラカンの三幅対である。理想自我は想像界的であり、ラカンのいう<小文字の他者>であり、自我の理想化された鏡像である。自我理想は象徴界的であり、私の象徴的同一化の点であり、<大文字の他者>の中にある視点である(私はその視点から私自身を観察し、判定する)。超自我は現実界的で、無理な要求を次々に私に突きつけ、なんとかその要求に応えようとする私の無様な姿を嘲笑する、残虐で強欲な審級……(同上)

ここで上で引用した『文化への不満』の叙述を再掲する。

超自我が持っていると考えられる攻撃エネルギーについて二つの考え方があって、それはただ優位に立つ外部の他者の懲罰エネルギーを継続し心理生活のために保存しているにすぎないという考え方に対し、他方では、それはむしろ、自分自身の攻撃エネルギーで、この自分の欲動満足を制止する優位に立つ他者に向けられたものの使用されずに終わったものだという考え方がある。(フロイト『文化への不満』)

この1930年の段階で、フロイトは超自我の二つの側面を叙述している 。ラカン派では、この曖昧な区別を厳密化させ、優位に立つ外部の他者からくるものを「自我理想」とし、自分自身の攻撃エネルギーからくるものを「超自我」としていると捉えうる。外部からくるものは象徴界であり、内部の攻撃欲動は現実界である。

もっともフロイトは『自我とエス』1923の段階でも、「自我理想」の二面性を指摘している。

エディプスコンブレクスに支配された性的発達段階の最も一般的な結果として、自我のうちの沈殿物を仮定しうる。それは、何らかのかたちで両立することができる、これら二つの同一化を生み出すものである。こうして生じた自我変容は、その特権的地位を保ち、自我理想ないし超自我として、それ以外の自我の内容に対立するようになる。

しかし、超自我はエスが最初に対象を選択したさいのたんなる残存物ではなくて、その対象選択にたいする精力的な反動形成の意味ももっている。その自我との関係は「お前はこうで(父のようで)あらねばならない」という勧告につきるものではなく、「お前がこうで(父のようで)あることはゆるされない」すなわち、父のなすことのすべてを行ってはならない、という禁制をもふくんでいる。すなわち多くのことが父のために残されている。自我理想のこの二面は、自我理想がエディプス・コンプレックスの抑圧の労をおわされており、それどころか自我理想の成立が、そもそもこの急転によるものである。(『自我とエス』フロイト著作集 6 P280からだが「フロイト翻訳正誤表」の指摘により一部変更)

二つの同一化とは、父との同一化と母との同一化であり、それについてはこの文の前段に書かれているが煩雑になるのでここでは引用しない。ここでは《自我理想ないし超自我として》としてある文を、父との同一化を自我理想(象徴界)、母との同一化を超自我(現実界)と読める可能性を示唆しておくだけにする。

ところでラカン派では、自我理想が「エディプスの父」=「父の名」であり、他方、超自我を「母なる超自我」と呼んだ時期があった(少なくとも90年代には頻出する)。

たとえばラカンの娘婿でもあるジャック=アラン・ミレールはこういっている。

“The superego as senseless law is very close to the desire of the mother before that desire becomes metaphorised, and even dominated, by the name-of-the-father. The superego is close to the desire of the mother as a capricious whim without law.”([PDF]The Archaic Maternal Superego-Leonardo S. Rodriguez - Jcfar.org

すなわち、「享楽の父」やら「母なる超自我」とは、欲望が隠喩化(象徴化)される前の「父」の欲望の体現者なのであり、そこにあるのは、猥雑な、獰猛な、限度を弁えない、言語とは異質の、そしてNom-du-Père(父の名)を与り知らない超自我であり、無法の勝手気ままな「母」の欲望と近似する。

だがこれは種々の見解がある。ラカン派の一部ではこのように言われたことがあり、フロイトの論文からでもそのように読めないことはない、とだけしておく。

たとえば上に引用したように超自我を自我理想に近づけて解釈しているように見える中井久夫にもつぎのような自己破壊性と他者破壊性をめぐる文がある。これはラカン派からみれば超自我の審級のことを語っているはずだ。

