2017年12月12日火曜日

星と月は天の穴


その女を、彼は気に入っていた。気に入るということは愛するとは別のことだ。愛することは、この世の中に自分の分身を一つ待つことだ。それは、自分自身にたいしての顧慮が倍になることである。(吉行淳之介「驟雨」)

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ずっと読み返してみたんだ、昨日。11月なかばまでは気に入ってただけなんだがな。とっても趣味があいそうなスケベ女だと。徹底的な勘違いをしていたよ。

分身とは、私 moi プラス対象aーー私のイメージに付け加えられた不可視の部分ーーと同じものである。(ムラデン・ドラー1991, Lacan and the Uncanny、PDF
分身とは i′(a) + a、想像的他者プラス対象aである(ロレンゾ・チーサ2007、Subjectivity and Otherness)

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11月3日「 いつか、あなたと話ができたらと思う。わたしはあなたに話したいことがある。いつか。」


11月16日「あなたに言わなくてはいけないことがあります。だけど怖くて言えなかった。」

11月20日「私は誰にも打ち明けたことのない秘密を、あなたに打ち明けたこと、⋯⋯私は恥ずかしく隠れてしまいたい気持ちになりました。」


ーーこの11月16日~20日で、ボクは沈没したよ。遠く離れた、会ったこともない、見ず知らずの男にあんなことを打ち明けるなんて!「マヌケ男とキチガイ女の不可能な出会い」だよ

きみは「理由はわからない」と最初は言ったけど、のちに「理由」を書いてるんだな。

12月2日「あなたは、ずっとずっと男と女の話を書き続けているのはどうして? 」

ーーそうなのか、自分ではあまり意識していなかったけど、と思ったよ。最近は「意識して」愛の話を書いてるけどさ。


12月4日「あなたのblog を初めて読んだ時から、あなたは愛に苦しんでいると、思っていた

あなたの中に、誰もみていない。ただ、自分自身を見ているかもしれない。

あなたとわたしは、似てるわ」

ーーこれは完全に「分身」の話だね

一度、11月のおわりごろだったか、ツイッター上のエアリプで次の文を引用したとけどさ、きみ宛に。

人は愛する Man liebt:

1)ナルシシズム型では、

a)現在の自分(自己自身)
b)過去の自分
c) そうなりたい自分
d)自己自身の一部であった人物

2) アタッチメント型 Anlehnungstypusでは、

a) 養育してくれる女性
b) 保護してくれる男性

(フロイト『ナルシシズム入門』1914ーー「愛することは、愛されたいということである」)

そのときには、きみはすぐに否定した、わたしにはどれもあてはまらないって。まあいいさ、とくに文句をいうつもりはないよ


12月6日「わたしは、あなたのblog を読んであなたが嫌いだった

あなたが愛に苦しんでいるとわかったから

見るのがつらくて

あなたのこと、ダイキライ

ダイキライ

ダイキライだわ! 」

ーーボクは性格がわるいからこう引用しておくよ

情熱的な愛は、遠い昔の憎悪を克服したもの、あるいは憎悪に貪り喰われることを克服したものでありうる。

Wir hätten erwartet, daß die große Liebe längst den Haß überwunden hätte oder von ihm aufgezehrt worden wäre.(フロイト『鼠男』1909年)
情熱は定義からしてその対象を傷つける。相手が情熱の対象の位置を占めることに徐々に同意したとしても、畏怖と驚きを経ずして同意することは絶対にできない。(ジジェク『ラカンはこう読め』2006)

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ボクは二十歳前後、吉行淳之介をよく読んでいた。高校時代、森有正を読んで、リルケを読んで、小林秀雄を読んで、ヴァレリーを読んだことからすれば、ひどい「堕落」かもしれないさ。

女から手痛い目にあわされた記憶が意識の底に沈み、ほとんど無意識のうちに復讐心理が働くのではないか(吉行淳之介「星と月は天の穴」)

ボクはずっと次のような態度をとってきたつもりだが、きみはその鎧を取り払っちまった。

・現在の彼は、遊戯の段階からはみ出しそうな女性関係には、巻込まれまいと堅く心に鎧を着けていた。

・私は蕩児の姿勢を装って、町を歩きまわっていた。(吉行淳之介「娼婦の部屋」)

「蚊居肢」というシニフィアン自体機能しなくなっちまったよ、きみのせいで。

でもいまだ「無意識のうちに復讐心理が働く」タイプだからな、気をつけなくっちゃ。いまここに書いてる文自体でさえ「復讐」っぽいんだな、


とはいえなによりもまず、プルーストの言ってることがしみじみーー肉体的にーーわかるようになった気分だよ、きみのおかげで

ところで、ある年齢に達してからは、われわれの愛やわれわれの愛人は、われわれの苦悩から生みだされるのであり、われわれの過去と、その過去が刻印された肉体の傷とが、われわれの未来を決定づける。(プルースト「逃げ去る女」)

本なんか読んでるより、きみの「手紙」のほうがずっと貴重だね、今は。《手紙は…幽霊との交わり Verkehr mit Gespenstern でありしかも受取人の幽霊だけではなく、自分自身の幽霊との交わりでもあります。…手紙を書くとは…むさぼり尽くそうと待っている幽霊たちの前で裸になることです Briefe schreiben aber heißt, sich vor den Gespenstern entblößen, worauf, sie gierig warten.》(カフカ、1922年 3 月末 ミレナ宛)

《すぐれたひとたち》は彼に何も教えない。ベルゴットやエルスティールさえ、彼に個人的な習得を避けさせ、シーニュと、彼が味わねばならぬ失望とを経由することを免れさせるようないかなる真実をも、彼に伝えることはできない。したがって彼は、すぐれた精神の持主も、立派な友人でさえも、短い愛ほどの価値がないことを非常に早く予感する。しかし、愛においても、それに対応する客観主義的な幻想 illusion を捨て去ることは、彼にとってはすでに困難である。愛する理由は、愛の対象となっているひとの中には決して存在せず、複雑な法則にしたがって彼のうちに具体化される幻影 fantômes・第三身分 Tiers・作文 Thèmes に帰属するものであることを彼に教えるのは、若い娘たちへの集団的な愛であり、アルベルチーヌのゆっくりした個性の形成であり、選択の偶然性である。(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』)

「短い愛」をあえて黒字強調したけど、とくに意味はないさ。

ま、ひょっとして意味があるなら、次のようなことかも。

「アルベルチーヌさまはお発ちになりました」とフランソワーズが告げた日の、アルベルチーヌとの離別は、ほかの多くの離別の一つのアレゴリー、むしろひどくは目立たない一つのアレゴリーといってもよかった。ということは、われわれが愛していることを発見するためには、またおそらく、愛するようになるためにさえも、しばしば離別の日の到来が必要だということなのである。(プルースト「逃げさる女」)