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2024年4月26日金曜日

ノミのプライド

 

このワクチンをめぐる一連のツイート勉強になるよ、


特に漆黒の戦士さんの「ノミのプライド」ってのは鋭い指摘じゃないかね



「ノミのプライド」というのはもう少し穏やかな言い方をしたら「意地」だろうね、


意地の共通の問題は、視野狭窄である。〔・・・〕

おそらく、意地というものは、元来は窮地を正面突破するための心理的技術だったのであろう。

いばらの多い藪を通り抜けるためには、たえず自分を励まさなくてはならない、そういう自己激励である。そのためには視野狭窄が必要であり、自己中心性もなくてはなるまい。いや、自己中心性は不可欠のものかもしれない。 ひとのためによかれとして意地を張ることもあるだろうか。ひょっとするとあるかもしれないが、張っているうちに次第に自分が意地を貫くことが第一義的なものになりはしまいか。

誰にせよ意地によって窮地を脱した暁には大局的な見方や柔軟な思考、自由な感情を心掛ける必要がある。意地は、人を強くするが、心をやせさせる傾向があるからである。(中井久夫「治療に見る意地」初出1987年『記憶の肖像』所収)



話を戻せば、私も当時日本住まいだったらワクチンを必ず打っていただろうな。海外住まいで、しかも不精のせいもあってーーそして医師見習いの息子にパパは打たないほうがいい、出来るだけ外に出ないようにすればいいと言われたこともあってーー幸運にも打っていないのだが。その長男も、次男も妻も中国製のワクチンを2度打っているがね。

今こうやって余裕をもってコメントできるのもこの「幸運」のせいにすぎない。


ところで、2年強前からロシア絶対悪で頑張ってきた皆さんよ、そろそろ認めたほうがいいんじゃないかね。それともそうできないのはやっぱりノミのプライドのせいかい?


伝統的にロシア(ソ連)に対して悪いイメージが支配する日本の政治・社会がロシアのウクライナに対する武力侵攻に対してロシア非難・批判一色に染まったのは、予想範囲内のことでした。しかし、一定の肯定的評価を得ている学者、研究者、ジャーナリストまでが一方的な非難・批判の側に組みする姿を見て、私は日本の政治・社会の根深い病理を改めて思い知らされました。〔・・・〕日本の政治・社会の際立った病理の一つは、「赤信号一緒に渡れば怖くない」という集団心理の働きが極めて強いということです。ロシア非難・批判一色に染まったのはその典型的現れです。(東アジアの平和に対するロシア・ウクライナ紛争の啓示 浅井基文 3/21/2022



「皆んなで渡れば怖くない」で思い出したが、社畜観察カフェというのが訪日客に人気らしいね、





ほとんど同じ恰好をして仕事に向かうこの集団は外国人にとってはひどく奇異に見えるんだろうよ。


労働集約的な農業はムラ人の密接な協力を必要とし、協力は、共通の地方神信仰やムラ人相互の関係を束縛する習慣とその制度化を前提とする。 この前提、またはムラ人の行動様式の枠組は、容易に揺らがない。それを揺さぶる個人または少数集団がムラの内部からあらわれれば、ムラの多数派は強制的説得で対応し、 それでも意見の統一が得られなければ、 「村八分」で対応する。いずれにしても結果は意見と行動の全会一致であり、ムラ全体の安定である。(加藤周一『日本文化における時間と空間』2007年)

農耕社会の強迫症親和性〔・・・〕彼らの大間題の不認識、とくに木村の post festum(事後=あとの祭)的な構えのゆえに、思わぬ破局に足を踏み入れてなお気づかず、彼らには得意の小破局の再建を「七転び八起き」と反復することはできるとしても、「大破局は目に見えない」という奇妙な盲点を彼らが持ちつづけることに変わりはない。そこで積極的な者ほど、盲目的な勤勉努力の果てに「レミング的悲劇」を起こすおそれがある--この小動物は時に、先の者の尾に盲目的に従って大群となって前進し、海に溺れてなお気づかぬという。(中井久夫『分裂病と人類』第1章、1982年)



ところで藤巻シナリオーー円のフリーフォールーーを常に念頭に置きつつもいままで比較的穏やかな予想をしていた元日経記者磯野直之氏が過激なことを言い始めたね、




「大破局は目に見えない」勤勉なムラ人のみなさんにとって今ここが正念場かもよ・・・