日常生活は安定した定常状態だろうか。大きい逸脱ではないが、あるゆらぎがあってはじめて、ほぼ健康な日常生活といえるのではないだろうか。あまりに「判でついたような」生活は、どうも健康といえないようである。聖職といわれる仕事に従事している人が、時に、使い込みや痴漢行為など、全く引き合わない犯罪を起こすのは、無理がかかっているからではないだろうか。言語研究家の外山滋比古氏は、ある女性教師が退職後、道端の蜜柑をちぎって食べてスカッとしたというのは理解できると随筆に書いておられる。外に見えない場合、家庭や職場でわずらわしい正義の人になり、DVや硬直的な子ども教育や部下いじめなどで、周囲に被害を及ぼしているおそれがある。

四季や祭りや家庭の祝いや供養などが、自然なゆらぎをもたらしていたのかもしれない。家族の位置がはっきりしていて、その役を演じているというのも重要だったのかもしれない。踏み越えは、通過儀礼という形で、社会的に導かれて与えられるということがあった。そういうものの比重が下がってきたということもあるだろう。もっとも、過去をすべて美化するつもりはない。

一般に健康を初め、生命的なものはなくなって初めてありがたみがわかるものだ。ありがたみがわかっても、取り戻せるとは限らない。また、長びくと、それ以前の「ふつう」の生活がどういうものか、わからなくなってくる。

私たちの中には破壊性がある。自己破壊性と他者破壊性とは時に紙一重である、それは、天秤の左右の皿かもしれない。先の引き合わない犯罪者のなかにもそれが働いているが、できすぎた模範患者が回復の最終段階で自殺する時、ひょっとしたら、と思う。再発の直前、本当に治った気がするのも、これかもしれない。私たちは、自分たちの中の破壊性を何とか手なずけなければならない。かつては、そのために多くの社会的捌け口があった。今、その相当部分はインターネットの書き込みに集中しているのではないだろうか。(中井久夫「「踏み越え」について」同上所収)

ここにある《わずらわしい正義の人》をめぐっては、「ボランティア、あるいは「わずらわしい大義の人」」にて、より詳細にみたので、今は触れない。

ここでは中井久夫の《私たちの中には破壊性がある。自己破壊性と他者破壊性とは時に紙一重である、それは、天秤の左右の皿かもしれない》という文を抜き出し、ニーチェの《敵意・残忍、迫害や襲撃や変革や破壊の悦び、――これらの本能がすべてその所有者の方へ向きを変えること、これこそ「良心の疚しさ」の起源》、あるいはフロイトの《攻撃欲動をその発祥地へ送り返すこと》と「ともに」読んでおくだけにする。


…………

さて途中、ニーチェの道徳の系譜からやや長く引用するとしておいたので、その約束を果たすことにするが、この箇所は読み飛ばしてもらってもかまわない。

……負い目とか個人的責務という感情は、われわれの見たところによれば、その起源を存在するかぎりの最も古い最も原始的な個人関係のうちに、すなわち、買手と売手、債権者と債務者の間の関係のうちにもっている。

(……)古代人類の思惟に特有なあの重厚さをもって、人々はまもなく「事物はそれぞれの価値を有する、一切はその代価を支払われうる」というあの大きな概括に辿り着いた。――これが正義の最も古くかつ最も素朴な道徳的基準であり、地上におけるあらゆる「好意」、あらゆる「公正」、あらゆる「善意」、あらゆる「客観性」の発端である。この最初の段階における正義は、ほぼ同等な力を有する人々の間の、相互に妥協しようとする、決済によって再び互いに「諒解」し合おうとする善意であり、――一方、より小さな力を有する人々に関しては、それらの人々にはまたそれらの人々相互の間で決済をつけることを強制しようとする善意である。(ニーチェ『道徳の系譜』木場深定訳 岩波文庫 p79-80)

この文に対しては、まだ若き柄谷行人が書いた文をここに併せて並べておく。

「《負い目(シュルツ)》というあの道徳上の主要概念は、《負債(シュルデン)》というきわめて物質的な概念に由来している」と、ニーチェはいっている。彼が、情念の諸形態を断片的あるいは体系的に考察したどんなモラリストとも異なるのは、そこにいわば債権と債務の関係を見出した点においてである。俺があの男を憎むのは、あいつは俺に親切なのに俺はあいつにひどい仕打ちをしたからだ、とドストエフスキーの作中人物はいう。これは金を借りて返せない者が貸主を憎むこととちがいはない。つまり、罪の意識は債務感であり、憎悪はその打ち消しであるというのがニーチェの考えである。(柄谷行人『マルクスその可能性の中心』ーー「俺があの男を憎むのは、俺はあいつにひどい仕打ちをしたからだ」より)

さて引き続き『道徳の系譜』からである。

犯罪者は、単に自己の予め受け取った便益や前借を返済しないばかりか、債権者に喰ってかかりさえもする債務者である。それ故に彼は、その後は当然これらの財産や便益を悉く喪失するのみならずーーむしろ今やそれらの財産がいかに重要なものであったかを思い知らされる。被害者たる債権者、すなわち共同体の怒りは、犯罪者を再び法の保護外の野蛮な追放の状態へ突き戻し、そういう状態からの従来の保護を解く。つまり共同体は犯罪者を除斥するーーそして今やあらゆる種類の敵意は彼の上に注がれてよいことになる。(……)

共同体の力と自覚が増大すれば、刑法もまたそれに伴って緩和される。共同体の力が弱くなり危殆に瀕すれば、刑法は再び峻厳な形式を取るにいたる。「債権者」の人情の度合いは、常にその富の程度に比例する。結局、苦しむことなしにどれだけの侵害に耐えうるかというその度合いそのものが、彼の富の尺度なのだ。加害者を罰せずにおくーーこの最も高貴な奢侈を恣にしうるほどの権力意識をもった社会というものも考えられなくはないだろう。そのとき社会は、「一体、俺の所に居候どもが俺にとて何だというのか。勝手に食わせて太らせておけ。俺にはまだそのくらいの力はあるのだ!」と言うこともできるだろう……「一切は償却されうる、一切は償却されなければならない」という命題に始まった正義は、支払能力のない者を大目に見遁すことをもって終わる。――それは地上におけるあらゆる善事と同じく、自己自身を止揚することによって終わりを告げる。――正義のこの自己止揚、それがいかなる美名をもって呼ばれているかを諸君は知っているーー曰く、恩恵。言うまでもなく、それは常に最も強大な者の特権であり、もっとも適切な言葉を用いるのならば、彼の法の彼岸である。P81-83
――正義の起源をこれとは全く異なる地盤の上にーーすなわち《反感》の地盤の上に求めようとする近頃現れた試みに対して、ここに一言拒否の言葉を挟んでおこう。心理学者たちにしてかりに《反感》そのものを親しく研究してみようという気があるならば、まず次ぎのことを彼らの耳に入れておきたい。それというのは、この植物は今では無政府主義者やユダヤ人排斥者たちの間に最も美しく花を開いており、しかも今までも常にそうであったように、もとより匂いは違っているが、菫の如くひそかに花を開いている、ということだ。そして、同じものからは必ずいつも同じものが生じなければならないとすれば、ほかならぬそういう仲間からは、正義の名のもとに復讐を神聖化しようとするーーあたかも正義は根本において被害感情の一発展であるにすぎないかの如くーー企てが再び生じるのを見るとしても、さまで異とするに足りないであろう。後の方の企てそのものに対しては、私は殆んど全く反対しようとは思わない。それは私には、生物学的問題の全体…に関して一つの功績であるとさえ思われる。私がただ一つ注意を喚起しておきたいのは、科学的公正のこの新しい《ニュアンス》が生じてくる(憎悪・嫉妬・猜疑・邪推・怨恨・復讐に都合の好いように)源泉は、《反感》をもった精神そのものにほかならないというあの事情である。すなわちこの「科学的公正」は、あの反動感情よりも更にずっと高い生物学的価値を有し、従って科学的に見て高く評価される価値が十分あるように思われる他の一群の感情が現われるや否や、直ちに鳴りを熄めて深刻な敵意と先入見のアクセントに場所を譲ってしまう。ここに他の一群の感情というのは、支配欲・所有欲などの如き真に能動的な感情のことだ。(……)一般にこの傾向に対してはこれだけにしておこう。しかし特に、正義の故国は反動感情の地域に求められるべきである、というデューリングの命題に関して言えば、われわれは真理を愛するが故にそっけなく彼に背を向けて、正義の精神によって占領された最後の地域は反動感情の地域である! という別の命題をそれに対立させる。実際、正しい人間がその加害者に対してすら常に正しい態度を失わない(そして単に冷静な、沈静な、無関係な、無関心な態度でいるというばかりではなくーー正しいということは常に一つの積極的な態度である)とすれば、個人的な毀傷や軽蔑や誹謗を蒙りながらなお正しい審きの眼の、高く、明るく、深く、かつ和やかな客観性が曇らされないとすれば、それこそ一個の完成品であり、地上における最高の達人であるーーのみならず、ここで期待するのが賢明ではないような、少なくとも軽々しく信ずべきではないような代物だ。一般に最も廉潔な人物における場合ですら、少量の攻撃や悪意や追従を服用させるだけでその眼を充血させ、その眼から公正を逐い出すに足りることは確かである。能動的な人間、攻撃的で侵略的な人間は、いつの場合でも反動的な人間よりは百歩も正義に近い。反動的な人間は彼の対照に謝った評価や偏った評価を加え、かつ加えざるをえないけれども、能動的な人間には毫もその必要はない。事実それ故にこそ、攻撃的な人間はより強き者、より勇敢な者、より高貴な者として、常にまたより自由な眼、より潔白な良心をも自分の味方にしてきたのだ。その反面において、良心の上に「良心の疚しさ」の発明を有する者は一体誰であるか。諸君のすでに察知している通り、それはーー《反感》をもった人だ!p84-86

…………


正義についてはいろいろな捉え方がある。たとえば憐れみの感情を正義の根源だとする態度もある(参照:「「憐れみの海」の中で息をつける者は幸福だ」)。いわゆる日本でよく名が出される文脈なら、ルソー派とニーチェ派の対決ということになる。

たとえば蓮實重彦などは正義を言い募る連中にたいして《不快さに対する戦いを不正に対する戦いに利用しようとするさもしい根性が働いている》(『闘争のエチカ』)としている(参照:「正義とは不快の打破である」)。この「不快さに対する戦い」とは攻撃欲動に近いことを言っているのではないか。あるいは権力への意志のことを。

『快』の本質が適切にも権力の『増大感』として(だから比較を前提とする差異の感情として)特徴づけられたとしても、このことではまだ『不快』の本質は定義づけられてはいない。民衆が、《したがって》言語が信じこんでいる誤った対立こそ、つねに、真理の歩みをさまたげる危険な足枷であった。そのうえ、小さな不快の刺激の或る《律動的連続》が一種の快の条件となっているという、いくつかの場合があり、このことで、権力感情の、快の感情のきわめて急速な増大が達成されるのである。これは、たとえば痒痛において、交接作用のさいの性的痒痛においてもまたみられる場合であり、私たちは、このように不快が快の要素としてはたらいているのをみとめる。小さな阻止が克服されると、ただちにこれにつづいてまた小さな阻止が生じ、これがまた克服される──抵抗と勝利のこのような戯れが、快の本質をなすところの、ありあまり満ちあふれる権力のあの総体的感情を最も強く刺激すると思われる。(ニーチェ『権力への意志』「第三書・二・三・権力への意志および価値の理論」原佑訳)

わたくし自身はここでの叙述から明らかなように、憐み派(ルソー派)ではなくニーチェ派なのだが、とはいえそれは「理論的」にはそうであり、「実践的」には、正義の根源は攻撃欲動だと断言するつもりはない。ニーチェ自身次のように言っている。

悪く考えることは、悪くすることを意味する。 (ニーチェ『曙光』76番)

攻撃欲動が正義の根源だと断じてしまうことは、人間関係を悪くすることを意味しはいないか。これはラカン派の「騙されない人は彷徨うLes non-dupes errent」という考え方にも繋がる。すなわち、われわれは時に、正義の根源は憐みだ、あるいは孟子の《「惻隠〔みてしのびざる〕の情」だと騙される必要が(ときに)あるのだ。

だが攻撃欲動が反転して正義になる、あるいはトラウマ的なものが良心の根源となる場合もあるのではないかという考え方は、いまのところ「理論的には」どうしても捨て難い。

(いまここでの実践的、理論的とは、カントの三批判の文脈での意味である。「私は何を知りうるか」、「私は何をなすべきか」、「私には何を欲しうるか」という問いが、カントの三批判のそれぞれであり、真か偽かという認識的=理論的な関心、善か悪かという道徳的=実践的な関心、快か不快かという趣味判断に相当する。)

認識的にどうしても捨て難いのは、豚の群のなかへ落ち込まないためでもあると言ってもよい。

・世には、自分の内部から悪魔を追い出そうとして、かえって自分が豚の群れのなかへ走りこんだという人間が少なくないのだ。

・わたしは君があらゆる悪をなしうることを信ずる。それゆえにわたしは君から善を期待するのだ。

まことに、わたしはしばしばあの虚弱者たちを笑った。かれらは、自分の手足が弱々しく萎えているので、自分を善良だと思っている。

・よし悪人がどんな害をおよぼそうと、善人のおよぼす害は、もっとも害のある害である。

・善い者、(……)かれらの精神は、かれらの自身の「やましくない良心」という牢獄のなかに囚われていた。測りがたく怜悧なのが、善い者たちの愚鈍さだ。(ニーチェ『ツァラトゥストラ』手塚富雄訳ーー「Homo homini lupus、あるいは攻撃欲動(ニーチェとフロイト)」より

ーー上の文の「悪」を「攻撃欲動」として読んでみよう、また「善」を「正義」と。そして、正義は攻撃欲動が己れにむかって反転した<力>であると。上に掲げた浅田彰の言い方では、《力が自由に展開されるとき、それが自分自身に回帰して、自分自身を律するようになる》であった。

とすれば《悪魔が信じられないような人に、どうして天使を信ずる力があろう》(小林秀雄「ヒットラーと悪魔」)を変奏して次ぎのように言うことができる。

攻撃欲動が信じられない人に、どうして正義を信ずる力があるだろう、と。あるいは攻撃衝動の器の小さなひとに、どうして正義の大きな器がありえようと。

もちろん、このように書くのは《最も軽蔑すべき者達について私は語ろう。それは末人(最後の人間)だ》で始まるツァラトゥストラのパッセージの谺による、

……人はもはや貧しくも豊かにもならない。どちらも面倒くさすぎる。支配する者もいないし、従う者もいない。どちらも面倒くさすぎる。

飼い主のいない、ひとつの畜群! 誰もが同じものを欲し、誰もが同じだ。考え方が違う者は、自ら精神病院へ向かう。」(ニーチェ『ツァラトゥストラ』序説 手塚富雄訳)


さて吟味しよう。憐れみの情がわれわれの根源なのか、それとも支配欲動めいたものがわれわれの根源なのか。

ルソーに反対。――われわれの文明は何かあわれむべきものそれ自体を持つということが真であるなら、ルソーとともに「このあわれむべき文明はわれわれの劣った道徳に対して責任がある」と結論を続けるか、あるいはルソーに反対して次のように逆の結論を出すかは、諸君のお好み次第である。「われわれのすぐれた道徳は文明のこのあわれむべき状態に対して責任がある。善悪に関するわれわれの弱い、男らしくない、社会的な概念、および心身に対するその絶大な支配は、すべての身体とすべての心をとうとう弱めてしまい、自主的な、独立的な、とらわれない人間を、すなわち強い文明の支柱を破壊してしまった。劣った道徳に現在なお出会う場合、これらの支柱の最後の破片が見られる。」やはりこのように逆説が逆説に対立するとすれば! この場合真理がどちらの側にもあることは不可能である。それでは真理はそもそもどちらかの側にあるのか? 吟味せよ。(ニーチェ『曙光』P163番 茅野良男訳)

もちろん、これだけを参照する必要はない。ニーチェの若き日の最大の師の言葉をここで抜き出してもよい。

すべての生きとし生ける者に限りない同情を持つことこそ、倫理的に正しい態度をとる上で最も堅固、確実な保証を与えるものであり、これについてとやかく良心の問題などを取り上げる必要はない。この気持ちに満たされた者は、必ずや、誰にも危害を加えたり、侵害したり、なんびとをも陥れようとせず、むしろできる限り他人のことをおもんばかり、あらゆる人を許し、助けるようつとめるであろう。さらにそうした人の行動は、正義と人間愛の刻印を担うことになろう。(ショーペンハウアー『存在と苦悩』)

《――私自身が、かつて、私の「若年」のとき、ショーペンハウアーとリヒアルト・ヴァーグナーとに関して書いたこと、書いたというよりむしろ描いたことーーおそらくあまりにも大胆に、気力にあふれて、若さにあふれて、塗りたての漆喰壁にーーそれを私は今日「真」と「偽」にもどついて詳細に吟味しようとはいささかも思わない。しかし、私が当時見当ちがいをしていたとしても、私の誤りは、前記の二人にとっても、私自身にとっても、少なくとも不名誉にはなっていない! そうした見当ちがいをするということは、相当のことであり、ほかならぬ私をこのように誤りへと誘惑するということも、やはり相当のことである。》(ニーチェ「「ヴァーグナーの場合」のための最初の覚え書き」 P475)


いやこれだけでもない、ルソーは『エミール』では次のように書いていることを付け加えておこう。

【第一の格率】:人間の心は自分よりも幸福な人の地位に自分をおいて考えることはできない。自分よりもあわれな人の地位に自分をおいて考えることができるだけである。

【第二の格率】:人はただ自分もまぬがれられないと考えている他人の不幸だけをあわれむ。

【第三の格率】:他人の不幸にたいして感じる同情は、その不幸の大小ではなく、その不幸に悩んでいる人が感じていると思われる感情に左右される。

人はただ自分もまぬがれれると考えたなら、他人の不幸はあわれまない、とどうして読めないことがあろうか? (この三つの格率の前後文は、「みにくさはたやすく美しくなるような顔立ちにおいていっそうよく目立つ」の後半に引用がある。)

われわれは知らぬ間に次のような態度をとっているのではないか。

ジジェク) リオ・デ・ジャネイロのような都市には何千というホームレスの子供がちがいます。私が友人の車で講演会場に向っていたところ、私たちの前の車がそういう子供をはねたのです。私は死んで横たわった子供を見ました。ところが、私の友人はいたって平然としている。同じ人間が死んだと感じているようには見えない。「連中はウサギみたいなもので、このごろはああいうのをひっかけずに運転もできないくらいだよ。それにしても、警察はいつになったら死体を片づけに来るんだ?」と言うのです。左翼を自認している私の友人がですよ。要するに、そこには別々の二つの世界があるのです。海側には豊かな市街地がある。他方、山の手には極貧のスラムが広がっており、警察さえほとんど立ち入ることがなく、恒常的な非常事態のもとにある。そして、市街地の人々は、山の手から貧民が押し寄せてくるのを絶えず恐れているわけです。……

浅田彰) こうしてみてくると、現代世界のもっとも鋭い矛盾は、資本主義システムの「内部」と「外部」の境界線上に見出されると考えられますね。

ジジェク)まさにその通りです。だれが「内部」に入り、だれが「外部」に排除されるかをめぐって熾烈な闘争が展開されているのです。(浅田彰「スラヴォイ・ジジェクとの対話」1993.3『SAPIO』初出『「歴史の終わり」と世紀末の世界』所収ーーHomo homini lupus、あるいは攻撃欲動(ニーチェとフロイト)

ーーさて吟味しよう。

…………

なおニーチェの狂気に陥る前年の遺稿には次のような文がある。

権力への意志が原始的な情動(Affekte)形式であり、その他の欲動(Affekte)は単にその発現形態であること、――(……)「権力への意志」は、一種の意志であろうか、それとも「意志」という概念と同一なものであろうか?――私の命題はこうである。これまでの心理学の意志は、是認しがたい普遍化であるということ。こうした意志はまったく存在しないこと。(ニーチェ遺稿 1888年春)

この情動(Affekte)は、たとえばクロソウスキーの解釈では、衝動implusionとなり、それは欲動Triebeのことでもあり、かつまた権力=<力>Machteのことでもある。ドゥルーズもこの線で、<力>への意志を考えているのはよく知られている(参照:見出された「権力への意志」=「死の欲動」)。

Nietzsche himself had recourse to a varied vocabulary to describe what Klossowslu summarizes in the term 'impulse': 'drive' (Triebe), 'desire' (Begierden), 'instinct' (Instinke), 'power' (Machte), 'force' (Krafte), 'impulse' (Reixe, Impulse), 'passion' (Leidenschaften), 'feeling' (Gefiilen), 'affect' (Afekte), 'pathos' (Pathos), and so on.
(”Translator’s Preface” Nietzsche and the Vicious Circle PIERRE KLOSSOWSKI Translated by Daniel W. Smith)

権力への意志の<意志>とは、ではなんだろう? これは上に掲げたニーチェの遺稿の問いであるが、ジジェクも同様の問いを放っている。

But one should here raise a more fundamental question: is the Will the proper name for the “stuckness” which derails the natural flow? Is the not Freudian drive (the death drive) a much more appropriate name?(ZIZEK”LESS THAN NOTHING")

最後にあらためてこうつけ加えておくべきだろうか。

私は思弁のみに身を任せてしまったのではなく、逆に分析による資料を重視し、臨床的な技法的テーマを取り扱うことをやめなかった。私は哲学に近づくことは避け、大切な点ではフェヒナーに頼ることにしていた。精神分析がショーペンハウアーの哲学と広汎な一致があるとしても(彼は感情の優位性と性愛の意義を重視し、抑圧のメカニズムも知っていた)、私が彼の本を読んだのはずっと後になってからだ。ニーチェの洞察も精神分析の成果と驚くほど合致するのだが、だからこそ公正さを保持するために避けてきた。(フロイト『自己を語る』1925)